「良いこと」を考える
ここは渋谷のスクランブル交差点。
「よいしょ、よいしょ。」
どこかの田舎から渋谷にやってきたおばあちゃんがスクランブル交差点を渡ろうとしている。
「うわあ!? なんて人が多いんだ!?」
あまりにもスクランブル交差点を渡る人が多いので、おばあちゃんは目が回ってスクランブル交差点の中央で倒れ込んでしまった。
「ビビー!」
信号は赤に変わり、車がやってきて、おばあちゃんを引こうとする。
「キャアアア!?」
おばあちゃんの悲鳴がスクランブル交差点に響き渡る。
「銀河誕生の大爆発! ビックバン! エル・エル・エルメス!」
ドカーン! と車が突然、大爆発を起こし炎上した。
「おばあちゃん、大丈夫ですか? 私が手をつないで向こうの歩道までお送りしますね。」
そこに一人の女子高生が現れる。おばあちゃんを向かいの歩道まで無事に案内した。
「ありがとう。お嬢さんはいったい?」
「私ですか? 私は魔法少女です。エヘッ。」
渋井栞。エルメスのスカーフを首に巻いた素敵な女子高生魔法少女である。
恐ろしいイメージチェンジである。誰かが言った。「人間は正しいことが好きだ。」全ての作品が正しいことをしている訳ではない。どちらかというと、新しい道具を出したり、新しい事件を起こしたり、次はどんな特殊能力が出てくるのか、ということを楽しみにしている普通の人が多いだろう。
例えば「正しいことは、聞こえが良い。」悪いことは話題にはしたくない。相手がどう考えているのか分からないのだから、「おばあちゃん助かって良かったね。」「困っている人を助ける魔法少女、カッコイイよね。」上辺だけの会話。社交性のある会話。他者から自分を守るための会話。
また「おばあちゃん、死ねばよかったのに!」「なんで助けるんだよ! 魔法少女!」これが人の本音である。最近のアニメも映画、ドラマも皆殺し内容ばかり。勝ち組負け組、金持ちと貧乏人、SNSも炎上ばかりの匿名性が高いので、気を使わないで好き勝手に書ける。渋谷のハロウィンでは逮捕者まで出る始末。
人の心は荒んでいる。またマスコミも視聴率のためなら、荒んだ作品を世の中に出していく。それがヒットするから、いじめ、皆殺し、テロ、暴動は、時代のトレンドである。それは間違いない。
だが、何かを見落としている。表面に見えるものは、動く10パーセントくらいの人間なのだろう。平和なNHKKの朝ドラとかが信任されているのは、平和だから。目立たないだけで、性善説の人間が20パーセントはいる。もう、今の時代、50パーセントくらいの人々は面白くないので、本もテレビも見ないだろう。また本も売れない。浮遊層は20パーセントくらいか。
では他の人間は何をやって生きているのだろう。仕事、趣味、スマホいじり、そんなところだろうか。大家族も死語になり、少なくても都会で家族でお買い物をみることはまずない。結婚してない独身ばかりで、個人でインスタグラムムに投稿する写真でも撮っているのだろう。ユーチューブブに投稿するだけで、サラリーマン以上のお金がもらえるのだから。
なんだろう。エグザイルルは渋谷のハロウィンのようなヤンキーを量産しているし、AKBBは30代でも幼い少女を量産している。既にマクドナルドド、コンビニなどは日本の若者より、真面目な外国人に奪われている。10年もしない間に日本なのに上司は外国人で、日本人がパワハラやセクハラされる時代になる。
カクコン4もアクセス数が動かないので、運営は今までのカクコン同様全ては読まない。最初から大賞が決まっていそうなので、ファミ通コンに変えてみよう。
こんな時代でも「良いこと」をメインストーリーにして、人々は信じてくれるのだろうか。共感をしてくれるのだろうか。でも他の作品にないので、やってみよう。
つづく。




