04
「あっ、と、悪い。なあ、この鐘なんとかならないのか? うるさくてかなわん。」
己の豪快な訪問を非難するかのように鳴る鐘を一睨みし、来客は店内へ視線を這わす。訪れた客は熊のように大柄な男だった。何かを探すようにキョロキョロと視線を彷徨わせ、首を一つかしげる。
「ん、ミエルは? 工房か?」
「いや、ちょっと前にお客様を追いかけて出たばかりだ。すぐ戻ってくると思ったんだが……、どこで油を売ってんだか。」
「そうか。実はミエルの“キャット水”は売れ行きが好調でな、もう残りが少ない。ちっと追加で30本ほど納品してもらえんかと相談したかったんだが……。」
「そうか、悪い。俺から追加の件を言っておくから、また明日にでも追加の契約書を持って来てくれないか。その様子だと、すぐにでも欲しいんだろ?」
「本当か! それは助かる。では、明日の昼頃にでも改めさせてもらうよ。」
「ああ。それで頼む。次からはしっかり会う約束してから来てくれよ。」
「あっはっは! すまん、すまん。今日は突然来て悪かった。ミエルならいつでも居ると思っていたからな。いや、あんたの言うとおりだ、すまない。……っと、こりゃ失礼。接客中だったか。」
大柄な男は、小さな客の姿に初めて気が付いたと言わんばかりに目を丸くし、バツが悪そうに頭を掻いた。そして、腰をかがめ、フードを被っている小さな客の頭に手を置き、ポンポンと軽く触れる。
「お嬢ちゃん、お使いか? 邪魔してすまんかったねえ。」
そして、小さな客の姿を見て、ふと思い出したように店員の男へと言葉を投げかける。
「ああ、そう言えば、さっき市井の方で迷子騒ぎがあったようだぞ。」
「迷子なんて珍しくないだろう。」
「まあそうなんだが、今回はどっかのお貴族さまの子どもなんだと。これが実は攫われてましたとなったら、この区のモンだって疑われかねん。こっちの身だって危ないったらありゃしねぇ。さっさと見つかってくれりゃエエんだがなあ。それに、子どもが痛い目にでも合っていたら可哀想だ。」
「ああ、そうだな。」
「あんたも見かけたら保護してやんな。探しているお貴族さまは、手当たり次第にそこいらの店に聞きまくってるようだ。もうじきここにも聞きに来るだろうさ。」
「分かった。迷子が紛れ込んだら保護くらいはするよ。」
口には出さないが、面倒臭いことこの上ない、と言いたげな表情の店員に苦笑いし、大柄の男は「お嬢ちゃんも迷子にならんよう、さっさと帰るんだよ」と小さな客に温かな声を掛けて去って行った。
残されたリリーは、浮き出てきた気まずさを隠すかのように、自分の足先を睨むように見つめていた。
(……自分が迷子なこと、うっかり忘れてたわ。)
香水に夢中になり過ぎて、自分が置かれた状況を頭の中から消し去っていたことを恥じる。しかし、リリーは先程の大男が告げた言葉を口の中で反復すると、安堵を噛み締めた。きっと兄が自分を捜索してくれているのだろう、と。心の不安が溶け、力が湧いてくる。リリーは目に本来の勝ち気さを取り戻し、男に向き合った。何故だろう、今なら何だって言える気がした。
「それ、私のことよ。」
「だろうな。」
自信満々の表情で告白するリリーに対し、男は間髪入れずに確信の言葉を吐く。接客中の柔らかな音でも、親しい間柄であろう大男に向ける気軽な音でもなく、ただ冷めた目と声色でリリーを射抜く。そして、どうでも良いと言わんばかりの表情で口を開く。
「どうせ自分勝手に行動したんだろ。」
「な、何言って……。」
「あんたのさっきの行動を見てりゃ、誰でもそう思うだろうな。店に入ってきた時は不安そうな顔してたのに、店のモノ見た途端にキョロキョロしだすわ、新しい玩具を手にした時みたいな嬉しそうな顔するわ。挙げ句、さっきのおっさんの言葉で一喜一憂してんだからよ。興味の赴くままに行動して迷子になって、おっさんの言うことに我に返って。忙しいこったな。」
「なんですって!?」
「俺はアンタみたいに“自分さえ良ければ他に迷惑を掛けても良い”っつーお貴族サマが心底嫌いだからな、本当は保護なんざしたくないんだが……、迎えが来てる途中だ。アンタも入れ違いになったら困るだろ? クソ面倒臭いがその辺にでも座って大人しく待ってることだな。」
忌々しい、という言葉が似合う表情だった。リリーは怯んだ。今まで生きてきた中でこんなにも憎々し気に見られたことがあっただろうかと考えるが、生憎、この状況下で回るような頭は持っていない。
彼は過去に貴族からどんな仕打ちをされたのだろう。自分さえ良ければ他に迷惑を掛けても良い、と思っている貴族から。
(そんな貴族と同じだと思われているなんて、侮辱にも程があるわ!)
心ではそう憤慨するが、理性は同意をしていた。彼のリリーに対する評価は間違っちゃいない、と。己の好奇心が、一体何人もの人々を巻き込んだのか。町人だけでなく、兄も。何のために父親が道行きに兄を寄越したのか。迷子になってからも香水へと好奇心が顔を出し、また別の人―この店の店員、そして、きっと店の主も―を巻き込んでいる。
(……何が、懐かしくて温かい香り、よ。私は、わたしは……)
リリーは街に出てくるべきではなかった。常識も己の行動の末の影響も、何も分かっていない内は。
男はうなだれている彼女を一瞥し、店の隅に置かれた椅子を引いて座るよう促した。いつまでも扉の近くで立っていては未来の客の邪魔になる。リリーは重たい足を動かして椅子に座った。
「……ありがとう。」
小さな声で感謝を呟くが、男はリリーには目もくれず、覗き込むようにじっと窓の外を見ていた。
「……何やってんだ?」
「?」
その答えをリリーは持たない。
代わりに答えてくれたのは、窓の外から聞こえてくる訪問者たちだった。