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香りの錬金術師  作者: mel
3/6

02

 太陽が鳴りを潜め、しとしとと弱雨が降り注ぐ6月の昼下り。

 街路樹やその足元を覆う小さな花々、青々と茂る植物たちは、恵みの雨に濡れ、喜びを全身で表すように色彩を輝かせている。雨をキラキラと反射する石畳の上を歩く人はまばらで、皆、足早に行き来していた。ただ一人、雨除けコートのフードを目深に被り、心もとない様子でポツンと佇む少女を除いて。

 少女の名はリリー・グロリオサ。父親譲りの黒髪と、母親譲りの渋いワインのような色彩を瞳に纏う。雨除けコートの下には、大店や貴族の子が、お忍びで街を散策する際に使うような街着だったが、雨に気を取られている人々は、リリーの姿を気にも留めない。もしこれが庇護すべき幼子であれば、そして、もし庶民よりも上質な服装と気づいた者がいれば、彼女への対応は変わったのかもしれない。……庇護されるか、はたまた追い剥ぎに合っていたか。幸か不幸か、リリーは誰にも声を掛けられはしなかった。

 いつもは猫のように勝ち気に開かれている目も、今日は長いまつ毛の下に隠され色彩を失っている。肩でゆるく束ねた自慢の髪が雨に濡れている様子にも気づかず、先程から戸惑いがちに一歩を踏み出し、また止まるという動作を繰り返していた。

(どうしよう、どうしよう。ここはどこなのよ。)

 小さな店が立ち並び、人々もまばらではあるが居ない訳でもない。リリーは、いきなり襲われる心配はまだないだろうとひとまず安堵し、自分が置かれた状況を省みる。

(折角の街行きだったのに、兄様とはぐれてしまうなんて冗談じゃないわ。何で今日に限って迷子になんてなるのかしら。ああ、お父様に何て言われるか……。いいえ、それよりも家まで無事に帰れるかどうかが問題だわ。)

 今日は兄と買い物を楽しむ予定だった。本来であれば、<成人を迎えていない子どもは城下町へ立ち入ってはいけない>という子爵家の家訓がそれを許さなかったのだが、リリーは誕生日プレゼントとのたまって、街へ行きたいというわがままを押し通した。彼女を溺愛する父親が攻防の末、兄を同伴することを条件に折れたともいう。城下町で暮らす住民の生活、売られている商品、食べ物。そのどれもが、リリーの好奇心を煽っていた。つまるところ、リリーは浮かれていたのだ。

 あっちへ行きたい、こっちへ行きたいと兄を連れ回し、好奇心のまま色々な店へと足を運んだ。初めて目にする物に囲まれることの何と楽しいことか。次第に周りが見えなくなり、はぐれてしまったのだ。それに気づいた時にはもう遅く、自分が来た道すら覚えておらず、ウロウロと彷徨った結果、街の外れまで来てしまったようだ。

(困ったわ。早くお店に入ってここがどこなのか聞くべきだった。)

 どこまで頭が悪いのか、自分の頭の弱いことをこれ程までに嘆いたことはない。リリーは無意識のうちに、首から下げたペンダントを握りしめる。リリーの目と同じ色彩の石をはめ込んだそれは、リリーが4つの時に亡くなった母親の形見だった。14歳になった今では、母親の記憶はほとんどない。いたずらっぽく笑う姿がおぼろげに浮かぶだけで、何一つ覚えていない。

(お母様……。)

 リリーは頭を振り、息を一つ吐くと来た道を戻るべく振り返る。その時、風に乗ってふわりと甘い香りが漂った。

(この香り、知っている……気がする。一体、どこから?)

 いつ、どこでかは分からない。だけど、それを嗅いだのは懐かしい過去のような、はたまた最近だったような、ともかく印象的な優しい香りだった。リリーは引き返そうとした足を戻し、香りを運ぶ風の先へと歩を進める。時折止まっては風を頼りに香りの出処を探し、ふらふらと歩く。その香りが無性に恋しかった。知らない土地で唯一出会った、自分が知っているもの。不安に胸を押しつぶされていた少女は、それを手放したくなかった。例えそれが、目に見えず、触ることもできない不確かなものであっても。縋りつきたかったのだ。


(お父様、兄様、……お母様……。)


 気づけば、リリーは石レンガでできた小さな店の前に居た。色みのない外壁を覆うように青々と生い茂る蔦、アーチ状に配された赤レンガと木製の扉、拙い筆跡で<営業中>と書かれた札。そのどれをとっても、リリーには馴染みのないものである。城下町の外れでよく見た、ありきたりで印象に残らない店構えだった。

(本当に、ここかしら? そもそも私はここに来てどうしたかったのかしら?)

 衝動に駆られて香りの大元まで来てみたは良いが、そこで何を求めるのだろう。香りの正体を突き止めて、何になろうか。

 リリーは今更ながら、自分の行動を不可解に思った。だが、不思議なことに引き返す意思はない。

 彼女の手は、すでに扉へと向かっていた。

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