8 悪魔と姫の危険な遊戯
エクソシストデイズを始めて数日がたった。
あれから毎晩悪魔たちが私の寝室へやってくる。
悪魔と一言に言ってもあらゆる種類の者たちがいてなかなか面白い。
いわゆる幽霊みたいなのもいるし、動物や鳥のような姿をしていたり、人間と同じような姿をした者もいる。
そして先日はとうとうポルターガイストというものに遭遇した。
ベッドがふわっと浮かんで私をのせたまま月明かりの庭園をぐるりと一周したのはロマンチックで本当に楽しかった。
そんなことを思い出しながら歩くぽかぽかと暖かい昼下がり、公務が終わって自室へ帰ろうとする帰り道、迎賓館から議会へと続く回廊に差し掛かったら、柱の陰に見覚えのある眩しい白い布がはためくのが見えた。
案の定、エドガーが誰かと話し込んでいる。
盗み聞きなんかをするつもりはないけれど、ちょうどエドガーにお願いしたいことがあったので、ゆっくりと近づいてみた。
話し声が聞こえない距離で足を止めると、ちょうど話し相手がお辞儀をして去って行くところだった。
侍女の制服を着た若い女性が頬を赤く染めたまま、笑顔で手を振っている。
エドガーも優しい笑顔で手を振り返している。
それを見てムッとしてしまった。
エドガーはいつも私に対しては無表情が多くて、口を開けば鋭い言葉を投げてくるというのに、他の女性にはずいぶんと優しい態度で接しているものだ。
いや、もしかしたら、先ほどの彼女は、何か特別な存在なのかもしれない。
ちょっと待て。
私は何を考えているんだ。
確かに彼は今現在「婚約者」であるけれどであり、私がそんな嫉妬だとか独占欲のようなもやもやした感情を向けるような間柄でもない。
ちょっとした知り合い。
その程度の仲だ。
一瞬でもそんなことを考えたことを彼が知ったらきっと嫌がるだろう。
さっきのはちょっとした気の迷いみたいなもの。
少し仲良くなった友達が他の人と仲良くしているところを見たときに感じるやつに近い。
仲間外れにされたような気持ち、それだ。
動揺を隠しすために口元を引き締めると、ふとエドガーと目が合った
彼はいつもの冷たい表情で、少しだけお辞儀をすると、逃げるように身を翻して去って行く。
今までと同じ態度のはずなのに、なぜかショックを受けていることを認めたくない。
「フォブリーズ神父!」
声をかけて走って追いかけるけれど、彼は早足になって歩き出した。
それを逃がすまいと全速力で追いかける。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
追いつき横に並んで声をかける。
「すみませんが急いでおりますので。」
こちらを見ようともせずにそう返事が返って来た。
彼は少しでも私とは話もしたくないらしいようなので、しかたなく用件だけを伝えることにした。
「聖水が無くなったから、またいくつかもらえないかしら。急いではいないから、いつでもいいわ。誰に頼んだらいいかわからなかったから声をかけただけなの。それじゃあね。」
けっこう大きな声で言ったから聞こえているだろう。
言い終えると同時に足を止めた。
背後からアレックスがのろのろと歩いく足音がひびいているのが聞こえる。
そのまま立ち去るだろうと思っていたエドガーが、立ち止まって振り返った。
「聖水を、ですか?」
眼鏡のふちをくいっと持ち上げながら、そう問うてきた。
「ええ、無くなったから。」
「もうですか?お渡ししてからまだ5日ほどしかたっておりませんが、もう無くなったのですか?」
そう言いながら距離を詰めてくる。
眉をひそめて、どこか焦っているように見える。
「もしかして、ご自分の力だけでは追い払えずに聖水を何回も使わなければならないような悪魔でも襲ってきたのではないのですか?」
「そうじゃないんだけど、あれってあんまり効かないのね。」
「その時の状況をくわしく教えていただけますか?」
エドガーの眼鏡がきらりと光った。
「最近睡眠不足で風邪気味の日があったから飲んでみたけど、案外効かないものね、あれ。無味無臭のただの水だし。」
「……。」
「化粧水代わりにも使ったけど、ガサガサお肌にも効果はなかったし。」
「聖水を、何につかっているんですか。」
「何にって、聖水って万能水なんでしょ?聖なる湧き水だったっけ?飲んでよし!塗ってよし!ケガとか病気が治る奇跡の水、それが教会印の聖水、と聞いたことがあるけど。」
エドガーは右手で頭を抱えて、はああーっと長いため息をついた。
「私は退魔のためにお渡ししていたのですが。」
「えーーーっ!そうだったの?」
「冗談でおっしゃってるんですよね?」
「ごめん、本気。」
重たい沈黙が流れた。
「今度はちゃんと悪魔に使うから、またくれない?お願い!無いよりあった方がいいし。」
「ちなみに、最近はどんな悪魔がやってきたのかうかがってもよろしいですか?」
エドガーは異端審問官のような厳しさを漂わせている。
「昨日はなかなかよかったわよ?星空のランデブーで。まあ、一人だし、夜で寒かったけど。」
ポルターガイストのことを話すと、エドガーは絶句していた。
「その前は、大きな目をしたライオンの顔の周りに蛇がうにゃうにゃいるやつだったわね。それを見たコンラッドがまた気を失っちゃって。あ、そうだ。聖水ってコンラッドみたいな素人が使っても効果があるのかしら?」
コンラッドは人型の悪魔を見ても気を失わないからその時には使えそうだ。
「悪魔は、主に姫が眠っている時にやってくるのですよね。」
「そうよ。」
「護衛騎士が悪魔を見たということは、もしかして、彼は姫の寝室に入ってくるのですか?」
「そうよ。」
「い、いけませんよ!何をしているのですか貴方は!」
「え?なんで?コンラッドは護衛騎士だから私がいるところにはどこでも来るわよ。」
「未婚の姫君の部屋に、護衛騎士とはいえ男が入るなんて、危険です!」
悪魔が来る方が危険だと思うけど。
「それに、形だけとはいえ、婚約もしておられる身なのですからなおさらそのような行動は慎んでいただいたほうがいいのでは。」
そだねー。
しかし、コンラッドのことはそんなに心配することではないということをきちんと説明しておきたい。
「私とコンラッドの間に男だとか女だとかそんなのは存在しないわよ。それにほら、コンラッドは、ね?」
コンラッドは、女王陛下にもうずっと長いこと恋い焦がれている。
いや、崇拝している。
それもあって、女王陛下の近衛隊には身辺調査に引っかかりなれなかった。
エドガーも前宰相の子息なのだから、こういった事情は知っているはずだ。
実は私はまだ10代だったころ、コンラッドには憧れた時期もあった。
恋というよりも、年上の男性に対するちょっとした憧れのようなものだったけれど。
でもそれも、女王陛下をほほを染めて見つめるコンラッドを見てすうっと冷めてしまった。
あの敬愛とか尊敬とかを通り越したもはや狂気の域に達した感情を宿した瞳を見てしまったら、正直、引いた。
「それは、そうですが……。しかし、彼も護衛騎士である前に一人の男。何があるかわかりません。」
「だ~いじょ~ぶだぁ~よ。私がお姉さまと間違えられることなんてないし。」
「それは絶対にないはずですが。」
「この前は私の寝間着姿を見て気を失ってたし。」
「……どういうことですか?」
言ってから、しまった、と思った。
寝間着姿を見て気を失ったからといってなんだというのだ。
だけど、ふと私にだって男を魅了する色気があることをねつ造したい、という気持ちが湧き上がった。
さっきエドガーと話していた女性に対する謎の対抗心が芽生えている。
「私の色気にやられちゃったんじゃない?」
「貴方は一体どんな夜着を身に着けてらっしゃるのですか!いけません!危険です!長袖長ズボンでシャツの裾はきちんとズボンの中にしまうような、そんな寝間着でないといけませんよ!」
私が着てるのはまさにそんな寝間着だけどね。
それは黙っておこう。
追及されると面倒だから話題を変えることにした。
「あ、そういえば、あなたにそっくりな悪魔も来たわよ。」
「私に?」
「ええ。インマって言うんだって。遊ぼうって言われたから朝まで遊んであげたけど。」
「いいいいいい淫魔ああああああっ!!!???」
「ベッドの上にのしかかってきて、で、あなたの顔が、はいどーん、でしょ?びっくりしたー。」
「ちょっと待ってください、ちょっと待ってください!!」
「なに?」
「その悪魔は、淫魔と名乗り、そして、私の姿をしていたんですね?」
「だからそう言ってるじゃない。」
エドガーは顔を真っ赤にして、右を向き、左を向き、上を向いた後、指を組んで神に祈りをささげた後、眼鏡を直しながら深呼吸をしている。
明らかに挙動不審だ。
「ふう。すみません。それで、その後、遊んだ、とは一体どういうことなのですか?」
「危険な遊びをしようと言われたから、朝まで熱い男と女のバトルを繰り広げたのよ。」
「おとことおんなのあついばとる?」
「一回あなたとはやってみたかったのよねー。いろいろと強そうだし?」
「あなたは一体何を考えているのでしゅっ……ですかあ!」
「あ、そうそう、コンラッドも一緒に遊んだわよ。あなた似の悪魔より強かったわね。インマって、技術も体力もないんだもん。たいしたことないわね。まさかあなたもそうなの?」
エドガーは膝から崩れ落ちて、床にはいつくばって震えている。
彼の顔から眼鏡が落ちてかちゃりと音をたてた。
お読みいただいきありがとうございますm(_ _)m
淫魔は人間の理想の相手や、好きな異性の姿で現れるらしいですよ。