5 使えない魔物
その日の晩、いろいろあって疲れ果てたので、夕食を済ませたら早々にベッドに入って眠ってしまっていた。
ふと、目が覚めた。
部屋の中は薄暗く、どうやらまだ朝はやってきていないようだ。
もうひと寝入りしよう、と思うけれど、なんだかお腹のあたりが重たい。
何だろうかと見てみると、ボールのようにまん丸い真っ黒な、自分の体よりも大きな何かがお腹の上に乗っていた。
それは大きな猫だった。
その金色の瞳と目が合うと、猫はにんまりと歯を見せて笑った。
夢かな?
夢にしてはずいぶんと重たいけれど。
私、猫って大好き!
一度こうしてお腹の上に乗ってみてもらいたかったんだよね!
重いけど、むしろご褒美です!
ほくほくとした幸福感を感じながら、二度寝を決め込んだ。
アレックスにそのことを言うと、変な夢だな、と言っていた。
その次の日も同じようなことがあった。
眠っているとふと夜中に息苦しくて目が覚める。
今度は何者かに体をぐいぐい抑え込まれて、首までしめつけられた。
暗殺者だろうか?
恐ろしくてどうしたらいいのかわからない。
このまま殺されてしまうんだろうか?
コンラッドを呼ぼうにも、声も出せない。
コンラッドも仕事して!何してるのよ!
だんだん腹立たしくなってきて、自分を締め付ける何かをつかんで引きはがそうとする。
しばらく押し合い圧し合いしていたけれど、火事場のバカ力が出て、暗殺者(仮)を投げ飛ばしてやった。
ふん!勝った!
投げ飛ばしたところを見てみたけれど、そこには何もなかった。
ちっ。逃げられたか。
まあ、いい。
起きたらコンラッドに文句を言わなくては。
眠たかったからそれからすぐに二度寝を決め込んだ。
その次の日は、下半身が魚の形をした馬に湖に引き込まれるという、妙にリアルな夢を見た。
なんだか最近は私の安眠を妨げられることが多い。
とりあえず、馬の夢を見たので、ちょっとずつためておいたおこづかい15,000イェンをつぎ込んで、大穴狙いで馬券を買った。
出ろ、万馬券。
それからというもの、その次の日も、次の日も、次の日も、何かしらに安眠を妨害された。
4日目は「うらめし~うらめし~」と耳元でしつこい声が聞こえてきたので、
「そんなに裏飯が食べたかったらまず常連になれ!」
とアドバイスしたら、その声は聞こえなくなった。
5日目は「一枚足りない、一枚足りない」と耳元でうるさいので、
「足りないと思うのではなく、十分足りているという足るの心でGO!」
と元気づけてやったら安心したのか、いなくなった。
6日目は「カラン、コロン」と妙な足音がうるさいので、部屋に「土足厳禁」の張り紙を張ったら、音が聞こえなくなった。
そしてちょうど7日目、美容のゴールデンタイムを逃すまいと、早めにベッドに入ったというのに、またしても何者かに夜中に起こされてしまった。
両手で頬をぐいぐいと引っ張られたのだ。
「ちょっとーーー!!せっかくのゴールデンタイムが水の泡じゃない、お肌が荒れたら恨むわよ!」
『この鈍感な馬鹿女め、やっと起きたか。』
「……アーハアアアアアアンンンンンン?」
人を小馬鹿にしたようなそれでいて尊大な少年の声に、思わずアレックス直伝のメンチを切ってしまった。
目の前に、変なのがいた。
体はフクロウ。
しかし足があるはずのところに、すらりとした女性の腕が生えている。
「うわっきもちわるっ!」
『反応が薄い。もっと驚け。』
「なんであんたにいろいろと命令されないといけないのよ、焼き鳥にするわよ!」
寝ぼけているからいらだちながらそう叫んだ。
『できるものならやってみろ。』
変なフクロウはすうっと一度消えたかと思ったら、私の右肩に姿を現した。
「やだあっ!なんなのよ!どっかいきなさいよ!」
『断る。我はあの憎きフォブリーズの縁者を苦しめに来たのだ。』
フクロウはそう言って、私の頬をすうっと撫でてきた。
「当方あの眼鏡とは全く何にも一切これっぽっちも関係ないんでお帰りいただけないかしら?」
『この女、毎晩毎晩我らが苦しめているというのに、苦しめられているということに気づいていないのだからな。とうとう我が現れてやったのだ。』
「私の話聞いてる?」
『話を聞いていないのはお前のほうだろうが!まったく、こんなわけのわからん人間の女は初めてだ。』
「ん?ちょっとまって。毎晩毎晩って、猫とか暗殺者もどきとか馬とかってもしかして夢じゃなくて。」
『我らだ。』
「ちょっとーー!私のゴールデンタイムを返しなさいよ!」
『魔物の我を恐れぬとは、大物なのか、大馬鹿なのか、どちらかだな。』
「はあ?魔物?」
『そうだ、悪魔、魔なる者、悪霊、人間は我らをそのようにも呼ぶ。』
「その魔物が私になんの用なの?私明日は朝が早いからしっかり睡眠を取りたいのよ。よかったら明日の昼食の時にでも来てくれない?」
『お前な……。まあ、いい。作戦変更だ。お前、願いを叶えてほしくないか?』
「願い?」
『その魂を我に渡す代わりに、何でも願いを叶えてやろう。』
「うっそお!気前いいじゃない!わかった、いいわよ!」
『ふん、愚かな女だ。』
「まず、足を長くして、胸をもっと大きくして、お肌てゅるんてゅるんにして、目をもっとぱっちりさせて、まつげはすっごく長くして、鼻筋を通して、もっとセクシーな唇にして、歯並びも良くして、キューティクルをイキイキにして、何食べても太らなくして、頭を良くして、声も良くして、足を速くして、海外旅行して、バッグと靴とドレスと、流行のアクセサリーと、あ、イケメンにモテモテになって、アレクが働いて、夫婦円満で、経済も右肩上がりで、税金もいい感じで、クリーンな政治で、治安も良くて、生きとし生ける生命たちが天寿を全うして、あー、ついでに世界平和。あとなんだっけ。あ、そうそう、世界中の薄毛の人が悩みから解放されますように!」
『無理だ!』
自称魔物は吐き捨てるように言った。
「なんでもって言ったじゃない。使えないわね、この魔物。」
『魔物にもできる範囲というものがある!どれか1つにしろ!』
「ケチ!役立たず!私の魂あげるんだから全部叶えなさいよ!魔法のランプだって3つは叶えてくれるのよ!」
フクロウの魔物を抱えて上下にブンブンと振った。
『く、苦しいやめろ!この馬鹿女!』
「姫!いかがいたしました……か……。」
コンラッドが入って来て、変なフクロウを目にしたかと思ったら、気絶して倒れてしまった。
「コンラッド!」
コンラッドに駆け寄ってみたけれど、完全に機能を停止してしまっていた。
『我の恐ろしさに驚いたようだな。しかし、気絶するとはこの男、見た目に反していささか繊細すぎる気がせんでもないが。』
フクロウの魔物はコンラッドの上にふわりと舞い降りると、頬をぴしゃりと叩いた。
それに反応して、コンラッドが目を覚ました。
「コンラッド!大丈夫?」
心配になってのぞきこむと、こちらを向いたコンラッドはなぜか顔を真っ赤にして
「なっ。ひ、姫!なんというあられもないお姿!……うっ。」
なにかよくわからないことをうわごとのようにつぶやいて、また気を失ってしまった。
「コンラッド!どうしたの?」
『この男、上着の裾をズボンの中に入れ込んでいる色気のない女の寝間着姿くらいで頭を沸騰させるとは、初心すぎるだろう。ああ、そういえばもうずいぶんと長い間この国の女王に横恋慕していたんだったな。鈍感女よりこの男の願いを叶えてやった方が面白そうだ。いや、叶いそうなところで絶望を味あわせてやるのもまた一興。』
「それはやめてあげて。」
『人妻が好きとは、こやつもなかなか堕としがいのあるやつだ。』
「一応フォローしておくけど、コンラッドは人妻が好きなんじゃなくて、好きな人が人妻になっちゃっただけだからね。」
『あまりフォローにはなっていない気がするが。しかし、人とはつくづく面白い生き物だ。この男のように清廉潔白そうにしているくせに、心の中では道を外すことを願っているのだからな。』
「うーん、まあ、騎士道と言えば道ならぬ恋、みたいなところはあるけど。というか、なんでこんなことまで知ってるわけ?」
『人間どものことはよく観察をしているのだ。』
「日々のぞきにいそしんでるのね、やーらしー。」
『のぞきなどと言うな!』
「じゃあ、ウキウキウォッチング。」
『言い換えろと言う意味ではない!』
「いやあねえ、冗談よ。」
『疲れる……。』
「まあ、とにかく、コンラッドには手を出さないでちょうだい。」
『もとよりそのつもりはない。お前が苦しまなくては、フォブリーズへの意趣返しにはならないからな。お前もその欲望のために悪魔に魂を売り渡すがいい。願い事は決まったか?先ほどの以外で。』
「だからほんと使えないやつよね!」
『贅沢な暮らしや姿かたちを変えることが本当のお前の願いか?他にもあるだろう。』
「ああっ!そうだ!この指輪を外してちょうだい!」
『それは却下だ。それがあることでお前は困っている。それはそれで面白い。』
「じゃあ、エドガーとの婚約を解消して!」
『それは、自分でどうにかしようとしているではないか。』
ほんとこいつはなにをしに来たんだか。
『人間とはあらゆるものに縛られ、それゆえに、あらゆるものをあきらめながら生きている。年齢、性別、社会的地位、それらをなくすことができたならば、お前は何を望む?良く考えてみろ。お前があきらめているものは何だ?』
「そんなものは、ないわよ。」
『ふん、まあいい。いずれまた我を必要とすることがあるだろう。その時に聞かせてもらう。お前の望みを。我が名はプラム。願いが決まれば、我が名を呼ぶがいい。』
フクロウの魔物はそう言い残すと、すうっと消えていった。
一体何だったのか。
とりあえず、明日エドガーに文句を言いに行くことだけは心に決めた。
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まだまだ続きます。