4 白と黒の番犬
エドガーは、ふう、と息を吐くと
「私が明日の朝書類を持って行ったときに、女王陛下にもう一度話をいたしましょう。」
と言った。
少し顔が青ざめている。
まるで死地におもむく兵士を見送るような気分になってしまった。
完全に私が巻き込んだといえる状況なのに、まず彼が女王陛下に立ち向かうと言ってくれたことで、私のことを重いだとか、毛根が死滅してもたいしたことじゃないとか言ったことは許す気になった。
「いえ、私が女王陛下に言ってなんとか婚約は取り消してもらうわ。でも、時間をちょうだい。今までの経験上、しばらくたってから私の気が変わったとか言ったら願いを聞き入れてもらえると思うから。」
そういうと、エドガーは意外そうにこちらを見下ろしてきた。
「あなたを巻き込んでごめんなさいね。でも、すぐにこの困った状況は変えてみせるから。あなたは気にせず普段通りに過ごしていてちょうだい。」
「では、お願いいたします。ですが、私にもできることがあれば協力は惜しみません。」
「ありがとう。まずは、この指輪を返すわね。」
フォブリーズ家の大事な指輪だ。
左手の薬指から外そうと引っ張ったけれど、なぜか取れない。
「あ、あら?なんで取れないの?」
まるで体の一部にでもなってしまったかのように、指輪が指に張り付いてしまっている。
「おかしいですね、ちょっと失礼。」
エドガーが私の左手を取って、指輪をぐいぐいと引っ張るけれど、全く取れなくなってしまった。
「……呪われたか?」
エドガーが小声でつぶやいた。
「ちょっと今怖いこと言わなかった?ねえ!」
「……。」
「嘘でしょって、ちょっと痛い痛い痛い!!引っ張り過ぎ!指がもげる!」
手を離して自分の左手の薬指を見てみると真っ赤になっていた。
引っ張り過ぎなのよこの鬼畜眼鏡!
ひりひりして痛いので、ふうふうと息を吹きかけていると、エドガーが
「とりあえず、その指輪は貴方にお預けしておきます。」
「え?い、いいの?」
「取れないのでは仕方がありませんので。」
「そ、そうね……。」
嫌だなあ。
すっごく嫌。
いつでも目に入るところにこの指輪があるからエドガーのことは思い出すし、この指輪を見た人たちが、姫君は結婚できないはずの聖職者と婚約したらしいというのは本当なんだ!と騒ぎ立てるに違いない。
憂鬱な気持ちでいると、一人の修道士が私を呼びに来た。
午前の公務が私を待っている。
「それじゃあ。」
そっけなく別れを告げると、エドガーも
「ええ。」
とそっけなく答えた。
「あっそうだ!あのねえ、大聖堂の床をピカピカに磨き過ぎなの、やめてちょうだい。あのせいで滑ったんだから!あとバナナ犯は捕まえてちょうだいね!」
「バナナ犯?」
わけがわからないと言った様子でエドガーは聞き返したけれど、私は返事はせずに身をひるがえして階段を下りた。
☆☆☆☆☆☆☆☆
とりあえずやり過ごせばいい公務を右から左に受け流し、自室に帰った時にはもう夕方になっていた。
疲れてソファにダイビングしてクッションに顔をうずめる。
私の日中の護衛騎士、アレックス・オーグズビーがソファのふちに腰かけてきた。
「なんだお前、疲れてんのかよ、だらしねえな。」
「アレクに言われたくない。」
白い騎士服をだらしなく着込み、その上着の前は開けているので、下に着ている黒いシャツが見えている。
そのシャツにはドクロと「KILL YOU」というピンク色の文字が描かれている。
アレックス・オーグズビー。
栄誉ある白騎士の末裔でありながらも、騎士としての及第点は武勇くらいなもので、その他の忠誠、公正、勇気、慈愛、礼節、奉仕はどこに忘れてきたの?と言いたくなるような男なのである。
主君である私に対してのこの言葉使いにこの態度。
本来ならば到底許されるものではないのだが、彼は私の乳母の息子で私とは一つ違い。
一緒に育ったいわば兄弟のようなものだし、気安い仲なのだ。
外見だけならば、金髪碧眼の立派な若い騎士なのだが。
アレックスはガムを噛みながら寝ぼけたことを言ってきた。
「ねみぃ。今日はお前が茶会とかで一か所にずっといたから超昼寝できたけど、まだ寝たりねぇ。」
「アレク、あんた私の護衛騎士なんだからちゃんと護衛しなさいよ。昼寝なんかしてんじゃないわよ。」
朝に教会で居眠りしていた自分のことは棚に置いて、アレックスを叱った。
「男は、働いたら負け、だぜ?」
「働けーーーーーー!!!」
「真昼間からお前を襲いに来るような奴なんかいねえよ。あ、夜もいねえか。」
アレックスは両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、ふあ~あ、と大きなあくびをした。
「一日8時間昼寝できる、最高の職場。それがキャンディス姫の護衛騎士。」
真顔で何か言っている。
もうそれは昼寝じゃない。
というか、夕方には夜間の護衛騎士と交代してるのに、夜もしっかり寝てるんだろうかこいつは。
むしろいつ起きてるの?
「っつーか、お前、あの嫌味な神父と婚約したってえのはマジか?」
「マジよ。」
「マジかよ!」
アレックスはぶはっと吹き出して笑っていたが、噛んでいたガムが気管に入りそうになってしまったらしく、悶絶しだした。
そのままのどに詰まってしまったらしく、四つん這いになって身悶えている。
人の不幸を笑うからよ。
今日は本当に疲れてしまった。
どうするかは明日考えよう。
ソファに足まで乗せて、うずくまる。
ソファの上には、去年の収穫祭の時に作ったかぼちゃのランタンがあるのでそれをかかえこんで横になる。
決して片付けるのが面倒なので出しっぱなしにしているわけではない。
しばらくかぼちゃをなでながら疲れをいやしていると、復活したアレックスがまた笑いながら尋ねてきた。
「ひー、やべえ、超うける。で、なんでそんなおもろいことになったんだ?」
私はバナナのくだりから、今日の朝起こったことを説明してやった。
「だーっはっはっはっはっはっは!!陛下サイコー!」
そういうと、私の向かいにあるソファにぼすん、と飛び乗っておやすみなさいの体制に入っている。
「ちょっと!なにまた寝ようとしてんのよ!私のピンチをなんとかしようとか思わないわけ?」
「いいんじゃねえか?あの神父、なかなか面白い奴だ。案外仲良くしとくとイイコトあるかもしれないぜ?オーエンするぜ、お姫様?」
「やめてよ!」
背筋がゾクゾクしてきた。
「あー、笑った笑った、いい夢見れそうだ。おやすみ。ぐう。」
「寝るなーーーー!!」
わかっちゃいたけれど、アレックスが役に立つわけがなかった。
その時、壁に掛けられた鳩時計がぱっぽー、と5回鳴いて夕方の5時をお知らせした。
窓の外はもう薄暗くなってきている。
時が止まったかのような静かなひと時。
アレックスの寝息がうるさいけれど。
と、そこで静寂を破るように部屋の扉が壊れそうなほど大きな音をたてて開け放たれた。
「アレックス・オーグズビー!貴様、また護衛騎士交代式をすっぽかすつもりだな!今日という今日は許さんぞ!」
大声とともに入室してきたのは、私の夜間の護衛騎士、コンラッド・カートライトだった。
真っ黒な騎士服に短い黒い髪、きつい印象の黒い瞳の大柄なごつい男性だ。
「姫、おはようございます。」
無表情で役目すましにそう言うと、コンラッドはアレックスの胸倉をつかんでソファから引きずり出した。
「貴様はまた寝ているのか!」
「ああ?うるせえな、なんだよ、お前か。あと5分……。」
「起きろ!立て!剣を抜いて構えろ!」
「いっぺんに言われてもわかんねえよ。」
コンラッドはアレックスを立たせると、自身の剣を抜いて胸の前で立てて構えた。
騎士の礼の型だ。
「さっさとしろ!もう5時は過ぎているだろうが!」
「ほんとお前は融通がきかねえ野郎だな、この5時から男が!勝手に24時間戦ってろ。」
「言わせてもらうが、貴様とは朝の5時に交代しているから、貴様も5時から男だぞ。」
「……ほんまや!」
コンラッドのこめかみがぴくぴく痙攣して青筋がたっている。
「いいからさっさと剣を構えろ!」
アレックスはちっと舌打ちしながら、細長い黄色い駄菓子の袋を胸の前に構えた。
「貴様、なんだそれは。」
「シャクシャクうまか棒ロング、一人BBQ味。」
「ふざけるのもいいかげんにしろ!剣はどうした!」
「これが俺の剣だ。」
コンラッドが本気で剣をアレックスめがけて振り下ろした。
それをアレックスはのけぞりながらひらりとよけてみせた。
「貴様――――!!!」
「あー、めんどくせえ。そんじゃ、お先でーす。」
アレックスはすたこらさっさと部屋を出て行った。
以上が、毎日朝晩繰り広げられている、我が護衛騎士たちの交代時間のいつものやり取りだ。
コンラッドは剣を一振りすると、鞘におさめて、まるで何事もなかったかのように冷静な面持ちでこちらを振り向いた。
「では姫、私は扉の外で護衛しておりますので、なにかありましたらお呼びください。」
そしてさっさと部屋を出て行ってしまった。
コンラッドには婚約のことは相談しても無駄だろうな。
というか、コンラッドは私が聖職者と婚約しようが何をしようが、そうですか、で終わりそうだし。
アレックスとは正反対で騎士道を追及する騎士らしい騎士だけれど、私とは全くプライベートの話はしないのだ。
護衛騎士たちに相談してもしょうがないか。
なんだかどっと疲れが出てきて、ソファに体を沈み込ませた。
お読みいただきありがとうございます!
まだまだ続きます。