23 心の迷路
プラムは私の手を引いて、うずくまる修道女のそばまでやって来た。
薄暗い中でも目を凝らせば、壁にはところどころに、ちょうど横になった人が入りそうな長細いくぼみがある。
だが、その修道女が向かっている壁にはくぼみも穴も何もなく、ただ周りよりも少しだけ黒いように見えた。
そして修道女にちらりと目をやると、苦しそうにうずくまっているのではなく、両手を組んでじっと拝んでいた。
これが一体何を意味するのか、プラムに尋ねようとした時だった。
『コーデリア様!』
小柄で少しぽっちゃりとした若い女性が、焦りと怒りが混ざった声で叫びながらこちらに向かって走って来た。
「オーグズビー夫人!?」
それは自分の記憶よりもずいぶんと若い姿の、私の乳母で、アレックスの母であるオーグズビー夫人だった。
『コーデリア様!皆あなた様を探していたのですよ!まだ安定期に入ったばかりだというのに、またこのような不衛生なところで!お体にさわります!』
『シスター・サラ……。いえ、今はオーグズビー夫人だったわね。お久しぶりね。ご子息はお元気かしら?』
『コーデリア様……。今朝もお会いしたばかりではないですか。記憶があいまいになるほどお疲れとは……。さあ、お部屋へ戻りましょう。』
『いいえ、私はここで祈り続けなくては。国を出ることができない私の代わりに、あの騎士が、アデルバード様をお守りしてくれることを。』
『おいたわしい、コーデリア様。とうとう伝説の赤騎士の妄想までみるほどまでに追い詰められておられるとは。』
『あら、オーグズビー夫人。何を泣いてらっしゃるの?大丈夫よ?アデルバード様のことは、神とあの騎士がお守りくださって、きっとご無事で、我が国に帰ってこられるはずなのですから。』
『違います!違うのです!私は貴女が心配なのです!ああっ王族とはなぜああも勝手な人間なんでしょうか!何も告げずに勝手に遠くへ行ってしまうなんて!こんなに貴女を苦しめているというのに!私は、あの男が憎くて仕方がない!』
『まあ、オーグズビー夫人。公のことを悪く言うなんて、いけないわ。あの方は、この国のために危険を承知で海を渡って行かれたのだから。』
『コーデリア様!私には、孤児で死を待つだけだった私を修道院に拾ってくださったあなたが一番、なによりも大事な方なんです。王だとか、国だとか、そんなものどうだっていいんです!お願いですから、もっとご自分を大事になさってください!私にとっての御印は貴女のみ。神の御使いの末裔たる尊いお方……。』
『まあまあ、オーグズビー夫人、もうお子がいらっしゃるというのに、昔みたいに泣き虫さんね。さあ、涙を拭いてちょうだい。貴女が悲しむことなど何もないのだから。』
『お願いです、もう、ここへは来ないでください。この前、血まみれで倒れていらっしゃったときは、私は本当に心臓が凍り付きました。もう、ここは嫌です。』
『あの時は、あの騎士にお願いをするためにどうしても私の血が必要だったのよ。』
『ああっ!悪魔のささやきに耳を傾けてしまわれるとは!』
『悪魔ではないわ。困っている私にアドバイスを……。』
『悪魔です!悪魔に決まっています!ああ、恐ろしい!こんなところなんか、いかにも出そうじゃあありませんか。さあ、もう部屋へ戻りましょう。お腹の御子に何かあっては大変です。』
『ええ、そうね。そろそろ少しだけ、休憩しようかしら。』
立ち上がろうとした修道女が、ふらりとよろめいた。
『コーデリア様!』
若いオーグズビー夫人はあわてて抱きかかえた。
『ああ、お顔もこんなにおやつれになってしまわれて!』
ふらふらとしている修道女の肩をオーグズビー夫人が支えて、2人はゆっくりと暗闇に消えていった。
時々オーグズビー夫人が王族に対して聞くに堪えない罵詈雑言を吐きながら。
2人が見えなくなると、自然と止めていた息をふう、と吹いた。
『あれは、あの後しばらくして子を産んだときに死んだ。それを看取ったのが、もう一人の女だ。』
全てがゆっくりと、でも確かにつながっていく気がした。
もしかしたら、これはプラムの見た記憶ではなく、偽物を私に見せているのかもしれない。
けれど、時々オーグズビー夫人が私のことを、懐かし気に、哀し気に見つめてくることがあったから。
慕っていたシスター・コーデリアの子だから、そんな目で私を見てきていたのだろうと納得ができる。
『まあ、中途半端な場面だが、お前には十分すぎるピースだっただろう。つまり、あの憐れな修道女は。』
「私の生みの母。シスター・コーデリア。そして、その旧知の仲であったオーグズビー夫人が私を取り上げて、そして育ててくれたのね。ジャックが懐かしかったのは、あの人が邪法で自分の血を使ってジャックを造りだしたから。私の生物学的な父にあたるレッドメイン公の危険な外交の護衛にするために。」
『自分の両親のことなのにずいぶんと他人行儀な言い方だな。』
「そんなこといわれても、あの二人のことなんか私は何にも知らないんだもの。会ったこともないし。私が困っているのは、これから私がどうすべきか?なの。前王の直系じゃない私は、どうすべきか。」
『なんだ、親が恋しくないのか?もしくは、憎くはないのか?』
「まあ、正直いろんな感情があるし、それがぐちゃぐちゃで、葛藤っていうのかしらね。まあ、ショックだし、つらいわ。」
『それにしては、冷静だな。つまらん。』
「そうね、10代の頃ならば、誰かを恨んでいたかも。でも、私もそれなりに、世の中はうまくいかないものなのだという経験はいっぱいしてきたの。だから、そういうこともあるんだろうと、ただ事実を受け入れるしかないってことはわかってるつもりよ。大人になるって、困ったものね。それとも、私の心は死んでしまってるのかしら?それに、起こってしまったことを、ましてやあの2人がきちんと考えたうえでしたことを私が今どうこういってもしょうがないでしょ。それぞれに、優先すべきことが違っているのは仕方のないことだわ。なんというか、悲しい結末になってしまったのは、何とも言えないけれど。」
『だから前にも言っただろうが。人という者は何かに縛られて生きていると。もちろん、お前もな。』
「そうよ、だから、さっきの光景を見せられて、かえって冷静にもなったの。これから私はどうすべきなのか、早急に考えなくちゃ。」
『違うだろう。そうじゃない。違う!違う!違う!何をすべきか、ではない!何がしたいかだ!』
「同じことでしょ?」
『違う!見ただろう?縛られたものから抜け出さずにいた者たちの悲劇を!お前もああなりたいのか?』
「邪法を教えて悲劇を引き起こしたくせに。」
『いいや。我はあの女に邪法の方法を教えてやっただけだ。それを実行するかどうかはあの女本人が決めたことだ。悲劇を引き寄せたのは、あの人間たち自身だ。』
「あーもう、うるさいわね!私はいま考えをまとめようとしてるんだからちょっと黙って!」
『今一度問おう。お前はなにがしたいんだ?お前はその気になれば、王族の面倒で重圧が多い役割を捨てることができるんだぞ?いつも誰かに見られることもない。きちんとしていなければいけないこともない。羊飼いなんかどうだ?なにも国や他人のことなんか気にかけなくていい。今日の自分のことだけ考えればいい。ああ、そうだ、海に出も行くのもいいのではないか?』
「海……。」
さっきの海の光景を思い出す。
あのさざ波の音を聞きながら、髪を揺らす風を感じてのんびりと毎日を過ごすことができたら、どんなにか穏やかな人生をおくれることだろうか。
『そうだ、海はいい。誰もいない海で、誰にも邪魔されず、煩わされず、自分のためだけの時だけが持てるのだ。』
「そうね、そんな人生が送れるのなら夢のようだわ。」
『その夢も、我ならば叶えてやれる。お前を王宮から連れ出してやることなど造作もない。誰も追いかけてくることのできないところへ我と行けるのだぞ?さあ、その魂を……。』
「ん?ちょっと待って?あんた来るの?連れ出してくれるのはまあいいとして、まさかそのまま私のセカンドライフに居座るつもりじゃあないでしょうね。」
『居座るというか、死ぬまでそばにはおるぞ?』
「ハアアアアアアアーーーーーーンンンンンンン!?1人になるために海に行きたいのに意味ないじゃない!死ぬまでって何?あんたは私のなんなの?」
『なにって、人は死なねば魂が取れぬ。それを報酬としてもらうまではそばで見張っておかねばならない。誰ぞに横取りされては困る。』
「いやいやいやいや、それ意味がないじゃない!なんで私のセカンドライフが悪魔とともにあるのよ!絶対に嫌!」
『悪魔ではなく正式には魔物なのだということをそろそろわかってほしいのだが。』
「待って、話をそらさないで。私があんたの誘いに乗って海に行く前提で話をしないでよ。それに、もう一つどうしても気になることが……。」
突然かつん、と固い音が遠くから響いてきた。
それはだんだんと、一定の間隔で近づいてくる。
さっき女性たちが消えていった暗闇の先から、何かがきらりと光った。
それは徐々に大きくなり、
「まっ眩しいいいいいいーーーーーーっっっ!あの洗い立てのシーツのような驚きの白さを持った服を着てランタンも持たずに歩いて来ているのは、エドガー!?」
暗闇の中でもくっきりとその真っ白な神父の服をはためかせて、エドガーがこちらに歩いて来ていた。
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