12 (清く+正しく)×婚約者÷プラトニック=65
ラブコメなのに、いちゃいちゃもしない上に、拙作恒例の歌謡ショーがあります。
「65センチです。」
「なにが?」
「清く正しく!プラトニックな関係の男女が最低でも取るべき距離です!」
「なにそれ。初めて聞いた。」
「そうでしょうとも。この距離は私が知りうる、物理学と代数学と統計学と確率論と生物学とコミュニケーション学と倫理学と心理学を駆使して徹夜で割り出した距離ですから。」
「へ、へえ~。」
エドガーさん、ちょっと意識しすぎな気がしないでもない。
どこに座ろうとどうでもいいことだと思うのだが。
「これはいきなり横からガバッとこられても、抱きつかれることのない距離感なのです。」
「いや、別に私はいきなり横からガバッとなんて抱きつかないから。」
と言いつつ、エドガーがわからないように、お尻をずらして少しだけエドガー近づいてみる。
すると瞬時に体に定規があてられた。
エドガーが眼鏡を押さえながら私のわき腹にぐいぐいと定規をぶっ刺してくる。
「私の話を聞いていらっしゃいましたか?」
怒気をはらんだ声に、エドガーの背後には何かどす黒いものがうずまいているような気がする。
そんなに必死になって怒ることだろうか?
「先ほどの説明では発言の趣旨が伝わっていなかったようですね。どういうことか再度せつめ。」
「ところで。」
またエドガーの長いご講義が始まりそうな予感がしたので、あわてて話を変えようとして口を挟んだ。
エドガーは不満そうに口を閉じている。
「最近悪魔たちがやってこないんだけど、そちらはどうかしら?」
そう告げると、エドガーは、そうでした、と言って定規をどこかへしまってから座りなおした。
「私もそのことについてお聞きしたかったのです。やはり、姫のところにも来なくなっていたのですね。」
「そうなのよね。おかげでもち肌が帰ってきたのはいいんだけど。」
「ふむ。ちなみにそれはいつからでしたか?」
「この前の自然保護の会議があった時だから……5日前からね。」
「我々のところにも悪魔がやってこなくなったのも、その日からですね。そして、その日から、日に日に教会へ退魔を目的として訪れる方々が減ってきているのです。」
「いい事なんじゃない?」
「だといいのですが……。」
「何か問題でも?」
エドガーは顎に手をあてて、何か考え込んでいる。
「いいんじゃない?悪魔が減ってきたってことでしょ?」
そう私が言っても、エドガーの表情は曇っている。
「それが、悪魔が減ったということに簡単に結論付けて良いものなのか正直迷っているのです。奴らは倒しても倒してもわいて出てきますので。1匹を見たら、30匹はいると思え、です。そう簡単に駆逐できるものではないはずなので。」
「その表現はちょっと……。」
色々思い出すから止めてほしい。
「それに、現在調査中なのですが、悪魔が来なくなったというよりも、何かを避けているのではないかという可能性もあるのです。」
「何かを避けている……?」
「はい。何か、はわかりませんが、悪魔よりも強いもの、もしくは悪魔ではないが悪魔的なもの、とでもいいましょうか。」
悪魔よりも強いもの、悪魔ではないが悪魔的なもの。
そんなの女王陛下しか思い浮かばない。
「悪魔に匹敵する、もしくはそれよりも強いものと言えば天使がいるのですが、天使がやって来てくるとは考えにくいことですし。」
「それもそうね。」
悪魔がやって来たという伝説的な記録ならあるが、天使が下界に降りてきたなどという、そんな奇跡みたいなことは聞いたことがない。
「ともかく、何かわかりましたらお知らせしますので、姫は引き続き、警戒を怠らぬようお願いします。」
「わかったわ。」
頷いてから、少し考えてみる。
何かを避けている……?
一体何を……?
とそこへ、会話が途切れたタイミングを見計らって、アレックスがテーブルの前にやって来た。
起きてるなんて珍しい。
「おう、なんかわかんねーが、話は終わったか?」
「終わったといえば終わったけど、なに?」
「オレにもクッキーをもらっちまったからなあ。お礼に一曲弾き語ってみようかと思ってな?」
「やめて。」
アレックスはどこからともなくギターを取り出した。
どこから出したの?
私の周辺のマジシャン率が高すぎるのはなんなのだろうか。
「オレの歌を聴け!作詞・作曲・歌、オレで、『こんな言いたいことも言えない職場』スリー・ツー・ワン!」
「やめて。」
私の制止を聞かずにアレックスはギターをギャンギャンとかき鳴らした。
♪給料上げろ
給料上げろ
ボーナス下がるけど月給上げるからなんて
だまされた
年収にしたら下がってんじゃねえか
責任者出てこい
っつーか誰に言ったらいいんだ
わかんねぇ
「騎士団長に言えば?」
しまった。思わずつっこんだら合いの手みたいになってしまった。
つっこんだら負けだ。
♪オレが仕事中
寝てるとか寝てないとか
チクッた奴出てこい
給料下がったじゃねえか
コンラッドお前か?
ゆるさねぇ
「起きていればいいのでは?」
エドガーも合いの手ツッコミを入れている。
だからつっこんだら負けだってば。
♪(RAP)
辞める同僚
増える酒量
ブラック上等
オレ奮闘
アブラギッシュな
騎士団長
あんたの奥さん
新人騎士と
浮気してるぞ
知っとるけ?
「知っとるけ?じゃない!」
風に乗って営所にいる騎士団長の耳に届いてないといいんだけど。
まだまだ続く言いたい放題の歌に(意外と歌自体はうまい)頭を抱えてしまった。
アレックスリサイタルはそれからたっぷり30分は続いた。
「センキュー!センキュー、オーディエンス!」
ジャーン!というギターの音とともにやっと歌が終わった。
横からパチパチという拍手が聞こえるのでまさかと思って見てみると、エドガーが熱心に手を叩いていた。
うそでしょ?
「すばらしい。国立歌劇団に勝るとも劣らない心揺さぶる熱い歌唱でした。」
「あんがとな。あめちゃんをやろう。」
「特に、辞める同僚、増える酒量、のくだりが涙無くしては聞けません。」
「あんた、オレのあふれ出るバーニンソウルをわかってくれるなんて、イカしてるじゃねえか。もしかして、パリピか?」
「パリピ……。アゴール市の守護天使の名ですね。残念ながら、私はパリピではなく、お仕えする側なのですが。」
「へー、そうかよ。」
この二人がなぜこんなにも打ち解けているのか、そしてなぜ会話が成り立っているのか、謎だ。
二人の話が終わるまでは、このもらったクッキーでも食べていようと思い、1つ袋から取り出し一口かじる。
これはお皿なんかに出して上品に食べるんじゃなく、こうやって袋から食べるのがいいのだ。
素朴な味のクッキーによって口内の水分がほとんど奪われたところを、お茶で流す。
合う。
アレックスもクッキーのお礼をしたのならば、私も何か渡そうかと思い、まだアレックスと話しているエドガーにホテルお取り寄せのアフタヌーンティーセットをすすめることにした。
「エドガー。よかったら、このケーキなんかも食べない?ホテルから取り寄せたから、すっごくおいしいわよ。」
まあ、この思い出がよみがえるクッキーの前では、なんだか色あせてしまったけれど。
「こちらは……。」
アフタヌーンティーセットを見たエドガーは、なぜか目を見開いて驚いている。
しばらく固まっていたけれど、突然顔を赤らめて私の手の中からクッキーの入った袋を奪おうとして手をつかんできた。
「なにするの!」
「やっぱり返してください!」
「何でよ!絶対に嫌!一回もらったんだからこれはもう私のものよ!」
「素晴らしくて高そうなものを召し上がっているのに、こんな小麦粉と砂糖を固めて焼いただけのものをお渡ししたなんて恥ずかしいですので、返却ください!出直しますから!」
「いや言ってる意味がわからないんだけど!とにかく手を離しなさい!」
「嫌です!」
「さっきの65㎝離れるって言ったのはなんだったの!」
「時と場合によります!」
「こらーーーーー!!!」
「あの~。」
「なに!」
「なんですか!」
なんとか手を握ってくるエドガーを引きはがそうとしていたら、横から弱弱しい声が聞こえた。
エドガーと同時に振り向くと、一人の若い修道士が居心地悪そうにこちらを見ていた。
「お熱いところを申し訳ございませんが、フォブリーズ神父に急ぎ伝えたいことがございまして。」
エドガーは慌ててパッと手を離すと、修道士にすごみながら
「君は勘違いをしています。お熱くなどありません。」
と言うものだから、彼はすっかりすくみ上ってしまっている。
「それで、火急の用とは何でしょうか?」
エドガーが眼鏡をくいっとしながら尋ねると、修道士は何やら耳打ちをし、それを聞いたエドガーの顔色が変わった。
女子修道院とか、ケガ人などという言葉が聞こえた気がした。
「姫、すみません。トラブルがあったようですので、私はこれにて失礼します。」
エドガーは一礼し、修道士を連れだって走り去ってしまった。
「何かあったのかしら?」
ただ事ではなさそうだった彼らの様子にそうつぶやくと、アレックスが、さあな、と言ってきた。
お読みいただき、ありがとうございました。
続きます!