10 プレゼント・フォー......
私が会長などを務めている団体がいくつかあるが、今夜はそのうちの一つ、ミーティア自然保護協会の年に一度の会議だった。
夕方に始まったというのに、いつのまにか時計の針は深夜に差している。
それにしても、疲れた。
早く部屋に帰って、髪をほどいて、靴を脱いで、堅苦しいドレスをとっぱらって、普段なら食べたら罪悪感を抱くカロリーが高いお菓子を食べて一息つきたい。
「お疲れ様でございます。」
会議室を出ると、会議が終わるのを待っていたコンラッドが扉の陰から音もなく現れた。
きびきびとした動きで一礼をし、1歩ななめ後ろを歩いてついてくる。
「思いのほか長引いちゃったの、待たせたでしょう?ごめんなさいね。」
「いえ。」
「最近、各地でツチノコの目撃情報が相次いでいるらしくって。」
「ツチノコ、といいますと、悪魔かツチノコか、といわれるほど目撃されるのが非常に珍しい未確認動物で、しかも人々には悪魔よりむしろツチノコを見たいと言わしめる、あの。」
「そうそう、それそれ。私も悪魔よりツチノコに会いたいわ~。それでね、実際に存在するなら、保護の対象にするべきか否かってことで会議が紛糾しちゃって、あら?」
薄暗く長い廊下の前方から、夜でも良く目立つ真っ白な法衣を身に着けた人物が2人歩いてくる。
2人はまだこちらには気付かずに、何かを熱心に話しながら近づいてくる。
にこやかに話しているのはダイオニシス大主教、少し困った様子なのはエドガーだった。
深夜に2人がこんなところにいるのは珍しい。
立ち止まって2人をじっと見ていると、ダイオニシス大主教がこちらに気付いて挨拶をしてきた。
「こんばんは、姫。こんな夜遅くまでご公務とは、大変でしたな。」
「こんばんは。そちらも相変わらずお忙しそうですね。」
ダイオニシス大主教と私が話し始めると、コンラッドは壁側に移動し、腕を後ろにまわして話が終わるまで待っている。
「明日は月に一度の教区内合同の安息日ですからな。準備がありまして。」
「そうでしたね。ごくろうさまです。」
ダイオニシス大主教に微笑みかけようとして、帽子でかくれているが、つい額より上を見てしまう。
いかんいかん、と相手の顔から視線を逸らせば、ダイオニシス大主教の後ろに立っているエドガーと目が合った。
「エドガーも、おつかれさま。」
そう言うと、エドガーは一度気まずそうに視線を逸らせた後、ぺこりと頭を下げた。
エドガーと婚約者になってから、廊下で会った時に立ち話をしたり、カードゲームで遊んで友情を育み、呼び方もフォブリーズ神父からエドガーになったというのに、今日はなんだかずいぶんと態度がよそよそしい。
一体どうしたんだろうかと思っていると、ダイオニシス大主教が両手をぱん、とあわせてから尋ねてきた。
「そうじゃ!姫、実はフォブリーズ神父がとある女性にプレゼントを贈りたいそうなんじゃが、何を贈るべきか悩んでおられましてな。ちょっと相談に乗ってやってくださいませんかな?」
「大主教!何を言ってるんですか!」
エドガーは慌ててダイオニシス大主教の前に出てきた。
「勝手なことはやめていただきたい。姫、今の話はなかったことに、では。」
去って行こうとするエドガーだが、ダイオニシス大主教はそれを無視して話を続けた。
「いやあ~、それが最近ずいぶんとお世話になっている女性らしくて、感謝の気持ちを伝えたいが、なんでもずいぶんと裕福な生活を送っておられる方だそうで、どんなものなら喜んでもらえるのか皆目見当がつかぬらしいのです。のう、フォブリーズ神父。」
エドガーはそれには答えずにそっぽを向いている。
プレゼント、か。
しかも女性に。
相手は以前回廊で話をしていた女性だろうか?
それとも知り合いの修道女に?
あのエドガーのことだ、そこまでするならば、よほど仲の良い女性なんだろう。
一応婚約者の私になんてことを聞くのだと、もやもやする気持ちが湧き上がってくるけれど、姫たるもの動揺している姿を見せるわけにはいかない。
「やっぱり、花なんかがいいんじゃないかしら?花をもらって嬉しくない人はいないと思うの。」
我ながら的確な答えだと思ったけれど、ダイオニシス大主教は首を横に振った。
「花には花言葉があるので、妙な勘違いをおこされてはいかぬらしいのですよ。そして、ありきたりすぎる、だったかな?フォブリーズ神父。」
「……そうです。」
エドガーはしぶしぶそう答えた。
「では、流行の菓子は?あれは喜ばれるわよ。それかもしくは、高級茶葉でもいいわね。」
「そういったものは飽きておられるでしょう。」
「ええ~、難しいわね。」
女性がもらってうれしいものは何か?
私なら……やっぱり現金かな。
いや、やはり金塊なら貨幣が価値がなくなっても役に立つからそっちの方が。
……じゃなくて。
なにかもっと女性が喜ぶ華やかで優雅なものを……。
真剣に悩んでいると、壁側に立ち空気になっていたコンラッドが、ゴホン、と咳ばらいをしたのが聞こえたので彼を見やると、かかとを鳴らしてわざとらしいほどにびしっと居住まいを正した。
「姫君におかれては、ご公務の上に、連日悪魔退治に力を尽くされておられます。合わせて先ほどの会議は長時間に及び、疲労困憊のご様子。女性への贈り物などという些事に過ぎぬことに姫君のお時間をいただくのはいかがかと。」
いつもならば私が誰かと話していても決して口を開かないコンラッドが意見をしてきたことに驚いて、思わずまじまじと見つめてしまった。
「そうですな、いやこちらの方のおっしゃる通り。申し訳ないことをしてしまいましたな。姫、お許しを。」
「いいえ、いいのよ。別に疲れてなんかいないから。コンラッドも失礼なことを言わないでよ。」
コンラッドは返事をせずに直立不動でじっと待っている。
「大変失礼いたしました。大主教、行きますよ!姫、ではまた。」
エドガーはこれ幸いといった様子でダイオニシス大主教を引っ張るようにして去って行った。
「もう、コンラッドったら。教会が嫌いだからってあんな言い方はしなくても。」
「決して彼らが嫌いなわけではないのですが。ただ、最近教会側が姫をあまりにもいいように使っているように見受けられましたので。」
コンラッドはそう言って、ふん、と鼻を鳴らした。
コンラッドが怒るなんて珍しいこともあるものだ。
「私は教会のためにやってるんじゃなくて、苦しんでいる人たちを助ける手伝いをしてるつもりなんだけどね。」
「しかし、姫はこの国にとって大事なお方。お体を壊されでもしたら大変です。」
「……そうね。」
自分でもびっくりするほど重たい声が出た。
私の心情に気付きもしないで、コンラッドは無表情でこちらを見ている。
先ほどの怒りの表情は嘘のように消え失せた、いつもの何を考えているのかわからない顔だ。
彼のそんな姿を見るといつも胸の奥にくすぶっている暗い気持ちが顔を出す。
いつもは簡単にそれを抑えることができるのに、今日はなんだかうまくいかない。
自分を守っている鎧が壊れて無防備になったような気分がする。
動揺を悟られなくて、身を翻して彼が私の顔を見ることができないようにしてから早足で歩き出す。
「さ、早く部屋に帰りましょ。」
「はっ。」
何事もなかったかのように、コンラッドはいつものように無言で私の後をついてくる。
そうよね、「姫」はこの国にとっては大事よね。
だって「王」のスペアだもの。
それに、政治の混乱を押さえるための重しでもある。
でもそれは、「わたし」じゃなくてもいいの。
皆だって、私が王では頼りないと思ってるんでしょ?
コンラッドだって、私が「第二王女」だからそうやって気遣うんでしょ?
子供のころからずっと、お姉さまやエドガーみたいな優秀な子供と比べられては、なぜ姫様はこんなことも出来ないのですか、と言われるたびに、自分が嫌で嫌でしょうがなかった。
大人になるにつれ、いつしか忘れたふりをできるようになっていた。
この真っ黒な気持ち、最近は忘れていたから私の中からなくなったんだと思っていたけど、まだあったんだ。
私では、ダメなんだ。
頭の中でそんなことをぐるぐると考えていると、先ほどの焦った様子のエドガーがふと浮かんできた。
一体、誰にプレゼントを渡すつもりなんだか。
私では……。
苦しくなって、のど元を押さえて立ち止まる。
いけない。
なぜだかかなり気持ちが落ち込んでいる。
部屋に帰ってリセットしなくては。
「どうかなさいましたか?」
コンラッドが後ろから無機質な声で尋ねてくる。
「いいえ、だいじょう…ぶ……!?」
笑顔を張り付けて振り向くと、ぎょっとしてしまった。
コンラッドの、首がない。
「姫?」
瞬きをしたら、いつもの仏頂面のコンラッドがいた。
髪も服も黒いから、廊下の闇に紛れてしまったのだろう。
『…………ア…………。』
ひゅう、と隙間風のような音とともに、ふと、誰かに呼ばれた気がした。
あたりを見まわすけれど、誰もいないから、気のせいだろう。
「姫、あの……?」
「なんでもないの。行きましょ。」
なんとなくぞっとする感覚を覚えたまま、また早足で歩き出す。
耳元で、ホウ、とフクロウの鳴き声が聞こえた気がした。
お読みいただきありがとうございます。
姫が落ち込んでますが、次回からはまたいつものテンションで続きます!