21-25
―――21
医者はどこにも異常が見られないと、診たてた。ただ眠りが深いだけだという。
その深さが問題なのだ。呼びかけても、揺すっても、頬を引っぱたいても起きる気配がまったくない。どんなに深く潜ってしまっているのだろう。
「おい、どうして目覚めないんだ」
ロークがリリンを睨みつける。
「お前が魔方陣を渡したんだろう? それで何とかなるんじゃなかったのか? そもそもお前は何でシュバイトの傍にいるんだ?」
「そんな立て続けに言わないでよ。あたしだって上役の魔女に言われてきたのよ。シュバイトって傭兵に会えって。そうしたら父に近づけるって聞いたから、……確かに近づけたけどでも、こんなのあたしも想像してなかった」
何を言われても仕方ないが、リリンにも意味はわからないのだ。
「夢の中で何が起きてるかわからないのか」
「そこまではわからないわ。あたしじゃ無理よ」
「じゃあ、誰ならわかるんだよ」
「あ、あたしみたいな新米じゃなくて、ちゃんと二つ名を持ってる魔女なら、或いは……」
リリンは魔女だ。だが、まだ魔女となったばかりのひよっこで、二つ名さえ持っていない。二つ名のない魔女は魔女からすればまだ半人前だ。
「本部に掛け合ってくる」
ロークが踵を返す。
「待って、あたしも」
「あんたはシュバイトの傍にいろ。何かあったら知らせて――」
ロークの言葉が途切れた。リリンも彼の背後から現れた人物に目を瞠った。そこに居たのは現在最も力があると目されている大気の魔女の姿だった。
―――22
「大気の魔女? 何故?」
「ええ! この方が?」
呟くリリンに驚くローク。大気の魔女は年かさの女性だった。リリンは何度か魔女の会合で会ったことがある。だがそれも挨拶程度だ。
「リリン、何が起きたのだ。大気が乱れているよ」
魔女につけられる二つ名は文字通り能力に由来する。大気の魔女、イルイシャは大気の乱れをみることが出来、それを調整している。大気は世界の均衡を保つものの一つだ。世界の均衡のために、彼女は大役を担っていた。
「大気の魔女、貴方こそ何故此処に?」
「大気が乱れていると言っただろう。何があった。話してみなさい」
リリンは手短に説明をした。シュバイトが目覚めないことと、彼の夢の中に父である先読みの魔女がいること。それを聞いてイルイシャはシュバイトに目を向けた。
「……確かに通常の人間にはない魔力を感じるな」
立ち上がり、彼女はシュバイトの体に腕を伸ばす。
「どれ、どうにかしてみよう」
イルイシャがシュバイトの体に触れる。瞬間、火花が散ったように見えた。咄嗟に手を引っ込めたイルイシャだが、その手には痺れたような感覚が残った。
「え? 何が起こったのですか?」
リリンも訳がわからず驚くしかない。
けれど驚きはまだ続くのだ。
「シュバイト!」
突然、シュバイトの目が開いた。スッと起き上がり、ベッドから抜け出る。歓喜の声を上げたロークも戸惑う。
「バック!」
しかもシュバイトがイルイシャに向かって魔法を唱えたのだ。指を突きつけられたイルイシャは壁に背中を打ちつけた。
「何の真似だ」
顔を顰めながら呻くイルイシャはシュバイトを睨みつける。シュバイトは、というと顔の造形も体つきも確かに彼なのに瞳の色は藤色ではなく黒色に、髪の色はオレンジに変わっていた。その色をリリンはよく知っている。
そう、それは――
―――23
「……セロイア」
イルイシャが苦味を持った声で呼んだ。
「やあ、イルイシャ。僕があれで死んだと思ったのかい。浅はかだなあ」
シュバイトの顔で姿で、笑う男にリリンとロークは違和感を抱く。そもそもどうしてシュバイトがセロイアと呼ばれるのか。
「シュバイト?」
戸惑いのままロークが呟く。
「ああ、君はロークくんだね」
するとロークに向かってシュバイト、いやセロイアが微笑した。やわらかく、それはシュバイトにはないものだ。
「うん。事情を説明するのはちょっと待ってくれないかな。イルイシャを封じたらすぐに説明をするから」
「何言って……」
「ちょ、ちょっと待って! あんたシュバイトじゃなくて、その……」
身を乗り出そうとしたロークにリリンが重なる。
「リリン。捜してくれて、ありがとう。ちょっと待っててね」
やはりセロイアだ、とリリンは思った。
だがどうしてセロイアがシュバイトになっているのか、リリンは理解が出来ない。夢の中でシュバイトが会っていると言っていた。それに関係があることは確かだろうが。
―――24
「なあ、リリン」
「なによ、ローク」
再び睨みあう二人を前に呆然とするしかなかった。リリンにはシュバイトがセロイアであることはわかった。だがどうしてそうなったのかがわからない。
ロークはシュバイトがシュバイトでないことはわかった。けれどその中にいるのがセロイアだということが信じられなかった。
それに本来そこに居るべきはずのシュバイトはどこへ行ったのか。二人には見当もつかなかった。
「あのセロイアって奴はなんなんだ」
ロークは訊ねるが、リリンは答えなかった。
「魔女か?」
端的に訊ねれば、今度は返事が簡潔に戻ってくる。
「魔女よ」
「どの、魔女だ?」
「先読み」
「……先読み? 行方不明って噂の?」
渋面を作って、リリンは頷いた。行方不明と噂されていた。リリンはそのためにセロイアの痕跡を捜していた。
「なんで、そいつがシュバイトの中にいるんだ」
低い声には怒りが含まれていた。どこへ向ければいいのかという憤りが含まれていた。だけどそれに対する答えをリリンは持たない。彼女が今出来るのは、セロイアとイルイシャの動向を見つめるだけだった。
睨みあっていた二人はほぼ同時に攻撃の構えを取っていた。
―――25
渦巻くような強い風が吹いたと思えば、セロイアの腕から血が滴っていた。
「セロイアッ!」
叫ぶつもりはなかったのに、リリンは気付いたら悲鳴を上げていた。心臓が鷲掴みにされたように軋む。歪む視界の向こうで、だがセロイアはリリンに微笑んだ。
「僕はこんなことではどうにもならない」
そう言ってイルイシャを示す。
「僕がどうやって此処へ来られたか、知りたい?」
指を突きつけられたイルイシャは不愉快と言わんばかりに顔を顰めた。だが大気の魔女はそれに答えることなく、再び風を巻き起こす。
「……そう」
その激しい風の中に居て、セロイアは僅かに笑んだだけであった。それもどこか黒い表情の笑みで。
「それが貴女の答えということか。仕方ないね。シュバイト君、傷は動ける程度で留めるよ」
「頼むから丁重に扱ってくれ」
今、シュバイトの声が聞こえた。セロイアの声は紛れもなくシュバイトの体から発せられている。シュバイトは何故かくぐもったような声で、リリンとロークは慌ててその出所を探した。
「え?」
すると声は驚くべき所から発せられていた。
「……クマ、のぬいぐるみ?」
気付けばベッドの端にクマのぬいぐるみが立っていた。生きているかのように手を振って、呟いたリリンに応える。
「まさか、お前……」
ロークが慌ててクマを持ち上げる。すると、困ったような様子で手が頭へ動いた。人間のような仕草だ。信じられない思いで、ロークはその名を呼んだ。
「シュバイト?」
「ええ?」
クマは居候と友に向けて小さく頷いた。