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―――1
世界の均衡は魔女によって保たれている。それは耳にたこが出来るくらい、誰もが口すっぱく聞かされる世界の理だ。魔女がいなければ世界は魔物で覆われてしまう。……ということだが、目の当たりにするまでリリンは嘘だと思っていた。父親が魔女だというのも、さして重要な仕事についていると思っていなかった。だけど世界が変わり始めてリリンは本当に魔女の重要性を知った。
元々しょっちゅう会える人ではなかったけれど、父親が消えた。それは何処かに旅行に行ったというような軽い内容ではなくて、この世界からその気配を消した。魔女であるリリンだからわかることだ。世界の隅の隅まで捜しても、彼の姿が見付からない。仲がいい訳じゃない。ただ今の世界の様子はおかしい。だから魔女として訊きたい事があった。なのに見付からない。
そのリリンが彼と出会ったのははたして、偶然だったのだろうか。
リリン=フォン=カルツォーネ。
二つ名も得ていない新米魔女はその日、世界の運命を手に握った。
―――2
魔物の呻きを近くに聞いて、リリンは走っていた。金属音もする。誰かが魔物に襲われているのだ。
「生きててよぉ~」
新米とはいえ曲がりなりにも魔女だ。魔物を倒すことは魔女の仕事の一つだと教え込まれている。何より近くで誰かに死なれることほど目覚めの悪いことはない。夜の森は暗く、金属音がすることから傭兵か騎士かの類が魔物退治に来たのだろう。彼らも強いが正面から戦っては勝ち目がないことをリリンは過去の経験から知っていた。
「――だあぁ!」
広く開けた場所に出たリリンの前には、気絶した仲間を守りながら魔物の攻撃を避ける男がいた。大きな魔物の口に大剣を一文字にして何とか防いでいる。だがそれもいつまでもつかわからない。リリンは魔物の背後に回りこむと、男に向かって叫んだ。
「三つ数えたらしゃがんで!」
男はリリンにちらっと視線を向けた。それだけでリリンはカウントダウンを始める。
「三」
リリンは杖を地面に真っ直ぐ刺した。
「二」
そして魔物に向かって指を差す。
「一」
男は背後に飛び退り、地に伏せる。
「レイ!」
リリンの言葉で魔物に雷が直撃した。魔物は咆哮を上げ、その場に崩れ落ちた。その体からは煙が立ち上っている。リリンは男に歩み寄り、事の次第を訊ねようとした。しかし男はリリンと目が合ったかと思うと、そのまま意識を失ってしまった。
―――3
「……君は?」
騎士団の詰所に寝かされていた男が目を覚ますと、リリンは男の元へ歩み寄る。魔物を倒した後、リリンは騎士団に助けを求めた。倒れた男たちは軽傷であったのだが、いづれも疲労が強かったのだ。
「あたしはリリン。これでも魔女よ。貴方は?」
「君が助けてくれたのか、ありがとう。俺はシュバイト」
男――シュバイトは名乗るとホッとしたような笑みを浮かべた。周囲に目をやり、共にいた者達の無事に安堵したようだ。
「それにしても貴方、強いのね。魔物相手に魔法なしであれだけ持てばすごいわ」
「だが、結局俺の手では倒せなかった。もっと強くならないといけない。……と、リリン、何かお礼をしたいんだが俺に出来ることはないか?」
魔物にあって軽傷であればかなりいい方だ。言葉のお礼だけでは割りに合わない気がして、シュバイトはリリンに訊ねた。するとリリンは少し考え、にっこりと微笑する。
「そうね。一つお願いしてもいいかしら」
「ああ。俺が出来ることならば」
はたして軽く応じたシュバイトはこの後聞かされるリリンのお願いに憤慨することになる。
―――4
「ケチー!」
「駄目ったら駄目だ」
「意固地」
「何を言っても駄目だ」
詰所を出たシュバイトの後をリリンがついて行く。それは数時間前からずっと続いている掛け合いだ。
「いいじゃない。何でも聞いてくれるって言ったくせに」
「何でもとは言ってない。出来ることならと言ったはずだ。それは出来ないから却下だ」
助けたお礼を問われ、リリンはシュバイトに家に居候させてくれと言った。だがシュバイトはそれに頷かなかった。それ故に二人はずっと同じ問答をしているのである。
「出来るでしょう? 貴方が大きな家に一人で住んでるって知ってるんだから」
リリンが言うと、シュバイトの足が止まる。そして厳しい顔で睨みつけた。
「何故知っている。何処かで会ったか?」
「いいえ。貴方と会うのは初めてよ。でも知ってるわ。名前を言ったじゃない」
「……俺は何処の家の者だとは言わなかったと思うが?」
シュバイトは確かに名乗ったが、ファーストネームしか答えていない。だがリリンはにっこりと笑う。
「でも知ってるわ。貴方の名前はシュバイト=フォン=アルカデッタ。間違ってる?」
勝ち誇ったようなリリンにシュバイトは苦虫を噛み潰したような顔になった。
―――5
「どうして、何故俺がこんな小娘を家に上げなければならないんだ」
ぶつくさ呟くシュバイトの背中をリリンはバシバシと叩いた。
「魔女と知り合いになれる機会なんて普通ないんだから。光栄に思ってよね。言ったでしょう、貴方に用があるって」
「そうは言ってもお前から言われただけじゃ、信じきれんな」
吐き捨てるシュバイトは大股で歩いていく。リリンは彼に小走りのような状態でついていく。魔女とは世界の至宝。無下にするわけにはいかない。リリンの気まぐれならまだしも、魔女として用があると言われたら容易に断ることは出来ない。それがわかっているからシュバイトもリリンを本気で追い払うことが出来ないのだ。
「それがこの子だけじゃないんだなあ」
「わああ!」
突如落ちた第三者の声に、リリンとシュバイトは同時に悲鳴を上げた。二人の後ろには痩せぎすな青年が立っていた。年の頃はシュバイトと同じだろうか。その男の着ているものは先刻まで二人が居た、騎士団の制服だった。