第7話「魔人、従者のためにお風呂をわかす」
─魔人ならできる30分間、お風呂製作講座─
(1)まず、ドーム状の結界を用意します。広さは適当に。
(2)その結界を持ち上げ、裏返します。
(3)結界の中は空洞のお椀状になっているので、『通過:水』と宣言して、川に漬けます。
(4)そうすると中に水がしみこんでいきます。半分くらい溜まったら『遮断:水』で水の供給を停止し『通過:その他』で、いらないものを流してしまいましょう。
(5)水が溜まったお椀状の結界を浮遊させて、地面に上げましょう。
(6)あとは『遮断:水、通過:熱』を宣言して、結界の下で火を炊きます。
(7)お湯が人肌くらいになったら『遮断:熱』を宣言しましょう。保温効果が働きますし、結界のふちを触っても熱くならないのでいいです。
(8)あとは『遮断:生物』を追加して、裸のフェンルを放り込めば、完成です!
「以上!」
「いろいろおかしいですご主人様!」
『結界風呂』の中でフェンルが言った。
「ふむ……」
俺は湯気を立てる『結界風呂』を眺めた。
なるほど、フェンルの言う通りだ。この風呂にはいろいろ欠陥がある。
「確かに……結界の大きさが足りずに半身浴になってしまったからな。俺も記憶を取り戻したばかりで、フェンルが肩まで浸かれる大きさの結界と水を動かすには力が足りぬのだ。ふがいない主人を笑うがいい……」
「いえいえそうじゃないんです」
「そうじゃなければなんなのだ」
「どうして結界でお風呂を作ることができるのですか、ご主人様」
「おかしなことを言うな。俺は『障壁の魔人』、つまり空間を仕切ったり分けたりするのが専門だ。そして俺が作る結界は半球体で、ドーム型の障壁に囲まれている。
それを裏返せば半球体の器になるだろう? 水を満たして温めれば、風呂になるのは当然ではないか」
「……はぁ」
フェンルは納得できないような顔をしてる。なぜだ。
「あの、ご主人様。結界って、触ったりひっくり返したりできるものなんですか?」
「触れられなければそのまま素通りしてしまうだろう? それでは結界の意味があるまい。そもそもこの結界の持ち主は俺だぞ。他の者ならいざ知らず、自分で作った結界を持ち上げることもできずに魔人がつとまると思うか?」
「いや……でも……」
どうして首を傾げているのだ、フェンル。
そもそも結界風呂を作ったのは、2人暮らしだと食器が足りなくなるからなのだが。俺は盾を調理器具と食器がわりにしているが、フェンルにはそれがない。
それで結界を器として使えるか実験してみたのだが、肝心のフェンルは納得してないようだ。困ったな。
「もしかして、フェンルは俺の結界支配能力を疑っているのか……?」
俺もまだ記憶を取り戻したばかりだ。多少頼りないと思われるのは仕方がないが、ふがいない主人に仕えたと、フェンルに後悔されても困る。ならば、ここは力を見せておくべきだろう。
「結界の設定を変更。『遮断:水、熱。そして、光を完全通過』」
ふぃん
結界が完全透明になった。
川岸に敷いた小石と、敷き詰めた薪。その上に置いた、無色透明の「結界風呂」
そしてそこに、お湯と全裸のフェンルが浮かんでる格好になった。
風呂は小さい。フェンルは風呂の縁に足を引っかけて、なんとか下半身だけお風呂に入ってる。うん。身体の汚れはだいぶ取れたみたいだ。傷もたいしたことなさそうだ。あとで薬草の薬効成分だけ抽出して、すり込んでおこう。
「ごしゅじんさまぁあああああああ」
「なんだうるさいな。風呂は黙って入るものだぞ」
「そ、そうじゃなくて、お風呂が、透明に」
「当然だ。透明にしたからな。お前に俺の結界支配能力を見せてやりたかったのだ」
「わ、わかりました。わかりましたから戻してください……ご主人様の前でこの格好は、あまりに恥ずかしいです……」
「何度も言わせるな。俺は子どもの裸など、見てもなにも感じぬ」
「……こどもじゃ、ないです」
「んん?」
そうなのか?
……いや、どこをどう見ても子どもだが?
「わ、わたし、じゅうごさい、です」
「なにを言うか。ははは」
「ほんとうです! ガルフェルドの一族は、10歳くらいで成長が止まるんです! そういうものなんです!」
フェンルは真っ赤になって叫んだ。
……本当? 大人?
「ほんとうです……子どもだって産めます。だから……」
「ふむ……」
……なんかごめん。
「遮断:光」
俺は光を遮断してお風呂の表面を真っ黒にした。
フェンルは安心したようにため息をつく。なかなか、従者を持つというのも難しいものだ。
俺は荷物の中から、フェンルに似合いそうな服を取り出した。洗い立ての下着と、予備のシャツがある。裸よりはいいし、フェンルは髪さえ結んでおけば、ぱっと見にはちっちゃな男の子に見えるから問題ないだろう。
「あの、ご主人様」
「なんだ。もう温まったのか」
「いえ、そうではないです。昨日、私を襲った毒蜘蛛のことなのですが」
フェンルは風呂の縁にあごを押しつけて、心配そうにこっちを見ていた。
「放っておいて良かったのですか?」
「放っておくつもりはない。優先順位の問題だ」
「優先順位、ですか」
「魔人ともあろうものが、身体を冷やしている従者を放っておけるか。そんなことを、今は亡き魔王に知られたらいい恥さらしではないか。まずは従者の身体を温め、きれいに洗い、それから敵にあたる。それが俺の優先順位だ」
「……ご主人様」
フェンルは風呂の中で座り直して、俺を見ている。
勘違いされては困るな。本当に俺は、自分のためにフェンルを暖めたいだけなのだ。
万が一俺が、風邪を引いた──しかも土まみれの子どもを連れ歩いているといううわさが、ノエル姉の耳に入ってみろ。里帰りしたとき、ノエル姉とチビたちになにを言われるかわかったものではない。
魔人の精神衛生のためにも、まずは従者を温め、きれいにする。
これは譲るわけにはいかないのだ。
「ほら、風呂の中で膝を抱えてないで立て、洗ってやる」
「────っ!?」
湯船 (結界)の中で、フェンルの全身が真っ赤になった。
なんだ、もうのぼせたのか。
「い、いいです。自分で洗います!」
「遠慮することはない。従者など、魔人にとっては子どもも同然だ。迷惑など思ったりするものか」
「そ、そうじゃなくて。そうじゃなくて────っ!」
叫びかけたフェンルが不意に、俺から視線をそらした。
目を見開いて、あさっての方向を見つめて、震え出す。どうした?
「──ご主人様! 蜘蛛です!」
俺はフェンルが指さす方を見た。
蜘蛛がいた。
「私を昨日襲った毒蜘蛛が……あそこに……います」
「奴か。俺の従者を傷つけたのは……」
赤と黒のまだら模様の蜘蛛が、川沿いを歩いていた。
しかも、でかい。体長は大人の倍くらい。手足を伸ばしたら数倍だろう。
あんなのと戦ったのか、フェンル。すごいなー。
「……お前、よく無事だったな」
「必死で逃げました。でも……お腹がすいて逃げ切れなかったのです」
「わかった。では、あとは俺に任せろ」
俺は風呂の中にいるフェンルの脇の下に手を入れた。
そのままちっちゃな身体を抱き上げる。同時に、お風呂結界を解除。支えをなくしたお湯がさばりと流れだし、その音に警戒したのか、蜘蛛が八本の足をざわざわと震わせる。
「しっかりつかまっていろ」
「は、はい」
フェンルが俺の背中にしがみつく。
俺は『変幻の盾』を構える。フィルタリングは『遮断:蜘蛛、および糸と毒液』
これで遠距離攻撃は防げる。接近戦は、するつもりがない。
「結界を再展開。すべてを通過。光も。空気も。すべて!」
ふぃん
俺は結界を再展開。すぐにそこを出て、毒蜘蛛から距離を取る。俺と毒蜘蛛の間に、ドーム状の結界を挟んだ格好になる。
だが、奴には結界が見えていない。光と空気、においまでを透過してある。感知することは出来ないはずだ。
『────エサ────クウ──クイソコネタ──』
「貴様に食わせるものなど。ここにはなにひとつない」
『グルル──グル──グルゥ!』
「俺の従者を傷つけた罪、その身をもって償うがいい。下等生物!」
がっ
巨大な蜘蛛が地面を蹴った。
俺の胴体ほどの太さがある八本足を振り回し、真円の目をぐるぐると動かして、蜘蛛はまっすぐこっちに向かってくる。不可視の結界に近づく。足を踏み入れる──今だ。
「結界を再設定。遮断! 蜘蛛と糸と毒液! それと大気と魔力!」
がぃんっ!
蜘蛛の身体が結界の内壁に激突した。
『グガアアアアア────っ!!』
がん。がん。がいいいぃんっ!!
蜘蛛は八本の脚で、結界の内壁をひたすら叩いてる。
接触により、奴のレベルがわかる。表示されたレベルは──40近い。
こいつは見た目以上に、強い。
「……思ってた以上の大物だな、こいつ。魔王城のまわりにあった魔物の生息地だったら、中ボス級か」
「ご主人様……?」
盾と違って、結界は大きい分だけ防御力が低い。戦闘用じゃなくて、もともと快適生活用に設定したスキルだし。
しかも今の結界は、あの巨大蜘蛛が入れるサイズまで広げてある。
そうするとどうしても防御は薄くなる。
蜘蛛は絶叫しながら糸を吐き、結界に体当たりを繰り返してる。このままだと──
「結界が保たない」
近づくのが嫌だから、窒息させようと思ったけど、その前に破られるな、これは。
楽しようとしすぎたか。どうしようかなー。
俺とフェンルがぎりぎり入れるだけの結界なら、あいつの攻撃を防ぎきれる。そこにこもって防御に徹するのもありだけど、今度はそこから出られなくなりそうだ。蜘蛛の糸で結界ごとぐるぐる巻きにされて窒息ってのは、魔人の末路としてはあんまりだ。
逃げるのは簡単だ。そうじゃなかったら、フェンルゆっくり風呂なんかに入れてない。結界を破るのは手間だし、体力も消耗する。安全圏に逃げた俺たちを、毒蜘蛛が追って来られるとは思えない。
だかその前に、俺にはひとつ試してみたいことがあるのだ。
「悪いが、フェンルよ。お前の力を借りていいか?」
ここは、魔人と従者の合体攻撃といこう。
「その力を持って、あの蜘蛛を黙らせる。よいだろうか、我が従者よ」
「え? …………ええええええええっ!?」
俺の背中でフェンルが叫んだ。
本当は病みあがりに無理はさせたくない。だが、この場はフェンルの協力がどうしても必要なのだ--。
魔人さん、蜘蛛退治に結界の新たな力をふるいます。お風呂上がりの少女とともに。
次回、第8話は明日の同じくらいの時間に更新する予定です。