第6話「魔人、結界をレベルアップさせる」
「……獣人?」
──人の身体に、獣耳と尻尾を持つ種族──
最初に思いついたのはそれだ。
だが、違う。
目の前の少女には、獣耳も尻尾もついていない。
それに、俺の知る限り、人と獣、どちらの姿を取ることができる種族は存在しない。いるとしたら、俺が滅んでから400年の間に生まれた種族ということになる。
だが、そんなもののことは魔人ブロゥシャルトも、クロノ=プロトコルも知らない。
目の前にいるのは銀色の髪と白い肌を持つ、ちっちゃな少女だ。
ノエル姉よりも幼い。見た感じ、チビどもの最年長のダニエルと同じ──俺より3歳くらい下に見える。
どうしてこんな小さな少女が、山の中を一人で歩いているのだ? というか、前世も今世も、どうして俺はちっちゃな奴らと縁があるのだ……? 魔王ちゃんの呪いか?
「…………ん。ぅん。…………ご主人様……?」
少女が俺を見た。病み上がりのような、ぼんやりとした目で。
「まずはこれを着ろ」
俺は上着を、少女の頭の上からかぶせた。
ちっちゃな少女の裸など見慣れてる。今更なんとも思わない。
お風呂上がりに裸で走り回るやつを追いかけて、タオルをかぶせるのが習性になっているからな。前世から。
「そして名を名乗れ、俺の従者よ」
「はい。ご主人様。私の名前はフェンル。種族名は──ガルフェルド、です」
「……もう一度言ってくれないか。種族名の方」
「ガルフェルド、です」
その名前には聞き覚えがあるな。前世で。
「完全な獣の姿になるデミヒューマンなど聞いたことがないぞ」
「は、はい。私は作られた種族でして……人の姿が本体です。ただ、獣の姿の方が生命力が強いので、死にそうな傷を受けるとオオカミの姿になってしまうんです」
「作られた種族だと?」
「は、はい……これは一族の伝説によるものなのですが……」
少女は白い顔を上げて、俺の方を見た。
「私のご先祖は400年くらい前に『術の魔人ガルフェルド』さまによって作られたとされています。魔人さまがいなくなったあとに研究施設を出て、外の世界で少しずつ増えていったのだとか。いわば、私たちは術の魔人さまの遺産ですね」
「『術の魔人』──────っ! てめぇの仕業か──っ!」
ああ、確かに研究熱心だったよな、お前は! 『術の魔人ガルフェルド』!!
主に、俺に気づかれないように一服盛る方向でな!!
だけど、こんな種族の研究もしてたのよかよ!?
なにやってたんだよお前は。
人造生物の研究は禁忌だろうが!
てめぇの仕事は魔法を利用した魔王城周辺の偵察と防衛だろう!? 妙な研究に夢中になってるから、勇者の接近に気づかねぇんだよ。
いい加減にしろよてめぇ! 俺が人間界から手に入れたワインに一服盛って催淫薬にしたこと、今でも忘れてねぇぞ。間違って飲んだ魔王ちゃんがどうなったか、歴史書に記録して広めてやろうか。あぁん!
人造生物作ったのなら、最後までちゃんと責任取りやがれ。
勇者の接近に気づかず、背後から神剣で串刺しにされてんじゃねぇぞ。世界はこのまま放っておくってのが、魔王ちゃんの命令だろうが。生態系を変えてどうするんだよ……ったく。
「あ、あの。ご主人様」
気がつくと、少女フェンルが不安そうにこっちを見てた。
「悪い……少し過去を思い出してしまったようだ」
「過去、ですか?」
「済まんな。お前のご先祖は、術の魔人にむりやり改造されたのだろう?」
「いえ、伝承によると、私たちの元になったご先祖さまはノリのいい獣人で、なんか楽しそうだから喜んで『術の魔人』さまの手伝いをしたそうです」
そういえば魔王城の近くにそういう部族が住んでたな。確か『獣の魔人』と仲良しだったけどさ。
この少女のご先祖『術』と『獣』の合作だったりしないよな……?
「……もしかして、ご主人様は、魔人に関係するおかたなのですか?」
不意に少女フェンルが聞いてきた。
……あちゃー。
そういえば、相手が獣だと思ってたから、普通に正体をばらしてたな。
……まぁ、いいか。『術の魔人』が作った人造種族なら、親戚みたいなもんだ。
似たような秘密を持つ者同士、正体をばらしても問題ないだろ。
「いかにも。俺は『障壁の魔人』ブロゥシャルトの記憶を持つ者である」
「やっぱり!」
「俺のことはいい。それよりも、お前の事情を話せ。魔王城が落ちてから、お前の一族はどうやって生きてきた? それと……魔王城がどうなったか知っていたら教えて欲しい」
もしも少女が魔王城があった場所を知っていたら、それですべてはクリアだ。
……けれど、少女は申し訳なさそうに、首を横に振った。
「わかりません。ご先祖さまは魔王城が落ちる直前に、大急ぎでその地を離れたという言い伝えが残っているだけです……」
そうか。
まぁ、期待などしていなかったがな。
人造生物作成なんてのは高度すぎる技術だ。当時はまだ自我も不完全だっただろうし、生き残っていただだけでも奇跡のようなものだ。
いや……本当に無事で良かった。同族の魔人が勝手に作り出して、対勇者戦の巻き添えで全滅してたら後味が悪すぎる。
俺の安らかな睡眠のためにも、少女の種族が生きていたことは評価に値する。
「こうして生き残っていただけでもすごいぞ。ほめてやろう」
「……ご主人様」
「それで、お前たちの種族は、どこに村をかまえているのだ?」
「村は……ありません。最後のふたり……私と、姉がいるだけです」
「なに?」
「元々数は少なかったですから。それに、私たちは人の世界ではなじめませんでした。狩りをしながら生き残っていましたけど、だんだん数が減って……今はふたりだけです」
「お前の姉は? この近くにいるのか?」
俺の問いに、少女は力なく首を横に振った。
「数年前にはぐれて、それっきりです。私は冒険者をやっていたのですけど、道に迷って山をさまよっているところを毒蜘蛛にやられたんです。それで……」
「毒を喰らって体調が悪化し、獣の姿になっているところを、俺の結界を見つけた、と」
「……はい」
「服と荷物は?」
「わかりません。獣の姿になって必死で逃げてましたから。気にする余裕は……ありませんでした」
少女フェンルはそう言って、深々と俺に頭を下げた。
「ご主人様、本当にごめいわくをおかけしてすいませんでした」
「詫びなど無用だ」
俺は言った。
「……お前を助けたのは解毒実験のためだ。わびる必要など、ない」
「は、はい」
「実は俺も最近、魔人の記憶を取り戻したばかりでな、力を試してみたかったのだ。魔人とは違い、人の身は弱い。毒を受けたときにどう対処すればいいか考えていたとき、都合良くお前が現れた。ただの獣でも助けていただろう。それだけの話だ」
「ご主人様……」
事情はわかった。
この近くにいる毒使いの魔物──毒蜘蛛がいることも教えてもらった。
一晩だけの盟約とはいえ、『血の従者』の仕事としては充分だ。
「では『盟約』を解除するとしよう」
「……そんなことができるのですか?」
「俺は魔王の側近『障壁の魔人』である。その程度のこと造作も……って、なぜ後ずさる?」
「い、いえ。私、私は……」
「だからなぜ土下座する? 気まぐれで解放してやろうというのだ。恐れることはなかろう」
「いえ……できれば、このままご主人様にお仕えしたいのです」
「……はぁ」
変わったやつだな。
魔人の『盟約』は重い。身も心も俺にゆだねなければいけないし、『死ね』と言われたら死ななければいけない。ほとんど奴隷と変わらない。そんな状態でいたいというのか?
そうか。怖がっているのだな。俺が嘘を言っていると思っているのだろう。
仕方ない。ならば──
「魔人ブロゥシャルトの名にかけて、今は亡き魔王の魂に誓おう! 俺は貴様に何の条件もつけず、盟約から解放すると!」
「…………」
こっちへくるがいい。どうして地面に頭を押しつけているのだ?
「魔人ブロゥシャルトの名にかけて、今は亡き魔王の魂に誓おう! 俺は貴様に何の条件もつけず、盟約から解放すると!」
「…………」
「むろん。ここで放り出すとは言わぬ。町までは案内してやろう。荷物も探してやるし、見つからなければ服と資金くらいはくれてやる。お前は俺の実験に付き合い、魔物の情報を教えてくれた──その報酬としてな!」
「…………(ふるふる)」
…………おーい。
黙って首を振ってないで、なにか言いなさい。
「ふっ。俺の気まぐれを無にするとは恐れを知らぬ者め! いいか。これが最後の機会だ。今から10数える間にこちらに来なければ、お前は未来永劫俺の血の従者だ! いいな!?」
「…………(ふるふる)」
「10、9、8、7、6,5,4、3、2、1──」
「…………(ふるふる)」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ご主人様」
「なんだよ」
「私、フェンルはご主人様の従者として、生涯お仕えしたいです」
「何故だ」
「こんなに親切にしてもらったのははじめてなんです。得体の知れない姿で現れた私を救ってくれて、手当をしてくださいました。人の姿になっても気持ち悪いなんて言わずに、話を聞いてくださいました。私に従者になるかどうかの選択肢までくださいました……」
フェンルは夢見るような顔で俺を見てる。
あと、俺の上着を、ぎゅ、っとして微笑んでるのは何故だ。
「ご主人様のお役に立ちたいんです。私、ちっちゃいですけど冒険者としての経験があります。風魔法が使えますし、そこそこ剣も使えます。足手まといにはなりません。どうか、おそばにおいてください」
「ふふ、ふふ、ふふふふふふ!」
俺は、ゆらり、と立ち上がる。
「どうやらお前は、魔人というものを誤解しているようだな……」
おそらく、フェンルのご先祖が『術の魔人』に作られたからだろう。魔人というものに、なにか都合のいい夢を見ているに違いない。ならば、現実というものを教えてやるのが親切というものだろう。
「だったら……俺がこれから貴様をどう扱うか教えてやろう」
「は、はい」
少女は地面に正座し、緊張した顔で、こっちを見た。
俺は『変幻の盾』を地面に、ずん、と突き立てた。
ちいさな少女をおびえさせるのは趣味ではないが、ここははっきりと言ってやらねばなるまい!
「よく聞け! 我らの家はこの結界だ。俺は住居として、この結界スキルを手に入れた」
俺は半透明の壁に囲まれた、ドーム状の空間を指さす。
そして──
「だが、貴様を対等に扱ってなどやらぬ! 貴様の場所は、その結界の隅だけだ!」
「ご主人様 (と、同じ屋根の下に)!?」
──少女は目を見開いた。
「具体的には、結界内の空間の4分の1だ。それ以上はやらぬ!」
「そ、そんな (個人的空間をいただけるなんて)!?」
──少女は肩を震わせた。
「食事のメニューは俺の独断で決めてやる。下ごしらえから味付けまで、貴様には一切手を出させん!」
「まさか (ご主人様が作ってくださる)!?」
──少女は、信じられないものを見るように口を押さえた。
「しかも、貴様の食事は、俺の食事がすべて終わった後だ!」
「!!? (私の猫舌に気づいて)!?」
──少女は青色の目に、大粒の涙を浮かべた。
……言葉もないようだな。
フェンルは地面に座ったまま、身体を丸めて涙をこぼしている。
わかってくれたか。じゃあ『盟約』の解除を──
「顔を上げよ、フェンル=ガルフェルド」
「…………はい」
あれ?
なんで瞳を輝かせてこっちを見ているのだ、この少女は。
「覚悟を、決めました」
少女は言った。
「このフェンルは、この命尽きるまでご主人様にお仕えいたします!!」
「………………ふっ。ふはははははは!」
おーい……『術の魔人』ガルフェルド。
お前は人造生物にどういう教育をしていたのだ。
「…………はぁ」
仕方あるまい。
仲が悪かったとはいえ、同じ魔人が作ったものの子孫だ。落ち着く先が決まるまで、この『障壁の魔人』が面倒を見てやるとしよう。
ただし、扱いはさっき言った条件の通りだ。
もっとも、十分な成果を出したなら、もっとよい待遇を考えてやってもよいがな!
そう思い。俺は結界のスキルを再チェックした──ときだった。
『従者追加ボーナスにより、結界スキルがレベル2に上がった』
どこからともなく、声がした。
『結界の広さが2倍になった!
結界を浮遊させられるようになった!
結界に「空調能力」が追加された!』
「従者追加ボーナス、だと……?」
……ああ、そういえばそうだった。
『転生術式』作ったとき、魔王ちゃんに「従者つくったらうわきっ!」ってよくわからんこと言われて、ちょうど他の魔人からの嫌がらせがピークだったこともあって、むかついてこんな機能を設定したんだっけ。『血の従者』を作って、その魔力を借りて機能拡張ってやつ。すっかり忘れてた……。
しかし、こんな機能をつけるなんて……よっぽどストレス貯まってたんだな。前世の俺。
もっと別の条件で機能追加にすればよかった……スローライフをめざしてるのに、住人増やしてどうするんだよ……はぁ。
だけど『空調能力』……って、なんだ?
前世の俺は、こんな機能は設定していないぞ。どうして俺の知らない機能がついている?
………………あ。
もしかして……転生術式を起動させるのに、勇者の魔力を媒介にしたせいか!?
俺は『障壁』──境界を意味する魔人だ。
だから前世でも、俺のところには異世界からの書物なんかが流れついていた。だから『生と死の境界』を乗り越える『転生術式』を編み上げることができたわけだけれど──
その発動に異世界の住人である『勇者』の魔力を利用したせいで……
……世界の境界が乱れて、結界スキルが異世界文化の影響を受けたのかもしれない。
まぁ……いいか。
前世で死にかけたとき、ぶっつけ本番で使った転生術式だもんな。多少の予想外はしょうがないか。ちゃんと転生できただけでも十分だ。これはこれでいいかな。
「……ふむ……『空調能力』か」
確か魔王城にいたとき、異世界から流れてきた書物に書いてあったな。いわゆる『えあこん』というやつだ。それが結界に追加されたのか。
……そういえば、蒸し暑くなってきたような気がする。
昨日、雨が降ったせいだ。断熱はしてあるが、湿気だけはしょうがない。
だったら試しに──
「『空調能力』作動。冷房を展開」
俺は言った。
しゅわー。
結界の天井から、冷気が降り注いだ。
「…………おおぉ」
やばっ。
なにこれ、気持ちいい……。
結界内部を満たしてた湿気が、一気に消えていく。
すっごいさわやかなんですが、なにこれ。
これが『従者追加ボーナス』か。
つまり、従者が増えれば増えるほど結界内は広くなる。
そして快適機能も追加されていく。おそらく、異世界文化レベルの機能が。
しゅわー。
……あ、この『えあこん』、魔人をだめにするやつだ……。
「聞け。俺の従者、フェンル=ガルフェルド」
「は、はい。ご主人様」
「貴様はもう十分につとめを果たした!」
「ええっ!?」
「出会って一夜のうちに、これだけの成果を出すとは思わなかった。お前はもう、俺が誇りにしてもいい従者だ」
「あ、あの、私まだなにもしておりませんが!?」
「ほうびに……そうだな。一緒に食事を取ることを許してやろう。熱々を共に食べようではないか!」
「ごめんなさい! 遠慮させていただきます──へくちっ!」
ぐすり。
小さなくしゃみのあと、フェンルは恥ずかしそうに口を押さえた。
「し、失礼しました。へくちっ。ふぇっくしゅ!」
よく見ると、身体が小刻みに震えている。
寒いのか。
そういえば、昨夜は雨に濡れて倒れていたし、毒は抜いたとはいえ体力を消耗している。
それに、これまで一人でさまよっていたなら、落ち着く場所もなかったはず。かなり疲れているはずだ。
「ふっ。魔人のひとりともあろうものが、従者の体調に気づかぬとはな」
「い、いえ。大丈夫です。ご主人様にご迷惑をおかけするわけには」
「よく見ると、身体もあちこち土まみれではないか」
「そ、それは……ふぇっ!? 上着、取らないでください。私、ほかになにも着て」
「案ずるな。魔人はそんなことは気にせぬ」
つるぺた幼児体型は見慣れている。だてに子どもの頃から、チビたちを風呂に入れていたわけではない。いちいち恥ずかしがる必要さえもない。だいたい、俺はロリではない。どっちかというと巨乳好きだ。
「うむ。やはりあちこち汚れているな。しかも擦り傷だらけではないか。左脚にあるのが、毒蜘蛛にやられた跡か。ふむ。他に大きな傷はないようだが……こら、隠したらチェックにならぬだろうが!」
「……ふぇぇぇぇぇん」
「顔が赤いな。額も少し熱い。いや、額だけではわからぬな。脇の下も……やはり熱いな。寒くはないか? 種族的に病気の治りは早い方? そうか。だが、少し身体を温めた方がいいな。身体も洗った方がいいだろう。よし。来い」
ばさっ。
俺はフェンルの身体に、再び上着をかけた。
「はい。まいります……けれど、どちらに?」
フェンルはきょとん、とした顔でこっちを見ている。
「湯を用意してやる。それで身体を温めるがいい」
「お風呂ですか? でも、このあたりに温泉などありましたか? あ、水浴びですね。ご主人様」
「馬鹿を言うな。熱っぽい奴に水浴びなどさせられるか」
「で、でもでも、町までは距離がありますし……ご主人様の旅の邪魔をするのは……」
「甘いな。我が従者、フェンルよ」
俺は結界を消した。
障壁と冷房がなくなり、朝の日差しがまっすぐに降り注ぐ。
近くで水音がする。昨日、水を汲んだ沢がすぐ近くにあるはずだ。
そこまでは数分。火だねはある。結界の魔力消費は少ない。再展開に問題はない。
よし。いけるな。
「この魔人ブロゥシャルトにとっては、風呂を作り出すくらい造作もないことだ。わが従者よ。お前の主人の力、その目でしかと見とどけるがよい!」
そんなわけで次回はお風呂回です。魔人さん、従者のためにお風呂をわかします。
第7話は明日の同じ時間に更新する予定です。