第57話「魔人、仕事のおさそいを受ける」
俺たちはダンジョンで1泊してから、王都に戻った。
もちろん、帰る前に第1階層の隠し部屋で、風呂に入るのは忘れなかった。
隠し部屋には水源があり、魔力なしで大量の水が使えるからだ。宿屋で風呂は使えないし、公共の風呂だと、従者が気になってのんびりできない。フェンルたち、風呂の中でときどき寝ちゃうし、耳の後を洗うのを忘れるからな。
それに、やはり冒険の最後には熱い風呂で汗を流すものだ。風呂はダンジョンに限る。
「お世話になったのであります!」
王都に入ってすぐ、ナナミは俺とフェンルに向かって、深々と頭を下げた。
彼女とはここで一旦、お別れだ。
「自分はこれから『勇者伝統芸能』の手続きをして、『勇者補助金』をいただき、『勇者短剣術』の道場を作るつもりであります」
ナナミは元気よく手を挙げて、俺に向かって宣言した。
聞けば、ナナミには家族がいない。『勇者短剣術』を支援してくれる親戚がいるだけだそうだ。
その人を頼り、これから道場を作るのが、ナナミの目標らしい。
「それはまだ面倒なことを考えたものだな」
「……人々にとって、身を守るための武術は必要でありますから」
ナナミは照れくさそうな顔で、
「もちろん、クロノさまのお呼びがあれば、いつでも駆けつけるのであります。道場は二の次でありますよ。用があったらいつでもお呼びください。用がなくてもお呼びください。なんならこれから来てほしいであります!」
残念だが遠慮した。
俺はこれから『すべてを統べる沈黙の姫君』を探さなければならぬ。
ナナミの道場経営にも興味があるのだが──というか、無茶苦茶心配なのだが。
元気なのはいいが、意外とナナミは『ポンコツ』だからな。その親戚──気のいいお姉さんらしい──が優秀ならばいいが、そうでなければサポートが必要だろう。
ふむ……。
どうせこれからニーナ=ベルモットを訊ねるつもりだったのだ。
ベルモット家は武門の家系。ならば、ナナミのことを話しておくのも悪くないか。
ナナミは真面目だし、控えめだ。『勇者槍術』のコリントのようなことにはなるまい。コリントを失ったベルモット伯爵家が援助するにはちょうどいい。『従者』同士が仲良くなってくれれば、俺も面倒見るのが楽だからな。
「うむ。俺は特になにもできないが、がんばれ」
だが、ナナミにはないしょにしておこう。
ニーナとナナミの気が合うかどうかもわからないし、無駄な期待をさせても悪いからな。
今の俺にできるのはナナミのビキニアーマーの、ほどけかけてる紐を結び直すことと、おみやげに『変幻の盾』で脱水乾燥した『足踏みうどん』を渡すことくらいだ。ナナミは、腹を冷やしやすい格好をしているからな。『レインボーバタフライのマント』も、返さなくていい。ただ、それは繊維が傷みやすいからな。手もみ洗いを忘れるな……とだけ言っておこう。
「お前はその齢で『勇者格闘術』に勝ったのだ。自信を持て」
「はい! ありがとうございますであります!」
ナナミは俺と、そしてフェンルと手を握り合い、別れた。
「フェンルには話しておこう。『すべてを統べる沈黙の姫君』のことを」
俺はフェンルに『魔王ちゃんの真実』を教えることにした。
もちろん、魔王ちゃんが率いてくる『妹、ペット(以下略)』のことははぶいておいた。
フェンルはまだ (見た目も中身も)小さい。それに、彼女は術の魔人ガルフェルドに作られた生物の子孫だから、ある意味、魔王の関係者でもある。
魔人を従えていた魔王が、新たな配下を率いて転生したなどということは伝えるべきではないだろう。怯えさせたくないからな。
というわけで俺は『魔王ちゃんの転生体は「沈黙の姫君」らしい』ということだけを、伝えることにしたのだった。
「……残念です」
話を聞いたフェンルは、ぽつり、とつぶやいた。
俺たちは今、王都の大通りを、ベルモット伯爵家に向かって歩いている。
数日ぶりの王都ということで、さっきまでフェンルは楽しそうな顔だったのだが──
「やはり、魔王が魔人の敵対者になるのは恐ろしいか」
「いえいえ、そうではなくて、ですね」
フェンルは恥ずかしそうな顔で、
「……私が魔王さまの転生体だったらなぁ、って思っていたんです」
「お前なぁ」
「いえいえ、私がそんなことを思うのはおこがましいってわかっています。でも……その、そういう感じで、その……私とブロブロさまとの間に、そういうご縁があったらいいなぁ、って思ったんです」
「過去の縁など関係あるまい」
俺はフェンルと繋いだ手を掲げてみせた。
「今、俺たちはこうして一緒にいるではないか」
「あ……」
フェンルは不意に、ふわり、と笑顔になり。
「そ、そうですよね。私、なに言ってたんでしょう!? 私はブロブロさまの従者で、今、ご一緒してるんですよね。私に前世があってもなくても関係ないですよね!」
「お前は俺にとって、前世のことを気兼ねなく話せる唯一の相手だ。これでも俺は、お前を信頼しているつもりなのだがな」
「……ブロブロさま」
「あとはもうちょっと落ち着きがあって、好き嫌いをなくして、ときどき発作的に幼女化するのをなんとかしてくれれば言うことなしだな。それと、胸のボタンを外すのを忘れて着替えるのをやめてくれれば。首のところで引っかかってもがもがしてるのは、見てて恥ずかしいからな。それと寝相をもう少しなんとかしろ。あとは──」
「ぶろぶろさまー。ひどいよー!」
フェンルは、ぷくーっ、とほっぺたをふくらませた。
そのまま──って、こら、俺の背中をぽかぽか叩くな。路上で幼女化してどうするのだ。
それに今日は、夜になったら結界内の模様替えをすると言っていただろう? 『結界形状変化能力』で、結界内に家具やベッドを作れるようになったからな。俺とお前で共用のクローゼットを作る予定なのだ。
だが、路上でいきなり幼女化するような奴にそんなものは不要かも……こら、いきなり涙目になる奴があるか。もうベルモット伯爵家の屋敷は見えているのだぞ。
ほらー。衛兵がこっちを見ているではないか。路上で幼女を泣かせているのを見られたら、取り次いでもらえないかもしれないだろう? ほら、涙拭いて、鼻かんで。ちーん。うむ。それでいい。ほら、まだ人通りは多いから、はぐれないように手をつないで。
……まいったな。衛兵がこっちをガン見しているぞ。
不審な者だと思われているかもしれぬ。ニーナに取り次いでもらえるだろうか。ここは一旦出直した方がいいか。いや、ここで背を向けて帰ったら、逆に不審者だと思われるかもしれぬ。
仕方ない、声をかけてみることにするか。
「失礼します。自分はニーナ=ベルモットさまの知人で」
「うんうん。クロノ=プロトコルさまとフェンルさまですね。すぐにニーナさまにお取り次ぎいたします。こちらへ」
顔パスだった。
さすが武門をもって成るベルモット伯爵家だ。対応が早い。
不審者がいてもすぐに対応できるという自信からだろうか。それとも末端にいたるまで、怪しい人間の情報が行き渡っているのだろうか。
「急な訪問ですし、ご迷惑なら出直しますが」
「お嬢様に怒られるからやめてくださいっ!」
衛兵さんはこわれたみたいに首を横に振った。
「それに、『勇者槍術』コリント氏を倒したあなたのことは、伯爵家の語りぐさになっております。クロノ=プロトコルさまは問答無用で通すようにと、ニーナさまから達しが出ておりますので、帰っていただいては困ります!」
そう言って衛兵さんは懐から羊皮紙を取り出した。
そこに書かれているのは……なんか悪夢を見そうな感じの、俺に似顔絵だった。下の方にニーナの署名がある。画伯か、ニーナ。脇に注意書きがついているな。
なになに『……銀髪の幼女とたわむれている者はクロノさまの可能性大。とりあえず声をかけるように』……か。
大丈夫か、ベルモット伯爵家。
「お、お、お待たせしましたあああああっ!!」
だだだだだっ。ばたん!
応接間に通されて、待つこと数分。
純白のドレスを着込んだ、ニーナ=ベルモットが飛び込んできた。
「ご、ご、ごぶさたしております。クロさま。フェンルさま!」
「ご予定も聞かずに訪問してしまったこと、お詫びする」
俺は椅子から立ち上がり、ニーナに頭を下げた。フェンルも同じようにする。
ニーナは貴族っぽく、スカートの裾をつまんで一礼。灰色の髪は結い上げて、金色のアクセサリをつけている。狩りの時とは違うな。ニーナは、こっちの方がしっくりくる。
狩り場で大剣を振るっていたときは、かなり無理をしていたのだろうな。それでも弱音を吐かなかったことに、俺は敬意を持っている。『禁忌の森の主』との戦いにもついてきた『いじっぱり』だからな。たいしたものだ。
「申し訳ありません! 今日は父がいないのです!」
「伯爵さまが……?」
いや、伯爵さまに用はないのだが……。
もしやニーナは俺が聞きたいことがあって訪ねてきたことに気づいているのか。
ニーナよりも、交際範囲の広い伯爵さまの方が情報量は多いからな。
「いえ、本日はニーナの顔が見られれば十分です。伯爵さまには、のちほど正式にごあいさつにうかがうことにします」
「正式にっ!?」
「もちろん、伯爵さまに時間を取っていただけるのなら、の話ですけど」
ニーナが『沈黙の姫君』のことを知らなかった場合、伯爵さまからも話を聞かなければいけない。貴族の情報網はあてにできるからな。
もちろんその場合は、こっちも手ぶらというわけにもいかない。ベルモット伯爵家は武門の家だから、ダンジョンでなにか素材を回収して、進物として持ってくるか。いずれにしても先の話だ。
「まずはニーナさまに話を通しておかなければ、と思いまして」
「ひゃ、ひゃいっ!」
ニーナはびくん、と背中を震わせた。
「そ、そういうお話でしたら……その……堅苦しい言葉はやめていただけると……」
「……え?」
ニーナは口元を押さえて、俺を見てる。
いいのか? こちらとしては貴族に時間を取ってもらっているのだから、できるだけ礼儀ただしくしているつもりなのだが。フェンルも俺の隣で、かちこちな感じで座ってるし。
「クロさまは、このニーナ=ベルモットの恩人で、フェンルさまはそのお仲間です。どうか、対等の友人のようにお話していただけると……」
……そこまで言うなら。
「わかった。それじゃ、遠慮なく話をさせてもらおう」
「ひゃ、はいっ。どうぞ……」
ドレスの裾を直して、襟元を整えて、背筋を伸ばして、俺の言葉を待っている。
「実は……これはニーナに折り入ってお願いがあって……」
「は、はい、どうぞ……」
ニーナは、こくん、とうなずき俺を見た。
俺はその顔を見ながら、告げる。
「王家についての話なのだが」
「………………え?」
「いや、この王家とは限らないのだが、他国の王家の……その、姫君に興味があって。貴族であるニーナに、それについての話を聞かせてもらえればと」
「………………はい」
あれ?
どうしてニーナは、死んだ魚のような目になっているのだ。
がっくりとうなだれて、ずるずると椅子に崩れ落ちていく。
体調が悪いなら無理しないで欲しい。貴族の方に迷惑をかけるわけにはいかないのだから。
「出直した方がいいだろうか?」
「いいえっ!」
ニーナは、ぶんぶん、と首を横に振った。
「クロさまとお話する機会を、手放すわけにはまいりません」
「そうなのか?」
「……その、不思議な話ですけど、あたしはクロさまと一緒にいると、不思議に落ち着くんです。この方がそばにいれば大丈夫だって……って」
「いや、それは当然だと思うが」
本人は気づいていないだろうが、ニーナは俺の従者だ。
そして従者を守るのは魔人の勤めなのだ。
「ニーナが危機におちいれば、俺はどんな手を使ってでも救うつもりでいるし、ニーナが助けをもとめてくれば、それを拒むつもりはまったくないからな。むしろ遠慮しないで欲しい」
「……クロノさま」
「それで、王家についての話だが」
「はい、なんでも聞いてください」
ニーナは晴れやかな顔で、ティーカップを手に取った。
「『沈黙の姫君』という人物について、心当たりはないだろうか」
「『沈黙の姫君』……ですか」
「おそらく……人前ではあまり口を利かず、おとなしい姫君のことだと思うが」
「そうですね、人前ではあまり口を利かず、おとなしい姫君ならたくさんいると思います。姫君って、だいたいそういうものですから」
ニーナは言った。
盲点だった。
確かに、人前でべらべら口を利いて、動き回る姫君はいないよな……。
「あ、でも、ご家族の前でおしゃべりな姫君ならいるかも。そうではない方を探すという手もありますね」
「なるほど。自宅でも静かな者が『沈黙の姫君』だと考えればいいわけか」
「ただ、王家の方に対して『おたくの姫君はおうちではおしゃべりですか? 静かですか?』と聞くのはかなり難しいですね……」
「……むむぅ」
困った。
俺には、そもそも姫君なんてものと接触する機会がない。
ニーナや、侯爵令嬢のナターシャにはそういう機会もあるだろうが、そもそも姫というものは、あまり人前では口をきかない。そうなると誰が魔王の伝説にある『沈黙の姫君』なのかわからない。
俺が王家に近づいて、ご家族の情報を得られるほど親しくなる、という手もあるが。それには時間がかかりすぎる。数年単位かけて王家の家庭事情を知ったはいいが、それで外れだったら目も当てられないからな。
「それにしても……ですね」
ニーナはティーカップを手に、上目遣いで俺を見た。
「クロさまはどうして、その『沈黙の姫君』を探していらっしゃるのですか?」
「その者は俺の運命の相手かもしれぬのだ」
「な、な、な…………なるほどおおおぉ……」
あれ?
ニーナよ、どうして手を震わせているのだ?
小刻みに……おい、上下運動が激しくなっているぞ。ちょっと、紅茶こぼれてる! 湯気が立ってるのが手にかかってる! こら、ティーカップを下に置け。やけどするだろ!?
「大丈夫、ニーナは強い子強い子強い子強い子負けない子。くじけない子。つよいこつよいこつよいこ……」
ニーナはうつろな目でつぶやいてる。
まったく、どこまで『いじっぱり』なんだ。お前は。
「『変幻の盾』、『遮断:紅茶』」
俺は『変幻の盾』で、ニーナの手にかかった紅茶をすくい取る。さらに『収納結界』から出した冷水と布を、手に巻き付ける。紅茶も沸騰していたわけではないし、かかっていたのは短時間だから、これで大丈夫だろう。まったく、どうして幼女というのはこう手がかかるのだ。
「お聞きしてもいいですか、クロさま」
「? なんだ?」
「運命の相手とは、一体どのようなものでしょうか」
「俺に取っては避けがたい。常にともにある者のことだ」
「具体的には」
「フェンルのようなものだな」
「なぁんだ」
ニーナはほぅ、と、胸をなでおろした。
「そこにいらっしゃって、のんきにお菓子を食べていらっしゃるフェンルさまのようなものなのですね。安心しました。まったく心臓が止まるかと思いました。フェンルさまのようなものなら安心です。安心して、ニーナは全面協力いたしましょう」
「あのちょっと! 私もしかしてけなされてるんですか!?」
伯爵家のお菓子に夢中になっていたフェンルが声をあげた。
「いや、まったく」「そんなことはございません」
俺とニーナは、そろって首を横に振った。
「……ただ、フェンルさまは……なんでしょう。ニーナにとって、クロノ=プロトコルさまとは別の意味で安心できるお方なんです。おふたりが並んでいるのは自然というか。最高の主従関係というか」
「なぁんだ」
フェンルは安心したように、手の中のクッキーをかじりはじめた。
お前は安心しすぎだ。少しは遠慮しろ。
「そういうことであれば、あたしに提案がございます」
ニーナはテーブルに手をつき、ぐっ、と身を乗り出した。
「一ヶ月後、王都のそばにある自治都市で、武術大会があるのです」
「武術大会? それはすごいな……」
「『勇者武術』の使い手も参加するという、一流の大会です」
あれ? 急にすごくなくなってきたぞ?
それにあいつら……参加するのかな。
ナナミは大喜びで出掛けていきそうだが、『勇者剣術』『勇者格闘術』『勇者槍術』の3人とも、かなり落ち込んでいたからな。棄権するのかもしれぬ。そうなるとみどころがなくなるのかもしれぬが……。
「もしかして、その武術大会に……王家の方が?」
「ええ、数年に一度の大きな大会ですからね。王家だけではなく、各国の王や領主、姫君も観覧にいらっしゃいます。もちろん、あたしも見に行くつもりです」
ニーナの言いたいことがわかった。
『武術大会』には各国の王族や姫君が観戦に来る。
もちろん、接触するのは難しいだろう。が、運が良ければ顔を見ることくらいはできるかもしれない。『沈黙の姫君』が魔王ちゃんの転生体なら、俺には見分けられるはずだ。
「よろしければクロさま、あたしの護衛を務めていただけないでしょうか?」
ニーナは言った。
「こう見えてもうちは伯爵家です。観客席でも、そこそこいい席に座ることができます。他の王家の方々の座席を見渡すのも、難しくはないと思いますよ」
「それは願ってもない話だが……いいのか?」
「クロさまにはご恩がございますから」
ニーナはそう言って、いたずらっぽく片目を閉じた。
「すでに宿舎の手配はしております。クロさまには先に自治都市に入っていただき、身支度を調え、あたしと父上と母上と親戚一同────いえいえ、あたしが行くのを待っていていただければ、と思います。いかがでしょうか?」
そんなわけで魔人さんは、一休みしてから出掛けます。
旅先で魔人さんを待つものとは──
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