第5話「魔人、快適生活をはじめる」
村を出てから3日目。
俺は神殿のある町と王都の中間地点にたどりついた。
ここから王都までは、広い街道が続いている。左右は山が連なり、街道に沿って広い川が流れている。もう少し進めば別の道と交差するから、人通りも増えてくるはずだ。
今しかない。
スローライフ実験をするには、人気の少ないこの場所が最も適しているはずだ。
『結界』『変幻の盾』を使って、町の外でも生活できるか試してみよう。
町の外で生きていけるということ──それは、人と関わらずに過ごしていけるということを意味する。
つまり、町での生活がめんどくさくなったら逃げることができるということだ。すばらしい。
試してみる価値はあるだろう。
そんなわけで、俺は山のひらけた場所で、だらだらすることにしたのだった。
俺がキャンプ地に選んだのは、西の山の中腹。
背の低い草が生えた、森の中にある空間だ。水音がするのは、近くに川の支流が流れているからだろう。ここならちょうどいい。ほどよく街道から離れていて、かつ、平地を見下ろせるから迷子になることもない。
空には少し雲がかかってる。雨が降るかもしれない。
早めに野営の準備をしておいた方がよさそうだ。
「まずは結界を展開、と」
俺は森の中の空間に結界を展開する。
広さは……10メートルくらい。
遮断は『動物』『魔物』『雨』。通過は:『空気』『光』……いや、害のなさそうなものはすべて通過でいいだろう。
結界はミルク色の壁をつくり、俺の周りをドーム状に覆っている。一度設置した結界は、多少の時間なら俺が離れた状態でも維持できる。さもないと、荷物を置いておくこともできない。離れたら荷物が雨でずぶぬれとか、誰かに持ってかれたんじゃ話にならないからな。
さて、これでキャンプ地は確保した。次は食事の支度だ。
俺は『変幻の盾』を手に、近くの沢に降りた。
「遮断:お魚。通過:その他」
これは前回やったのと同じだ。川に斜めに盾を差し込んで、おさかなだけ遮断して──っと。
びちびちびちびちっ
まずは主食を確保。3尾でいいか。
これを枝に刺して、とりあえず結界内においといて、と。
次は野菜と香辛料だな。
「あった。野生のミドリアオザ豆」
ミドリアオザ豆は茎の長い植物だ。先端の方に灰色のサヤがついてる。
これは生命力が強く、どこにでも生える植物だ。孤児院にいたころも、裏庭によく生えてたっけ。サヤは堅いけど実はやわらかく、栄養価もあるすぐれものだ。
実の部分を取って、盾に乗せて、と。
「通過:実。遮断:サヤ」
ぱらっ
「……やっぱり固体を分解するのは難しいな」
10個実を乗せたのに、中身だけ落ちてきたのは1個だけ。残りはサヤに入ったままだ。
『変幻の盾』だって万能じゃない。
豆のように一体化したものの分解は失敗しやすいし、生物はもっと難しい。
前世で、条件を満たすと『盾』『結界』ともにレベルが上がるように設定したはずだったけれど……いかんな。思い出せない。敵を倒すのだったか、宝物を集めるのだったか……。
そんなに難しくはなかったはずだ。どうして思い出せないのだろう。
まぁいいか。そのうちわかるだろう。
俺は『ミドリアオザ豆』を、ちまちまとサヤと実に分解して、それをまた『結界』の中に戻した。
今度は香辛料だ。塩だけじゃ味気ない。
せっかくのスローライフなのだから、チビたちと一緒のときは使えなかったあれを入れてみよう。
湿地帯に生えている緑色の草──『クロワサ』だ。
こいつの葉っぱは辛み成分が強く、香辛料として使われる。根っこの方は毒消しにも使えるというすぐれものだ。
俺はこいつの辛みが好きだったのだが、辛いのが苦手のチビたちのせいで、料理にはほとんど入れられなかったのだ。だが、一人暮らしをする身になったからには料理の味付けくらい、好きにさせてもらおう。
まずは『盾』に『クロワサ』の葉を乗せて、水をかけて、と。
「通過:辛み成分。遮断:クロワサ本体」
そしてクロワサを、ぎゅぎゅ、って盾に押しつけると──出てきた。
盾の下から、赤緑色のしずくが。これが『クロワサ』のエキスか。
ふっ。これぞ魔人スローライフの醍醐味よ。好きなように味付けをしたものを、好きな時に食べる。前世でも、今世でも味わったことのない贅沢だ。ふむ、『辛み成分』が指についたな。じゃあ、ちょっと味見を──
「──────っ!!」
がぼがぼぐがぐがごくごくごほんっ!
……ふっ。革袋に浄化した水を入れておいて良かった。
ま、まぁ、抽出した辛み成分というのは破壊力が高いということはわかった。
……エキスを絞るのは、毒消し用の根っこだけにしよう。
あとは、結界内に戻って、火を起こして、と。
さらに、そこに盾を載せて、材料を乗せて、熱を通過させて……。
しばらく待てば、川魚と豆の辛み煮のできあがりだ。
前世で考えた通り、この『変幻の盾』は万能のサバイバルキットだ。鍋にも使える、食器にも使える、その上で食材も調理できる、水だって浄化できる。
さらに、焦げ目がついたとしても『遮断:焦げ目。汚れ』を宣言して水洗いすれば、あっというまにきれいになる。
まさに『障壁の魔人』にふさわしいアイテムだ。
いける。これならばいける。俺は誰にも邪魔されず、静かなスローライフを送ることができる。
右見て左見て。人の気配はなし。よし──
「ふふ。ふふふふ。はははははははっ!」
──人気のない山に、魔人の高笑いがこだました。
日が暮れてから、雨が降り始めた。
夕食を済ませたあと、俺は結界の中でごろごろしている。
ふふふ。こんなに静かな夜は、生まれて初めてだ。
前世で魔王城に住んでいたころは、夜行性の魔物や魔人どものせいで、真夜中でもやかましかったからな。『術の魔人』に『沈黙魔法』をならいにいったら、あの野郎「魔王ちゃんと同じベッドにいるんだから眠る必要なんかねぇだろ? ぺっ!」と門前払いしやがったからなぁ。
転生してからは孤児院でチビたちと同じ寝室で、静かな夜なんか一度もなかった。あいつら泣くし暴れるし眠らないし……腹出して寝るし。まったくもう……。
だが、ついに俺は静かな夜を手に入れた。
魔物も害獣も入れない結界の中。聞こえるのは雨の音だけ。
断熱してあるから、結界内は朝まで暖かい。
静かだ……これで、ゆっくり眠れそうだ。
……眠れそうだ。
………………眠れ……。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………眠れないなぁ。あれぇ?
きっと雨の音がうるさいせいだな……。
音を遮断すればいいんだけど、そうすると敵の接近にも気づかなくなるからなぁ。
ドーム状の結界の上の方では、ぴちゃぴちゃぱちゃぱちゃ、雨の当たる音がする。
おまけに地上ではがりがりと結界の壁をこする音が──
…………がりがり、はぁはぁ。
──って。
まるで誰かが爪で結界を引っ掻いているような──誰だ?
魔物にしては弱々しいな。動物か?
……どうせ眠れないんだ。様子を見に行こう。
俺は毛布をたたんで起き上がる。
着火用の魔法を灯り代わりに結界の端に向かうと、外には──
倒れて、荒い息をついている、小さなオオカミがいた。
「…………病気? いや……毒か」
よく見ると、オオカミの後ろ足には、なにかに噛まれたような跡がある。そのまわりが赤黒く変色してる。おそらくは、毒を持つ魔物にやられたのだろう。
荒い息をついている。目もうつろだ。
毒はもう、血の中に入ってしまっているのだろう。
手元に『クロワサ』の根っこは残っているが、こいつの毒消しでは間に合わないか……。
「運がなかったな。オオカミよ」
「…………くぅん」
「まぁ、周囲に毒使いの魔物がいるのを教えてくれたことには感謝しよう。この魔人ブロゥシャルトがお前を看取ってやる」
「………………きゅぅぅ」
……なんでそんな悲しそうな声で泣くかな……。
やめろ、尻尾を振っても無駄だ。ちっちゃいオオカミよ。
俺はお前の最期を静かに看取って──看取って──
「看取って……やってもいいのだが」
なんでそんなつぶらな目でこっちを見ているのだ。
そんなことで魔人の心が動くとでも想っているのか……甘えるな。
……もしかしてお前は甘えているのか? この魔人に?
…………だとしたら。
「……そんな甘えた獣には、罰を与えてやらねばなるまいよ」
「…………く、ぅぅん」
「結界の属性を変更。通過:生物」
俺は結界から手を出して、子どもオオカミを引っ張る……なんだよ「きゅうん」って。痛そうな悲鳴を……ああもう、わかったよ!
俺は結界を出て、子どもオオカミを抱え上げた。
濡れないように急いで結界内に戻った──つもりだったけど、雨は意外と強かった。あーあ、髪も服も濡れちゃったじゃねぇか。まぁ、ずぶ濡れの子どもオオカミ抱えてたからしょうがないけどさ。
「……魔人を濡らしたむくいを受けよ。貴様は俺の実験動物にしてくれる」
「……くぅん」
子どもオオカミの身体は、かなり冷たくなってる。
俺は急いで火をおこし、その隣に座って、オオカミに語りかける。
「よく聞け、獣よ。俺の実験が成功すれば、お前の身体の毒を消すことができるだろう。失敗すればお前は死ぬかもしれぬ。だが、このままでも死ぬだろうな。どうする?」
「……わぅ」
「どちらだ? 俺の実験を受けるか? 否か? 受けるなら2回、受けないなら1回、声を上げよ」
「……わぅ、きゅうん」
「それは同意と受け止めていいのだな?」
「ぅん」
「よし。ならばお前はこの魔人の『血の従者』となれ」
うなずいた子オオカミに向かって、俺は言った。
『血の従者』とは──盟約を結ぶことにより、文字通り魔人の一部となる者のことだ。
魔人は『盟約』をもって自分の一族を増やすことができるのだ。
スキルは残ってるし、今の俺でも『盟約』くらいは可能だろう。
『変幻の盾』による肉体の細かい浄化は、今のところ自分と、自分の一部になった者にしか使えない。あまりに微妙な作業だからだ。『盟約』を結んだ従者ならば、ある程度、体調や感覚を読み取ることができる。そうでなければ危なくて、体内の浄化なんてできない。
逆に言えば、この子オオカミが俺の『従者』になるのなら、毒をきれいに消してやれるかもしれないのだ。
まぁ、あくまでも実験なのだが。
もちろん、終わったら盟約は魔人権限で破棄してやるとも。普通はできないのだが、俺だけはその方法を魔王ちゃんから教わっているのだ。
……だって従者を作ると、魔王ちゃんぶち切れるんだもん。「ブロブロのうわきものー」って。
「では、名もしらぬ子オオカミよ。この魔人ブロゥシャルトの従者となれ!」
「……うぉおおおおおおん」
俺は指先をダガーで切り、血の一滴をオオカミの首筋に垂らした。
血は赤く発光し、小さな紋章へと変わる。
子オオカミは抵抗しない。本人が同意しなければ、盟約は成立しない。
このオオカミは、俺の従者になってくれるようだ。
「では。毒の浄化をはじめよう。遮断:毒。通過:それ以外のすべて!」
俺は『変幻の盾』をオオカミの頭に当てた。
盾はなんの抵抗もなく、オオカミの頭に触れ、そのまま通過した。
まるで魔法の壁が、身体を通り抜けているように──。
浄化の力を持つ神官なども同じような力を使うことがある。が、こっちは自己流だ。というか思いつきだ。文句は受け付けない。
オオカミは動かない。とりあえず「治療だ。この俺を信じるがいい」と言っておく。ついでにチビたちに歌ってやってた子守歌も追加しとく。暴れると面倒だから、寝てろ。
──毒が内臓に回ってないといいんだけどな。
魔人ともあろうものが、子どもオオカミひとり救えないようでは、この先が思いやられる。
慎重に行こう。この『変幻の盾』は解毒効果も想定して作ったスキルだ。できるはずだ……。
俺はゆっくりと、盾でオオカミの身体をスキャンしていく。
『変幻の盾』は、オオカミの体内にある毒のほかは、すべてを通過させてる。
首筋──反応なし。胸──問題なし。心臓──大丈夫だ。よかった。
腰のあたりに盾を通す──まだ反応はない。
左後脚──オオカミが、びくん、と震えた。毒はまだ足にとどまっていたようだ。
従者の感覚が、かすかに俺にも伝わって来る。なにかに引っかかるような感じだ。
毒が盾に当たっているのだろう。
だが、これなら助かる。
俺は半透明の盾で、オオカミの身体に入り込んだ毒を押し出していく。
左足の傷口まで盾を移動させたところで、紫色の液体が、どろり、と傷口から流れ出た。
これが毒か。血も少し混じってるな。
毒が溶け込んだ血も一緒に流れ出た、ってところか。
念のため爪先から傷口までをスキャンする。ちょっとだけ毒が残ってた。それも押し出す。
あとは毒消しになる『クロワサ』の根っこのエキスを塗り込んで、と。
「…………すぅ……すぅう」
オオカミの呼吸が穏やかになってきた。
毒は完全に抜けたようだ。仕上げに、余った布で傷口を縛って、と。
あとは従者の盟約を解除するだけだが、これは本人の意識がないとできない。
もっとも、こいつに拒否権などないのだがな。
『障壁の魔人』ブロゥシャルトに、従者など必要ない。
やっと静かな生活を手に入れたのだ、そばにおく他者など必要ない。まったく、昨日止まった宿屋のなんとうるさかったことか。他人が側にいるとああなる。従者などいても、騒がしいだけだ。
「いいか。これはただの実験だったのだからな」
勘違いされないように、俺は子どもオオカミに言い聞かせる。
「お前は運が良かっただけなのだ。朝になったら、とっとと出て行くように」
そういえば毒使いの魔物がこの山にはいるはずだが……まぁ、そんなものを恐れて、ここを動く必要などないか。
暗いし雨降ってるし、治療したばかりのこいつを動かすわけにもいかない。結界を縮め、防御を固めておくとしよう。
「……ふわぁ」
なんか眠くなってきた。
俺は毛布にくるまって横になった。
……あれ? どうして近づいてくるのだ。子どもオオカミよ。だから俺が求めるのは静かな生活だと言っているだろう? 他人の体温が近くにあったら眠れるはずが──ぐぅ。
──────すー。すー。
気がつくと、俺の意識は眠りへと垂直落下していったのだった。
そして、翌朝。
俺が目を覚ますと──隣には、オオカミではなく人間の少女が眠っていた。
裸の。
おひとりさまスローライフに従者ができました。彼女の正体は……。
次回、第6話は明日の同じ時間に更新する予定です。