第44話「魔人、『もふもふ』で『すやすや』な能力を手に入れる」
あれから、俺は起こったことをそのままナターシャ=ライリンガに伝えた。
「ありがとうございました。クロノさま」
他家の狩りに手出しをしたことを責められるかと思ったが、ナターシャは逆に、俺に頭を下げた。
「ニーナさまも大変なのですね……」
「ご本人はナターシャさまへの対抗心は、特に持っていないようです。ただ、家の問題──というよりも、あの執事が敵対心をあおっているようでした。それに引きずられている……といったら失礼ですが、そんな印象でした」
実際のところ、ニーナお嬢様を洗脳しようとしているみたいだった。
ニーナは怖がっていたのに『お嬢様は魔物など恐れない』──って。
……どれだけ偉いんだろうな。あの執事コリントって奴は。
「ニーナさまには狩りの前にいろいろ言われてしまいましたが……わたしは、彼女のことを嫌ってはいません。小さい頃は、一緒に遊んだこともありますもの」
「そうなんですか?」
「貴族の子どもの集まりで、ひとりぼっちの私に声をかけてくださったんです。。私とニーナさまは庭で一緒に散歩をして、虫を捕まえたりしました。あのころのニーナさまは恐がりでしたけど……優しい方でした……」
お互いの家の名前を知ったのは、帰るときになってからだったけれど。
それまではただの「ナターシャ」「ニーナ」として、遊んでいたそうだ。
「私……できれば、もう一度ニーナさまと仲良しになりたいんです……」
ナターシャはそう言って、うつむいたのだった。
それから俺は、用意された天幕に戻った。
今日は一晩、この狩り場で野営をすることになる。狩り場の入り口──街道に近いあたりにはいくつか小屋が設置されていて、ナターシャとニーナはそれぞれ離れた小屋に泊まっている。
護衛の兵士や、お供である俺たちは天幕を借りて、小屋の近くにお泊まりだ。
「……ニーナ=ベルモットは大丈夫だろうか」
従者にしたせいか、妙に彼女のことが気にかかる。
余計なことをしてしまったかもしれない。
貴族と関わるのは仕事上だけにしたかったのに……『もふもふぷにぷに能力』など、もらってどうしろというのだ……まったく。
「すごいですクロノさま! 地面がふわふわのもふもふです!」
「気持ちいいのね……ルチア、落ち着くの」
「……すぅ(マルグリッド熟睡中)」
『もふもふぷにぷに能力』すげぇ。
俺たちは、平らな場所に張った天幕の中にいる。
ライリンガ侯爵家から借りた天幕は高級品だったが、断熱がいまいちだった。明日も仕事だというのに、従者に寒い思いをさせるわけにはいかない。
だから俺は天幕の内側に『結界』を張った。こうすれば『えあこん』が使える。シャワーで汗も流せる。
その後は外でごはんを食べて、寝る前に『もふもふぷにぷに能力』を試してみたのだが……。
使ったら『結界』の床が、毛足の長い絨毯のようになった。
俺も試しに寝てみたのだが、まるで宙に浮かんでいるような感覚だった。
床は俺の体重を受け止め、かつ、柔らかく押し返してくる。
さらに頭、上半身、下半身に対応して、固さまで変化する。
もふもふの床が変形することで、身体に負荷をかけず、背骨が自然なカーブを描くようになっているのだ。
宿屋のベッドなど比較にもならないくらい快適だ。横になったら、そのまま寝落ちしてしまいそうなくらい寝心地がいい。
フェンルもルチアも、気持ちよさそうにごろごろ転がっている。
マルグリッドなど横になったとたん熟睡だ。
おまけに結界の壁もやわらかくなっていて、外部からの衝撃を受け止めてくれる。
そのおかげで音を遮断しなくても静かだ。試してはいないが、おそらくは雨音さえも吸収してくれるだろう。
「……ニーナには借りを返さねばならぬな」
これだけのものをもらって、放っておくわけにもいくまい。
……彼女の願いは『狩りでナターシャよりも成果を上げること』だったな。だったら、それをかなえてやるか。
もちろん、俺はフェンルたちのお供だから、勝手なことをするわけにはいかない。ナターシャに、俺がニーナの狩りの補助をすることを話して、許可をもらっておこう。彼女はニーナと仲良くなりたいようだから、うまく話せば許してくれるかもしれない。
それで、具体的にどうするか……。
そうだな……今日、ベルモット家は上級エリアから『ダークバッファロー』を連れてきた。それが執事コリントのやり方なら、明日も同じことをする可能性はあるな。
だったら、奴が連れてきた獲物を俺が『結界』に閉じ込めて弱らせてやるとしよう。
それをニーナが安全に倒せば、安全に狩りは終わる。
問題は執事が強力な魔物を連れてこなかったときだが、そのときは彼女たちが狙う獲物を、俺が普通に弱体化させればいい。
とにかく、うちの子の初仕事で後味の悪いことだけはさせたくない。もしもそうなったら、ルチアもマルグリッドも、仕事が嫌になってしまうかもしれないからな。最初は成功の体験をさせてやりたいのだ。
それに3人とも、今日は真面目に働いたからな。
少しくらい甘やかしたとしても問題はあるまい。普段はちゃんと、厳しくしているのだから。
寝る前に寝間着にも着替えさせたし、歯の磨き残しもチェックした。好き嫌いもないように指導している(フェンルの猫舌除く)。寝る前の柔軟体操は欠かしていない。おやつは剣と魔法の指導をしてから食べさせるようにしている。こいつらは素直に言うことを聞くし、お昼寝も欠かしたことがない。立派なものだ。
今は寝る直前だから、自由にさせている。気を緩める時間がないと、次の日に差し支える。疲れはできるだけ、今日のうちに取っておいて欲しいのだ。
「ふわふわですねぇ……」
「もふもふなのね……」
……だが、あんまりごろごろするな、フェンルも、ルチアも。
天幕の中に結界を張っている都合上、いつもよりおうちが狭いのだ。
おかげでシャワーのときに結界を仕切ることもできなかった。しょうがないので3人で背中合わせになって、いっぺんに身体を洗ったが、どうも落ち着かなかった。ルチアとマルグリッドははしゃぐし、外で見張りをしてくれてるフェンル──さっきシャワーを浴びたので後回し──のことも心配だったから。
「壁もふにふにです」「ふにふになのね」
「フェンルもルチアも、遊ぶのはいいが、今日の仕事の反省会はしたのか?」
壁をいじってるフェンルとルチアに、俺は声をかけた。
「しました!」「粘土板にちゃんと書いたのね」
「装備の点検は?」
「終わってます」「ルチアは、ほとんど戦ってないのね」
「ならばよし」
では、寝る前に水分補給だ。
俺は『収納結界』から『アマウリリンゴ』を取り出した。
ナイフで軽く傷をつけて、その下に『変幻の盾』を置いて、さらに下にカップを置く。
せっかくだ。さっき増えた能力『通過方向固定』を使ってみよう。
「通過:果汁。通過方向固定:上から下へ」
俺が宣言すると、ぽとん、と薄黄色の水滴が果実からカップへと落ちた。
と、思ったら、しゅごー、って感じで、盾の下からカップに向かって果汁が噴き出しはじめる。この能力もすごいな。見る間にリンゴの水分が抜けて、しわしわになっていく。
「なるほど。『通過方向固定』とは、通過させるものに方向性を与える能力か」
「ほうこうせい、ですか?」
「どちらに水が流れるか決められるようなものなのね?」
「その通りだ。ルチアよ。今はリンゴから果汁だけを、カップに向かって噴き出させた」
「え? え? え?」
「つまり、物体が上から下に落ちるように、決まったものだけを決まった方向に『落とす』能力なのね?」
「うむ。あと、リンゴの果汁はミルクと混ぜると美味い」
俺は『収納結界』から取り出したミルクを、カップに注いだ。
「2人とも、今日はよく働いたな。これを飲んで眠るといい」
「ありがとうございますなのね。クロノ兄さま」
「私、さびしいのですけど。クロノさま。ルチアさま。ふたりで納得しないでください!」
「うむ。うまいな」「おいしいのね」
「おいしいですけど!」
素直にミルク入りリンゴジュースを飲むルチアと、ほっぺたを膨らませて飲むフェンル。
ルチアはすでに『通過方向固定』の特性を理解したようだ。すごいな。
この『通過方向固定』能力は、いろいろなことに使えそうだ。
狩った獲物の血抜きもできるし、食材の肉にスープをしみこませることもできる。
帰ったら、トロトロのビーフシチューでも作ってみるか。
「…………ふわ」
ジュースを飲み干したルチアの目が、とろん、としはじめる。
俺は彼女をマルグリッドの隣に寝かせて、毛布をかけてやる。
「明日も早い。俺はもう少し『ニーナ助力作戦』のことを考えるのでフェンルも眠──」
俺は声をかけようとして、止めた。
フェンルの目が、天幕の外を向いていたからだ。
「……ブロブロさま。外に誰かいます」
数秒遅れて俺も気づいた。天幕の外。誰かが草を踏んで近づいてくる。
俺は即座に結界に『遮断:人間』を指定追加。魔物はすでに遮断してある。
人間を対象にしなかったのは、味方が訪ねてきたときに困るからだ。で、これはどっちだ?
「──夜分に申し訳ありません。ナターシャ=ライリンガです」
味方だった。
「ナターシャさま? どうしたのですか。こんな時間に」
応えながら俺は『遮断:人間』を解除した。
「先ほど、ニーナ=ベルモットさまからお手紙が届いたのです。それについて、クロノ=プロトコルさまにご相談をしたくてまいりました」
「……よろしいのですか? 個人的なお話を聞いてしまって。俺たちは、ただの冒険者ですよ?」
こんな時間に。貴族のお嬢様が訪ねてきてもいいものだろうか。
フェンルによると足音は2人分。メイドさんがついてきているようだが……。
「かまいません。むしろ、失礼をお詫びするのはこちらの方です」
ナターシャは、優しい声で答えた。
「私は、クロノ=プロトコルさまは、信頼できる方だとお見受けしておりますので」
まったく。甘いお嬢さまだ。
「いいですよ。どうぞ。お入り下さい」
「失礼いたします……」
天幕の布を持ち上げ、ナターシャと、小柄なメイドさんが中に入ってくる。
そして──
「あったかい? え? え?」
「断熱性にすぐれた天幕をお貸しいただいたことに感謝いたします」
「床っ!? やわらかい? ふんわり!? え? ええええ?」
「ふんわりとした敷物をお貸しいただいたこと、まさに侯爵家の慈悲によるものと感謝しております」
「え? でもでも?」
「感謝しております」
「…………でも」
「感謝しております」
「こ、こちらこそ、フェンルさま、ルチアさま、マルグリッドさまの働きにお礼を申し上げます」
俺とナターシャは顔を見合わせてから、ぺこり。
よし。ごまかした。
「それで、ニーナさまからのお手紙とは?」
貴族のお嬢様とは、やはり世間知らずなのだろうか。こんなに簡単に、ただの冒険者である俺たちを信用するとは。そばに控えているメイドさんは──一応は武装しているようだが──おだやかな笑みを浮かべている。
俺たちが武器を持っていないと思って甘く見ているのだろうか。
そんなもの、収納結界からいくらでも取り出せるのだぞ。ちっちゃな子ばかりだと思ってなめられるわけには──こら、マルグリッド。ちゃんと俺の胸に寄りかかっていろ。眠っていてもいいが、来客中に横になっているわけにはいかぬだろう。ルチアはちゃんと──フェンルの膝の上にいるな。体格はフェンルの方が少し大きいだけだからふらついているが、話をする間くらいは保つだろう。
駆け出し冒険者だからといっても、貴族の前では、しゃんとしていなければいかない。ナターシャは雇い主なのだから。
だからナターシャとメイドさんが入ってきてすぐに、俺はマルグリッドを膝の上に載せて、ルチアはフェンルの膝の上に載せたのだ。ふたりとも、ぐっすりと眠っているが、かまわない。貴族さまの前でだらしない姿を見せなければいいのだから。
でも、ナターシャは目を見開いている。なにをおどろいているのだ……え? 「虹色の寝間着なんて初めてみました」──か。
ああ、採取した『レインボーバタフライの糸』が余ったのでな。服屋さんのおすすめで、寝間着に仕立ててみたのだ。保温性もすぐれているそうだ。俺は試しに「洗い代わりにもう一着ありますが、差し上げましょうか?」と言ってみる。貴族が冒険者の服など欲しがるわけが……え? 「……おそろい」ですか。そうですね。
差し上げるのはかまいませんが、どうしてそんなに目を輝かせて──って、ここで着替えるんですか?
はぁ。いいですけど。じゃあ、俺は後ろを向いています。
「代金は報酬に上乗せ」ですか? いえ、いつでも構いませんよ。あまりの糸で作った奴ですから。
「お、お待たせしました」
振り返ると、ナターシャは『レインボーバタフライの寝間着』姿になっていた。
フェンル、ルチア、マルグリッドを見て、なんだかうれしそうな顔をしている。確かに『レインボーバタフライの寝間着』はきれいだし、肌触りもいいからな。うれしいのもわかる。
「改めて、ニーナさまのお話ですが……」
ナターシャは膝をそろえて座り、本題を話し始めた。
「いただいたお手紙にはこう書かれていました。『明日、魔法での狩りをご一緒させてください』と」
「それだけですか?」
「はい。それだけです。ただ、ニーナさまの署名の隣に、執事コリントさんのイニシャルも書かれていました」
「ナターシャさまはそれが『挑戦』だとお考えなのですね?」
俺の言葉に、ナターシャは、こくん、とうなずいた。
さすが図書館を預かる文官の家系だ。かしこい。
「今回の狩りで、ベルモット伯爵家はことごとくライリンガ侯爵家に負けている。だから最後の『魔法の狩り』でナターシャさまを見返してやろうということでしょうか」
「私もそう考えます。それで、お願いなのですが」
ナターシャはじっと俺の目を見つめて、告げる。
「クロノさまには、ニーナさまがちゃんと獲物を仕留められるように、こっそり手を貸していただきたいのです」
……ほんっとにいい子なのだな。ナターシャ=ライリンガ。
「ナターシャさまは、それでいいのですか?」
「ライリンガ家は文官の家系。狩りなどはただの儀式です。でも、ニーナさまにとってはそうではありませんから」
ナターシャは『レインボーバタフライの寝間着』の胸を押さえて、笑った。
「私は、ニーナさまと仲良くなりたいのです。ベルモット家の事情を考えると、難しいかもしれませんけれど、それでも、できるだけのことはするつもりです」
「難しいというのは……ベルモット家が武門の家系だからですか」
「はい。それと、執事のコリントという者が、かなりニーナさまに厳しいようなのです」
そう言ってナターシャは、メイドさんの方を見た。
貴族の間でも、さまざまな噂は流れている。それにもっとも詳しいのはメイドさんなのだとか。彼女たちにとっては、仕える家がどんな場所かによって、生活の質が──下手をすれば生き死にまで関わってくる。
ということで、ベルモット家の噂も、メイドさんを通して入って来るそうだ。
「ベルモット家は武門の家とはいえ、以前はそこまで侯爵家に対抗心は持っていませんでした。それがひどくなったのは、あのコリントというものが仕えるようになってからそうです。それからは、ニーナさまへの風当たりも強くなり、常に成果が求められるようになってきたとか」
「人ひとりが、そこまで貴族の家に影響を与えられるものなのですか?」
「将軍や武官を生み出してきたベルモット家ですからね。達人と名高いコリント氏が執事になったことで……なんと言いますか……コロッと」
「コロッと」
「はい……コロッと、です」
まるめこまれてしまったと。
そうか、ニーナがちょろいのは家系のせいだったのか。
魔人時代に読んだ異世界の本に、似たような人々の話があったな。武術や運動に特化しすぎて、考えが単純ですぐにまるめこまれてしまう人々……たしか「脳筋」だったか?
つまりニーナの実家はそういうところで、戦闘の達人であるコリントにけしかけられて、ナターシャの家を異常なくらい敵視するようになってしまった。
その結果ニーナにも、ナターシャと張り合うように強制している、ということらしい。
「どれほどの者なのですか。そのコリントとは」
「はい。なんでも勇者の『槍術』をマスターしているそうです」
……はい?
俺は一瞬、ナターシャがなにを言っているのかわからなかった。
『勇者の槍術』と言ったか。
……いや、聞き間違いか?
そうだよな。魔人の俺が勇者のことを意識しているから、そう聞こえてしまっただけかもしれないな。
もう一回聞いてみよう。
「今、なんとおっしゃいましたか?」
「コリント氏は400年前に魔王城で魔王や魔人と戦った、勇者の『槍術』の使い手なのです」
聞き間違いじゃなかった。
「その槍さばきは見事で、伯爵家は大金を払って彼を雇ったそうです。あいにく『槍術』は秘伝ということで教えてもらえないそうですが、ニーナさまにも、優れた武術を見て育って欲しい、ということで」
「……へー」
前世の俺が死んでから400年の間、そんなものが伝わっていたのか。
あの、ひとの形をした暴風、反則、天災といわれた勇者の武術を、人間がな……。
そっか、執事コリントはそういう者だったのか。
へー。
ふー。
……ほーん。
「……400年前に魔王城に攻め込んだ勇者の槍術ですか」
「はい。そう聞いています」
「とある神の力で、魔王城の入り口に転移してきて、問答無用で魔人にケンカを売って、準備が整ってないところを問答無用のハイスペックで襲いかかってきた槍使いの勇者の技術をマスターしているということですか」
「そ、そこまで詳しくはないですが、おそらく」
「……そうですか」
まさか、この時代まで勇者の技が残っていたとはな……。
そして、ニーナの執事にして教育係のコリントがその使い手とは。
奴の槍さばきは確かに速かった。
神の加護で、肉体そものが桁違いに強化されていた勇者たちとは比べものにはならないが、この時代の人間としては強いのだろうな。
そっか。
俺と魔王ちゃんの目の前で、魔人のひとりをほふった、槍の勇者の技を受け継いだ者、か。
「ひとつ、おうかがいしてもいいですか、ナターシャさま」
「は、はい」
「貴族の狩りで、従者や執事同士が手合わせをするというのはありですか? 余興として」
「──え!?」
ナターシャは信じられないものを見るような目で、俺を見ていた。
それはいいのだが、あんまり大声出さないで欲しいな。ルチアとマルグリッドが起きるから。
「……本気ですか? クロノさま」
「いいえ」
俺は首を横に振った。
「もちろん寸止めです。コリントさんを殺すつもりはありません」
「当たり前です!」
「ですよね」
「殺すどころか……あなたが5分間もちこたえることができれば、勝利と言ってもいいくらいです。クロノさまのように若い方にてこずったとなれば、コリント氏の評判は地に落ちるでしょう」
ナターシャは顎に手を当てて、考え込むようなしぐさをした。
「でも、あの方は、国王陛下主催の武術大会に参加されるほどの方なのですよ? それでも、クロノさまは手合わせされると?」
「これは、必要なことなのです」
仲間の魔人の仇討ちなんてする気はない。というか、あいつら嫌いだったし。
ただ『槍の勇者』は魔王ちゃんを死ぬほどびっくりさせた。奴の武術が残っているのは気にくわない。
……それに。
「……ふにゃ……」
フェンルは、俺のとなりでうとうとしている。
彼女は『術の魔人』に作られた生命体の子孫で、俺は魔人の転生体だ。
ありえないとは思うが、万が一、正体がばれたときのためのことも考えておかなければいけない。
この時代に『勇者の武術』が残っているのなら、それがどれくらいの脅威なのか、確かめておかなければいけないのだ。
ならば今回の件は、とても好都合だ。
今日、俺はコリント氏に槍を突きつけられている。血の気の多い冒険者がそれに腹を立てて、手合わせを申し込んできた、ということにすれば筋が通る。俺が魔王の関係者だとは誰も思わないだろう。
ナターシャやニーナには悪いが、この状況、利用させてもらおう。魔人的に。
「話を通しておいていただけますか。ナターシャさま」
「あなたは……『勇者の武術』と聞いても恐れないのですか?」
「むしろわくわくしますね」
ぶっちゃけ、八つ当たりだけどな。
それに、コリントさんの武術がニセモノって可能性もある。
せっかくだ。この魔人ブロゥシャルトが真偽を見極めてやる。
「……あなたは、どうしてそこまで」
ナターシャは、桜色の髪を押さえて、泣きそうな顔をしている。
もしかして……おびえさせたか?
俺が『勇者の武術』を嫌っている者──魔人の転生体だと気づかれると面倒だ。ここは──
「細かいことは、言いっこなしです」
「クロノさま!」
「俺が5分持ちこたえれば、コリントさんの評判は地に落ちるといいましたよね。俺の望みもそれです。詳しいことは聞かないでください。ぼかして……察してくれるとうれしいです。照れくさいですし」
『勇者の槍術』の評判など、どん底まで落としてやりたい。そうすれば、学ぶ者もいなくなるだろう。
もっとも、それを寸止めでやるっていうのは、俺の自信のなさの現れでもある。
照れくさいから、これ以上は聞かないで欲しいのだ。
「あなたはそこまで……彼女のことを」
「ええ。これも乗りかかった船というやつです。面倒は見ますよ」
フェンルと出会ったのは偶然だった。
だが、彼女はすでに俺の従者で、数少ない身内だ。その安全のため、できることはしよう。
「コリント氏の評判が落ちれば──彼女が自由になれると?」
「まぁ、少なくとも安全にはなるでしょう」
「彼女のために、どうしてそこまで?」
「『彼女』ではないですね。『彼女たち』です」
フェンルはルチアとマルグリッドの姉代わりでもある。
だから『彼女』ではなく『彼女たち』だな。うん。
「やっぱり、小さな子たちには仲良くしていて欲しいですから」
「クロノさま! あなたという方は……」
おや? どうしてナターシャは顔を赤くしているのだ。『えあこん』の暖房、効き過ぎたか。しかし、彼女とメイドさんの前で操作するわけにもいかぬからなぁ。え? 「ありがとうございます。ありがとうございます!」って……え? ナターシャさまは、コリント氏がそんなに嫌いだったのか?
「このナターシャ=ライリンガ。クロノさまの優しさに感激いたしました」
「はぁ」
「どうか、私にできることであれば、なんでもおっしゃってください!」
いいのか。魔人にそんなことを言って。
言質は取ったぞ。もう、取り消しは聞かぬぞ。ならば──
「ひとつ。お願いがあります」
俺は姿勢を正し、ついでにマルグリッドが落ちないように抱え直して、告げる。
「分不相応な願いですが──実は、俺は王立図書館で大陸地図を見てみたいのです」
「はい。その件ならマルグリッドさまから伺っております。父に話して許可をもらうまで、数日かかると思いますが、問題はないかと」
「え?」
「え?」
「「……」」
俺は膝の上で眠るマルグリッドを見た。
静かに寝息を立てている、水色の髪のちっちゃな子。いや、本当に優秀だな。さすがルチアを守ってきただけのことはある。けど、一緒にいたはずのフェンルまでびっくりしてるのは、なぜだ?
……ナターシャは「それで?」って顔をしてる。
いかん、このままでは間が持たぬ。えーっと。
「実は、もうひとつお願いがあるのです」
「あ、そうなんですか」
ナターシャは、ほん、と、手を打ち鳴らした。
よし、えっと。お願いというと──
「できればナターシャさまには、フェンルやルチア、マルグリッドと仲良しになって欲しいのです」
「はい。それはもちろ──」
「もちろん、身分の差がありますから、対等の仲間というわけにはいかないでしょう。この子たちが、本当に困ったときに、話を聞いてくれるくらいでいいんです」
「いえ、おそろいの寝間着を着ていますし、私としてはすでにおともだ──」
「友だちになって欲しいなんて、分不相応なことは言いません。けれど、彼女たちも成長していくうちに、俺から離れていくことがあるかもしれません。そのときに頼れる方がいればありがたいのです。例えば、ナターシャさまが冒険者を必要としたとき、この子たちのことを思い出してくれればいいです」
「え、ええ。冒険者が必要なときは、みなさまを優先的に──」
「優先的にしてくれ、なんておこがましいですよね? でも、3人とも俺をのぞけば家族がいないのです。だから、どうか心の支えに──」
あれ?
ナターシャ=ライリンガお嬢様、どうして涙目になっているのだ?
メイドさんも、どうして俺をにらんでるの?
ふたりとも、俺に頭を下げて立ち上がる。
ナターシャはフェンルに手を振っているが──俺を見て、困ったような顔でほっぺたを膨らませてる。なぜだ。
「それでは、明日はよろしくお願いいたします。クロノ=プロトコルさま」
「はい。こちらこそ。それじゃ」
俺はマルグリッドを膝に載せたまま、軽く頭を下げた。
足音が聞こえなくなると、俺は、ふぅ、とため息をついた。
「……意外と時間を食ってしまったな」
俺はマルグリッドとルチアをふわふわの床に寝かせて、毛布をかけなおした。
フェンルは……なんだかきらきらした目をしている。
寝る前にそんな興奮してどうするのだ?
「ブロブロさま。私、感動しました」
「そうなのか?」
「はい。ブロブロさまが、おふたりのことをそこまで考えていたなんて」
「ああ。だがルチアとマルグリッドのことだけではない。明日はナターシャとニーナの手伝いをしなければな。自分のことだけを考えているわけにはいかないのだ」
「……はい?」
「……うむ?」
フェンルはなぜか首をかしげている。
俺も同じようにする。なんだかかみ合ってないような気がするが、まぁいいか。
フェンルは納得できないのか、頭を抱えて考え込みはじめた。寝る前に難しいことは考えない方がいいぞ。ほら『収納結界』からミルクを出してやったから飲みなさい。そうそう。「ぷはー」って……もう一杯? お前、夜中にトイレに起きるから駄目だ。
明日もお仕事だから寝なさい。
じゃあ、ランタン消すぞ。はい「おやすみなさい」だ。
……うーむ。やっぱり宙に浮いてるみたいだな、この『もふもふぷにぷに』の床。
…………明日は『勇者槍術』のことだけはなく。
………………ニーナのことも……考えてやらねばならぬか……。
……………………すぅ。
本当は、もうちょっと明日の作戦を考えるつもりだったのだが──
『もふもふぷにぷに能力』には勝てず、俺はまっすぐ、眠りへと落ちていったのだった。
魔人さんも、おそるべき『もふもふぷにぷに』能力には勝てませんでした。
次回から狩りの後半戦です。
いつも『魔人さん』を読んでいただき、ありがとうございます。
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