第41話「魔人さんとはじめる『かいてきハンティング』その3(手動ランドリーつき)」
──約30分前。フェンルがナターシャを守って泥まみれになったあと──
「ごめんなさいブロブロさま……いただいた装備を汚してしまいました……」
後ろからフェンルの返事と、水の音が聞こえた。
ここは林に張った結界の中。
泥まみれになったフェンルは、俺の後ろでシャワーを浴びている。もちろん、結界は不透明な壁で区切ってあるから、フェンルの姿は見えない。
だが、声が震えている。
泣いているのか……おびえているのか? まさか、俺が怒るとでも思っているのか?
「なにを言うかと思ったら、そんなことか」
俺は言った。
ちなみに俺はもう半分の空間で、フェンルの服を洗濯中だ。
こんな泥よごれなど、魔人のスキルを使えばなんでもない。十数分で、洗い上がりもおどろきの白さにしてみせよう。
「お前はよくやった。泥まみれになってまで侯爵令嬢を守ったのだ。ちゃんと仕事を果たしたのだから胸を張れ。我が従者、フェンル=ガルフェルドよ」
「……ブロブロさまぁ」
「時間はある。ゆっくりとシャワーを浴びるがいい」
「はいっ!」
うむ。元気になったようだ。
フェンルはこれ以上ないくらい、立派に仕事を果たした。落ち込む必要などない。むしろいばってもいいくらいだ。
「フェンルが堂々と侯爵令嬢の前に出られるように、装備をきれいにしなければな」
俺は『変幻の盾』で『ディープサファイアリザード』の革鎧に触れた。
『遮断:土、ホコリ』を設定して、下からつーっと持ち上げると……よし、泥が取り出せた。表面には水滴がついているが、これは土とホコリを濾過した残りだ。乾いた布で拭けば──ほら、この通り新品同様の艶と輝きになる。
手間がかかるのは『レインボーバタフライの衣』(通称:レインボー衣)方か。これには、泥水がしみこんでしまっている。盾で『遮断:土・水分』ってやってもいいのだが、それだと繊維に含まれている水分を一気に奪うことになるので、生地が傷むのだ。
「面倒だが、一度きれいな水で流して、と」
俺は結界の壁を叩いて『水道』を呼び出す。
ぬるめのお湯を壁から噴き出させて、それで『レインボー衣』の汚れを軽く落としていく。
さて、と。あとは……。
「お前も洗ってやろうか? 『液状の盾』よ」
『キュキュ!? い、いらないのである』
地面に置いたオレンジ色の盾から、悲鳴のような声が返ってくる。
「怯えることはないだろう。お前も、よくフェンルを守ってくれた」
『……にんげんコワイまじんよりコワイかんそうコワイ……』
「安心しろ。降伏した以上、お前にはもうなにもしない」
俺はできるだけ優しい声で言った。
……ダンジョンでの戦いか、なんだかトラウマになっているようだからな。
『液状の盾』の素材には『山ダンジョン第2階層』のボス『オレンジスライム』が使われている。といっても、倒したあと素材にしたのではなく、生きた盾になっているのだ。
『山ダンジョン』で戦ったとき、俺はこいつの水分を抜いて乾燥させた。
そのまま倒してしまっても良かったのだが、ほどよく小さくなった『オレンジスライム』は完全降伏して、俺の配下になることを望んだ。
だから、とりあえず従者にして逆らえないようにしてから、工房に(スライムが生きてることは内緒で)こいつを入れる盾のような器を作ってもらった。
その結果できあがったのが、この『液状の盾』
木製の、持ち手が着いたお皿の中にすっぽりと『オレンジスライム』が入り、軽くて使いやすい盾になっている。
こいつは普段は結晶化していて、フェンルが魔力を注ぐと、液状化をはじめる。本来の動きを取り戻し、敵の攻撃をやわらかく受け止めることができるのだ。
そしてもう一回魔力を注ぐと、再び結晶化する。堅さと柔らかさ、そして軽さを兼ね備えた、まさにフェンルに相応しい盾だ。
「二度と人やデミヒューマンに危害を加えないというなら、解放してやるが?」
『……まじんと同等の力を持つあなたに降伏したノダ。その誓いは守るのでアル……』
律儀な奴だ。
ほとんど水分が抜けたこいつは、自分では動くことができないが、川にでもしばらく漬けておけば元の力を取り戻す。それでも盾の役目をしてるのは『水の魔人』なんて名乗ってた己のおごりを戒めるため、らしい。
「……スライムの考えることはわからんな」
『魔人と同等の「従者作成能力」……恐ろシイ……人間コワイ……』
ちなみに『水の魔人』の称号は返上したようだ。
人間にも負けるようなスライムに、そんな称号を名乗る資格はないそうだ。変なところで律儀な魔物だ。
俺の方も、めんどくさいので自分が魔人の転生体だということは教えてない。人間状態でもこの怯え方だ。実は魔人だ、などと言ったら、このスライムはショックで人格崩壊してしまうかもしれない。
「フェンルたちを守ってくれたことには感謝している。できれば、これからもよろしく頼む」
『キュキュ……』
『液状の盾』は、小さな返事を返した。今の状態に、納得はしてくれているようだ。
こいつは魔法のアイテム並に優秀だからな。フェンルたちが無双できるレベルになるまでは、つきあってもらおう。
「……あの、ブロブロさま」
不意に、壁の向こうから声がした。
「どうしたフェンル」
「お湯が全然出なくなったのですが……なにかありましたか?」
「悪い。こっちで洗濯に使ってるのだ。すぐに終わるから待っていてくれ」
「…………は、はいぃ」
なんだか恥ずかしそうな声が聞こえるが……それも仕方ないか。
俺たちがいる結界は『偽装結界』モードにしてあるから、外からは──さっきたしかめたら──大きな木にしか見えない。が、内側からは外が丸見えなのだ。
外からの光を遮断してしまったら、敵の接近にも気づけない。安全のためにはやむを得ない。
だが、フェンルとしては、すっぱだかで森の中に立ってるようで落ち着かないらしい。
「シャワーを浴びてるうちはいいんですけど……なにもすることがないと……恥ずかしくて……」
「いい方法があるぞ」
「どんなのですか!?」
「こっちに来て、俺が服とフェンルを同時に洗う」
「ご遠慮いたします!」
「おにーちゃんがあらってやろう、おいでフェンル」
「わーいおにいちゃんありが────って、やっぱりごえんりょいたします!」
不透明の壁からフェンルの脚が出てきて、すぐに引っ込んだ。
ぬるま湯で流していたフェンルの『レインボー衣』の方は……うむ。だいぶ汚れが取れた。
仕上げに『遮断:土・ホコリ』を設定した盾を通過させれば、お湯で浮き上がった汚れも取れて──よし、きれいになった。
まだ少し湿ってるから、結界内に小さな小部屋を作って、っと。
こっちに『レインボー衣』を干して、『えあこん』の『ドライ』を最大にすれば、10分くらいで乾くだろう。
「すまんな。フェンル、こっちは終わった」
「は、はい。ありがとうございます……ふわぁ」
気持ちよさそうな声が返ってくる。
シャワーが終わったら、フェンルには昼食を持っていってもらうとしよう。
朝作って『結界収納』しておいたものがある。少し温めれば、おいしく食べられるはずだ。
午後の狩りまでは時間がある。警備兵もいることだし、ナターシャのことはフェンルたちに任せて大丈夫だろう。
俺は、これから見回りと情報収集をするつもりだ。
さっき、狩りの途中で乱入してきた『ホーンラビット』のことも気になるから。
「それでフェンルよ。侯爵家の事情はわかったか?」
「はい。メイドさんと少し話ができました」
ふるふる、と、フェンルが水滴を振り払う音がした。
「ナターシャさまが生まれる前に、侯爵家の領地が巨大な魔物に襲われたそうなのです」
「巨大な魔物、か」
まだそんなものが生き残っていたのか……あるいは、この時代に新たに発生したのか。
どちらにしても、迷惑な話だな。
「それを倒すために、侯爵家は本拠地のお城に敵をおびき寄せて、ありったけの魔法をたたきつけたそうです」
「で、魔物は倒したが、本拠地の都には人が住めなくなった、か」
「はい。そのときに都を犠牲にするかどうかで意見が分かれて、そのせいで対処が遅れて、水源が魔物の毒で汚染されてしまったそうです。ただ、作戦の前に住人は全員避難させていたから、犠牲者はいなかったみたいですけど」
なるほどな。
それで『内紛によって領土を失った』という話に繋がるわけか。
「くだらぬな。守るべき者は人によって違う。侯爵家は都や宝物より民を大事にしただけのこと。それを見下す方がどうかしている」
前世の魔人にとっては魔王ちゃんが守るべき対象だったように。
現在の俺にとって、家族と従者が守るべき対象であるように──優先順位の高いものを大切にするのは当然のことだろうが。
「まぁいい。貴族さま同士の争いに興味はない。フェンルはもう少し情報収集を頼む。ルチアとマルグリッドには、俺のことは気にせず仕事にはげむように伝えてくれ」
「『王立図書館』のことについてはどうしますか?」
「そっちは俺が機会を見てなんとかする。今日のメインは『狩りのお供クエスト』だ。同時にふたつのことができるほど器用ではないだろう。ルチアも、マルグリッドも」
「わかりました……あいたっ」
「……どうした?」
壁の向こうから、小さな悲鳴のようなものが聞こえた。
水音は止まっている。フェンルのシャワーは終わったようだ。
「壁に頭でもぶつけたか? もしそうなら、午後は休むといい。『結界』はここに張ったままにしておく。昼食のスープは、お前の分は別の鍋で冷ましてあるからそれを食え。ルチアたちの分は俺が持っていく。あとは──」
「いえいえそんな大げさな話じゃないですブロブロさま! ちょっと、足にトゲが──」
「トゲ?」
「靴に泥が入ったときに紛れ込んでたみたいです。うー。手が濡れてるから取れません……」
「わかった。俺がなんとかする。足だけこっちに出すがいい」
「……え?」
「集中力を欠いていては、午後の仕事にさしつかえるからな。ほら」
「で、でもでも。ブロブロさまにそんなお手間を」
「気にするな」
「いえ、私は従者ですから……その」
「うむ。その従者の仕事をちゃんとこなすために足を出せと言っている。ほら、午後も仕事があるんだから」
「……うぅ」
おずおず、といった感じで、磨りガラス状態の壁を通過して、フェンルの脚が出てくる。
「バランスを崩すと危ない。横になってくれ」
「は、はい」
壁から突き出た脚の位置が下がっていく。
俺は結界内で正座する。この上にフェンルの脚を乗せて『遮断:トゲ』で盾を通過させればいい。5秒で終わる。別に遠慮することなどないのだ。
「よ、よろしくお願いします」
お湯のせいでかすかに上気したフェンルの足は、15歳にしてはかなり小さい。
指は丸っこいし、爪はきれいで透明感が強い。
俺はその足を手に取って膝に──
「ひゃんっ!」
びくん
触れた瞬間、フェンルの脚が震えた。
「こら、あばれるな」
「す、すいません。くすぐったくて……ひゃぅっ!」
フェンルのつま先が、俺のアゴをかすめた。危なっ。
「お前なぁ……」
「ご、ごめんなさい。もうちょっと上の方をさわっていただけますか?」
足の裏や足の甲を触られると、むちゃくちゃくすぐったいらしい。
しょうがないので俺はフェンルの足首を──って、また、びくっ、となる。駄目か。しょうがない。もうちょっとフェンルの脚を引っ張り寄せて、と、臑のあたり──も、駄目。どれだけくすぐったがりなのだ、フェンルは。
こうなったら更に引っ張り寄せて──膝のあたりなら……。
「……はぅ」
フェンルはちょっとため息をついたけど、脚はほとんど動かない。大丈夫だ。
じゃあ、そのまま足首が俺の膝に乗るようにして、と。
「すいませんブロブロさま。ご迷惑をおかけします」
「気にするな。従者の面倒を見るのは、魔人の仕事だ」
「…………こんなのじゃ、私、立派なレディなんかになれませんよね……」
壁の向こうで、フェンルがぽつり、とつぶやくのが聞こえた。
「……無理にそんなものになる必要はないだろう?」
「で、でもでも」
「それに『立派なレディ』といってもいろいろだ。フェンルらしい『立派なレディ』というものもあるはずだ。お前は、そのうちゆっくり見つければいい」
「じゃ、じゃあ……」
壁の向こうでフェンルが、息を吞む気配があった。
意を決したように、お腹に力を入れて、足の指を、ぎゅ、と握りしめる。
「ブロブロさまが考える『フェンル=ガルフェルドらしい立派なレディ』になるには、まずはどうすればいいですか……?」
「……そうだな」
フェンルは賢いし、覚えたことは忘れない。
面倒見もいいし、勉強熱心だ。
このまま(身体的なものは除いて)成長していけば、立派なレディにはなれると思うのだが……。
「強いて言うなら、もうちょっとしっかりして欲しいかな」
「ぐ、具体的には?」
「足の位置をずらしてるうちに、いつの間にかお腹のあたりまで壁のこっちにはみ出してることに、早めに気づくようになって欲しいと思う」
「え…………?」
ふむ。やはり気づいていなかったようだな。
俺はフェンルの足の裏をつかみ、その後足首をつかみ、さらには膝のあたりをつかんでいる。そのせいでフェンルの身体を引っ張るかたちになり、いつの間にかフェンルのお腹のあたりまで、壁のこっち側に来ているのだ。
気づかないのも無理はないのだ。この壁、光を遮断しているだけで、触れた感触とかないからな。
「腹を冷やすのはよくないぞ。こっちへ出てくるなら、まずは身体を拭いてから──」
「──────っ!!」
フェンルの声にならない悲鳴が、結界を震わせた。こっちにはみ出していた身体が、壁の向こうに高速で引っ込む。
トゲは『変幻の盾』で取り除いたから問題なし、と。身体を乾かすなら、洗濯物がある部屋を『えあこん』の『最高温度暖房』にしてやるが? どうする? 俺のいる部屋を挟んで反対側だから、数歩で移動できるぞ?
「きょ、今日はやめておきます」
「そうなのか?」
「は、はい。そういうことは……立派なレディになって……ブロブロさまをどきどきさせられるようになってからにします!!」
「そうか?」
「そうです!」
「わかった、楽しみにしておこう」
「──もぅ」
壁の向こうで、フェンルがため息をついた。
「…………ブロブロさまは本当に『女の子を駄目にする魔人』なんですから」
フェンルは言った。
よくわからんが、人聞きの悪いセリフだった。
「で、では、行ってきます……ブロブロさま!」
フェンルはパンが入った箱を背中にしょって、スープが入った鍋を両手に持ち、俺に向かって頭を下げた。
「うむ。では、俺は情報収集に行ってくるからな」
「ふぁい……」
なんだかふらふらしているな。大丈夫か?
顔が赤いのは熱が……こら、どうして熱を測ろうとしたら後ろに逃げるのだ。え? 大丈夫? いや、でも腹を冷やしたのではないかと心配──だから、鍋を振り上げようとするのはやめい。
跳んで逃げるな。冷ました方のスープが背中の鞄に入っているのだ。こぼしたらどうする。
うむ。それでいい。素直に歩いて行くのだ。
トゲはちゃんと取ったから、大丈夫だろう?
「……思い出させないでください……お願いです……ブロブロさま……」
まだふらついているな、大丈夫か本当に。
……本人が大丈夫だというのだから、任せるしかないか。
過保護は主義ではないからな。
さて、と、俺の方は、まわりに危険な魔物がいないか調べておくか。
さっき乱入してきた『ホーンラビット』と、その前後に聞こえた弓の音も気になる。
ここは散歩がてら、見回りをしておくべきだろう。
俺はフェンルとは逆方向──森の奥の方へと向かった。
「…………伯爵家は実力主義だから」
「…………ニーナさまの執事は、その最先鋒」
「…………がんばって獲物を、ニーナさまのところに」
しばらく歩いていると、木々の向こうから話し声が聞こえてきた。
聞き覚えがある声だ。さっき出会った伯爵令嬢ニーナのお供をしていた、下級貴族のものか。
……気になるな。
俺は気配を消して、様子を探ることにした。
魔人さん、偵察と情報収集に向かいます。そこで見たものとは……。
いつも『魔人さん』を読んでいただき、ありがとうございます。
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