第4話「転生魔人の、盾と結界無双」
その夜。
裏山に潜んでいた小魔は、活動を開始した。
小魔──インプとも呼ばれる。は虫類の体に、コウモリの羽根をはやした魔物だ。頭にはねじくれた角が生えている。肉食で、特に若い人間を好んで喰らうと言われる。
そのインプは、群れからはぐれた個体だった。
戦地へ向かう仲間とは異なり、村や町のそばで獲物を探すことにしたのだ。
そして今、インプは山から村を見下ろしていた。
小さな村だ。魔物除けの結界は張ってあるようだが、弱い。柵も低い。自分ならば簡単に乗り越えられるだろう。それに、においがする。村はずれにある古ぼけた建物だ。そこから、幼く、生きの良い人間の気配を感じる。
インプはよだれを垂らしながら、歩き始める。
もうすぐ。もうすぐだ。
群れからはぐれたインプは食事にありつくことが出来──
ごすっ
『ぐがらばっ!』
不意に真横から飛んできた盾に吹き飛ばされ、インプは地面に転がった。
身体を丸めて、木の根元で起き上がる。
インプは見た。
うっそうと生えた木の間に立っている人影を。
「甘いな、ノエル姉ちゃん。前世の記憶を取り戻した俺を、ゆびきりなどで縛れるはずがあるまい」
インプは聞いた。
その者が口にした、地の底から響くような言葉を。
「それに、我が育った場所をインプごときに食い荒らされるのを看過できるはずがなかろう! さぁ来いよ、インプ! 魔王の眷属が遊んでやる!!」
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……もうちょっと身長が伸びないと迫力は出ないか。
しゅる。がしっ。
戻ってきた『変幻の盾』をつかんで、俺は木陰から出た。
この距離まで近づいても気づかないとは (魔人基準では)ザコだな。同じ魔人仲間の『獣の魔人』だったら、同じ裏山にいるだけで気がつくぞ。
400年が経ったとはいえ、魔物のレベルも落ちたものだな。嘆かわしい。
孤児院を出た俺は、当然、裏山に潜んでいた。
魔人たる俺が「孤児院は大丈夫かな……」なんて気にしながら旅をするわけにはいかないからな。スローライフとは、心おきなく楽しむものだ。
「さて、と。どうする?」
『……ナニ、ヲ』
「俺の古巣を荒らそうとした罰を与える。すいません許してください。生まれてきてごめんなさい。といって土下座するなら楽に殺してやる。抵抗するなら一番苦しいやり方で殺してやる。慈悲だ。選べよ」
『グガ、ガ』
インプはかぎ爪のついた手を、こっちに向けた。
なるほど。後の方がいいらしい。
『フザケルナ……ニンゲン!』
そっか。俺が人間に見えるのか。
ってことは、ノエル姉たちもまだ正体には気づいてないな。
なんとなく知られるってのは面白くないからな。
ノエル姉とチビどもにはもっとドラマティックに俺の正体を知ってもらおう。うんうん。
「で、答えは?」
『グガ……ガガッガ』
「ったく。まともに言葉もしゃべれねぇのか。魔物としても下の下だ。もういい。さっさと自害しろ。見ててやる」
『グアアアアアアアアアっ!!』
インプが地面を蹴った。
同時に、翼を一気にはばたかせて、一直線にこっちに向かってくる。
「属性変更『変幻の盾』。遮断:魔物! 限定:インプ!」
がいいんんっ!
盾はあっさりと、インプの突進を受け止めた。
同時に、触れた相手のステータスを表示してくれる。
「はぐれインプ
レベル:15
攻撃スキル:突進。爪。
攻撃力:35から40」
意外と強いな。村の衛兵のレベルが10前後だから、集団でかからないと危険なレベルだ。
だけどこの『変幻の盾』は破れない。
この盾は、遮断する相手を限定すればするほど防御力が上がるようになってる。
今は魔物だけ──しかもインプ限定で防ぐようになってるから、レベ15程度ではびくともしないはずだ。
『キサマ……ナンダ。キサマハ……ナンダ!!』
「ザコに教える義理はない。──通過:剣!」
ざくん
内側から『盾』を通過した俺のショートソードが、インプの喉に突き刺さった。
『グガアアアアアアっ!』
うん。意外と便利だ。
当たり前だけど、盾はインプだけを防ぐように設定してある。剣は普通に通り抜ける。
盾の内側から攻撃できるってのはいいよな。安全って大事だからな。
「結界を展開──」
俺はもうひとつのスキルを発動する。
スローライフには欠かせない『結界作成』スキルだ。
俺を中心にした、半径十数メートルの結界を作り出すことができる。防御力は『変幻の盾』より低いが、もともとこっちは居住用だ。結界の周囲に半透明の壁を作り、敵や物体の出入りを防ぐことができる。
『変幻の盾』が小さい盾なら、これは「大きな盾」ってところか。
今、使えるスキルはこの2つだけ。
魔人をやってたころは『遮断』『反射』の盾を8個くらい展開してたけど、人の身ではこれが限界だ。しょうがないよな。魔力容量が違うからな。
「よいしょ、っと」
俺は自分のまわりに結界を張って──自分だけその外にでた。
『──チョ!?』
「結界に指示。遮断:魔物。サイズ縮小:最小に」
インプだけを包み込んだ半球体の結界が、縮んでいく。
ぎりぎりインプが身体をまるめて入れるくらいの大きさに。
『チョットマテエエエエエエエエっ!!』
「結界に再度指示。遮断:大気と魔力、および魔物!」
俺は結界の遮断設定を変更する。
これで、終わりだ。
『グオオオオッ! ギザマ! コンナ──ヤブッテヤル! ヤブッテヤルゾオオオオ!!』
がこん
インプが結界内で暴れてる。
だけど、これは俺がスローライフを送るため、魔人の身と引き替えに手に入れた結界スキルだ。そう簡単には破れない。それに──
「暴れると早く死ぬぞ」
『ガ……ガガ』
インプが喉を押さえてうめきだす。
結界は大気と魔力をさえぎってる。インプといえども呼吸はする。それに、こいつら魔物は、大気中の魔力を吸収して生きている。それが完全に遮断された状態では、長くは保たない。
「なにか言い残すことはあるか? はぐれインプ」
『……ケッカイ……ショウヘキ……マサカ……アナタハ……アノ』
おや?
俺のことを知ってるのか? 意外だな。
『アノ、キュウニンノマジンノヒトリ……アノ』
「うんうん」
『…………アノ…………アノ…………』
「おい」
『…………ホラ……ナンダッケ……アンマリカツヤクシナカッタ…………アノ…………マジン……ボウギョセンモンノ…………ヤクタタズノギャ────ッ!』
遮断:大気と魔力と魔物。
剣は通過する。
俺は結界の上から、はぐれインプを串刺しにした。
『……モットモ……マイナー…………ショウヘキノ……マジン』
「いいから死ね」
とどめ。
俺はインプの心臓に、ショートソードを突き立てた。
はぐれインプは、いきたえた。
しばらくするとインプの死体から、虹色の結晶体が浮かび上がった。
魔力結晶だ。
この世界の魔物たちは、心臓の他に、魔力の結晶体を身体に宿している。
冒険者たちはその結晶体や魔物からはぎとった素材を、ギルドや店に持って行って金にするのだ。
当然、インプを倒したのは俺だから、この結晶体の所有権も俺にある。
結晶体のまわりには銀貨がちらばってる。インプは光り物が好きだから、これまで拾ったり、人を襲ったりして集めたのだろう。こういうのは魔物を倒した奴がもらっていいことになっている。持ち主は探しようがないし、魔物を倒して、結果的に人を守った報酬として。
だから、これはもらってかまわない…………。
…………かまわない……が。
魔王ちゃんに仕えた魔人の一人『ブロゥシャルト』ともあろう者が、こんなつまらない魔物が落とした小銭を持ち歩くというのは、どうだろうな。
覚醒して最初の相手がこいつで、この金を路銀にするというのは……あまりに情けなくないか? 魔人の旅立ちなのだから、もっと派手な魔物が相手であるべきだ。
しょうがねぇな。この小銭は、どっかに捨てていこう。
……どっか適当なところはねぇかな。
山を下りてぶらぶらと歩いていた俺は、偶然、孤児院を見つけた。
おっと、いつの間にか古巣にたどりついてしまったようだ。
……いまさら他の家を探すのは面倒だし、銀貨はここに捨てて行くか。玄関に……いや、待てよ。毎朝近所のおばさんが挨拶に来ていたな……おばさんが銀貨を持って行くとは思えないが、ご近所トラブルになるのは面倒だ。
ここは孤児院の裏にまわって──って、なんで窓が開いてるんだよ!?
……信じられねぇ。チビたち、ノエル姉の話を聞かなかったのか? 裏山に魔物が出たって言っただろう?
あとで閉めといてやろう。まったく、自分の家とはいえ、一度は旅立った身だぞ。なんでこんな手間を……。
……あーあ、ダニエル。お前は俺がいなくなったら最年長だろうが!? なんで毛布を蹴っ飛ばして寝てるんだよ! カティアも! なんで2人分の枕を占領してるんだよ。だいたい、片方の枕は俺のじゃねぇか。ミリエラと奪い合ってるんじゃねぇ!
ミリエラも「クロ兄ちゃんのお嫁さんになる」って──そういう寝言は腹を出して眠るくせを直してからにしろ。魔人の転生体がキサマのような寝相の悪いやつを相手にすると思うか? ノエル姉の言うこと聞いて、ちゃんとした淑女になったら考えてやるけどさ。
なんで寝室の窓が開いてるかってのは……暑いからか。
そりゃ、そんな固まって寝てたら暑いに決まってるだろ?
なんでチビたち、4人そろって俺が使ってたベッドで寝てるんだよ。1番古いベッドだぞ?
そんなに欲しかったのなら、俺がいる時に言えばよかったのに……ったく。
人間ってのは、ほんっと理解不能な生き物だな。
ほら、銀貨は窓の下に置いたぞ。風邪引くと悪いから、窓は閉めていくからな。銀貨はちゃんとノエル姉ちゃんに渡せよ?
……くくく。
目が覚めたとき、わけがわからない銀貨の存在に、お前たちは驚くことだろう。だが、それは混沌のはじまりにしか過ぎぬのだ。兄貴分が魔人であったことを、お前たちもいずれは知るだろう。そのとき、どんな顔をするか楽しみだ。
だからそれまで、身体に気をつけて、好き嫌いするなよ。無事に大きくなれよ。わかったか?
……よし。うなずいた気がするから、よし。
じゃあ最後だからちょっとだけ面倒を見てやろう。窓の隙間からショートソードの鞘を差し込んで──くるんっ
ぱさっ
鞘にひっかけた毛布は空中で一回転して、ふわりと落ちて、チビたちの身体をおおった。
ふっ、魔人ともなればこんなのはたやすいことだ。俺が今まで何百回、お前たちの毛布をかけ直したと思う? いちいち起きて直すのがめんどくさくなったから、こんなふうにできるように練習してたのだ。ふふふ。
……さて、と。
ノエル姉は……隣の部屋の灯りが消えてるってことは、もう寝てるのか。ならばよし。インプを倒したのが俺であることは、気づかないだろうし思いもよらないだろう。
では、俺は行くとしようか。混沌なるスローライフの世界へ。
おっと、その前に村の、魔物避け結界を調整しておこう。誰だ。こんな雑な結界を張ったやつ。護符の術式も適当じゃねえか。
……確か魔人時代に、勇者が使ってた魔物避け結界を見たことがあったな。あれをアレンジするか。魔人や魔王レベルには通じないが、たいていの魔物は近づけなくなるはずだ。
動力は……なんだよ。魔力結晶がボロボロじゃねぇか。しょうがねぇな。魔力結晶をインプから取ったやつに変えておけばいいか……よし。これで大丈夫だ。
「ふふふ……人間どもよ、これで安らかに眠るがいい。だが、油断するでないぞ。魔人が復活したのだからな」
最後に、結界の動作を確認して--
そうして、魔人たる俺は、魔王城の遺産をだらだら探す旅に出たのだった。
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翌朝。
「ノエル姉! 起きて! 見てみて、これ!」
「…………ん」
いけない。日記を書いてたら、そのまま眠っちゃったみたい。
孤児院の管理人、ノエル=フォルテは、子どもたちに揺り起こされて目を開けた。
「……ダニエル? カティア……ミリエラ、トーマ……どうしたの?」
「目が覚めたら、窓のとこにこれがあったんだよ!」
そう言ってダニエルが差し出したのは、数十枚の銀貨だった。
「……これは?」
「だからぁ、起きたら窓の下にあったんだってば!」
「それに、さっきから村の人たちが騒いでるの。裏山でインプの死体を見つけたんだって。それと、村の魔物除け結界がすごく強化されてるって!」
ダニエルの言葉を、カティアが受け継いだ。
ミリエラとトーマは、枕を抱きしめてうなずいてる。
──裏山の魔物を誰かが倒して、村の結界を強化してくれた。
──銀貨はたぶん、魔物が持っていたもの。それを私たちにくれたのは……。
ぽろん
ノエルの目から、涙がこぼれた。
「ど、どうしたのノエル姉ちゃん!」
「な、なんでもないの。なんでもないの……」
──ばか。クロちゃんのばか。無茶しないでって言ったのに……。
もちろん、駆け出しの冒険者ひとりでインプを倒すなんて無理だ。でも、クロノならできる。ノエルはそれをよく知っている。
ノエルとクロノがもっと、小さかったころ──
裏山で『さつじんイボイノシシ』に襲われたことがあった。ノエルの背中の傷は、そのときのものだ。背中から血を流して倒れたノエルと魔物の間に、クロノが立ちはだかったのだ。そのときのクロノは、いつもとは違う雰囲気だった。彼は『見えないなにか』を振りかざし『さつじんイボイノシシ』を追い払ってくれたのだ。
おそらくあれは、目覚める前のスキルが一時的に発動したのだろう。
だが、それがなければノエルは死んでいた。
ノエルにとってクロノはずっと前から、あこがれのヒーローだったのだ。
──すごいよ。クロちゃんは……やっぱり私のヒーローだよ。
その力がなんなのか、ノエルは知らない。そんなことはどうでもいい。
クロノが何者でも、ノエルは受け入れるだろう。クロちゃんは家族で──ノエルにとっては一番大切なひとなのだから。
──でも、このことは私とクロちゃんだけの秘密。
──ふたりだけの秘密だよ。クロちゃん。
「きっと魔物を倒したのはクロ兄だぜ。僕、クロ兄が変な力を使うの見たことあるもん!」
「あたしも! クロ兄ちゃんが手の届かないところにある木の実を落としたの見た!」
──でも、ちょっと隙がありすぎるんじゃないかなクロちゃん!?
どうもクロノは、気づかずに覚醒前のスキルを使ってたらしい。
ノエルは心配になる。
大丈夫かな。クロちゃんを、みんなが疑ったりしないかな。
気をつけてね、クロちゃん。
ノエルお姉ちゃんは、この世界で一番、クロちゃんのことを想っているんだから──
「わたし、おっきくなったらクロにーちゃんのおよめさんになるー!」
「ちょっと向こうで話そうか、ミリエラ」
「──ひいっ!」
あらあら、どうしたのかな、ミリエラ。
お姉ちゃんはクロちゃんのお話がしたいだけなのに、どうしてそんなに震えてるの?
「だめだぞ、ノエルねーちゃん! 俺だってクロ兄の話がしたいんだからな!」
「カティアも仲間に入れて、いれてー!」
しょうがないなぁ。
「じゃあ、クロちゃんが帰ってきたときのために、みんなで手紙を書こうか。そしたら、みんながどんなにクロちゃんに会いたかったか、わかってもらえるでしょ?」
「「「「さんせー」」」」
「ミリエラとカティアは文字を書く練習からねー」
こうしてジルフェ村のフォルテ孤児院の朝ははじまる。
いつもより、少しだけ勉強熱心になった子供たちを眺めながら、ノエルは思う。
──いつ戻ってきても大丈夫だからね、クロちゃん。
クロノがなにものであっても、ノエルもみんなも変わらない。
というか、何者であっても大丈夫なように、ちゃんと教育しておかなきゃ。クロちゃんがもしかしたらすごいひとだったときに、みんなが手助けできるように。
そう決意しながら、自分だけやたらと長い手紙を書き始める、ノエルなのだった。
今度こそ魔人さんは旅立ちます。そして、最初のスローライフ実験は……
次回、第5話は明日の同じ時間に更新します。