第39話「魔人さんとはじめる『かいてきハンティング』(サポートつき)」
貴族が12歳になると行う狩りには『弓』と『剣』と『魔法』が使われる。
弓で遠くの獲物を射て、お供が追い込んだ獲物を剣で刺し、ふたたび遠くの獲物を魔法で射る。
それで最低限必要な戦闘技能をすべて備えていることを示すのが、儀式の狙いだ。
けれど、得意不得意はあるわけで──
「……私、弓は苦手なのですよね……」
ナターシャは子供用の弓を、力いっぱい引き絞った。
桜色の髪は、動きの邪魔にならないように結んである。鎧のせいで身体が重い。けど、脱ぐわけにはいかない。これはあくまでも、儀式だから。
ナターシャの隣では、メイドの少女が手に汗握っている。
斜め後ろではお供の少女──フェンル、ルチア、マルグリッドが、真剣な表情で見守ってくれている。その後ろにはパーティリーダーの少年、クロノがいるはずだが、ナターシャからは姿が見えない。彼も応援してくれているのだろう。
理由はわからないけれど、そんな気がした。
(……集中しないと)
そう考えてることが、集中できてない証拠。
そんな話を聞いたことがある──と、思い出して、ナターシャは首を振る。それも雑念だと振り払う。
自信がないのは性格と、侯爵家が他の貴族から見下されてきたから。外したらまたなにか言われる──そんな思いがナターシャの手を震わせる。
「……当たりますよ」
(……え?)
後ろで、誰かが言ったような気がした。
…………また聞こえた「絶対に当たる」って。
誰の声かはわからないけど、聞いてると、本当に大丈夫なような気がしてくる。
「……いきます」
ナターシャは覚悟を決めて、草原の先に視線を定めた。
遠くに──彼女の弓の射程ぎりぎりのところに、四本足の獣がいる。
赤い皮膚に白い縞模様がついた『シロアカマダラジカ』(鹿の一種)だ。
獣としては小さな方だから、ナターシャの弓でも倒せるはず。
(……当てないと。侯爵家の一員として、これくらいできないと……!)
ひゅん
震える手で、ナターシャは矢を放った。
放った瞬間、駄目だ、と思った。
勢いよく飛んだ矢は、右の方に逸れていく。『シロアカマダラジカ』からは数メートル離れている。駄目だ。みんながせっかく応援してくれたのに。「当たる」って言ってくれたのに……。
ナターシャが目に涙を浮かべかけたとき──
すぱーんっ!!
さくっ
まるで見えない手で殴られたように──いきなり真横へ跳んだ『シロアカマダラジカ』の胴体に、ナターシャの矢が突き刺さった。
「「「おみごとっ!!」」」
「え? え? え?」
いえ、今なにかあからさまに変なことがありましたよね? 『シロアカマダラジカ』不自然な動きしましたよね? 真横に飛びましたよね? まるで、横からなぐられたみたいでしたよね?
「ナターシャさま、シカの動きを読まれたのね?」
「シカが真横に飛ぶことを予想して、矢を放ったのですか。すごいです」
「なかなかできることじゃないです!」
ぱちぱちぱちぱちぱちっ!!
満面の笑顔で拍手してくれるルチアと、マルグリッドとフェンル。
え? いいのこれで。
「……あ、ありがとうございます。みなさん」
ナターシャは素直にお辞儀を返した。
横一列になったフェンルとルチアとマルグリッドが、後ろにいるクロノさんの手元を隠してるのが気になったけど。クロノさんがなにかを受け止めたような動きをしてるのも気になるけど。
「ナターシャさまは、存分に狩りを楽しまれるといいのね」
3人を代表して、小さなルチアがローブの裾をつまんで、言った。
「後ろはルチアたちがお守りするのね。そのために、ルチアたちはここにいるの」
「はいっ」
気を取り直して、ナターシャは弓を構えた。
最初の矢が当たったことで、少しだけ自信がついたような気がした。
誰が助けてくれたのか、どうやったのかはわからないけど……でも、今はそれでいい。
護衛の兵士たちが、次の獲物を追い込んでくれている。
今度はうまく行くような気がする。この不思議な冒険者さんがいるだけで、集中して狩りができそう。
「次も──いえ、次は当てます。見ていてください、みなさん」
ナターシャは深呼吸して、2匹目の獲物に狙いを定めるのだった。
────────
「すごいな。2本目は命中か」
なかなかやるな、侯爵令嬢ナターシャ=ライリンガ。
1本目の矢は手元が狂ったようだが、2本目は姿勢・集中ともに完璧だった。やっぱり貴族はすごいな。これほどの少女なら、ルチアとマルグリッドの就職先にふさわしいかもしれない。
……まぁ、1本目を外しかけたときは、うっかり手を出してしまったのだが。
あの時『アカシロマダラジカ』の横っ面をひっぱたいた『変幻の盾』は透明のまま、俺の背中に隠してある。
あの場合は仕方がないよな。
今回の狩りは、魔人の従者の初仕事だ。その最初の矢が外れるなど縁起が悪すぎる。だから、どんな手を使ってでも、まずは当てる。話はそれからだ。もちろん、俺が手を出したのは内緒だ。うん。内緒。
幸い、誰も気づいていないようだし。
「あ、当たりました!」
侯爵令嬢ナターシャが歓声を上げた。
2本目の矢は、別の『アカシロマダラジカ』の後ろ足を射貫いている。急所ではないが、これは儀式だからな。当たればいいらしい。よかった。手を出さなくて。透明にしてた『変幻の盾』は通常状態に戻して、さりげなく背中に担いで、と。
草原の方では、ナターシャが儀式に則り、両手で弓を捧げ持っている。フェンルたちは拍手しながら、彼女のまわりを回っている。びちゃびちゃと音がするのは、地面が少しぬかるんでいるからか。
この草原は足元がよくないな。昨日、雨でも降ったのだろうか。
「クロノさま。弓の儀式は終わりで、これから移動するそうです」
報告のためフェンルが、俺のところに戻ってくる。
余計なことかもしれないが、俺はこっそりフェンルたちに、足元に注意するように告げる。せっかく装備を新調したのだ。汚してもつまらない。それに侯爵令嬢さんが転びそうになったときは、お供の3人が支えてやらなければいけないから。
そう言うと──聞こえていたのか、侯爵令嬢ナターシャが、俺に向かって頭を下げた。
……お辞儀など必要ないのだが……俺はただの付き添いなんだから……。
「ごていねいに、ありがとうございます」
しょうがないので俺もお辞儀を返す。
律儀な貴族もいたものだな。まったく。
俺はあくまでフェンルたちの付き添いだ。侯爵令嬢には義理もなにもない。侯爵さまとつきあう気もない。だから接触は最小限にしておきたい。
なのにどうして侯爵令嬢は、ちらちらこっちを見ているのだろうな。
それにしてもきれいな少女だ。まだ幼いが、将来は貴婦人になるのだろうな。
侯爵令嬢ナターシャの身長は、フェンルより少し低いくらい。桜色の髪をリボンで結んで、銅色のブレストプレートにマントを着けている。少しふらついてるのは、防具が重いからだろう。
足元に注意しろといったのはそのせいだ。別に貴族さまのためじゃない。従者たちの初仕事がだいなしになったら困るからだけどな。
「クロノ=プロトコルさま」
ナターシャは、青色の目で俺を見ていた。
「応援してくださって、ありがとうございました」
「いえいえ、どうも」
俺は曖昧な答えを返す。
耳のいい少女だ。俺がさっき「当たる」と言ったのを聞いていたらしい。
……やはり、貴族には隙を見せるべきではないな。
というわけだからフェンル、俺の代わりに聞いてくれ。侯爵令嬢さんに嫌いな食べ物はあるかどうかを。
いや……だから、俺がお前の耳にささやいてすぐに聞きに言ったら、俺が聞いてるのがまるわかりだろう? 貴族がただの付き添いの者の問いに答えるわけが……え? 「酸っぱい果物が苦手」ですかそうですか。ありがとうございます。
「ナターシャさまー。フェンルさまも、こちらへどうぞー!」
次の狩りの準備が整ったようだ。護衛の兵士たちが手を振っている。
「それではナターシャさま、また後ほど。どうかお気をつけて」
俺は侯爵令嬢ナターシャに、もう一度礼をした。
ナターシャはフェンルを手招きしながら、護衛の兵士がいる方へ歩き出す。
次は『剣』の儀式だったか。
それではフェンルよ、気を引き締めて行きなさい。
さっきも言ったが、足元が滑りやすいから注意するように。
それと『盾』の使い方はわかるな? 奴と話はついている。能力を使いたい時は、魔力を込めればいいからな。使い方に気をつけろよ。お昼には熱々のスープを用意して──わかっている。お前の分は、ちゃんと冷ましておいてやるから。
よし、行ってこい。
俺はなにがあっても手を出したりしないからな。盾に『遮断:魔物』は設定しているが、気分を出すためだからな。魔人は従者の仕事を取ったりしないのだから。
俺は『変幻の盾』を握りしめて、フェンルたちの背中を見送った。
…………侯爵令嬢さんとフェンル、マルグリッド、フェンルはまた、草原の方に行ったようだ。
護衛の兵士もいるから大丈夫だとは思うが……思うが…………。
俺ももうちょっと前に出た方がいいかな。『盾』の射程があるからな。あと数歩。もう、十歩。うん。このくらいだろう。
「さて、と。俺は……どうするかな」
狩りの儀式は再開している。護衛の兵士たちが声をあげて、獲物を追い立てはじめてる。
統制がとれた動きは、さすが侯爵家の兵士たち、というところか。メイドはナターシャの邪魔をしないように、適度な距離で、かつ、いつでも守りに入れるような場所にいる。
貴族の兵士たちとつきあいはないが、こいつら、かなりレベルが高いのではないか? なのに、どうしてあの伯爵令嬢とやらは、ナターシャたちを見下していたのだろうな。
ルチアとマルグリッドの就職にも関わることだ。あとで調べておこう。
とりあえず今、俺がするべきことは…………。
…………ないな。
しょうがない、お昼ご飯の支度でもはじめるか。
貴族のものと比べても見劣りしないごはんか……意外と難しいな。
魔人さん、従者さんたちの狩りを見守ります。本当です。たぶん。
いつも『魔人さん』を読んでいただき、ありがとうございます。
もしもこのお話を気に入ってくださったら、ブックマークしていただけたらうれしいです。




