第37話「従者たちの勉強と『しょうらいのゆめ』。そして味に敏感な少女」
──クロノがダンジョン探索に出かけた翌日。宿屋で──
「げ、げんかいです……」
ぱったり。
フェンルは部屋に置かれた、おんぼろテーブルにつっぷした。
頭の中がぐらぐらしていた。
これ以上続けたら倒れてしまうんじゃないかって思うくらい。
「フェンルねえさまったら、だらしないのね」
ルチアの小さな手が、フェンルの背中をさすってくれる。
「……うぅ」
フェンルは頭を振って起き上がった。
自分はルチアのお姉さんなのだ。ここでぶざまな姿をさらすわけにもいかない。
「でも、貴族の礼儀作法って、どうしてこんなに面倒なんですか? どうしてお辞儀だけでも5種類もあるんですかぁ……!」
「そういうものなのね」
こともなげに言うルチア。
ルチアは商家の跡取りとして育てられた。
だから彼女は、冒険者ギルドから借りてきた『貴族さまのクエストを受けるときマニュアル』もちゃんと理解している。そもそも文字を読むのが速い。
(でも、私はそうじゃないんですよね……)
フェンルは『術の魔人ガルフェルド』に作られた種族の末裔で、小さいころから両親もなく、姉と一緒にさまよっていた。儀式の知識なんかないし、文字を読むのだって苦手だ。お姉さんなのに、こういうとき遅れを取ってしまう。
「……今度、ちゃんとブロブロさまに文字を教えていただかないと……」
フェンルは気合いを入れ直し『おんぼろテーブル』に置いたマニュアルに視線を戻した。
ルチアはマニュアルを眺めながらうなずいている。
そしてマルグリッドは──
「……貴族の方と出会ったら、ここでお辞儀。名乗るときは下の名前も含めて。パーティ名もちゃんと付け加えること。天気の話を混ぜると好印象。立ち上がるときは右足から──」
部屋の隅で立ったり座ったりお辞儀をしたり。
動きやすいように下着姿で、マニュアルに書かれた動きを復習していた。
「すごく熱心ですね、マルグリッドさん」
「あ、はい。フェンルさま」
フェンルが声をかけると、マルグリッドは照れたようにほっぺたを押さえた。
なぜか目をうるませて、窓の方に視線を向ける。
「……クロノ兄さまが私たちのために見つけてくださったお仕事ですから」
「……そうね。お兄様の期待に応えるのは、ルチアたちの義務なのね」
ルチアも拳を握りしめて宣言する。
いいなぁ、と、フェンルは思う。2人ともやる気になっている。それは目指すものがあるからだろう。ルチアもマルグリッドも、クロノさまの意図に気づいているんだ。
「ふたりとも、正義の勇者になりたいんですもんね……」
「「え?」」
「え?」
「「…………あ、はい。悪の教団を潰す勇者。なりたいなりたい。はい。そうでした」」
あの、ちょっと。
思わずツッコミを入れかけたフェンルに向かって、ルチアは、こほん、とせきばらい。
「そ、そうなの。正義の勇者はルチアたちの目標なのね」
「ですよね」
「で、でもね。それはかなり先のお話だから、今はお兄様にいただいたクエストを、ひとつひとつこなしていくことこそ、大切だと思うのよ」
ルチアは真剣な表情で言った。
「それに、ルチアはすべてをかけて、お兄様へのご恩返しをしなきゃいけないと思うのね。それを済ませた後じゃないと、勇者なんて名乗れないと。恩返し大事。とても大事」
「……しっかりしてるんですね」
ちっちゃいのに。フェンルより年下なのに。
(クロノさま。ルチアちゃんもマルグリッドちゃんも、しっかり将来のことを考えてるようです)
(……私もがんばらないと)
(2人とも、すぐにおっきくなっちゃうから、追い越されないようにしないと)
まじめにがんばるルチアとマルグリッドの姿に、フェンルはそんなことを考えてしまう。
「……そ、それに……それに、ですね」
ふと気づくと、真っ赤になったマルグリッドが、フェンルを見ていた。
「私たちが学んでいるのは、貴族の礼儀作法ですよね?」
「あ、はい。そうですね」
「位の高い貴婦人の方々も、同じ礼儀作法を学んでいるんですよね?」
「はい。たぶんそうだと思います」
「そ、それで、ですね……」
マルグリッドは恥ずかしそうに顔を押さえて──
「クロノ兄さまは『立派なレディ』がお好きだとおっしゃっていましたので……」
「……」「……」
宿屋の部屋に、沈黙が落ちた。
自分が特大の爆弾を投げ込んだことに気づかないマルグリッドは、黙り込んだフェンルとルチアを、きょとん、とした顔で眺めている。ルチアはマニュアルに描かれた貴婦人の挿絵を見てから、自分の胸をぺたぺた押さえて、はぁ、と、ため息。
そしてフェンルは──
「つまさきのかくどは30ど、めのまえにいるかたにしせんをむけるときはちょくせつめをあわせず、えりもとをみるように。おじぎをするときはひざをかるくおりまげて、すかーとのすそをゆびさきでつまんでぶそうしているときはりゃりゃりゃりゃくしきで、りゃくしきのさいはけんをならしてさらにぶそうかいじょのてじゅんはあくまでもゆうがゆうがゆうがゆうがに…………」
「フェンルねぇさま! 鼻血、鼻血が出てるのね!!」
「無理をしないでくださいお姉様! このままでは死んでしまいます!!」
脳をフル回転させて勉強をはじめたフェンルに、2人の妹分がしがみつく。
そのまま一気にマニュアル数ページを読み切ったフェンルは、ふらり、と、身体を揺らして……ルチアとマルグリッドを巻き込みながら、部屋の床に倒れこんだのだった。
こんこん。
しばらくして、部屋にノックの音がした。
「失礼します。アルダムラ商会のカイエと申します。クロノ=プロトコルさまはいらっしゃいますか……って、殺人事件!?」
血に染まった床を見て、商会から派遣された少女は悲鳴を上げた。
「……びっくりしました」
アルダムラ商会のカイエは、フェンルたちの説明に胸をなでおろした。
鼻血の原因は、教えてもらえなかったけれど。
「それで、どのようなご用件ですか?」
顔を洗ったばかりのフェンルが訊ねる。
「はい。今回のクエストについて、冒険者ギルドから資料の提供を頼まれまして」
「資料の提供?」
「クエストの依頼者である、ライリンガ侯爵家の情報です」
カイエはそう言って、羊皮紙をフェンルに手渡した。
一応、口頭でも伝えるように言われていたのだろう。なにかを思い出すように、口の中でつぶやいてから、彼女は言う。
「ライリンガ侯爵家は、身内での争いによって没落しかけてるそうです。それで、他の貴族から見下されているところがあるとか。今回、冒険者を狩りの付き人にしたのもそのせいで、本当は貴族さまの狩りは、他の貴族を招待したりするものだそうです」
「……そうなんですか?」
「そうなんです」
「貴族さんも大変なんですね……」
「はい。それで、貴族さまというのはプライドの塊みたいなところがありますから、位は高いけれど弱い貴族というのは、いじられやすいのです。ですから、今回のクエストが行われる狩り場にも、他の貴族が狩りの予定を入れている可能性があります。気をつけてください……というのが、『アルダムラ商会』のメアリさまからのご伝言です」
言い終えて安心したのか、カイエは、はぁ、とため息をついた。
それから背筋を、ぴん、と伸ばして。
「クロノ=プロトコルさまが戻られたら、その旨、どうぞお伝えください」
「いや、もう戻ってるから必要ないかと」
突然、後ろから声をかけられて、カイエが飛び上がる。
おそるおそる振り返ると、廊下に、黒髪の少年が立っていた。
(……あれ?)
カイエは首をかしげた。
(初めて会ったはずなのに……どこかで会っているような……?)
違和感の正体に気づかないまま、カイエは黒髪の少年クロノと向き合った。
────────────────
素材回収はあっさり終わった。というか、めんどくさくなった。
当初の予定とは違うが、必要なものは全部採ってきたから、それでいいか。
ダンジョン(第1階層の隠し部屋)で風呂に入って一泊して、宿についたのは昼前。
部屋に戻ろうと思ったら、どこかで見たことのある少女が、廊下に立っていたというわけだ。
「『アルダムラ商会』のカイエさん、ですね」
初心者冒険者の口調で、俺は言った。
「お疲れ様です。『ライリンガ侯爵家』の情報も確認しました。ありがとうございます」
「い、いえ。誰であれ、若い冒険者を援助するのは『アルダムラ商会』のモットーですから」
少女カイエは言った。
なんだろう。不思議と、探るような目でこっちを見ている。
まさか……俺が魔人だということに気づいて……いや、それはないか。ダンジョンでの戦闘を見る限り、彼女は完全に初心者冒険者だ。それで俺の正体を見破るというのはありえない。となると……わからぬな。
よし。ここは美味いものを食べさせてごまかすとしよう。
「ちょうどお昼時です」
「はい?」
「お腹が空く時間です。よかったら、これをどうぞ」
俺は革袋から、作りたてのパンを取り出した。
ダンジョンに行く前に用意しておいたパン種を焼いたものだ。『収納結界』に入れといて、ダンジョンを出てから発酵させて焼き上げた。宿では火が使えないからな。外で結界をかまど代わりにしてみたのだ。
パンを焼くのははじめてだから、美味くできたかどうかはわからない。
木の実とハチミツをたっぷり練り込んであるのは、失敗したときに味をごまかすためだ。
俺は『障壁の魔人』であって『パン焼き魔人』ではないからな。出来がいまいちなのは仕方あるまい。
「……美味しそう」
少女カイエは、目を輝かせてパンを見ている。
「え、えっと。いただいてもいいんですか?」
「どうぞ」
「いただきます……」
少女カイエは焼きたてのパンを一口かじり、そして──
「…………ハチミツと……オニグルミ……ミルクも……これって!? この味は!?」
「お口に合いませんでしたか?」
俺が聞くと、少女はぶんぶんぶんっ、って首を横に振った。
美味かったらしい。
では……どうしてそんな驚いた顔をしているのだ? パンではなく、俺の顔を見つめているのは何故だ? いつものおやつと味付けはそんなに変えていないから、幼女の口にも合うと思うのだが。ダンジョンで……商会の……あのときの……と、呆然とつぶやいているな。商会と俺のおやつに縁はないと思うのだが……。
いや……待てよ。
もしかしたら『アルダムラ商会』では、仕事中のおやつは禁止なのか?
だとしたら、少女がびっくりした顔をしているのもわかる。彼女は商会の『育成枠』だ。商会のルールを破ったことがバレたら、クビになってしまうかもしれない……まずいな。
「…………内緒にしてください」
俺は「しーっ」とするように唇に指を当て、言った。
「このことを、俺は誰にも言いません。あなたも、俺がおやつをあげたことは、誰にも言わないでください」
「え?」
「本当のことがバレたら、面倒なことになりますから」
「……はいっ!」
少女カイエはきっぱりとうなずいた。よし。
「大丈夫です。この命をかけて、秘密を守ることをお約束します」
「……いや、そんな大げさな話ではないのだけど」
「……私、実家が町の食堂をやってるんです。料理の手伝いをしてきたせいもあって、味を覚えるのは得意なんです。一度食べたものの味は忘れません。そして、ご恩を忘れることはありえません!」
「忘れてもいいよ一食分だから」
「……この味は、私の命を救ってくれた……思い出の味ですから」
「商会ってそんなに貧乏なの? 今日の昼飯も出ないの?」
「どうかご安心を、このカイエ=リヒェルト、首を落とされても秘密を守ります!」
「そこまで厳しくおやつ禁止なのか? 商会は!?」
「では!」
再び、深々とお辞儀をして、少女カイエは走り去った。
……大丈夫か『アルダムラ商会』
親切な連中だと思ってたのだが……いや、ご飯くらい普通に食べさせてやれよ。おやつもらって命を救われたってなんだよ……。心配になるじゃねぇか……まったく。
まぁ、『冒険者ギルド』のアイリーンさんも子ども好きだし、いざという時は力になってくれるらしいから、大丈夫だろ。
「「「お帰りなさい!!」」」
部屋の中では、フェンル、ルチア、マルグリッドが待っていた。
フェンルはなぜか鼻を押さえて、マルグリッドは慌てて服を着たかのように、上着のボタンがずれてるのが気になったが……まじめに勉強していたようだから、よし。
「お前たちの装備の素材は採ってきた。今は工房に預けてある。クエストまでは、新装備が仕上がるはずだ」
「ありがとうございます!」
「お疲れさまなのね、お兄様!」
「……そ、その……肩をもんでさしあげても、いいですか?」
最後にマルグリッドがそんなことを言ったから、俺は部屋の椅子に腰掛けた。
フェンルとルチアが「あーっ」って声をあげてマルグリッドを見ているが……俺の留守中になにかあったのか? でもまぁ、仲良しのようだから、問いただすこともないか。
素材回収はうまく行った。工房によると、特に、奴がいい防具の素材になるそうだ。
『S級クエスト』実行まで、あと数日。
あとは3人の体調とメンタルを、できるだけ整えておかないとな。
「……『ライリンガ侯爵家』は没落貴族、か」
商会のカイエはそう言っていた。
普通は、貴族の狩りともなれば知り合いの貴族も呼ぶ。今回はその代わりに冒険者の俺たちを飾りとして呼んだ、というわけか。他の貴族がちょっかいを出してくるということは、貴族ではなく、貧相な冒険者が侯爵令嬢の隣にいるのを笑いに来る、という可能性があるな。
だが、そんなのは予想済みだ。
こちらも対策は考えてある。貴族などに、我が従者を見下されてなるものか。ふふふ。
「ど、どうですか、クロノ兄さま。気持ちいいですか」
マルグリッドが後ろから、俺の肩をもんでくれている。
細い指が、凝ってるところにちょうど入り込んでるのか、意外と気持ちいい。
しかし、こうして見ると、マルグリッドは思っていたより小さいな。工房には彼女のサイズを正確に伝えたつもりだが、間違っていなかっただろうか。
「よっと」
「え、あ、はい? クロノにいさま?」
俺は椅子を反転させ、正面からマルグリッドと向かい合う。
やはり小さいな。座った俺の頭より、彼女の頭がやや上になるくらいだ。
「いや、気にせず続けてくれ」
「は、はい」
マルグリッドは俺の肩を揉み続ける。
俺は手を伸ばして、マルグリッドのサイズを再確認する。肩の位置。肩幅。胸の位置。腰は……意外と細いな。そこからさらに下は──
「あ、あの。あのあの、クロノにいさまぁ」
「気にせず続けてくれ」
「気になります! どうしてわたしの身体を触っていらっしゃるんでしょう……?」
「いや、あんまり大きくなったら困るな、と思ってな」
せっかく仕立てた防具がきつくなっちゃうからな。
一応、仕立て直しもできるようにしてはいるが、貴重な素材を使ったのだ、できるだけ長く利用して欲しいではないか。
「……ク、ク、クロノにいさま……?」
「どうしたマルグリッド。熱でもあるのか?」
「や、やはりクロノ兄さまは、そういうご趣味が?」
「そうだが?」
節約は趣味のようなものだ。
もちろん、フェンルやルチア、マルグリッドの育成のためなら資金は惜しまないが。無駄使いをすることもあるまい。
「お前たちが成長するのは構わない。が、今のままでいてくれた方が、俺もいろいろ都合がいいのだ。すまんな」
「は、はい…………努力します」
なにを?
いや、ルチアよ。どうしておやつを食べるのを止めているのだ?
フェンルが目を輝かせてガッツポーズしているのは?
マルグリッドも、俺の手をつかんで自分の身体をぺたぺた触らせているのは意味不明なのだが。俺はお前のサイズを確かめたかっただけで……いや、胸のサイズではなくてな? そんな測りようもないものを……こら。泣くな。暴れるな。もー、お前はどうしてそう泣き虫なのだ。
ほら、市場で『海藻入りせっけん』を買ってきてやったから、あとで風呂に入るがいい。本当は自分で海藻を採取するつもりだったのだが面倒に──いや、時間がなかったのだ。
王都には公衆浴場があるから、じっくり温まってこい。戻ったら髪を結ってやる。
貴族さまのクエスト開始はまもなくだ。
お前たちの初仕事なのだからな、できるだけきれいになっておけ。いや、今のままでも十分でもあるのだが、貴族の趣味はわからないからな。ラブリーに飾っておくにこしたことはない。そして、俺は世界でもっともラブリーな生物を見てきた者だ。任せろ。
貴族が目を見張るほどの超越存在に、お前たちを仕上げてみせようではないか。
と、いうわけで次回から『貴族さんの狩り付き添いクエスト』の開始です。
準備万端の魔人さんは……。
いつも『魔人さん』を読んでいただき、ありがとうございます。
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