第36話「魔人、ダンジョンの生態系をいじくる」
その魔物は、ダンジョンで起きている異常事態に気づいた。
『……キュキュ?』
たった今、水面を滑っていった人間がいたような……?
ありえない。この『山ダンジョン』の第2階層は、無数の川によって分断されている。
それを無視して突破していく人間などいるはずがない。
『…………キュ』
見間違いだろうか。だが、気になる。
『タシカメルト……シヨウ……』
がつん
その生物は、からめとっていた冒険者を、壁に向かって投げつけた。
鎧を着た人物は、ずるり、と崩れ落ちて動かなくなる。
他にもローブを着た魔法使い、軽装のシーフ。その生物のまわりには、傷を負った人間が倒れている。
『…………ウンガヨカッタナ……ニンゲン。第2階層ノ主ト戦イ、生キ延ビルトハ』
「……う……うぅ」
水際でうめき声をあげる冒険者をうち捨てて、その魔物は移動をはじめた。
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「ここが『ディープサファイアリザード』が棲む池か……」
そこは第2階層の隅にある、深い深い水たまりだった。
水深は十数メートル。細い川とつながっていて、水棲の魔物たちがたくさん住んでいるらしい。
ちなみに『ディープサファイアリザード』は、身長3メートルを越えるオオトカゲだ。背中の皮は青く輝いていて、堅く、それでいてしなやか。剣も槍も通りにくい。
魔人の従者が使う防具の素材にはぴったりだ。
「さてと、とりあえずは正攻法で釣り上げてみるか」
俺は『収納結界』から、釣り竿を取り出した。
適当な枝を削って作ったものだ。そこに太めの糸を結びつけ、古道具やで買ってきた釣り針に、干し肉を結びつける。
「てい」
おもりをつけて、淵に投げ込んだ。
ばつんっ!
『レッドリザード(雑魚)』がくいついた!
『レッドリザード』は重かった!
竿が折れた!
「…………さて、と」
俺は折れた竿を投げ捨てた。
「『変幻の盾』。『遮断:ディープサファイアリザード』、通過:その他、っと」
ぼちゃん。
俺は『変幻の盾』を、淵に投げ込んだ。
適当に沈めてから、遠隔操作で引っ張り上げると──
ばちゃばちゃばちゃばちゃっ!
引っかかってくれた。
盾に乗って上がってきた『ディープサファイアリザード』が暴れてる。水面から青い尻尾が突き出てる。暴れてる。体長は5メートル。かなりでかい。盾にぎりぎり載るくらいだ。それに、重い。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬっ!」
これはかなり魔力を食うな。
俺は水際でふんばって、右腕を掲げ、『変幻の盾』に魔力を注いでいく。
フェンルたちがいなくてよかった。はたから見ると右腕がうずいてるようにしか見えないからな。従者たちに「なにをされてるんですか?」とか言われたら集中が切れてしまう。
「とぉ」
ざばん
俺は遠隔操作して、盾ごと『ディープサファイアリザード』を空中に持ち上げた。
きれいな生き物だった。皮膚は文字通りのサファイアカラーで、目だけが赤い。片目がつぶれているのは、他の冒険者にやられたのか。
そういえば池のまわりに、潰れた鎧や折れた剣が落ちているな。この池のまわりでも、水棲の魔物と冒険者の戦闘は行われていたわけだ。こいつは歴戦の勇士リザード、ってところだろうか。
まぁいいか。皮に傷はないようだし、素材としては申し分ない。
「すまんが、うちの子の防具になってもらうぞ」
『ギィガアアアアアアアアア』
『ディープサファイアリザード』が盾を蹴った。
巨大な口を開けて、こっちに跳んでくる。前足が、がつん、と、地面を叩く。さらに踏み込んできた『ディープサファイアリザード』は俺をかみ砕こうと、めいっぱいに開いた口を閉じようとする。いい反応だ。本当に歴戦の勇士なのかもしれない。
しかし、悪いがこっちは魔人なのだ。
死ぬのは従者の就職先が決まって、魔王ちゃんの遺産を手に入れて、嫌というほど『スローライフ』を楽しんでからだ。こんな低レベルダンジョンで死ぬわけにはいかない。
「戻れ、『変幻の盾』」
がつんっ
閉じかけた『ディープサファイアリザード』の口に『変幻の盾』が飛び込んだ。
『──ガ? ガァァァァァアア!!』
縦になった『変幻の縦』は、リザードの牙の隙間にきれいにはいりこんでくる。
敵は口を閉じることができない。メインの武器を封じられたら──次は尻尾か。じゃあ、こっちは『結界』を展開して、と。
ひょい。
『グァ?』
『ディープサファイアリザード』の尻尾が空を切った。
「結界を展開。『遮断:魔物、空気、魔力』──っと」
俺は結界の属性を変更した。
『グウウウウオオオオオオオアオアオアオアオアオアアアァ!!』
『ディープサファイアリザード』は、牙をむきだして暴れてる。
だが、その声はだんだん小さくなっていく。
空気と魔力を遮断してあるからだ。暴れれば暴れるほど弱っていく。
「すまんな。貴様に挑戦したのは、うちの子の素材集めと、俺の戦闘能力を試す意味もあるのだ。貴様にてこずっているようでは、ダンジョン第3階層を攻略することなどできないからな」
『──ギ』
ばつん、と、リザードの尻尾が結界を叩く。効果はない。
こいつは第2階層でも強力なレアモンスターだ。ギルドの情報では、何人もの冒険者が傷つき、倒されている。こいつを普通に倒せるなら、第3階層でもなんとかやっていけるだろう。
「感謝する。『ディープサファイアリザード』」
俺は結界の中に入り、動きのにぶくなったリザードの喉にショートソードを差し込んだ。
『ディープサファイアリザード』をたおした!
さて、と、次に必要な素材は『レインボーバタフライ』の繭か。
面倒だな……あっちにはゴブリンの生息地があるんだよな……。
仕方ない。一番楽な方法を取ることにしよう。
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『────キュキュ』
……ナニアレ。
ちょっと待て。『ディープサファイアリザード』など、超絶レアな魔物なのだが。
しかも強力だ。水を飲みに来た『ゴブリンロード』が飲み込まれるのを見たこともあるし、素材にひかれてやってきた人間の冒険者の末路が、あの潰れた鎧と折れた剣だ。それをあっさりと……?
『キュ……』
やばい。
あれは、ほうっておいていい人間ではない。
『──キュ、キュキュ』
そうだ。『レインボーバタフライ』の繭を取りに行くと言っていたな。
そこまでの道のりにはゴブリンの生息地がある。
『ディープサファイアリザード』が倒されたといっても、奴は単独で戦っただけ。集団戦なら、ゴブリンたちに地の利があるはずだ。
もしも……それでも駄目だったときは……?
その時は……第2階層最強を誇る我が、思い知らせてやらなければなるまい。
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『ギ!? ソレハ……センダイノ剣……!?』
「そうだ。先代の『ゴブリンロード』は俺が倒した」
見つからずに、ゴブリンの生息地を抜けるのは無理だった。
だから交渉することにした。
ちょうど生息地の入り口に、二刀流の『ゴブリンロード』がいたからだ。先代のロードは俺が倒したから、次のロードになったばかりか、2人目のロードだろう。跡継ぎか、ライバルか、どっちでも構わない。
こんなこともあろうかと『収納結界』に入れておいた『ゴブリンロード』の剣と『魔力結晶』を見せて、脅すことにした。
「で、どうする? 俺の実力はわかったと思うが?」
『グゥ……グ』
「仲間が遠くでお前を見ているな。ここで俺に敗れれば、ロードの地位を失うのではないか?」
『──!?』
新『ゴブリンロード』はのけぞった。俺のセリフは奴の痛いところをついたようだ。
『ゴブリンロード』は1つの群れにつき、1体。
その地位についたばかりならば、失いたくはないだろう。
『ダ……ダガ……オマエヲ通シテシマエバ……』
「別に戦闘を挑むつもりなどない」
俺は肩をすくめてみせた。
「ああ、もちろん、姿は隠した状態で通るとも。貴様はその間、群れに『反対側を見るように』と命ずるだけだ。次に出会ったときは敵同士で構わない。貴様は今、仲間の犠牲を避けるために俺を通すだけだ。一対一、あるいは群れで出会ったときは、容赦なく戦う。それでいいだろう? 違うか? んん?」
俺は言った。
『ゴブリンロード』は、がっくりと剣を下ろした。
俺は『偽装結界』に隠れて、ゴブリンの生息地を通り抜けた。
ゴブリンの生息地の先は、たくさんの木が生えた大広間だった。
『レインボーバタフライ』の繭は、その木の中央部分に張り付いてる。真っ白なのに、光の加減で微妙に色を変える不思議な繭だ。
ちなみに『レインボーバタフライ』そのものは、害のない魔物だそうだ。
ダンジョンに生える花の蜜を集め、受粉させる。それだけのものでしかない。
「……全滅させるのは気の毒だな」
ふむ。いくつか、内側から揺れてる繭があるな。
羽化しかけた『レインボーバタフライ』が、繭を破ろうとしているようだ。
……ならば、手伝ってやろう。
「『変幻の盾』、『遮断:繭』『通過:レインボーバタフライ本体を含め、すべて』」
俺は『変幻の盾』を投げた。
回転しながら飛んでいった盾が、柱に張り付いた繭に触れる。そのまま空中で静止し、糸をぐるぐる巻き取っていく。巨大な繭から糸を全部はぎ取ると、残ったのは羽化直前の『レインボーバタフライ』だ。
濡れた羽根を開いて、ぱたぱたとどこかへ飛んでいく。
糸は──繭3つ分も獲れればいいな。
次は『ブラックタートルの甲羅』か。いいかげん、面倒になってきたな。
他にちょうどいい素材はないかな──
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『キュキュ──っ! なんなのですかキサマは──っ!!』
「?」
川岸に戻ったら、甲高い叫び声が聞こえた。
ゴブリンの生息地を通ってきたから、俺はまだ『結界偽装』を使っている。外からだと、岩にしか見えないはずだ。
注意して見れば、じりじりと動いているのがわかるだろうが……こっちを見ている者はいない。
いや……違うか。いるな。
ダンジョンの川面で、オレンジ色の粘液が動いている。
『偽装結界』に気づいたのは、そのせいで水があふれだしたせいだ。いつの間にか地面が水びたしになり、結界が動くと同時に波を立てている。なるほど。水を使って俺の位置を特定したか。やるな。
『かくれてもむだなのです! キュキュ。我の水は、すでにあなたをみつけているのですよ!!』
「なかなかやるな……ほめてやろう」
俺は『偽装結界』を解除した。
透明になった結界の向こうで、全長数メートルの『オレンジスライム』がうごめいていた。
「賢いスライムもこの時代にはいるのだな。よい勉強になった」
『第2階層を荒らす者め! この我が──第2階層の主が、あなたを消滅させるのデス!』
ぱしゅ
オレンジ色の粘液の塊が、『結界』の表面を叩いた。
結界が揺れる。たいした威力だ。
このまま『結界』維持の魔力を削り取られるのはつまらんな。
俺は『結界』を解除し、外に出た。
「……俺は素材回収に来ただけなのだがな」
特に文句を言われる筋合いはないと思うのだが。ここはダンジョンで、冒険者と魔物が普通に争ってるわけだし。
『貴様のような存在は、ダンジョンの秩序を乱すのデス』
「……ほぅ?」
『自在に川を渡られては、我ら「水の者」の優位が崩れる! ゆえに貴様には、ここで消えてもらうのです! この我──グレードオレンジスライム。
──人呼んで『元素の魔人の後継者』によって!!』
「…………なんだと?」
今、こいつはなんと言った?
とても面白いことを聞いたような気がするのだが? なんと言ったのだ?
「もう一回言ってみろ。貴様、『元素の魔人の後継者』と、言わなかったか?」
『イカニモです! 我は第3階層に住まう仲間から、魔人の話を聞いたのデス。それから我は魔人をあがめるようになったのデス!』
「魔人を……か?」
『ワタクシがあがめるのは「元素の魔人」であります!』
「地水火風すべての精霊魔法を操り、風に乗って空を舞うという、小柄な魔人か?」
『よく知っているのデス! そこだけは褒めてあげるのデス!』
スライムは粘液状の身体を揺らして、俺に向かって動き出す。
でかいな。壁を前にしているようだ。
で、こいつはなんと言ってたっけ? なんかつまらんことを言っていたようだが……?
「なんだっけ」
『聞いていなかったのデスカ!? ならば我のことは「元素の魔人」の後継者……自称デスガ……「水の魔人」と呼ぶがいいのデス!!』
…………ふーん。
……へぇ。
……………………そっか。そういうことか。
「つまり貴様は、こう言いたいのだな?」
『────!?』
おや、どうした?
急に震えはじめたな。
さっきまでの自信に満ちた態度はどうしたのだ? なんだか、身体が縮まったようにも見えるが? こっちに向かってくるのではなかったのか? 相変わらず粘液を飛ばしているが、狙いが狂っているぞ? 俺の背後の壁に当ててどうするのだ!? 壁を砕くとはたいした威力だが、当たらなければ意味がなかろう。
「『元素の魔人』をあがめている。だから自称『水の魔人』」
『……ひ、ひぃっ。な、なんデスカ。その恐い顔は!?』
「『元素の魔人』をあがめている……あの、ことあるごとに人の寝室を水びたしにして、お気に入りの魔人服は灰にして、人の部屋のドアに土をつめて開かなくして、暴風で魔王ちゃんのスカートをめくっては、それを俺のせいにした『元素の魔人』をあがめていると……いうことか。そうか。そうなのか……」
『……あ、待って! こっち来なイデ! お、落ち着いて話を……あ、あ、あ……』
とりあえず『結界』を展開。
スライムを取り囲むようにしてから──ひっくりかえして、オレンジ色の液状生物をすくいあげる。こいつのコアは……ぐるぐる動いている。これがこいつの強さの秘密か。スライムはコアを潰すのが、いちばんてっとり早いからな。
それができないとなると……ふむ。
こいつらスライムは液状生物だよな。つまり、身体のほとんどは水分だ。
ということは──
「通過:水分、遮断:それ以外のすべて」
お椀状にした『結界』にスライムを入れて、それを、最大サイズにした盾でフタをして、と。重しは──結界の中に収納しておいた『ディープアクアリザード』の身体を使うか。あれ、100キロ以上ありそうだからな。漬け物石としては十分だ。
「よいしょ、と」
『マッテ! なにを……わ、我の身体の水分が出て行く!? シボリダサレ────やめて、あ、あ』
スライムは、お椀型にした『結界』の中に入っている。
その上には『盾』がぴったりとフタをしている。這い出す隙間もないほどに。
さらにその上では『ディープサファイアリザード』が重しになっている。おお、『結界』の下から水がだばだば出ていってるな。スライムの体液か。しかし、まだ出が悪いな。漬け物石が足りないようだ。
じゃあ俺も『盾』の上に座っておくか。よいしょ。
そういえば、コアを残したまま完全に水分が抜けたスライムは、貴重な素材になるのだったか。ちょうどいいな。
「さて、『水の魔人』とやら。貴様がその名にふさわしいか、試してやろう」
『ひいっ!』
「貴様の身体がどれほど水をふくんでいるか、見せてもらおうではないか。魔人を名乗るほどであれば、俺のこの攻撃に耐えてみせろ……『水の魔人』よ」
『あ……あぁ、あ、あ、ああああああああああああ。ひいいいいぃぃ──────────────っ!!』
この日を境に、ダンジョン第2階層のボス『グレートオレンジスライム』は姿を消した。
のちに冒険者によって「水分をしぼりとられたスライムのような結晶体」が目撃されたが、それと第2階層ボス消滅との関係はさだかではない……。
魔人さん、素材はほとんど回収が終わったので……それから。
いつも『魔人さん』を読んでいただき、ありがとうございます。
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