第31話「魔人さんとはじめる『ダンジョンスローライフ』その6 ─魔人さんの情報戦─」
──『山ダンジョン』第1階層 午前9時半(推定)──
『凶暴化』したゴブリンを倒したあと、『アルダムラ商会』のパーティはダンジョンを走り回っていた。
「イレイナ──っ! カイエ────っ!! 返事をして────っ!!」
「メアリさま、大声を出しては魔物に気づかれて──!」
「そんなことを気にしている場合ですか!!」
メアリは、隣を走る軽装の戦士に言い返す。
鎧は待機中の仲間に預けてきた。だから、今のメアリは普段着で走っている。本当なら剣も投げ捨てて、身軽になりたかった。そうしなければ間に合わないと思ったからだ。
『育成枠』のイレイナとカイエは、ゴブリンロードに追われていた。
さっき『救難信号の笛』が聞こえたが、助けが来るとは思えない。
『山ダンジョン』は広いのだ。
「……わたくしのミスです。お願い、無事でいて、2人とも──!!」
イレイナは『アルダムラ商会』に加入している大商人の娘で、大事な儀式を控えている。
『きんぴかブレストプレート』はそのためのもので、今回のクエストは儀式の準備でもあった。そのため、メアリもイレイナに目をかけるように言われている。
けれど、今はそんなことを構ってはいられない。
一般枠で入ってきたカイエだって、メアリにとっては大切な教え子だ。『妖精さん』大好きで夢見がちなのが気になるが、こんなところで失うわけにはいかない。
「お願いです。返事をしてください。カイエ、イレイナ────っ!!」
叫びながら、戦士メアリが通路の角を曲がると──
その向こうに、半透明の壁があった。
「──は?」
メアリは思わず立ち止まる。なにこれ。
『山ダンジョン』には何十回も来ている。けれど、こんなものは見たことがない。
これは一体──?
「──ゴブリンロードは倒した」
壁の向こうから、甲高い声がした。裏声だった。
「運が良かったな。貴様らの連れは無事だ」
すぅ、と、半透明の壁が後ろにさがる。
すると──その向こうから、カイエとイレイナが現れた。2人とも意識をうしない、ダンジョンの床に座り込んでいる。
2人とも、大きな怪我はしていない。イレイナの両足に切り傷があるが、ゴブリンロードを相手にしてこの程度なら運がよすぎるほどだ。
「ああ──イレイナ! カイエ……良かった」
メアリは2人を抱きしめた。
それから顔を上げて、半透明の壁を見た。壁の大きさは、高さ数メートル。その向こうにはぼんやりとした影があるだけ。声の主が何者なのか、そもそも人間なのかもわからない。
「そちらの、革鎧を着た少女をほめてやるがいい」
影が、ぽつり、とつぶやいた。。
「その者は、敵わぬ相手に立ち向かい、必死で仲間を守ろうとしていた。だから救助が間に合った」
「……は、はい。それで、あなたは……?」
「…………『妖精さん』だ」
半透明の壁に、影でできた蝶のようなものが映った。
でも、聞こえてくる声は人間のものだったが。
いや、正体はなんでもいい。妖精さんでも人間でも関係ない。2人を助けてくれたのなら、誰だって構わない。
メアリは、カイエとイレイナを、同行していた剣士の少女に渡した。
治療しておくようにと指示を出してから、『妖精さん』に深々と頭を下げる。
「ありがとうございました! 本当に……!!」
「『妖精さん』は呼びかけに応えただけだ。そして偶然出会い、助けた。それだけのことでしかない」
「……あなたのご厚意に感謝いたします」
「ふふふ……だれが厚意で助けたと言った?」
半透明の壁の向こうで『妖精さん』の口調が変わった。
「無償で助けるなどと言った覚えはないぞ。『妖精さん』の手をわずらわせたのだ、それなりの代償は支払ってもらおう」
「……わかりました」
メアリは胸を押さえた。
今、自分はなにを差し出せるだろうか。自慢の鎧はおいてきたが、革袋は背中にしょっている。中に入っている薬草はいくらで売れるだろうか? それとも、やはり金貨で払うしかないだろうか?
革袋に入っているお金はメアリの手持ちではなく、商会から『育成用』に預かっているものだ。手をつけるのには理由がいる。『妖精さん』に支払ったなどと言って、認められるとは思わないが……構わない。
穴埋めをする覚悟はできている。カイエとイレイナがゴブリンロードに襲われたのはメアリのミスなのだ。2人の命を助けてもらった以上、対価を支払うのは当然だ。
「いいでしょう。『妖精さん』、望むものをおっしゃってください」
「バター持ってないか? 新鮮なやつ」
「わかりました。このメアリ=ライゼルの命にかけて、何年かかろうともその対価をお支払いすることを約束しましょう。こう見えてもわたくしはそれなりの腕を持っております。1年かけて、高難度のクエストをあるだけクリアすれば、あなたの望みを叶えることもできましょう。わかりました。バターですね。新鮮なもの…………え、バター?」
メアリは、ぽかん、と口を開けた。
「……バター? バターとおっしゃいましたか? え? バター?」
「なんだ、バターを知らぬのか? ミルクを加工して作るもので、料理に使うものだ。困ったな。バターがなんなのか、いちから説明しなければならぬとは……」
「いえ、そうじゃなくて」
「ないのか? バター?」
「……いえ、ありますが……」
メアリは革袋から、瓶入りのバターを取り出した。
保存が効くように、たっぷりの塩を加えてある。あとでスープに入れようと思っていた。栄養があるから、疲れたときにいいのだ。
「よかろう。ではそれをいただこう」
「本当にそれでいいのですか?」
「うむ。『妖精さん』には必要なものだからな。塩を分離すれば、使い物にはなるだろうよ」
……塩を分離? よくわからない。
でも、カイエは昨日『妖精さんにおやつをもらいました』と言っていたっけ。
あのときは笑い飛ばしたが……もしかしたらその材料にするのだろうか……?
「王都は食材が高価くてなぁ」
「王都の経済にも詳しいのですか!? 『妖精さん』!?」
「…………人の世に関心がなければ、少女を助けるようなことはしないであろう?」
少しの沈黙のあと、影絵の妖精さんが羽根をぱたぱたと動かした。
「…………それとも貴様は、『妖精さん』は買い物をしてはいかんと? ずっとダンジョンにこもって、自前の材料だけでおやつを作れとでも言うつもりか? ああん!?」
「いえいえっ! そのようなことは!」
メアリは慌てて首を横に振った。
「『妖精さん』は人に興味があって、その流れで王都の経済にも興味を持つようになったのですよね。わかります。よーくわかります」
「わかってくれてよかった」
「……そうですね。確かに王都のバターには、高価なものもありますよね」
「ああ、実際、物価が高価いよな。王都」
わかりますわかります、と、うなずきあうメアリと『妖精さん』
「わたくしも、地方から王都に引っ越してきた時は大変でした」
「おお、お前は地方から来たのか」
「はい。もう6年になります。今はもう、すっかり王都にも慣れましたが」
「そうか。ならば聞こう。この塩バター、保存用にしてはいい色つやをしているが、どこで仕入れている?」
「西地区にある老舗『トラーヤ』です。あそこは王都西方の平原地区に住む遊牧民族と取引をしていて、比較的安くて新鮮なバターが手に入るのです」
「なるほど。生産者と契約とは盲点だった。だが、王都は野菜も高価だろう。それはどうしている? 貴様も地方から出てきたのなら、王都のしなびた野菜にはうんざりしているのではないか?」
「葉ものは確かにそうですね。ですが、穀物はなかなかいいものが入ってくるのです」
「ほほぅ?」
「やはり西地区の朝市がおすすめですね。お菓子を作られるのなら小麦も欠かせないでしょう? 買うなら水曜朝市が狙い目ですよ。毎週火曜日に船が着くので、次の日が安売りの日なっています」
「なるほど、水曜朝市だな。覚えておこう。他に安売り情報はないか?」
「そ、そうですね。あとは──」
言いかけて、メアリは思わず口を押さえた。
相手も、メアリの反応に気づいたらしい。「こほん」という咳払いが聞こえる。
「……貴重な情報に感謝する」
「……いえ。お役に立てればなによりです。冒険者さん」
「『妖精さん』だ」
「はい。『妖精さん』」
「情報料として、これを授けよう」
半透明の壁から、すぅ、と、木製の器にのったものが差し出される。
「木の実のハチミツ漬けだ。栄養があるし、疲労回復にいい。少女たちに食わせてやるといい」
「いいんですか!?」
メアリは思わず声をあげた。
差し出された器は木製のちいさなもの。けれど、載っているものは一級品だ。
木の実──『クログルミ』は割るのが大変だから滅多に手に入らない。大量に載っている。そこにかかっているハチミツもすごい。金色に輝いている。まるで数日前に、ミツバチがぶんぶん飛んでいる蜂の巣から、なんらかの方法でハチミツだけ抜き取ったようだ。
いいのだろうか。
これ『塩漬けバター』以上の価値があると思うのだけれど──。
「ふふふ。『妖精さん』はその少女が気に入ったのだよ。ダンジョンでの良い遊び相手になるだろう、とな。では……さらばだ」
すぅ、と、半透明の壁がうしろにさがっていく。
足音が、少しずつ遠くなっていく。追うようなことはしない。あれは『妖精さん』だ。メアリにとって大切な2人を助けてくれた。それでいい。
メアリは手を合わせて、消えていく影を見送ったのだった。
「と、とにかく、カイエとイレイナの手当を」
メアリは、『妖精さん』の正体について考えるのをやめた。
カイエは無傷、イレイナは軽傷だ。ただ、ゴブリンロードから逃げ回った恐怖と疲労からか、意識がまだ戻らない。
「……そういえばカイエは妖精さんが大好きでしたね……」
メアリはもらった『木の実のハチミツ漬け』を、少しだけ指でつまんだ。一口食べて毒味を──あら、おいしい。もう一口……本当に新鮮。これは、刻んだドライフルーツが入っている? ハチミツは本当に濃厚だ。こんなものをどこで──っと、いけないいけない。
メアリは、さじですくった『ハチミツ漬け』をカイエの口元に差し出した。
浅い呼吸を繰り返していたカイエは、口を開き、『ハチミツ漬け』を舌でなめて──
「……妖精さん……の……おやつ……?」
ぱくり、と、口にふくんでから、目を開けた。
「よかった……カイエ!」
メアリは思わず、カイエを抱きしめた。
彼女の後ろで軽装の剣士少女が、ぐっ、と親指を立てる。イレイナもかすり傷だ。回復魔法を使うまでもない。すぐに良くなるだろう。本当によかった。
「よくがんばりましたね、カイエ」
「……メアリ、さま」
「よくぞイレイナを守ってくれました。あなたは、立派な冒険者になれますよ」
「いいえ」
メアリの言葉に、カイエはびっくりしたように首を振る。
「あたしはなにも……守ってくださったのは『妖精さん』ですから」
「いえ、あの方は……素材と価格にうるさい冒険者かと」
「でも……メアリさま。『魔鉱石』と『ニーラナタ花』を採取に行ったとき、あの警告文を書いてくださったのは……きっと妖精さんです……あたしたちを見守っていてくださって……」
「はいはい」
メアリは『育成枠』の少女の額をなでた。
「今は難しいことは考えなくていいです。休んだら、町へ戻りましょう。カイエ」
「…………はい」
うなずいたカイエの表情は、ちょっとだけ不満そうだった。
しょうがないですね、と、つぶやいて、メアリは付け加える。
「そうですね。では、こうしましょう」
よいしょ、と、メアリはカイエを背中に背負う。
小さい子どもに語りかけるように、肩越しにつぶやく。
「あなたの言うとおり、私たちが採取した石と『ニーラナタ花』が、すべて『ハズレ』で『採取済み』だったら、アルダムラ商会は、妖精さんの存在を公式に認めることにいたします。それでいいでしょう?」
「……はいっ!」
元気よくうなずいたカイエに苦笑いしながら、メアリは歩き出した。
──ダンジョンにいる妖精さんはおやつをくれます。バターと安売り情報をあげるとよろこびます──
翌日、『アルダムラ商会』から、こんな文章が発表され、王都をにぎわすことになることは──メアリもカイエも、まだ知るよしもないのだった。
──────────
「さてと、用は済んだ。戻ろう」
俺は『妖精さん』っぽくまとめた花びらを地面に落としてから、歩き出した。
向こうが本当にこっちを『妖精さん』だと思ったかどうかは、どうでもいい。
こっちの正体がばれて、面倒なことにならなければ、それでいいんだ。
「しかし、『アルダムラ商会』とは、なかなかの情報を持っている奴らだな」
いつまで王都にいることになるかわからないからな。
お買い得情報が、あって困ることはないのだ。
「魔王城の情報は……聞くわけにはいかぬな。やはり」
あの状況で『魔王城』について聞くのは危険すぎた。奴らを警戒させてしまう。
別に急ぐ旅でもない。手がかりのあてはあるのだ。冒険者ギルドから情報収集するのは、第3層を突破して『ヴァンパイアの城』にたどりついてからでも遅くはない。
今は『ダンジョンスローライフ』生活を楽しむとしよう。
新鮮な食材も手に入ったのだから。
もらったバターは……ふむ、保存用に塩がたっぷり入ったものだが、質は悪くなさそうだ、お昼はこれを使って、オムレツを作ることにしよう。ダンジョン1泊2日をこなした後の食事だからな、豪華にしよう。
ルチアとマルグリッドには初めてのダンジョン探索に弱音をはかなかったこと、フェンルには、2人の面倒をよくみたこと、そのほうびとして。
……もっとも、3人がおとなしく俺の帰りをまっていれば、だけどな。
がぃんっ
しばらく進むと、剣がぶつかる音が聞こえた。
────やっぱり。
俺が『結界』を張った場所に戻ると、そこには──
「マルグリッドさん! そのゴブリンは手負いです。とどめを!」
「お嬢様は一度、結界の中に撤退してください!」
「わかったのね。敵は十時の方向に1体。三時の方向に2体なのね!」
「「了解です!!」」
岩に偽装した『結界』を背に、フェンル、ルチア、マルグリッドが激しい籠城戦を繰り広げていたのだった。
そして、3人の戦いを見た魔人さんは……?
次回で「ダンジョンスローライフ編」はいったんおしまいです。町へと戻ります。
いつも「魔人さん」を読んでいただき、ありがとうございます。
もしも、このお話を気に入っていただけたのなら、ブックマークなどお願いします。
次回、第31話は明日、更新する予定です。




