第3話「魔人、人間の家族に別れを告げる」
「ま、昔のことだから、いいけどねー」
あれから400年も経ってるし。
伝説では魔王は結局、勇者に倒されたことになってる。
ってことは、俺の努力も無駄だったのかー。
まー、しょうがないか。
あれは光の象徴だった勇者と、闇の象徴だった魔王と魔人が存在した時代の話だ。
どっちも神さまの都合で仕事させられただけだし、今の人間には関係ない。
勇者もあの後、この世界から追い出されて、残ったのは多少の知識と、数や単位だけ。この世界のメートル法は、もともと勇者の世界から来たらしい。便利だから定着したそうだ。
この世界は現在、そういう文化圏になってる。
怒っても、恨んでもしょうがないよなー。
「転生に時間はかかったけど、スキルはしっかり手に入れたからな」
俺は、町を出て、街道を村に向かって歩いてる。
まわりに人目はなし。よし、スキルをチェックしよう。
俺のスキルは『変幻の盾』と『結界展開』のふたつだ。
まずは『変幻の盾』を使ってみよう。
『変幻の盾』
自由なかたちの盾をひとつ、作り出すことができる。
盾のサイズは最大5メートル程度。
ただしこの盾は、通すもの、通さないものを自由に設定できる。
よし。前世で俺が願った通りだ。
試しに……うん。喉が渇いたな。
「『変幻の盾』展開」
俺は背中にかついだ『ラウンドシールド』を手に取った。
これが『変幻の盾』の通常状態だ。普通の盾に見えるように設定してある。
これをどうやって使うかというと──
確か近くに小川が──あった。
水が少し濁ってる。このまま飲んだらお腹を壊すな。きっと。
俺は盾で、小川の水をすくった。そして──
「『通過:水』、『遮断:不純物、雑菌その他』」
盾の属性を変化させた。
このスキルは、盾で防ぐものと防がないものを選ぶことができる。
前世で、盾が優秀すぎて、仲間の回復魔法まではじき返したのが死因のひとつだったからな。
それを反省して、今度は盾で防ぐものと、通過させるものを自由に設定できるようにした。
今は川の水をすくって、きれいな水だけが盾を通過するようにしてある。
しばらく待てば──
ぽたん。ぽたん。ととととととと……。
盾の下の方から、浄化された水だけが落ちてくる。
水筒代わりの革袋に入れて確認すると、にごりひとつないくらい澄み切ってる。
飲んでみると……うまい。
水の浄化、成功だ!
『フィルタリング』は完全に機能を発揮してる。
あとは……そうだな。孤児院のみんなに、おみやげを持って行こう。
ふふ。
まだ俺の正体を知らない奴らだ。
俺が元の力を取り戻した時には、自分たちが魔人の転生体と同居していたことを知り、恐怖に震えることだろう。今だけ、優しい孤児院の仲間を演じてやるのも悪くない。
俺は小川の中に、盾を斜めに立てた。
……この形だといまいちだから、盾の中央をへこませて、と。
「『遮断:おさかな』、その他すべて『通過』」
俺は再び、盾の属性を変化させた。
川の流れに変化はない。水は、普通に通過させるようにしてあるからだ。
盾を置いても、さざ波ひとつ起きない。
でも、そこを泳いでるやつはどうなるかというと──
ぱちゃぱちゃぱちゃぱちゃっ!
「よっしゃ────っ!」
釣果、6尾!
盾に引っかかった魚たちが、びちびちと跳ね回ってる。
「ふふ、ふふふふふ、はははははははははははっ!!」
右を見て左を見て──誰もいないな。よし高笑い!
「見たか今は亡き魔王よ! わが主君を討ち果たした勇者どもよ! 魔人ブロゥシャルトはここに転生した! 貴様らの知らない新たなる力を手にしてな!」
魔王はもういない。
パワハラ上等だった魔人たちも、消えた。
勇者はすでに過去の存在だ。
この世界に、転生した魔人を倒せるものはいないのだ。
これで──これで──
「夢にまで見たスローライフが手に入る!!」
あまたの時間を費やした転生の儀式も──
いやがらせに耐えながら古文書をひもとき、手に入れた『変幻の盾』──
すべては静かで安定したスローライフを送るためだったのだ!!
魔人に休日はない。
魔人に、退職の自由はない。
だから前世で、とある古文書を見つけたとき、俺は思わず涙していた。
遠い異世界から流れ着いたという『スローライフ』についての記述だった。
……静かな生活。
……好きなときに寝て起きる自由。
……誰にも邪魔されない、安全な空間。
どれも魔人だった俺にはないものだった(ちなみに、今もない)。
その頃の俺にあったのは──
……昼も夜も魔人と魔物たちの叫び声が聞こえる生活。
……魔王に呼び出されたら、熟睡してても飛び起きる不自由。
……自室も研究室も荒らされまくってる、危険な空間。
少なくとも『スローライフ』ではなかった。
あえて言うなら『滅! スローライフ』だった。
俺は魔人として、気づかされたのだ。
これは正しい生命の在り方ではないと。
光も闇も、神も魔王も間違っている。
あらゆる存在は『スローライフ』を目指すべきなのだ。たとえそれが修羅の道でも。
この『変幻の盾』も『結界作成スキル』も、すべてはそのためのもの。
誰にも縛られず、どんな場所でも生きられるように作った、最強のツールだ。
そして、俺には魔人だったときの記憶がある。
魔王城のそばに、魔王ちゃんがこっそり秘密宝物庫 (へそくり)を作って、秘密の宝を隠していたことも知っている。もし、それを見つけることができれば、俺のスローライフは完全なものになるはずだ。
「……これで……やっと静かな生活が送れる」
「静かな生活」……。
なんか感動する響きだった。
俺はこの世界に孤児として転生した。
ずっと孤児院で他の子どもたちに囲まれてくらしてきたから……個人的な場所も、静かな空間もなかったからな。
だから、これからやっと静かな空間を手に入れることができるのだ。
成人し、前世の記憶を取り戻した今、もはや孤児院に戻る理由はない。
このままどこかへ行ってしまっても構わない。
かまわない………………のだが……。
「……だが、誇りある魔人としては、別れくらいは言っておくのが礼儀であろうよ」
待っていろ。弟分に妹分──チビたち。そしてノエル姉ちゃん。
魔人はついに覚醒した。お前たちの知るクロノ=プロトコルはもういない。
察しのいい者は気づくであろう。
だが、貴様らにはどうすることもできまい。
身近に俺という化け物がいたことに怯えながら、今後の人生を送るがいいのだ。ふふふ。
そう思って孤児院に戻った俺だったが──
「えー? チビたち出かけてるの?」
「そうなんだよクロちゃん。村長さんの庭の草むしりを頼まれてるの。今日はお昼をごちそうになるんだって」
俺の分のお茶を煎れながら、ポニーテールの少女は言った。
彼女の名前はノエル=フォルテ。
このフォルテ孤児院の2代目の園長さんにして、俺たちのお姉ちゃんだ。
「がっかりした? 成人した姿を見てもらえなくて」
「やだなぁ。そんなことあるわけないだろ?」
この孤児院には、俺とノエル姉の他に、4人の子どもたちが暮らしてる。
12歳から6歳までの、まだ小さい子どもたちだ。
だが……今はチビたちは出かけているらしい。
ちっ、運のいい奴らめ。
まぁいい。俺の正体に気づかれて、怯えられるのも面倒だ。
奴らには優しい『クロおにいちゃん』の記憶のみとどめておく。魔人の転生体として、それくらいの慈悲は許してやってもよかろうよ。ふふ。
「…………みんな『クロおにいちゃん』とのお別れがつらいんだよ……」
「あのチビたちが?」
「わかってないなぁ、クロちゃんは」
なにを無礼な。
この魔人ブロゥシャルトは9人の魔人の中でも、最も勉強と研究を怠らなかった者だ。さもなければ、転生の術式など生み出せるはずがあるまい。
まぁ、魔人だから、人の心がわからないと言われればそうなのだろうが。
「それで、クロちゃんはこれから冒険者になるの?」
「ああ。とりあえず王都を目指そうと思ってる」
「結構距離があるよ? 大丈夫?」
「ノエル姉ちゃんは過保護だなぁ。王都までは徒歩で5日くらいだってば」
装備 (ショートソード)はお金を貯めて買ってある。
初期費用は、成人記念として領主さまから支給済みだ。
この地方の領主は人材育成を目指してるそうで、そのあたりは領土から取れる税金の一部を当ててるんだそうだ。この孤児院も、領主から支援を受けてる。
かつて魔王と戦ったころの経験から、戦争と治安の悪化が国に一番悪い影響を与えるものだと自覚すべき、ってのが領主さんの持論だそうだ。
ふふ。なかなかに見上げた者よ。
もしも、我が魔人の国を作ることがあったら、配下に加えてやろうか。
そんなことを考えながら、俺はお茶をすすった。
ノエル姉ちゃんは、そんな俺をにこにこしながら見てる。彼女は俺とは4歳違いの、実の姉ちゃんみたいな存在だ。俺がここに引き取られた頃には先代の園長がいたけど、2年前に彼女が亡くなってからは、1人で孤児院をきりもりしてる。
まぁ、チビたちも多少手伝いはできるようになったし、領主さんからの補助も出てるから、大丈夫だろ。
悪いが、俺も記憶を取り戻したばかりだ。
人間だったころの家族にかまっている暇はないのだよ。今はな!
「──けど、生活が落ち着いたら、仕送りもするから」
「だめだよ。まずは自分の生活を優先すること。いい?」
……魔人の厚意を無視するとはな。
これだからいつまで経っても俺やチビども最優先で、恋人さえも作れないんだ。ちっとは自分の幸せを考えたらどうなのだ。まったく。魔人にまで心配させるとは……ノエル姉ちゃんめ。
昔、俺たちをかばって、魔物に怪我をさせられたことを忘れたのか?
背中に残る古傷のことは、孤児院のみんなも俺もよく知っている。今でもお風呂で背中を流しっこしてるからな。ノエル姉ちゃんはスレンダーな体型だが、美人だし、意外ともてる。そもそも4人のチビどもの面倒を見ながら孤児院を経営してるんだから、スペックの高さは誰でもわかるはずだ。
無論、そんな古傷にこだわって姉ちゃんの価値に気づかない奴は、この魔人が滅ぼしてくれるがな!
──なのに、ノエル姉ちゃんときたら。
いいよってくる相手がいるのも、それを全部、姉ちゃんが断ってることにも、俺やチビたちが気づいていないと思っているのか?
まったく、ノエル姉ちゃんは……まったく。
……まあいい。
いずれ俺は魔王城の残骸を見つけることになる。
魔王ちゃんの隠し宝物庫 (へそくり)で必ずや回復用の魔導具を見つけ出し、ノエル姉ちゃんの古傷を跡形もなく消し去ってくれるわ。
そのとき、弟分が最強の化け物だったことを思い知り、恐怖するがいいのだ。
ふふ。ふふふふふ。
「とにかく、俺はこれから王都の方に行くことにするよ」
俺は言った。
「そこで初心者向けのパーティを組んで、少しずつ冒険者の仕事をやっていこうと思う。手紙も書くし、なにかあったら戻ってくるから、心配しなくていいよ」
「心配だなぁ」
「なんでいきなり出鼻をくじくようなことを!?」
「クロちゃんって、いつも無茶するから、お姉ちゃんは心配になるんだよ」
「無茶なんかしたことないって」
「そうだっけ?」
「そう。俺が望むのは静かで快適なスローライフなのだからな!」
「……クロちゃん?」
「そう。俺が望むのは、静かで快適な冒険者ライフなんだからさ!」
言い直した。
やばっ。ノエル姉ちゃん、怪しんで……ないな。
いつも通りだ。ほんっと、落ち着いてるよな。姉ちゃん。
この分だと、俺が魔人の転生体だって言っても「へー」で済むんじゃ……いや、それはないか。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「……もっとゆっくりしていけばいいのに」
「15歳になった者は孤児院を出なきゃいけない。それが、領主さんとの約束だろ?」
「うん。そうだけど……」
本当なら、もっとゆっくりしていってもいい。
けど、今の俺はもう、魔人としての記憶を取り戻している。昔から知っている人間相手では、どんなボロがでるかわからない。
魔王城の遺産を手に入れ、禁断のスローライフを実現するまでは、正体を悟られるわけにはいかないのだ。ノエル姉ちゃんとチビどもに迷惑がかかるからな。
俺はもう、クロノ=プロトコルではない。
クロノ=プロトコルの記憶と人格を持つ、魔人ブロゥシャルトなのだから。
「手紙書くからさ」
「……うん」
「年に1度は、戻ってくるようにするから」
「……さんかい」
……ふっ。甘えるな。ノエル姉よ。
魔人と化した俺はそんなに甘くはないぞ。
「わかったよ。3回な」
もちろん、魔人と化した俺にとって、年に3回顔を出すくらいのノルマは、どうということもないがな! それくらいのこともできないと、人間ごときにあなどられるわけにもいくまいよ。
「じゃあな。ノエル姉」
「あ、それと」
「まだあるの!?」
「村の人たちが言ってたんだけど、裏山に魔物が出たらしいの」
……ほぅ?
「心配しすぎだよ、ノエル姉。こんな人里に出てくるなんてザコに決まってる」
「そうだよね。町の人たちが明日、山狩りをするみたい」
「だったら、心配することなんかないって」
「心配してるのはクロちゃんのことだよ」
ノエル姉は俺の手を、ぎゅ、と握った。
「たまにクロちゃん、ひとりになりたがることがあるから。駄目だよ。ちゃんと街道を行くんだよ? 裏山と通って近道なんかしないでね」
「しないよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
俺はノエル姉の肩を叩いた。
「まだ初心者冒険者なんだからさ、正体のわからない魔物の相手なんかしないって。大丈夫。ちゃんと王都の冒険者ギルドに行って、普通に冒険者ライフを始めるからさ」
「ん……」
さみしそうな顔で、ノエル姉ちゃんが小指を差し出してくる。
小さいころから変わらない。こういうときの『指切り』のサインだ。
ったく、しょうがないなぁ。ノエル姉ちゃんは。
「わかったよ。ほら」
「ゆびきりげんまん──ゆびきった」
こうして人間クロノ=プロトコルは、ノエル姉ちゃんと指切りをしてから、別れを告げたのだった。
次回、第4話は明日の午後6時に更新します。
孤児院を出て旅立ったクロノ(ブロブロ)ですが、その行く先は……。
2017.08.08 水を浄化するところを修正しました。