第29話「魔人さんとはじめる『ダンジョンスローライフ』その4 ─よみがえる『伝説の体操』─」
──山ダンジョン第1階層 2日目 午前6時(推定)──
ダンジョンの朝は早い。
目を覚ました俺は、まずは水源で顔を洗い、口をゆすぐ。
この隠し部屋には川とは別に排水溝が用意されている。使った水をそちらに流せるのは助かる。下流には、他の冒険者もいるかもしれないからな。
次は、まわりに張っておいた『結界』のチェックだ。
うむ……問題なし。隠し扉を開けた者もいないし、『結界』が破られた跡もない。
安全確認して、さっぱりした後は、朝食の支度だ。
昨日は幼女──いや、少女と幼女2人ともにがんばったからな。そして、今日はダンジョンを脱出することになる。体力はつけておかねばなるまい。
子どもの栄養のためにミルクは欠かせない。多めに買って『結界収納』しておいてよかった。
次に重要なのはタマゴだ。これは刻んだ肉と『ホロホロネギ』と一緒にいためておこう。バターがあればもうちょっとまろやかな味にできるのだが、これは今後の課題だな。バターは王都だと結構高価いからな。
タマゴが焼けるころになると、まずはマルグリッドが起きてくる。
なにも言わなくても顔を洗いに行くのは、彼女のしっかりしたところだ。きっとルチアをずっと守ってきたことで身につけたものだろう。たまに気合いを入れすぎて、無茶をするのが困ったところだが、それだけ気をつければいい冒険者になるはずだ──っと。
どうしてお前は川に顔を直接つけようとするのだ。落ちたらどうする? というか、まだ目が覚めてないではないか。そう、手のひらで水をすくって、うむ。顔を洗ったな? じゃあルチアとフェンルを起こしてくれ。
ルチアはすぐに目を覚ました。商家のお嬢様として育てられたからだろうか、起きるとすぐに『おはようございますなのね、お兄様』と、あいさつをする。礼儀正しいのはいいことだ。次にマルグリッドに。そしてフェンルにもあいさつをするのだが──フェンルは……ぐでーっと寝ているな。毛布は蹴飛ばして、寝間着の裾はへその上までめくれ上がってるな。
俺は最近、お前が本当に俺と同い年なのか不安になってきたぞ……。
年齢詐称をわびるなら今のうちだが……いいのか? 本当に15歳として扱っていいのか?
「…………はよぉ。ございます……ぶろぶろ……さま」
「いいから顔を洗って口をゆすげ」
「ふぁい」
3人が目覚めたら朝食だ。
みんな、なにを食べても「おいしいです!」と言ってくれるのはありがたい。好き嫌いは今のところないようだ。冒険者たるもの、これが駄目、あれが駄目では話にならぬからな。ん? 好き嫌いはある? ルチアは『ホロホロネギ』がどうしても食べられない?
いや……タマゴと一緒に入っているのだが。細かく刻んだから、気がつかなかったか?
え? 好き嫌いが直った? お兄様すごい?
そうかな……? ダンジョンで一夜を過ごした緊張から、嫌いなネギの味がわからないのではないか? まぁいい。町にもどったら同じ料理を作ってやる。それで好き嫌いが直ったか確かめてみるがいい。
「「「ごちそうさまでした」」」
「うむ。おそまつさまだ」
食事が終わると、食器を洗って『結界収納』に戻す。
それが済んだら、隠し部屋からダンジョンへと出る準備だ。
「ルチア、魔物の気配は?」
「いないのね。遠くに感じるだけなの。大丈夫よ、お兄様」
「──よし」
ルチアの『探索』で安全を確認してから、俺たちは隠し部屋を出た。
外は川原だ。水源から流れ出た水が、幅数メートルの川をつくっている。
隠し部屋の鍵をかけたのを確かめてから、俺は『結界』を展開。『空間偽装』で、4人の姿と『結界』そのものを風景に溶け込ませる。これで『スローライフ的』ダンジョン探索の準備は完了だ。
「お兄様。今日はこれからどうするのね?」
「起きてすぐに激しい運動は身体に毒だからな。体操をする」
俺は言った。
見本として、軽く腕を振って、膝を屈伸させる。
「こうやって身体をほぐすのだ。いわゆる、準備運動というやつだな」
「なるほどなのね」
「さすがクロノ兄さまです」
「……ふわぁ」
感心するほどのことではないぞ、ルチアにマルグリッドよ。
フェンルは……まぁ、体操をしているうちに目も覚めるか。
これは、俺が魔人時代に、異世界から流れ着いてきた本で知った体操だ。勇者のいた世界の人間は、毎朝これで健康を維持しているらしい。勇者が強かった秘密もここにあるのかもしれない。では、ルチアとマルグリッドで再現できるか、やってみるとしよう。
「では、まずは背伸びからだ、いくぞ」
「「はい!」」「ふぁい」
俺のかけ声に合わせて、3人はゆっくりと身体を動かし始めた。
「最後は深呼吸をして──よし、終わりだ」
「「…………」」
「ふぅ」
なんだ、フェンルは充実しているのに、ルチアとマルグリッドは不満そうだな。
「……あの、お兄様。もうちょっときつい体操はないのなのよ?」
「きつい体操?」
「ルチアたちは、早くお兄様たちの役に立てるようになりたいのよ」
ルチアは大きな目を見開いて、俺を見た。
「こんなすぐに終わってしまう体操では、いつになったらお兄様とフェンルお姉様に追いつけるかどうかわからないの。だから、もっと実践的なことをしたいのね!」
「わたしもです! 覚悟はできています。もっと試練をください、クロノ兄さま!」
……そんなことを言われてもな。
初めてのダンジョンで、こいつらを戦闘させるつもりなどないのだ。
まず教えなければいけないのは「生き残るための方法」だからな。
人間は魔人にくらべて壊れやすい。無茶はさせられない。
だから今回はダンジョンになじませること。魔物の生態をわからせることが目的で、そんなにきつい試練を与えるつもりはないのだが。
ふむ……だが、そうだな。
「確かに、もう少しきつい体操はあるぞ。あるが……」
「「それをお願いします!!」」
あれか……。
あれは時間がかかるし、いろいろ条件が厳しいのだが。
俺たちがいる『結界』の近くには、川が流れている。壁についている光りゴケは時刻とともに色を変える性質があるそうだから、それでだいたいの時間はわかる。今はちょうど夜明け頃だろう。
風景に溶け込むように偽装した『結界』に、魔物は気づかない。
だから、待っていれば……魔物が来るかもしれない。
だったら、あの体操ができるな。2人がそれを望むのなら。
「ルチアにマルグリッドよ、試しに『魔物体操』をやってみるか?」
「……『魔物体操』?」
「ああ、ちょうど、ゴブリンがやってきたようだからな」
俺は川の方を指さした。
子どもくらいの身長で、節くれ立った手を足を持つ魔物──ゴブリンが、水を飲みにやってきている。数は2体。こっちに気づいた様子はない。この距離なら、奴らの動きはよく見える。『魔物体操』をするのはちょうどいいだろう。
「『魔物体操』とは、魔物の動きを真似て行う体操のことだ」
俺は説明をはじめた。
昔から人間は、動物の動きを真似て、健康体操などを生み出してきたという歴史がある。
東の大陸では猛獣の動作をもとにした格闘術などもあるくらいだ。
『魔物体操』はその応用だ。俺が魔人だったころに流行っていたのだ。
魔物の動きを真似ることで、奴らの動きのクセをつかむのが、その狙いだ。魔物がどういうふうに歩いて、どういうふうに攻撃するのか、など──奴らの動きを身体で覚えることができるのだ。
魔物は人間とは違う。身長や手足の長さも、関節の可動域だって違うのだ。それを見誤れば、思いもよらない攻撃を受けるかもしれない。
この『魔物体操』は健康維持にもなる上に、魔物の動きを身体で覚えることができる、一石二鳥の体操なのだ。運動不足解消のために魔王ちゃんに教えたら、魔物のように気配を消してとびついてくるようになり、かなり面倒なことになったのだが。
──と、いうことを、俺は魔人と魔王ちゃん情報を除いて、ルチアたちに説明した。
「すごい体操なのね。これ、お兄様はこれをどこで知ったの?」
「知ったのではない。俺が考えたのだ」
「お兄様が考えたの?」
「ああ、しかも400年の歴史がある」
「「…………???」」
俺のセリフに、ルチアとマルグリッドは不思議そうに首をかしげた。
「よ、よんひゃくんねんまえの記録をクロノさまが見つけて、解読方法を考えて編み出した体操ってことですよね? ね? ねっ!?」
「……そうだった」
確かに、フェンルの言うとおりだ。
元々は俺が魔王ちゃんの健康のために考え出して、魔王ちゃんがはまったことから他の魔人もやりはじめ、最終的には魔王城すべてを巻き込んだ一大ブームを巻き起こした体操なのだが。
確かに、人がそんなもの受け継ぐはずもない。400年の間絶えていたものを、俺が再発見したとも言えなくはないか。
「ふぇんるのいうとおりおれがれきしのやみからさいはっけんしたたいそうだ」
とりあえず棒読みでごまかしておいた。
「「おお……すごいです……」」
「…………クロノさま」
すまんフェンルよ。うっかりしてた。ごめん。
さて、と、まだゴブリンたちは水場にいるな。それでは『魔物体操』、始めてみようか。
「まずはゴブリンの歩く姿をまねるのだ。せーの」
「「「せーのっ」」」
そんなわけで俺たちは『結界』の中で『魔物体操』をはじめた。
『ゴブリンの歩くポーズ』『水を飲むポーズ』……それから……おお、川魚を取り合ってケンカをはじめたな。ならば、それも利用しよう。
『ゴブリンが敵を殴るポーズ』『蹴るポーズ』『仲直りのポーズ』『仲良く魚を分け合ったと見せかけて、自分だけでかい方を独占するポーズ』『ばれて逃げ回るポーズ』
魔物からも、学ぶところは色々あるものだ。
ゴブリンが去ったあとも、俺たちはのんびりと『魔物体操』を続けた。
ホーンラビット、スライム──それを20分ほど続けたあとは、フェンル、ルチア、マルグリッドも、かなりの汗をかいていた。
「お疲れ様だったな。これを飲め。昨日チーズを分離したミルクの残りに、スライスした『シロレモン』とハチミツを入れたものだ。疲れが取れるぞ」
「フ、フゴフゴ」
「キュ、キュッキュッ」
「……(無言でうねうね)」
いいから。もう魔物はやめて人間に戻れ。ほら、疲労回復ドリンクだ。
「「「ぷはーっ」」」
3人は俺の作ったドリンクを飲み干し、そろってため息をついた。
動いたあとは休憩だ。
俺たちは『結界』の壁に背中をあずけて、ぼんやりすることにした。
こうしてると、周りの気配がよくわかる。水の音、迷宮を過ぎる風の音、壁から石が落ちてくる音、など。このダンジョンを作ったのが誰かは知らないが、なかなか風情のある場所だ。
人の間で生きるのに飽きたら、ここでくつろぎに来るのもいいな。
「もうしばらく休んだら、3人ともシャワーを浴びるように」
「「「はいっ」」」
いい返事だ。
……「クロノ兄さまはきれい好きですね」……か。マルグリッドよ、それもあるが、身体をまめに洗うのは、魔物ににおいをたどられないためだ。
犬系の魔物だけではない、全体的に魔物は人間よりも嗅覚がすぐれているからな。追跡されないように、汗のにおいは流しておいた方がいい──
……って、いや、くさくないからな。涙ぐまなくてもいいぞマルグリッド。ほら、こっちこい。うむ、お前はいいにおいしかしないぞ。大丈夫だ。いつからそんな泣き虫になったのだ。お前は。
気になるならシャワーのあとに、昨日採ってきた花のエキスをつけておけ。それで魔物に「マルグリッドは花だぞー」って油断させることができるからな。
「あのね、クロノお兄さま」
「どうしたルチア」
「シャワーを浴びる前に、学んだばかりの『ゴブリンの動き』を復習しておきたいのね」
ふと気づくと、ルチアが『結界』の中で正座して、俺を見ていた。
涙ぐんでたマルグリッドも、慌ててその隣に腰をおろす。
「復習? 具体的にどうする?」
「昨日と同じ『模擬戦』をしたいのね」「そ、そうです。したいです模擬戦!」
……なるほど。
昨日はフェンルがゴブリン役で、ルチアとマルグリッドに(当てないように)攻撃したのだったな。ゴブリンの動きを真似したばかりだから、それを取り入れて練習したいというわけか。
気持ちはわかるが、肝心のゴブリンはどうだろうか?
「フェンルよ。やってくれるか、ゴブリン役を」
「はい、はい!」
フェンルはしゅたっ、と立ち上がった。
「わ、私、お姉さんですから。ルチアさんやマルグリッドさんよりお姉さんですから、やります。お姉さんですから、妹みたいなおふたりの望みなら、やります。お姉さんですから!」
そんなに『お姉さん』繰り返さなくても。もしかして、腹を出して寝ていたのを気にしているのか。あんなのはいつものことだろう?
しかし、妹分の望みを叶えてやろうというのは感心だな。
「よかろう」
俺は『結界』を最大まで広げた。
「『魔物体操』の効果、見せてもらおうではないか」
「「「はいっ!!」」」
そして、ふたたび3人の幼女の戦いがはじまった。
──20分後──
「「「ふぇぇ…………」」」
「だから無理はするなと言ったのだ……」
3人とも、ぐったりと座り込んでいる。
模擬戦の前に、寝間着に着替えさせて正解だった。これから帰るというのに、フル装備で全力運動などやらせてなるものか。動けなくなったらどうするのだ。
「ほら、シャワーを浴びてこい。汗びっしょりだぞ」
俺の合図で、3人はふらふらと立ち上がった。
フェンル、ルチア、マルグリッドの順で、俺が設置した『シャワースペース』に向かって歩き出す。
『結界』の真ん中に壁を作って、ちょうど2分割したのだ。3人まとめて身体を洗えるだろう。ちゃんと壁は半透明にしておいた。
フェンル、すまんがルチアとマルグリッドを洗ってやってくれ。終わったら髪を結ってやるから。昼前までダンジョン探索を続けるのだ。動きを邪魔しない髪型にしてやるからな。
「ルチアはお団子がいいのね」
「私は、三つ編みにしていただけますか?」
「わたし……だけ……結んでいただくほど長くないです……クロノ兄さま……」
ルチアとフェンルのリクエストはわかった。
マルグリッドは……先は長いのだ。気になるのなら、ゆっくり伸ばしていけばいい。水色の髪は、そのままでもきれいではないか。まったく。
「……それにしても、たいした進歩だな。わずか1日で」
幼女3人の模擬戦だが……動きが格段に良くなっていた。
ルチアとマルグリッドは、昨日見た『商会』のパーティの戦い方を、ちゃんと復習していたようだ。それに『魔物体操』で、ゴブリンの動きを覚えたせいか、奴らの間合いや、攻撃方法を読んで回避できるようになっていた。
フェンルはもっとすごい。あの動きはゴブリンそのものだ。『ごぶごぶ──』って、あそこまでリアルにしなくてもいいのだがな。魔人をドン引きさせてどうするのだ。
まったく、見てて飽きない者たちだ。ふふふ。
「ダンジョン1泊2日が、よい経験になったのなら……いいのだがな」
ルチアとマルグリッドはまじめだ。だから成長が早い。
だが、無理をするところがある。体力の限界が来たら早めにストップをかけてやるべきだろう。
フェンルは戦闘能力は高いが……うっかりさんだからな。気をつけてやらなければなるまい。
さてと、俺の方も、汗くらいは落としておくか。
『水道』でお湯を出して、身体を拭くだけでいいだろう。俺はそんなに働いてないからな。3人がシャワーから出たら、すぐに動けるように準備をしておこう。
…………なにごともなく帰れそうだな。
フェンルとルチア、マルグリッドにとっては初ダンジョンだったから、どうなることかと思ったが、一安心だ。まぁ『おうちに帰るまではクエスト』だから、気を抜かぬようにしなければいけない。俺は奴らの保護者なのだから──。
そう思ったとき。
ピィィィィ──ポロポロポロ──────ッ!!
「『救難信号の笛』、だと?」
通路の先から、音がした。
『救難信号の笛』は、ルチアたちも持っている。冒険者ギルドから支給されて、腰のベルトに結んであるはずだ。
あの笛は、初心者冒険者が救援を求めるためのものだ。指導者からはぐれたり──もしくは、指導者が戦闘不能になったときになどに使われる。
「ルチアとマルグリッド以外の初心者……というと」
昨日『商会』の冒険者と一緒にいた少女たちか。
「フェンル! ルチアとマルグリッドを頼む。なるべく『結界』からは出るな。ただし、必要だと思ったのなら、自分の判断で行動しろ。そのときは、例の作戦で」
俺は手早く装備を身につけて立ち上がる。
「クロノさま!?」
笛の音は聞こえていたのだろう。
フェンルが『結界』を仕切る壁から顔を出す。
濡れた銀髪が頬に張り付いている。彼女はうるんだ目で俺を見て──
「わ、かかりました! でも、少しだけお待ちください。お背中を、こちらに……」
「ん?」
言われた通りにすると、フェンルの細い指が、俺の腰のあたりに触れた。
「鎧をとめる紐が、少しだけゆるんでおりました。万一、ほどけたら危ないですから……はい、これでいいと思います」
「すまぬな」
「わ、私も少しはお役に立ちたいですから」
そう言ってフェンルは笑ったようだ。
背中越しでも、照れているのはわかるぞ、フェンルよ。
「ルチアさんとマルグリッドさんのことは、お任せを! ブロブロさま! お気をつけて!」
「うむ……まぁ、たいしたことにはならぬと思うが」
第1階層だからな。ここは。
俺はショートソードと『変幻の盾』を手に『結界』を出た。
体操で身体もほぐれた魔人さん、新人の救援に向かいます。
いつも「魔人さん」を読んでいただき、ありがとうございます。
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次回、第30話は明日、更新する予定です。




