第26話「魔人さんとはじめる『ダンジョンスローライフ』その1」
翌日。
俺はフェンルとルチアとマルグリッドを連れて『山ダンジョン』の第一階層にやってきた。
──山ダンジョン 第一階層──
自然の洞窟を複雑化した、被造ダンジョン。
通路は岩と土でできている。
地面からは木が生えていて、川が流れているところもある。魚もいるし、食用になる木の実も採れる。このあたりはまだ、ダンジョンというよりも自然の一部といった感じだ。
出てくる魔物はそれほど強くないことから、初心者育成用のダンジョンとして知られている。
攻略はほぼ完了しているが、2・3カ所、いまだ見つかっていない通路と部屋があるという……。
そして──ダンジョンに入ってすぐ、俺たちは魔物に遭遇することになる。
「来たのね、お兄様。魔物なのよ!」
ダンジョンに入ってすぐ、ルチアが魔物の気配を感知した。
数分後、俺にも魔物の姿が見えた。
青い体表。うねうねとうごめく不定形の身体。大きさは野犬くらい。
ブルースライムだ。
『ブルースライム』
低級のスライム。粘液質の身体で人や動物を飲み込み、消化する。
表面から酸を出すため、素手で触れるとやけどする。
弱点は身体の中央にある、深紅のコア。だが、身体全体が伸縮するため、ねらいにくい。
「では近づいてみろ。ルチア、マルグリッドよ」
「お兄様、武器を持っても?」
「なにを言うか。ブルースライム程度に、武器など必要あるまい」
「で、でも、なにか持っていないと不安なのね」
「仕方ないな。ほら」
俺はルチアに鍋を、マルグリッドにお玉を差し出した。
初心者の2人に、スライムの相手は難しい。武器を持っていると、うっかり攻撃して、奴を刺激してしまうかもしれないからな。そうなったらすべてがだいなしだ。
2人は調理道具を手に、ブルースライムに向かって歩き出す。周囲は土が露出した地面だ。背の低い草が無数に生えている。スライムが触れた草に異常はない。酸を出してないってことは、スライムはまだ警戒状態に入っていない──こちらには気づいていないということになる。
だったら、限界まで近づいても問題ないだろう。
「ブルースライムは敵を見つけると、体表面から酸を出す。戦闘中は酸を吹き出すこともあるから気をつけるように。それから、身体の粘度はむちゃくちゃ高い。くっつかれたら外すのは大変だし、身体の内部に取り込まれたら手足くらいは溶かされる。ホーンラビットくらいは食っちまうからな、こいつ」
「お、おどかさないで欲しいのね」
「スライム系とは戦ったことはございません」
俺に背中を向けた2人は、かすかに震えていた。
初心者なのだから当然だ。
「スライム系は色が赤に近づくほど酸が強くなる。深紅のスライムは高レベルのダンジョンにしかいないが、奴らは鉄を溶かすから気をつけろ。別の意味で注意しなければいけないのはピンクのスライムだ。あれは服だけ溶かすからな……」
話している間も、ブルースライムはゆっくりと近づいてくる。
俺は解説を続ける。
スライムが身体を伸び縮みさせることで移動していること。打撃系の武器は効きにくいこと。確実に殺すには、身体の中央にあるコアを破壊するのがベストなこと。
「とにかく、じっくりと観察することだ。敵の動きは速くない。特にマルグリッド、お前はブラックハウンドと戦ったとき、がむしゃらに攻撃していただろう? スライムにそれをやると武器を奪われるからな。気をつけるように」
「は、はい……」
ブルースライムが2人に近づいてくる。
ここまで来ると、奴のサイズがよくわかる。大きさは3メートルくらい。この山ダンジョンの第一階層は、このサイズのスライムが標準なのか。でかいな。ブルースライムの攻撃力なら、殺されることはない。せいぜい酸でやけどするくらいだ。が、初心者には脅威だろう。
だが、この魔人が育成すると決めたからには、逃げ出すことは許さぬ。
ごくり、と息を吞む2人の前で、ブルースライムが粘液質の身体を伸ばしている。すでに間合いは、ルチアたちが腕を伸ばせば届く距離だ。震える2人に向かって、ブルースライムはゆっくりと這い進み──
そのまま、俺が張った『結界』に沿って、斜め上方向へと登っていった。
「…………はぁ」「こ、こわかったです……」
ルチアとマルグリッドは、ぺたん、と地面に座り込んだ。
2人とスライムとの間は、1メートルもない。手を伸ばせば届く距離だ。
怖いのはしょうがないだろう。
まぁ、まわりには『結界』が張ってあるから、スライムごときが通過してくるはずがないのだがな。
「それにしても、気づかないものだな」
ブルースライムは俺が張ったドーム型の『結界』の表面をゆっくりと登っていく。内側からだと壁は透明になっているから、スライムの身体の構造がよくわかる。俺だって、スライムを下から見るのははじめてだ。ゲル状の身体にも、色の濃い部分と薄い部分があるのか。濃い部分が力を入れているところで、薄い部分がそうでもないところ。
こうしてすぐ近くで観察するとよくわかる。
ルチアもマルグリッドも、興味しんしんで、頭上を通過するスライムを見つめている。
俺たちがいるのは『山ダンジョン』に張った結界の中だ。
結界には『空間偽装』を使っている。
『空間偽装』は結界の見た目を変えるスキルだ。さっき確認したが、俺たちが今いる結界は、外からだと『ちょっと盛り上がった岩場』に見えている。中の声も、においも、温度さえも偽装している。
つまり、スライムは俺たちがいる結界を『ただの岩場』だと思って乗り越えているわけだ。
偽装がされているのは外側だけだから、中にいる俺たちからは普通にダンジョンの様子が見えている。外からは岩。で、中からは、無色透明だ。
魔物の観察にはちょうどい。
俺はこれを、ルチアとマルグリッドの修業に使うことにしたのだ。
「授業の続きだ。ほら、こっちこい」
俺はルチアとマルグリッドに膝枕する。
頭上のスライムを見るなら、この格好の方がいいからな。うむ。ルチアは俺の左足に、マルグリッドは右足に頭を乗せるがいい。なんだ……? いや、照れている場合ではなかろう。お前たちはスライムを観察するという、冒険者として貴重な体験をしているのだ。
よく見ろ。スライムがまず身体の前半分を伸ばしているのがわかるだろう。奴はまず、前半分を伸ばして設置させる。そして次に後ろ半分を伸ばして、前を縮める。そうすることで好きな方向に移動しているのだ。
移動するとき、スライムのコア──見えるか? 俺の指さしている方だ──あれは必ず、スライムの身体の重心に位置する。それがわかれば、いちいち目で探す必要はない。
これはブルースライムに限らず、スライム全体に言えることだから覚えておくといい。
「あの……お兄様」
「なんだ、ルチアよ」
「お兄様は、どこでこんなことを学ばれたのですか?」
「……秘密だ」
まさか400年前の魔王城でとは言えまい。
あそこには様々な魔物が出入りしていたからな。他の魔人の中には、魔物をペットにしている者もいた。さらに、魔王城の外は魔物であふれた森の中だ。観察する機会はいくらでもあった。魔王ちゃんはさびしんぼだから、なついた魔物を城に連れて帰ることもあったからな。
「俺のことはどうでもいい。集中するのだ。ダンジョンにいる間は、お前たちのすべてを修業に使ってもらうのだからな」
「お待たせしましたクロノさまー。ルチアちゃん、マルグリッドさん。お昼の準備ができましたよー」
「もちろん、ハラペコでは情報など頭に入らないからな。食事はしっかり取ること。食った分の栄養は、すべて知識に変えてもらうぞ。いいな」
「はいなのね!」「わかりました!」
いい返事だ。が、元気でいられるのは今のうちだ。
今日明日とお前たち──正確にはお前たちと俺とフェンルは、このダンジョンに泊まり込むのだからな。結界の中とはいえ、まわりは魔物だらけだ。その緊張感を味わってもらおう。
恐怖を乗り越えなければ、勇者などになれるわけがないのだからな。
ふふ……この魔人ブロゥシャルトの指導は甘くないぞ。
「くしゅんっ」
「『えあこん』起動。温度調整。気温を1度上昇」
……なるほど、ルチアが震えているのはスライムが恐いからだけではなかったか。
服を着せる間にスライムが行ってしまっては機会を逃すことになる。えあこんで温度調整をしよう。
「すいませんフェンルさま。お昼、いただきます」
「誰が起きていいと行った。マルグリッド」
俺は起き上がろうとしたマルグリッドの肩に手を置いた。
そのまま軽く押して、俺の膝の上に横にさせる。
「え? クロノ兄さま。でも、フェンルさまがせっかくお昼を」
「あーん、しろ」
「え?」
「何度も言わせるな。『あーん』だ」
「は、はい!」
「食事は俺が食わせてやる。お前たちは、スライムの観察に専念するのだ」
俺はフェンルが持ってきた昼食 (朝に獲れたお魚の切り身を乗せた黒パン)をちぎって、マルグリッドの口に運ぶ。マルグリッドはびっくりしていたようだが、魔人に対して抵抗など無駄なことだ。素直に『あーん』して、俺が口に入れた黒パンの欠片を食べ始めた。
次はルチアの番だ。どうだ。うまいか。よかったな。
お茶を飲ませてやりたいが……真上を見た状態で水分を取るのは危険だからな。こぼすと悪いし、変なところに入っても困るからな。まもなくスライムが結界の斜面をくだりはじめる。そうしたら身体を起こしてやるから、それまで待つのだ。
「お、おいしいですか? ルチアさん、マルグリッドさん」
「は、はい。おいしいのね」「ありがとうございます。フェンルさま」
「……よかった」
フェンルは「ほっ」と息を吐いている。
俺もフェンルが作ってくれた『お魚切り身乗せパン』を味見してみる。ふむ。お魚がちょっと焼きすぎだが、悪くない。ソースもいい味だ。作りおきしといたの俺だが。
ところで、フェンルよ。どうしてお前は顔もほっぺたもソースまみれになっているのだ? どういう料理の仕方をしたらそうなる?
あーあ。ソースが髪にまでついているではないか。きれいな銀髪がだいなしだぞ。
「『結界』を再定義。閉鎖空間を作成。遮断:光。通過:フェンル」
俺は結界に指示を出す。
この『結界』は間に壁を作って、いくつかの小部屋に仕切ることができる。
基本的には『従者』の人数分、部屋が作れるのだ。
俺はひとつ、フェンルのために小部屋を作ってやったのだ。
「壁は光を遮断してるから、なにも見えないようになっている。そこで髪と顔を洗ってこい。『水道』の使い方はわかるな? 温水も出るから」
「は、はい。ありがとうございます。クロノさま」
フェンルは俺に頭を下げて、結界の中に作った小部屋へと入っていった。
その後、フェンルだけ通過できるようにしておいた黒い壁から、白い腕が姿を見せた。腕がつかんでいたのは『すくみず』タイプの白い服。それを地面に置いたあとは、肌着、下着──一枚残らず置いたあと、壁の向こうからは水音が聞こえてきた。
壁が真っ黒だと落ち着かないから、半透明にしておこう。うむ。いるな、フェンル。なんか変な声が聞こえたけど……『水道』の温度調整でも間違えたか?
現在の『結界』の状態を改めて解説すると、ダンジョンの中にドーム状の結界があり、その上を、まるで太陽が空を渡るようにブルースライムが通過している状態。その真下には俺とルチアとマルグリア。そして結界のすみっこには小部屋があり。フェンルがそこでシャワーを浴びている。
時刻はお昼。だが、結界の中は薄暗い。
壁に張り付いたヒカリゴケが、ほのかな光を放っているだけだ。もちろん、結界の中には火のついたランタンがある。『こんろ』をつければ灯りの代わりにもなるからな。
空気も『えあこん』のおかげで澄んでいる。どうも『えあこん』には空気の浄化機能があるらしい。スライムの前にも、何体か魔物が通過していったが、俺たちに気づいた者はいなかった。ダンジョン内での『結界スローライフ』、余裕でいけそうだ。
「スライムさん、行っちゃうのね」
「クロノにいさま。ここからスライムのコアを狙ってはいけませんか?」
「お茶が冷めるから、飲んだあとにしろ」
昼食を終えた俺たちは、膝を立てて座りなおし、ずずーっ、とお茶をすすってる。
ブルースライムはとっくに結界のてっぺんを通り過ぎて、今は下り坂にはいっている。もうそろそろ、地面につくだろう。ルチアとマルグリッドの視線はスライムのコアに集中している。ルチアは指で、スライムの身体がのびちぢみするタイミングを計っている。敵の動きがわかってきたようだ。次は、結界内から攻撃させてみよう。
「さよならなのね、スライムさん」
「ありがとうございました」
ルチアとマルグリッドは、スライムに向かって手を振った。
ブルースライムは俺たちの存在がわかったわけではないだろうが、なぜか地面で三度、のびちぢみしてから、ダンジョンの通路の先へと進んでいった。
「さて、と。もう少し奥へ行ってみるか」
ホーンラビット、ブルースライムの生態は確認した。
この先は岩場から、土の地面に変わるそうだ。もう少し強い魔物に出会えるかもしれぬ。
元々2泊3日のつもりだったが、冒険者ギルドの指導のせいで1泊2日になってしまったのだ。効率よく行こう。
「ルチア、マルグリッド。カップと皿を渡してくれ」
「はいなの」「どうぞ」
「『結界収納』」
俺は結界の天井に食器を押し当てた。結界表面がかすかに光を放ち、カップと皿が姿を消す。これで異空間に収納されたことになる。劣化もしないし、結界の中にいればいつでも取り出せるというすぐれものだ。あとで、水場に行ったら洗うとしよう。
「お兄様、移動するならこれも」
「こちらも、おねがいいたします」
「おお。そうだな。フェンルー。一旦服はしまっておくぞ」
俺はフェンルが脱いだばかりの服を『結界収納』した。
これで地面に置き忘れたものはないな。
おっと。水が出っぱなしというわけにはいかない。フェンルが浴びてる温水を、こっちでコントロールして止めて、と。あっちに『えあこん』で温風を出して、と。これですぐに身体も乾くだろう。
「フェンル。もう少し先に進むぞ。『結界』を張ったまま移動するから、タイミングを合わせて歩いてくれ」
「歩いて……って、私……裸なのですが!? クロノさま!」
「気にするな。どうせ外からは見えぬのだ」
「見えませんけど! でもこっちからは外が丸見えなんですよーっ!? 裸でダンジョンを歩くなんて聞いたことありませんよー」
「確かに、それは問題があるかもしれぬな」
「そ、そうです。やっぱり、裸はだめですよね!」
「足下が危ないからな。はい、靴」
「そういう意味じゃないですうううっ!!」
「じゃあ移動するぞー。右足からだ。せーの」
「クロノさまああああああっ!」
俺はダンジョンの奥に向かって、結界をゆっくりと移動させていく。それに合わせて、中の俺たちも歩き出す。外から見たら岩場が移動しているように見えるのだろうが、ルチアの『魔物探索』に魔物は引っかからないから問題なしだ。
問題は──
「……ふええええええん。は、はずかしいですよぅ……」
壁の向こうで、すっぱだかで歩いているフェンルくらいだが──まぁ、いいだろう。
フェンルも、ルチアとマルグリッドの育成には協力すると言ったのだからな。魔人も、魔人の従者にも二言はないのだ。
時間もないことだし、フェンルにもしっかり協力してもらおう。
魔人さんのダンジョンスローライフはまだ続きます。
いつも「魔人さん」を読んでいただき、ありがとうございます。
もしも、このお話を気に入っていただけたのなら、ブックマークしていただけたらうれしいです。
第27話は、明日の同じ時間に更新予定です。




