第14話「魔人、お姉ちゃんをパニック状態にする」
──え、なんで? 子爵さまが? 貴族の方が? どうして!?
──そもそも、なんでこんなちっちゃな少女が貴族なの? それに、耳がちょっととがってるように見える。ハーフエルフかな? かっこいい。いや、そういう問題じゃないよね? わからない。なにが起こってるのかわからない。
ノエルの頭の中はパニック状態だった。
……でも、予感があった。
こんなこと、普通はありえない。こんなことできるとしたら、普通じゃない人だ。
ノエルの知る限り、そんな知り合いは一人しかいない。
「はい。わたくしはクロノさまの紹介でまいりましたの。この孤児院で働く気はないか、と」
「やっぱり────っ!?」
「「クロにいちゃんが!?」」
うれしそうな声をあげるカティアとミリエラ。
そんな2人を見ながら、ノエルはなんとか気持ちを落ち着ける。だって、クロちゃんだもの。クロちゃんじゃしょうがないよね。うん。クロちゃんなら、こういうこともあるよね……。
「クロノさまからお手紙を預かっております。これを」
アグニス子爵が差し出す手紙を、ノエルはおそるおそる受け取った。
開くと──あ、これクロちゃんの字だ。こないだ送ってくれた服についてた署名とおんなじ。なになに──
『前略、ノエル姉ちゃん。お元気ですか。チビたちは言うことを聞いていますか。
俺はなんやかんやあってゴーストと戦うことになり、なんやかんやあって子爵家の生き残りの少女を助けることになりました』
「略しすぎだよクロちゃん──っ!」
『彼女、アグニス=ギルモアさんは子どもが好きで、フォルテ孤児院にも寄付をしたことがあるそうです。イライザ母さんとも知り合いだそうです。
俺がその孤児院の出身だって言ったら、ぜひともそこで働きたい、と言ってくれました』
「子爵さまになんの話をしてるのクロちゃん!? どんな話の流れでそうなったの!?」
『アグニスさんにはいろいろ複雑な事情があるけれど、親切で教養もある人です。孤児院の手伝いをする意欲もあるようだから、ノエル姉ちゃんの迷惑にはならないと思います』
「違うから! クロちゃん。お姉ちゃんが問題にしてるのはそこじゃないから!」
『お金は全部前払いしてあります。ノエル姉ちゃんに負担はかかりません。姉ちゃんが忙しいときにはチビどもの面倒を見てくれるし、気が向いたら勉強も教えてくれるそうです。一応、試用期間3ヶ月ってことにしてあるから、まぁ、やとってあげてよ』
「軽っ!? 軽すぎるよクロちゃん──っ!!」
しかも、自分の近況を全然書いてくれてないし……。
軽い頭痛を感じて、ノエルは額を押さえた。
クロちゃん、身分とか生まれとかにこだわらないのはいいけど、桁外れすぎだよ。お姉ちゃんどうすればいいの? 貴族さまを門前払いになんかできないし、だからって下働きなんて……ああもうっ!
「とりあえず、お茶をお入れします。どうぞ、中へ」
なんとか落ち着いた声を出せたのは、クロノからの手紙のおかげだ。
クロノが関わった瞬間に、ノエルにとって目の前の少女は「子爵さま」ではなく「クロちゃんの知り合い」に変化していた。それならたぶん、大丈夫。落ち着いて話ができるはず。
ノエルのそんな思いに気づいたのか、目の前の少女はやわらかく笑ってる。可愛い。
「……ちっちゃな子の相手は慣れてるし、大丈夫かな。だといいな……」
ノエルはそうつぶやいて、アグニスを応接間に招いたのだけど──
「え? 24歳? 年上──?」
ノエルがアグニス=ギルモアの話を聞いて、最初に驚いたのはそこだった。
ちなみに、服はよそいきに着替えている。
つい最近『漆黒の闇に在る者X』が送ってくれたものがあったから。クロちゃん……まさかこのために送ってくれたんじゃないよね。まさかね。
「なるほど……呪いが解けて、それで次の生き方を見つけるために、孤児院のお仕事がやりたい、ということですか……」
「はい」
黒髪の少女はうなずいた。
なるほどなるほど。
幼いのは呪いのせいで成長が止まっていたからってことね。
住むところは、村長さんに頼んで空き家を手配済み。孤児院には通いで来てくれる。料理も掃除も一通りできる。ただ、背が低いから洗濯は苦手。物干しに手が届かないから……なるほどなるほど。
あれ? 断る理由がないよ? どうしよう……。
「で、でもでも……」
ノエルは高速で思考を巡らせる。
問題は仕事ができるとかできないとかじゃない。ちっちゃいことも気にならない。問題は──
「そ、そうです。貴族の方に下働きをさせるわけには……」
「……そうですか」
アグニスは肩を落としてうつむいた。
でも、すぐに顔を上げて──
「では、先生ということではどうでしょう?」
「先生?」
「はい。わたくし、読み書きは得意ですの。一応、貴族のはしくれですから礼儀作法も身につけています。それを子どもたちに教えるというのは?」
「……それなら」
──珍しい話じゃない。
没落した貴族さまが、その知識と教養を活かして先生をやるというのは、意外とよく聞くお話だから。
もちろん、普通は孤児院に貴族の先生なんかこないけど、本人が「やりたい」っていうなら、断るのも失礼だ。ちょうど、みんな文字を勉強したがってたことだし、そういうことなら、お願いしてもいいかな……。
「でも……先生となると、下働きよりもお給料が上がるのでは……」
「いえ、それでも3年分の給料を前払いでいただいておりますので」
「一体いくら払ったのクロちゃん!?」
なにやらかしたの? 人助けなのはわかるけど。いや、クロちゃんはたぶんわかってないだろうけど……そんなお金があるなら自分のために使えばいいのに! なんで孤児院のために大金はたいてるの? 生活は大丈夫なの? クロちゃん!?
「本当は……わたくしもあの方についていきたかったのです」
ぽつり、と、アグニスがつぶやいた。
「ただ、あの方には大きな野望があるようですし、今のわたくしでは足手まといかと」
「いえいえ、クロちゃんはきっと、みんな仲良くのんびり暮らすことしか考えてないと思います」
だって、クロちゃんだもん。
ノエルは、はぅ、とためいきをついた。
とにかく、話はまとまった。アグニスさんには、ここで子どもたちの勉強を見てもらおう。表向きは、身体の弱い貴族の方が、空気のいい村に静養にきたってことになってるから、問題なし。この村、最近やたら強化された結界のせいで、魔物はまったく来ないもんね。静養するにはいいよね?
この村はなぜか最近、魔物よけの結界が超絶強化されてるから、ゴーストにとりつかれたりすることは絶対ないし、そういう意味ではすごく安全。村長さんの話では「これだけ強力な魔物よけ結界は、若いころに一度だけ近づいたことのある王宮並みじゃー」だって。ふしぎだねー。だれのしわざだろーねー。
心の中で弟分の顔を思い浮かべてから、ノエルはアグニス子爵に向き直った。
「じゃあ、空いた時間でいいですので、子どもたちに勉強を教えていただけますか?」
「はい、わたくしのすべてをかけて!」
「……いえ、それほど気合いを入れなくても」
「本は持参してあります。もちろん、無理強いはしませんが、子どもたちの望むことであれば、なんでも教えてさしあげられます」
「具体的には?」
「文字の読み書きと、文章の書き方、計算、歴史に礼儀作法──あとは魔法です」
「ちょっと待ってレベルが違います! それって、上級貴族さまの家庭教師レベルですけど。いいんですか!」
「いいんです!」
断言された。
あ、もう給料前払い済みなんだっけ。
──ああもうっ!
ノエルはテーブルにつっぷして頭を抱えた。
アグニス=ギルモア子爵──そういえば聞いたことがある。イライザお母さんの時代に、孤児院に寄付をしてくれた女性だ。ってことは母さんとも手紙のやりとりはしてたわけで、身元は完全に保証済み。断る理由ないや。あーもー、クロちゃんめええええええっ!!
「あのねあのね、アグニス……さま」
気がつくと、ちっちゃなミリエラが、アグニス=ギルモアに話しかけていた。
貴族さま相手には、近すぎる距離。
でもアグニスは怒るでもなく、おだやかに笑いかけている。
「なにかしら、金髪のかわいらしいお嬢ちゃん?」
「あのねあのね。クロにいちゃんが、立派なレディになったら、およめさんにしてあげてもいい、って、ちっちゃなころ、言ったの」
「まぁ」
アグニスは、子どものいたずらを見つけたような顔で、口を押さえた。
「まぁまぁ、あの方がそんなことを?」
「アグニスさまに勉強を教えてもらったら……立派なレディになれる? ……いえ、なれますか?」
「なれますとも」
そう言ってアグニスは、ミリエラの髪をなでた。
「あなたが望むのであれば、わたくしが、なんでも教えて差し上げます」
「じゃあ、がんばる! レディになって、クロにいちゃんのおよめさんになる!」
「……うん。やっぱり、すばらしい子どもたちのようですわね……」
アグニスは立ち上がり、ノエルの方を向き、丁寧なお辞儀をした。
「あなたたちのお邪魔はいたしません。この子たちが望むとき、勉強を教えさせていただければ、それでいいです。どうかこのアグニス=ギルモアを、この可愛い子たちの先生として、雇っていただけないでしょうか」
「……わかりました」
ノエルはうなずいた。
ここで断ったら悪者だもんね。
それに、子どもたちにとっては悪い話じゃない。むしろとってもいいお話。たぶん、クロちゃんもそう考えたんだろうな。もー、でも、ちゃんと一言いってよね! びっくりするじゃない。もーっ!
「これからよろしくお願いします。アグニス=ギルモアさま……ところで」
子どもたちに聞こえないように、ノエルは声を潜めて問いかける。
「立派なレディになる方法……私にも教えていただけますか?」
「……まぁ」
思わず見つめ合う、ノエルとアグニス。
そして2人は笑い出す。
こうして、ジルフェ村のフォルテ孤児院に、専任の教師が着任したのだった。
その後、アグニスの知識と教養に感動した村長さんが「ぜひ村の教師になってくだされ!」と言って学校の建設をはじめ、そこからフォルテ孤児院の子供たちを含めた生徒たちが巣立っていくことになるのだが、それはまだ、かなり先の話である──。
というわけで、ここまでが第1章になります。
魔人さん、ふたたび王都を目指して旅に出ます。
第2章は来週の前半くらいにスタートの予定でありますー。