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暗闇に黒猫  作者: Rask
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追憶〈両字〉

来門両字の生まれは極平凡な鉱山町だった。

家族は父と母、そして七歳程も歳の離れた弟が一人居た。

父はその町で炭鉱夫をしており、母は内職で細々と生活をしていた。

しかし、時代は高度経済成長の最中にあり町の辺りは開発が進み大気汚染、それによる人体への健康被害が問題となっていた。

そして両字が十歳の夏、父が鉱山の崩落事故で死んだ。

当然、一家の大黒柱を失った家族には貧困の一途しかなかった。

両字は、家族の母と弟の為に子供ながら稼ぎに出て必死に生活しようとした。

だが、大気汚染によって母と弟は病にかかったのだ。

しかし、不思議な事に両字だけはその病にかからなかった。

引っ越したくても先立つ金は無いし、金が無いから医者にも行けない、金が無いから食べ物さえもろくに食べられなかった。

一時的に生活をどうにかする為に、危ない所に借金もした。

それが元で、両字は借金取りに何度も何度も殴られた事もあった、その怪我も不思議と直ぐに治ったが痛みがある事には変わらなかった。

そんなある日に母は両字に言ったのだ。

「ゴホッ…両字、貴方は元気で若いんだから私達を放って違う町に行きなさい…」

息苦しく咳き込みながらも、そのか細い声を振り絞って言った。

「なんで…そんなことを言うんだよ母ちゃん!!」

両字は必死に母に諦めないように説得した。

既に弟は臥せり、いつ死んでもおかしくない状態だった。

「俺が何とかするから!!」

しかし、幾ら頑張っても子供の稼ぎには限界があった。

その日、隣町の新聞配達や小売店の手伝いから帰ってくるとあばら家が物音一つせずに静まり返っていた。

「ただいまー」

明かり一つ無く、狭くて暗い部屋から返事が無い。

ランプの明かりを点けて、真っ先に目に入ってきたのは倒れた母だった。

「母ちゃん!」

直ぐに抱きかかえて呼び掛けるが返事は無かった。

その体は冷たく息をしていなかった、その体の腹部から赤い液体が染み出していて包丁が刺さっている、自殺だった。

弟は息を引き取り身動き一つしていなかった。

両字は慟哭した、両の目から溢れんばかりの涙を流し声は枯れるほどに叫んだ。

深い悲しみの中あばら屋のドアを開く、その訪問者は借金取りの人間だった。

「おーおー、綺麗に死んでくれちゃってまぁ」

横たわる母の亡骸を見て、泣き枯れて無気力になった両字に囁く様に借金取りは言う。

「金返すまでは、そのゴミみたいな命を取らないで置いてやったのに、死んで逃げるたぁーね」

(五月蝿い…)

両字の頭に手を乗せて、髪を乱暴に掻きながら気持ち悪く男は囁く。

「病気持ちだから臓器も売れやしねぇーしよぉ…」

(五月蝿い五月蝿い…)

男は無反応の両字に面白くなかったのか、次は両字の喉を鷲掴みにして壁に押し付けた。

「お前に責任押し付けて母ちゃん逃げちゃったなー、お前を男児好きの変態にでも売り付けるか?それか一生うちの組の奴隷にでもすっか?」

男はギャハハハと下卑た笑い声を上げる。

(五月蝿い…五月蝿い五月蝿い…五月蝿い五月蝿い五月蝿い…五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!)

「死ね…」

両字が鬼の形相で男にそう呟くと、喉を掴んでいた男の右腕に手をやる。

「はぁ?」

此れまで茫然として黙りこくっていた両字に不意を突かれて、男は間抜けな声を出す。

両字の喉元にあった右腕の手首に強烈な圧力が掛かる。

「痛えッ!!」

男が悲痛の叫びを上げ両字から飛び退こうとするがそれは叶わなかった、その剛力で既に腕を掴まれ逃げられなかったからだ。

両字は痛みでしゃがみこんだ男の首を、お返しにと言わんばかりに右腕で掴み返す。

「っあ…くっ…」

呼吸も出来ずに男はもがく、両字を攻撃するとかよりも先にその右腕をほどこうと抵抗したが無駄だった。

既に両字の目に光など無かった、その暗く淀んだ目は静かに男が息絶えるのを待つだけだった。

(この世界は間違ってる、母ちゃんや弟みたいな人間ばかりが踏みにじられて死んで、こんなゴミみたいな奴ばかりが貪って生き永らえている)


そして憎し故郷を離れた両字が十八歳の頃になると、自分の異能力を手当たり次第に乱用し暴れまわり、既に両字は地元のヤクザ集団や不良グループに目を付けられる存在へとなっていた。

喧嘩無敗の通り魔、危険街の住人すらも恐れる無法者だった。

ある時は不良グループを手当たり次第にボコり金を巻き上げ、ある時はヤクザの取引を邪魔したり、組員を拉致って金を要求すると言う破天荒な事もした。

その数々の事件は、どちらの人間も堅気では無かった為に目立つ様な警察沙汰にはならなかった。

「目には目を悪行には悪行を」と言うことだった。

銃や刃物を使うような相手には、容赦無く死傷になるまでやる事もあった。

その行為で家族が戻るわけでも、ましてや誰かが救われる訳でも無かったが、両字にとってそれが一番の生きる意味であり燃え盛る怒りを抑える術だったのだ。

そんなある日、両字はヘマをやらかし、恨みを買ったヤクザ集団に捕まった。

人目の付かない地下室に監禁され拷問を受けた、その内容は凄惨を極め、両字の持つ肉体の再生能力で甚振り遊ぶような内容だった。

何度も背中に鞭を浴びせ、顔をナイフでなぞったり、指をペンチで千切ったり、膝をハンマーで粉々にされたりした。

そして拷問が始まってからの何日かめに、肉体は不死身の両字だが精神は衰弱しきり、意識が朦朧とする状態になった。

(やっと死ねる…此の世界にもう未練など無い…自分の無力で大事な人は当に消えた…)

それは両字の覚悟であり弱音だった、早く息絶えて楽になりたいと言う。

朦朧だった意識は消え失せ、暗い暗い無意識の世界だった。

「………か?」

何か聞こえる。

「……………ぶか?」

何かの呼び掛けが微かに聞こえて、次第にそれはさっきよりも聞き取れた。

重い瞼を何とか開いてその視界を復活させる。

「君、大丈夫か?意識は?」

自身の血の汚れや拷問でボロボロになった衣服の両字に、心配そうに声を掛ける白い羽織りと袴姿の眼鏡の男。

その部下らしい人間も三人程、黒の似たような格好で外を警戒するように立っていた。

「つっ…大丈夫だ」

ヤクザ集団に拉致られて拷問された挙げ句に、次は違う謎の集団、両字は混乱していた。

「あんた…誰だ?」

深い疑いの表情で両字は聞いた。

「私の名前かい?」

そのやり取りを見ていた部下が「何を無礼な」と言った雰囲気で割り込もうとするが、眼鏡の男が手を挙げて制止する。

「私の名前は…夕霧、夕霧光弘だ」

その後、両字は夕霧家に連れられ体力が回復するまで看病された。

「光弘さん…貴方はヤクザ者なんですか?」

両字は何の遠慮もなくハッキリと尋ねた。

すると、光弘は一瞬目を丸くしハハハと笑いながら言った。

「違う違う!確かに昔から一門と言うシステムで成り立ってはいるがそれとは違うよ」

光弘の話に拠れば、彼等は古くから公家方の人間で由緒ある家系なのだと言った。

「じゃあ何故、あそこに?」

両字の意識が戻った時、あの場に居たヤクザ達は既に打ちのめされ制圧されていた。

「あの集団の横暴に悩まされていると地域の住民から我々に嘆願が来ててね、最初は話し合いで形をつけるつもりだったのだが君が監禁されているのを知って強行手段を取ったんだ」

要するに、今回の両字救出は奇跡的なタイミングだった訳だ。

それからの両字は「好きなだけ此処に居てくれ」と光弘に言われ、受けた恩義の分は返そうと夕霧家で働く事にした。

元々子供の頃に色々な仕事をしていた為に、手伝いの手際はとても良く根も悪い人間では無かったので直ぐに他の使用人とも仲良くなった。

一度、光弘の奥方であるアリスとも話をし、その穏やかな性格に本当に此の家は格式のある一族なのだと知った。

光弘の気さくで優しく頼りになる雰囲気は、此れまで汚く卑怯な大人に心を切り裂かれた両字にとって、それはとても眩しくて暖かい物だった。

最初は体力が回復したら出ていくつもりだった両字だが、そのままズルズルと一年が経ち、気付けば両字は夕霧一家をすっかり慕い光弘の事を兄貴分だと思う様になっていた。

「兄貴ー!」

両字の仕事の一つである、朝の御使いを済ませ光弘に声を掛ける。

「おお両字、御使いお疲れ様」

労いの声を掛ける。

「あのー」

両字は少し気恥ずかしそうに切り出す。

「ん?どうしたんだい?」

「えっと、そろそろ奥方様がお子さんを出産すると聞いたので…」

両字がちょっと照れながら出したのは此れから産まれる子供への贈り物だった。

それは赤ちゃんをあやす為のでんでん太鼓だった、両字としても古風だなとは思ったのだが他に洒落た物も思い付かなかったのでそれにしたのだ。

光弘は両字からの急な贈り物に驚いて、その贈り物を見ると嬉しそうに言った。

「嬉しいよ!娘がグズったら使わせて貰おう」

「へへっ」

両字は光弘がとても喜んでくれて嬉しかった、それとその言葉から推測するにどうやら生まれてくる子は女の子と言う事らしい。

「そうだ!聞いたぞ両字、お前景子ちゃんと最近仲良いんだって?やるなー」

景子とは両字が最近気になっている、此の家の使用人仲間の女性だった。

「い、いえ…そんな」

本来は仕事場での恋愛沙汰等は余り良くない、と言うのが一般的なものだが光弘は全然気にしなかった、寧ろ両字にとってそれが幸せな環境であればそれで良いのだと思うほどだった。

贈り物を渡す時とはまた全然違った気恥ずかしさが両字に湧いたのだった。

光弘とアリスの娘クロエが無事産まれ、幼いその身体を抱かせて貰い両字は更に下働きにやる気を出した。

そしてその数年の間、夕霧家では少し動きがあった。

夕霧家による一族の復権、その為による水面下での動きだった。

両字は既にその事も知っていて、光弘に「自分も戦力傘下に加えて欲しい、力になりたい」と御願いをしていた。

だが、光弘は頑なに断った。

「駄目だ、両字には人並みの幸せを掴んで欲しいのだ」

両字は夕霧家の為に自分の力を振るいたいと、とてももどかしかった。

そして早六年が経った、両字は今日も日課の御使いを済ませて光弘の元へと行った。

「御早う御座います」

「ああ、御早う」

今日は光弘とアリス、そして娘のクロエを連れてイギリスにあるアリスの兄の家に行く予定だった。

「どうか御無事で」

ガタイの良い大男が恭しく礼をする。

「両字!」

急に両字の肩をポンポンと叩いて光弘は言った。

「今回の話が終わったら、お前を是非家に迎えたい!」

それは両字を使用人ではなく、夕霧家の義弟として迎えたいと言う申し出だった。

それを聞いた両字は驚愕して一瞬呆けてから、頬が緩み涙が自然に出た。

「ほ、本当に!?」

泣いて喜ぶ両字に、光弘が「頑張れよ」と言うように優しい目で頷いた。

「全く、お前程の大男が泣くなんて皆びっくりしてしまうではないか!両字を泣かしたと景子さんから僕が怒られてしまう」

そう言うと、光弘の横に居たアリスもクスクスと笑っていた。

アリスの腕には、朝一番だったのでまだスヤスヤと寝ているクロエが抱かれていた。

三人が屋敷を発ってから翌日に両字は「帰ってきた三人に何か贈り物をしたい」と考え少し遠出をする事にした。

「景子ー、居るかい?」

両字の伴侶にあたる来門景子だ、実は二年ほど前に籍を入れ彼女の身体には両字の子も宿していた。

「あら両字さん、どうしたの?」

「ちょっと暫く出たくてね」

帰ってきた三人の為に美味しい料理やお菓子を振る舞いたいのだ、と言ったら大賛成してくれた。

夕霧家の好意で十分過ぎる賃金と身重の景子に対する周りの気遣い、両字と景子はとても生活しやすくして貰っていたし当然の事だった。

両字にとって今の環境は、これ程に無いと言う位に順風満帆だった。

新しい義理の家族ができ、自分の妻から実の子が産まれる、両字は此れからの明るい未来に胸を踊らせながら夕霧家の屋敷から出掛けていった。

海町で新鮮な魚介を買い、そこからまた少し離れた場所の美味しいと有名な和菓子も買いに行った。

そうこうして帰る頃には日も暮れ始めていた、この年代にはまだ携帯と言う物が無かった為、両字は近くの公衆電話で帰る連絡をする事にした。

硬貨を投入しダイヤルを回す、呼び出しの音は出ているのだが一向に答える気配がなかった。

(屋敷の人間が誰か出るはずなのに、おかしいな…)

疑問が沸き両字に少し嫌な予感がよぎる。

急いで駆けて電車に乗り夕霧家へと向かった。

霊元山の麓に土地を持ち、その開いた場所に夕霧家の屋敷は構えてある。

屋敷への登りの入口で少し焦げくさい臭いが漂い、両字の不安はより一層深いものとなる。

(巫山戯るな!やめろ!)

荷物を放って、焦り躓きそうになりながらも駆けた。

格式高い樫と鋼鉄の大門を一人の馬鹿力で開け放つ。

そこにあったのは残り火と無惨にも原型が分からない炭や灰だった、嫌な黒煙が無限に空へと舞う。

両字は力無く倒れ、その場で膝を着いた。

「何でだ?何で…」

あの日枯れきったと思った涙が止めどなく流れる、まるで無限に降り落ちる雨の様に。

いや、此れは既に涙ではなかった両字は自分の目の下を掻きむしり血を出した。

(何故だ!何で?俺が悪いのか?俺が何をしたんだ?此の世界は俺が憎いのか?)

「巫山戯るな!何で優しくて死ななくても良い人達が、こんな目にあうんだ間違ってる!」

両字は硬い門の金属部に何度も頭を打ち付け、腕を何度も叩き付け骨を砕き、足を何度も打ち付け骨を砕き、自分を殺そうとした。

だが、彼の力が()()を許さない、彼を生かし憎しみの呪いから解放をしなかった。

(なら良い…此の世界が俺を死なせてくれないなら…俺は俺のしたい事をしてやる…)

「殺してやる…」

その日、燃え滾る復讐を魂に刻み、復讐だけを己が生きる目的とする鬼がそこに産まれ堕ちた。

そしていずれ、その鬼は復讐を生きる糧にするもう一人の少女と出会うのだ。

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