因縁
倉庫での戦闘から直後、一方ではこんな動きがあった。
現場から幾らか離れたあばら屋に隠れている連中が二人そこに居た。
「ハァハァ…、ッ何なんすかアイツは!?俺が言うのもなんですが化物みたいな奴でしたね」
あの後に必死に走って逃げてきたのであろう男「来門両字」が息を切らせながらもう一人の女「夕霧クロエ」に問う。
「あれは此の国で昔から暗躍している組織・干支志士の人間だろうな…」
両字とはうって変わって体力に余裕を見せるクロエだったが、その表情はとても憎々しさを物語る顔になっていた。
「私個人的にもあの組織には恨みもある…、私は長い間この時を待っていたんだ」
「はぁ、そう言えばボスに事の顛末を報告しときますよっと」
「ああ、頼む」
クロエの様子がいつものものとは全然違ったが、両字はさして気にする様子もなく、さらっと流してスマホで連絡をしに行く。
両字が外に出た後クロエは正座になり目を静かに閉じてから一人瞑想する。
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十五年前の冬、イギリス・ロンドンの閑静な住宅地、その日は前日の雪が辺り一面に降り積もっていた。
「ねぇお母さん?近くの公園に遊びに行ってきて良い?」
白く透き通った髪の少女が長い金髪の異国の風貌を持つ女性にお母さんと呼び掛ける、親子揃ってとても綺麗で可愛らしい人達だった。
「あら、此処ら辺はクロエが一人で遊びに行くにはまだ早いわよ~」
「もう!私だってもう今年から小学生なのよ?子供扱いしないで!!」
母にまだ一人で出掛けるのは早い、と言われ少女は頬をプクっと膨らませる。
「もう~、仕方無いわねクロエったら」
まだまだ十分子供なのに「子供扱いしないで」と可愛らしく憤慨する少女に対して、母は堪らずにしゃがんでハグをしてから頭を優しく撫でる。
「分かったわ、ちょっとしたらお母さんも行くから絶対怪我だけはしないようにね?車にもちゃんと気をつけるのよ?」
此の辺りはとても静かな上に公園も2、300メートル位の近場にあり、人当たりの良いご近所さんも多いから少しの間なら一人でも大丈夫だと感じたのだ。
「はーい!」
母が立ち上がり離れた後に少女はニカッと笑いながらお母さんに向かって手を挙げる。
「じゃあ、いってきまーす!」
クルリと向きを変え少女はその小柄な体を弾ませるように駆けていく。
いつも交わすような母との日常、これまでもこれからも変わらないんだと少女は信じて疑っていなかった。
静かな公園についた少女は、まずはベンチに降り積もる雪を固めて小さい雪ダルマを作ろうとする。
が、突然横から知らない声が呼び掛けてきた。
「お嬢ちゃん、此処ら辺の子かい?」
知らない人間が急に呼び掛けるものだから多少驚くが、少女はたじろぎはしない。
「うん、おじさんは違うの?」
少女の返答に苦笑しながら隣のベンチに座っている男は答える。
「はは、おじさんか…一応まだ二十歳なんだがなぁ、俺は仕事で此処にさっき到着したばかりでね」
よく見るとその人物は黒髪に鋭い目、そして黒い外套を上に羽織っていた、腰には長い筒のような物が掛かっている。
「まぁ、君くらいの年からすれば大抵の人間はオッサンとオバサンだわな」
男はウンウンと目を閉じ顎に手を当てて自己解決していた。
「それ!刀って言うんでしょ?お父さんも持ってるから知ってるよ」
異国の地にて同じ日本語を話す相手に気を許したのか、もしくは不思議とこの男が悪い人間では無いと感じたのかもしれない、少女は無邪気に話す。
「おじ…お兄さんのも黒くてカッコいいけど、お父さんのは白くてね、とーっても綺麗なんだよ!」
「ほぉ、そうか!でも、これは嬢ちゃんにはまだ危ないから触っちゃ駄目だぞ」
刀を褒められて男は少し上機嫌になったが、少女に物騒な物を見せてはいけまいと、チラりと出てしまっていた刀の柄を外套で隠した。
「ところでお兄さんはどうしてこんな所にいるの?」
こんな白昼堂々と公園のベンチに独り座っている大人、まぁまぁ普通に怪しい。
「此れから仕事で人と話合う約束しててね、俺って遅刻しやすい性格だから早めに来てみたものは良いものが、此処らの道が全く分からなくてね」
はぁ…と溜め息をつきながら事情を明かす。
「フフフッ、大人なのに迷子なんだ!」
少女は自分よりも遥かに年上の人が迷子なのが可笑しくて笑ってしまった。
「くっ、なんも言い返せねぇ…」
男は自分よりも十歳以上年下の女の子に笑われているのが少し悔しい様だった。
「此処の辺りにある筈のグロブナーさんて言う人の家を探しているんだが、嬢ちゃんは知らないかい?」
知っているも何も、少女にとっては見知った叔父の家だった。
「知ってるよ!あそこを右に曲がってねあっちをー」
少女は得意気に道を教えた。
「おお、有難とな!良かったこれで遅刻せずに済みそうだ」
男は少女に感謝を述べると共に手を振って去っていった。
それから少女は大きい雪ダルマを作ったり、木に雪玉を投げたりして遊んでいたが少し変に思った。
(もう、お母さんったらすぐに来るって言ったのにおかしいなー)
家を出てからまだ20分ちょっと程だったが、ちょっと心細くなった少女は一旦帰ることにした。
玄関に辿りつきチャイムを鳴らす、しかし少ししても出てくる気配は無い、何時もならお母さんがドアを開けて迎えに来るのに静まりかえっていた。
ドアノブを捻り押して玄関に入っていく。
「お母さーん?お父さーん?」
返事は無い、ただ静まり返る空気がそこにはあった。
少女は玄関から少しずつ居間に近付いて行く、此処は叔父のグロウブナーが所有する別荘で本拠の屋敷よりは小さいがなかなかに広い家だった。
音の一切無い空間で緊張しながら居間のドアを開く、そこには衣服を鮮血で赤く染めた両親が項垂れていた。
「なん…で?、お母さん…?お父さん…?」
切り傷や刺し傷、そして血に濡れた亡骸となった両親の前に膝を付き呆然とする、まだ物心がつき始めた少女にとって余りにも酷な現実が打ちつけられる。
「嫌だ…そんな…いやだいやだいやだいやだいやだ…アアアアアアアアァァァァァァ」
両親の死という耐え難い事実を否定する言葉が悲しく木霊の様に連呼する、身体の防衛本能が泣き崩れる彼女の精神を守ろうとしたのか、次第に目力が失せて行き意識を徐々に失っていったのだった。
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ーー
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十数年経つ間この憎しみだけは片時も忘れた事はない、無力で愚かだった自分に慚愧の念しか覚えなかったのだ。
「連絡して来ましたよお嬢」
正座で瞑想中のクロエに戻ってきた両字が呼び掛ける。
「いつも済まないな、して叔父上は何と?」
両字が言っていたボスというのはクロエの母方の叔父に当たる「アラン・グロブナー」という名の人物であった。
実の両親を喪ったクロエを引き取りここまで育て上げた、グロブナー家はイギリスの古くから続く貴族の階級家であり名家の血筋であった。
そして、父方も夕霧家という、日本古来から公家方に当たる由緒正しき家柄の人間であった。
両親の死という忌まわしき事件さえなければ、彼女の人生は間違いなく栄華の道であったであろう。
「まぁ初めてしくじった俺らにボスはかなり驚いてる様でしたよ、なんで今回の件は不問と仰っとりましたわ」両字のその物言いはさながらヤクザの子分だ。
「そうか、了承した」
理解をし返事はしたが、『あの襲撃者が忌まわしき過去の手掛かりになることに間違いない』と確信していたクロエのその心中は決して穏やかでは無かった。
「ただ、叔父上には失望させてしまっただろうな」
少し気落ちしている風だったクロエに対して両字は言った。
「それなんですがね、成功した方が良かった事に変わりは無いが後から取り返しは可能だとも言ってました」
両字が座り込みタバコを一服しようとするがその願いは叶わなかった、クロエが立ち上がり言ったからだ。
「ならばすぐに移動しよう、どうやら此処にも追っ手の気配がする」
クロエが外の遠方に視線を投げる、いつもなら人影の一切無い場所なのだが警察車両が静かに通るのを確認した。
この隠れ家は任務の際に適当な地主に適当な金を払って見繕った場所だ、すぐに移動して次の行程に移らなくてはならない。
(愛刀が入り用だと言う事も分かったしな…)
これはクロエが黒は本領を発揮するに足る相手だと認めたが故だ。
復讐心、それは十数年経ち尚もドス黒く蠢く様に鮮血の様な赤黒さでメラメラと彼女の肚の中を焼く、灼く、焚くのだ。
「行くぞ」
二人は宵闇に紛れ消えていく、あばら家から人が居なくなり後に残るは静けさだけだった。