真相
カンナはクロエに連行され立派な邸へと到着した。
邸の駐車場には六台の黒い車と、軍で使うようなカーキ色のジープが三台止まっていた。
どうやらクロエの叔父「アラン・グロブナー」と、三十人余り程の私兵が来ているようだ。
その物々しいと言う状況下で、二人の来訪者は当然の如く警戒された。
二人を門の警備兵が一度止める。
「待て!」
警備兵の横柄な静止にも、クロエは凛とした態度で対応する。
「私の名は夕霧クロエだ叔父のアランに取り次いでくれ」
警備兵はその返答を聞いて、直ぐに無線で確認を取った。
「失礼しました、どうぞお入り下さい」
さっきまでの態度とは打って変わって恭しく対応した。
アランの何人かの限られた部下達はクロエの事を知っていたが、どうやら色々な場所から人手を集めているのだろうと今の事でクロエは察した。
(叔父上は、一体此れから何をしようと…?)
親身のクロエにすら叔父の真意は掴めていなかった。
見知らぬ場所に連れていかれ、スーツを来た屈強な男達が詰めている場所に緊張している様子のカンナ、クロエはそんな彼女に少し声を掛ける。
「安心して欲しい、貴女に乱暴はしないし私が付いているから乱暴をさせもしない、約束しよう」
不安そうにしているカンナにクロエは笑いかけた。
「貴女は、えっと…クロエさんは本当は優しい方なんですね」
カンナは素直にそう思った、確かに黒を傷付け殺そうとした事は許せない事だが、彼女にはそうしなければいけない程の深い理由があるのだと不思議と感じていた。
「いえ、私は…私は…ただ自分勝手なだけです…」
カンナが評した自分に対して、戸惑いを感じたクロエは口籠りながら善人では無いと否定するだけだった。
「カンナ様、私は黒殿に対して。いえ、それだけでなく、本来なら貴女に対しても詫びなければいけない人間なんですよ?」
酷い事をしてから優しくしたとてそれはフェアでは無い、それはクロエにとってムズ痒いものでもあった。
しかし、カンナはクロエの方へと向き直ると目を合わせて言う。
「私は、クロエさんの自分の身を捧げて意思を貫く姿を凄いと思っています」
カンナの言葉と純真な瞳に、クロエは堪らず目を反らすことしか出来なかった。
「そんな!私は…、そんなのは…綺麗事だ」
そう言い言葉に詰まるクロエに、カンナは独り言を呟くように自身を蔑んで言った。
「私には理想を掲げるだけでそれを実現する力も術も無い、本当に愚かな事です…」
「カンナ様…貴女はもしや…」
何かを言い掛けるが、それは来訪者によって止められた。
部屋のドアを開けて入ってきたのはクロエの叔父アラン・グロブナーだ、五十代位の金髪の白人系イギリス人で皺があり彫りの深い顔つきだ左目の部分には眼帯がしてあった、しかし歳の割には若く見えてとてもダンディーな雰囲気だった。
髪型もサッパリと切り揃えられていて清潔感のある初老の男だ。
そしてアランは大きい杖を持っているのも特徴だった、彼の杖は金のメッキを綺麗に外装加工した真鍮製の物だ。
服装は何時もの黒いスーツでは無く、軍服を思わせる様なカーキ色の服とその上に赤いコートを羽織っていた。
アランは入ってくるや否や探すように見回し、クロエの方へと視線を移し話し掛ける。
「クロエか!」
「はっ、任務を遂行し只今戻りました」
クロエはアランに深く礼をして任務の成功を告げる。
「そう傅かずとも良い良い!」
その返事を聞く感じでは、あまり作法を強制しない人間と言った印象に見受けた。
「おおー、装備は傷ついておるし顔には斬り傷があるではないか、さぞや苦労したのであろう」
「その御心遣い、痛み入ります」
労いの言葉に対して、クロエは畏まってアランに御礼を述べた。
とてもお堅いやり取りだが、その様子は実に叔父と姪、血縁の関係なのだと分かるものだった。
「して、やっとだ…やっと来られましたな」
カンナの方に視線を移して礼をすると言った。
「!?」
突然に話題の矛先が自分に向かい、カンナは驚くしかなかった。
「まぁまぁ、確かに全く知らない人間から、待っていたと急に言われて驚くのも致し方ありますまい」
まるで怖がる小動物を宥める様に、アランは優しい笑顔で言った。
「貴女様には、協力をして頂きたいのです、ですからこうして少し手荒な手段を用いてまで、お呼び立てしたので御座います」
「協力…ですか?」
アランの「協力」と言う言葉が、一体どういう物か分からなかったのでカンナは恐る恐る聞き返した。
「それは…」
と言い掛けて、カンナの姿をまじまじと見直すとアランは言った。
「クロエよ、此の御方に替えの服を…」
「えっ?」
どうやら此処に来るまでに粉塵や泥で少し汚れた浴衣、それを着たカンナが気になったらしい。
「はっ、直ちに」
クロエは了承の返事をすると呆気にとられたカンナの手を引いて部屋を出る、そして着替えのある部屋に行く事にした。
「此方も少しばかりの用意が有ります故、丁度良いでしょう、行ってらっしゃいませ」
アランはそう笑顔で言いながら会釈をし、部屋から出ていく二人を見送った。
部屋に入るなりクロエは衣装箪笥やらクローゼットやらを所構わず探り出した。
「少々お待ちください」
クロエは沢山の服を持っていて、クロエに対して堅物の雰囲気だと感じていたカンナは少し以外だと思って驚いた。
「凄い!いっぱいあるんですね!」
「ふふっ、実は私が自分で買い集めたのでは無くて、昔から何かと世話を焼いてくる奴が居るんですよ」
クロエは、沢山の服を見て目を丸くしていたカンナに、少し笑いながら言った。
「クロエさん美人だから、お洒落したら絶対凄い事になりますね」
「!?いえいえ、そんな事有り得ません!私みたいな剣一筋でやって来た無骨な女など…」
カンナの急な発言に面を喰らったクロエは、大きくかぶりを振る様な動作で否定した。
「あーーーーー!!!」
そして、突然何の拍子もなく思い出したかの様にカンナが叫ぶ。
「ど、どうされたのですか?」
「この浴衣!早くお店に返さないと!!」
その言葉を聞いたクロエは、内心「何だそんな事か」と拍子抜けした。
「それ位、大丈夫ですよ」
「えー、でも延ばしたらその分の延滞金も掛かるし、お店の方にも迷惑が…」
「カンナ様…寧ろ貴女の現状はそれ所では無い状況だと思うのですが…」
自分の置かれている身よりも、レンタルした浴衣の方を気にするカンナに、クロエはとても呆れると共にとても可笑しく思ってしまっていた。
「うーん、借りてくれた黒君もルーズな人って思われちゃうし…」
「どうしよう…」と本気で悩むカンナにクロエが言う。
「分かりました…では、後で私が代わりに綺麗にして返却してきます」
極力他の人に迷惑をかけたくないと言う、カンナの意思を尊重してクロエは申し出た。
「で、でもそれは悪い気がします」
「いえ、構いませんよ」
クロエは自分でも不思議な程自発的に言い出していた、何故だか分からないが力になってあげたくなってしまう、そんな魅力をカンナは持っていた。
「ふふ、こうしてると私、クロエさんとは良いお友達になれる気がします!」
「め、滅相も御座いません、私なんかが…」
慌てて大きく否定をして畏まるクロエ、その時に不意に思ってしまったのだ「もしかしたら違う出逢い方をしていれば」と。
クロエの心中には、あの日への慚愧の念とこれまで殺してきた悪人の亡霊で埋め尽くされている、そんな血塗られた人間が、カンナの様に清らかで優しい人間と友の関係を築ける筈が無いと思っているのだ。
「えー、そっかぁ残念だなぁー」
クロエのそんな複雑な心境を余所に、カンナはクロエとのやり取りを楽しそうに笑っていた。
そうして二人は出した着替えの服を見回して、あーでもないこーでもないと相談し、とある一つの着物にする事となった。
それはクロエの母と父が大きくなった時にと用意していた一着だった、既にその一着を着れる身長を越えてしまい思い出にとって置いた品だった。
「これにしましょうか」
「わぁ、とても綺麗です!私が着てしまって良いんですか?」
「ええ、もう私は着れませんから、それに…」
そう言い、少し俯きながら続けた。
「着物と言う物は貴女の様な大和撫子にこそ相応しい、私の様な者には…」
そう続けるとカンナは「とんでもない!」と言う顔をした。
「ええ!?絶対にそんな事ありませんよ、クロエさんお綺麗だから絶対に似合います!絶対!」
何故か熱く似合う筈だと太鼓判を押されクロエは戸惑った、だがそんなカンナの、人懐っこくて優しい所に救われている自分が居ると言う事にも気付き始めていた。
そして、クロエがカンナの着付けを手伝った。
鮮やかな紅色の下地に優美な黄色い扇子と、幻想的な青桜の花びらが舞い散る柄だ。
カンナの持つ美しく艶やかな黒髪が、より一層着物の可憐さを引き立たせていた。
「とてもお似合いで御座いますよ」
「そう?なら良かったです!!」
クロエの褒め言葉に素直に喜ぶと、無邪気に笑う。
「でも、私はクロエさんの着物姿も凄い見てみたいです!」
「そ、それは…また機会があれば…」
クロエはカンナの要望に対して動揺を隠せずに、しどろもどろになりながら答えた。
二人が着替えを済ませて部屋を出ると、待機していたアランの部下に声を掛けられる。
「アラン様は地下室でお待ちとの事です」
「分かった、向かうとする」
(地下室で一体何を…?)
アランの部下に返事をすると共に、クロエには一つの疑念が浮かんだ。
言われた通りにクロエが地下室を目指して歩みを進め、カンナはそれに従順に付いていった。
床に仕掛けられた隠し扉を開け放ち、下へと続く階段を行く。
(今日は何時になく綺麗に片付いているな)
基本的にこの邸の地下室は銃火器や弾薬、刀剣類の保管に使われていた筈だった。
まぁ保管と言うのは体の良い言い方で、本当の所は危険物の隠蔽なのだが。
地下とは思えない程の広大な空間に二人が辿り着くと、そこにはアランが率いる部下が六名程待機していた。
そして、一人残らず漏れなく武装をしていた。
アランに対面するとカンナの横に付き、クロエは膝をつき頭を垂れた。
「The example case is completed.」
部下の一人がアランに耳打ちをしている。
「Got it.」
(例の件?完了した…?)
そのやり取りに対して事態を飲み込めていないクロエを余所に、アランとの会話へと進んで行く。
「おおー、お待ちしておりました!やはり貴女様の様な気品ある血筋の御方には、ちゃんとした服装をして頂かなくては」
アランは着物姿に装いを変えたカンナを見ると、怖い位の笑顔で賛辞の言葉を送る。
「あ、有り難う御座います」
おずおずと御礼の言葉を述べるが、クロエに対して言った素直な気持ちでは無かった、まるで何か得体の知れない物に対する恐怖を感じ取るかの様だった。
「此処に御呼び立てしたのは、是非とも貴女様に我々の協力をして頂きたいのですよ」
「協力、ですか…?」
「はい、貴女の能力があれば大いに助かるのです」
「能力?何の事か、私には…」
カンナがそう言って否定しようとするが。
「惚けなくても良いのですよ!既に貴女の置かれている現状について把握しております、記憶喪失についても既に…」
アランは喰い気味にそう言うと、何かに気付いたかの様に不敵な笑みを浮かばせて言葉を途切る。
「ああー…カンナ様は実に大変お優しい方だ、我々が貴女の力を使って何かを目論む事をとても警戒されているのでしょうな」
「わ、私は…!!」
「叔父上!こ、これは一体どう言う事で!?」
二人が同時に声を上げて疑問の言葉を投げ掛けると、アランは呟くように言った。
「残念だ…」
その言葉を皮切りにする様に不意に背後の部下が懐から拳銃を出し、カンナに向かって一発の弾丸を放つ。
それにクロエが透かさず対応して刀を抜き、弾丸を切り裂いて退けると、そのまま鎌鼬を飛ばし返して相手の右腕を斬り飛ばした。
その男は切られた腕の部位を抱えて苦悶の声を上げる、それを見ていた他の二人の部下が救助に向かっていた。
「貴様!どう言う事だ!!」
急にカンナに向かって狼藉を働いた事に叫びを上げたが、その瞬間を捉えた以外な人物によって不意を突かれる事となった。
「ッ!?」
クロエの真後ろから瞬発的な強い衝撃が発生し体が吹き飛ぶ、それにより強固な壁に背中と後頭部を強くぶつけてしまった。
「クロエさん!」
軽い脳震盪を起こしながら無理矢理立とうとするが、蹌踉めいてしまうとそのまま膝をつく形となった。
「な、何故…?」
クロエの驚愕と疑問は最もだった、何故ならクロエを吹き飛ばしたのは信頼していた筈のアランだったからだ。
「我が姪、クロエよ我々には…いや、私には野望があるのだよ」
そう言いながら、アランはカンナの方にツカツカと近付いていくと、真鍮の杖を掲げて呪文の言葉を唱え始める。
そして、杖をカンナの方へと向けると焦熱の光線が放たれた。
(ファイアリー)
「や、やめ…」
クロエが視線を向けて力無く止めるように言うが、その願いを聞き届けられはしなかった。
しかし、またもやクロエは予想外な出来事により驚愕する事となった。
カンナを覆うようにして半透明の障壁が表れ、自身を守る結界として発現したのだ。
「クックック…やはりな」
アランは自分の思惑通りの結果になった様で目を剥き出し邪悪に笑っていた、その様子はついさっきまでの善良そうな人間を取り繕っていた姿ではなかった。
「下郎め…」
結界の内側から恐ろしい程に冷たく感情の無い言葉が発せられる、それは紛れもなくカンナの声だった。
「しかし、龍護の勾玉をお持ちとは予想外でしたなぁ、此れはまた少し厄介そうだ…」
言葉とは裏腹にアランは、喜々として言っていた。
「よもや我を起こすとは、御前…何者じゃ?」
先程の雰囲気からして察する通りにカンナの目は既に冷えきってアランを見詰めていた、そして口調は今までの優しく暖かい物とは全く違っていた。
「私めが降臨させましたのは、神である貴女様に御力を借りたいが為で御座います」
アランは「古来西洋風騎士の誓い」の様に跪き、頭を垂れた。
「ほぅ…」
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そして、一方その頃カンナとクロエがアラン邸に辿り着いてから六時間程が経った頃に黒は未神の医務室で意識を覚醒する事となった。
「…此処は」
「やぁ、目覚めたようだね」
何時ものように白衣を身に纏う未神が、静かに黒の方へと眼差しを向けている。
「カンナはッ!!」
飛び跳ねるかの様に上半身を起こし叫んだ、回復した筋肉がまだ少し馴染んで無い様で変な感覚がした。
「まぁ、落ち着きたまえ」
焦る黒に対して未神は冷静に返す。
「君を連れてきてくれた双子は帰ったよ、後で礼でもすると良い」
「はい…分かりました、でも僕は早く此処を出なくては!」
そう言い急いで足をベッドからずらして出ようとするが、未神が左手で黒の肩を押さえてそれを制止した。
「まぁ少し待ちなさい、今の君には、まず話を聞かなくてはいけない人がいるだろう」
未神がそう言うと、その後ろから犬養がやって来る。
「黒、無事だったみたいだな」
「犬養さん!カンナが!!」
今まで音信不通だった犬養が帰還していて目の前に表れたのだ、驚いたが今の黒はそれ所では無かった。
「黒、その事なんだが…」
そう切り出すと、犬養は今までの事の運びを話し出した。
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犬養が行方を眩ます前、要するに今から二日、三日程前の事だが、ある日一通の機密文書が届いたそうだ。
〈干支志士副総隊長・犬養峰司、以下場所にて一人で待機されたし。以上の事は他言無用〉
と、日時は特に指定されておらず、その場所もただのビル街の一角で特に変わった場所ではなかった。
普通ならば悪戯で済ませるかもしれないが、宛先が本部直通である事が既に看過できる事案ではなかった。
(まぁ良い、俺もそろそろ色々と知りたい事がある、向こうから出向いてくれるので有れば好都合だ…)
犬養は最低限の持ち物と、自分の得物二丁を懐に携えて指定の場所へと向かうことにした。
「犬養さん、どちらへ?」
受付の女性に問われるが、「ちょっと出掛けてくる」で済ませた。
電車に乗り指定の場所付近の駅に降りると歩きで向かう。
(電車なんて久し振りに乗った気がするな)
そんな何気無い事を思いながら、その場所へ着き暫く待機した。
待機して10分位経った頃、黒塗りの車がやって来た、そして黒いスーツを着た若い男女が降りてくる。
「目隠しと手錠を御願いします」
そう言い、犬養に目隠しを差し出す。
犬養はチラリと視線を二人の体にやり、懐に銃、袖口に隠しナイフを仕込んでいる事に気付く。
「私達は只の一介の使用人です、怪しい真似をしても貴方からすれば赤子の手を捻る様なものでしょう」
犬養が警戒している事を察っした女性の方が言った。
「ふむ、最近現場に立ってないしお手柔らかにね!」
そうおちゃらけて言いながら、犬養は大人しく従う事にした。
手錠を掛けられ車に乗り、体感で二時間暫く経つと降ろされ、窓と家具の一切無い部屋へと連れてかれる。
「身体検査をします」
そう言い男の方が犬養の体をチェックする、武器類とかに関してはスルーらしく、発信器や盗聴器の方に重きを向いて確認しているようだった。
「どうだい?大丈夫そう?」
まるで友達や知り合いに言う様に、とてもフランクに聞く犬養。
「はい、大丈夫そうです」
男はあくまでも丁寧に返事を返すが、この状況でも余裕綽々の犬養に内心では感心していた。
「トイレは大丈夫ですか?此処なら逃げ出せない特別仕様の場所なのでしても構いませんが」
「ん?大丈夫大丈夫!」
犬養は手錠の掛けられた手をヒラヒラとさせながら答えた。
そして、また目隠しをし直され、車へと乗り込んだ。
「また暫く時間が掛かります、不自由ですが御辛抱願いします」
何度も遠回りをしながら尾行を警戒して巻き、目隠しをする事で乗っている人間の視覚情報を得させず、更に時間感覚も麻痺させて距離の感覚をズラす。
中継地点も予め特別仕様にして置くことで、周囲の情報も得させない。
此れが所在地の機密を保つのに必要な行程なのは、犬養自身が一番知っていたので特に気にしてはいなかった。
結局、この行程が後三回続いて計8時間掛かる事となった。
「お疲れ様でした、今日はもう夜なのでごゆるりと御休みください」
そう言われ車から降ろされて違う場所に着くと、目隠しと手錠を外された。
「そっちこそお疲れさん!二人で長時間の運転疲れたろ」
犬養が持ち前の人懐っこさでそう労うと、二人は少し笑って「労いの御言葉、有り難う御座います」と言うと部屋から退出していった。
そして、入れ替わりになる様に簡素な水干を着た男が入ってくる。
「今回お側に付かせて頂きます、どうか宜しく御願い致します」
正座をし小さく礼をする、客人ではあるのと同時に監視対象の身である為に致し方無かった。
「応!宜しく!」
これまたフランクな返事だった。
「その、女性の使用人でも良かったのですが…」
と言い掛けるが、犬養はそれに対して青い顔をしながら直ぐに手を振った。
「いやいやいや!俺には大切な妻がいるんで側付き人なんかでで要らぬ誤解は招きたくない!」
それを聞くと、側使いの男は堅い顔から少し笑って言った。
「そうでしたか、良かった良かった」
まぁ、大抵の男たるもの下世話な事を抜きにして、近くに女性が居ると多少の張り合いが出ると言うのが本音だが、犬養には一筋にしている妻が既に居た為に断るのに必死であった。
「して、今回お招きになった主様なのですが…少し御用向きで出てまして、今日お帰りになられる御予定だったのがズレ込んでしまった様で…」
どうやら、出先のトラブルか何かで犬養を呼んだ本人が来れないらしい。
「構わないよ、寧ろこのまま一晩でも二晩でも待機で良い位だ」
経験上この待遇は凄く優しい、いや…優し過ぎると言っても良い位だ、どうやら犬養に対する扱いは、優遇と不遇の微妙な均衡の狭間にあるのだろう。
「いえ、犬養殿にはちゃんとおもてなしをする様にと仰せつかってますので!」
そう聞くと犬養は少し考えてたから言った。
「んー、じゃあご飯から頂こうかな」
それを聞くと、「ハッ」と言いながら礼をして側使いの男は退出していき、事前に犬養が来る事を想定していたようで10分位で全ての食事を持ってきてくれた。
・白味噌仕立ての麩とワカメと葱の汁物
・大海老と野菜の天麩羅盛り合わせ
・京豆腐の湯掻き醤油和え
・真鯛の姿作り
・胡瓜と蕪の酢の物
・食後の甘味に白玉餡蜜
と中々に豪勢だった。
(いや、高級旅館かよ!!)
と犬養は内心叫んだ。
そして、その後には側使いの後ろを付いていき檜造りの長い廊下を抜け浴場の方へと行った。
「どうぞお入り下さいませ」
「良いんですか?」
犬養が問うと側使いは答えた。
「はい、犬養殿のこれまでの動きを見るに怪しいところは一つもありませんでした、それに浴場にはプライバシーの為に監視はありませんが敷地内には一つの穴無く監視の目があります」
どうやら、ある程度の自由は認められたらしい。
「そいじゃ入らせて貰います!」
「ごゆるりと」
そう言って浴場に入ってみるとまたも凄い光景だった、それは大浴場と呼ぶに相応しい広さで、ガラス張りの外には露天風呂まで付いていた。
(いや、高級旅館かよ!!)
二回目のツッコミだった。
(何か、拘束されて監禁、若しくは怪しい連中に囲まれて銃や刃物で急襲なんて想定してたのだが、これじゃ只の旅行休暇みたいでちょっと後ろめたいな…)
犬養は風呂に浸かりながら目を瞑り、リラックスしながら染々と思った。
部屋に戻ると布団が既に用意されていて、側使いが部屋に入ると数冊の本を出す。
「主様は明日のお昼頃にはお着きになるそうです、連絡機器類を此方の事情で携帯しないように御願いして協力していただいてますので、お暇潰しにどうぞ」
そう言って幾らかジャンルの分かれた小説を貰い、犬養は「何から何まで、かたじけない」と御礼をした。
「それでは、御休みなさいませ」
そう言い正座して礼をすると退出していった。
「はい、御休みなさい」
犬養も返事の挨拶をして床に就くことにした。
翌日には朝の食事を頂き、約束の昼頃になるまで読書をしながら待つことにした。
昼食も要るかと尋ねられたがそれは断った。
そして、約束の時間になると側使いの男に連れられて、ある一室に通された。
(ま、あんだけのもてなしをされて一般の人間では無いよなぁ…)
金屏風の豪奢な場所だった、床は畳作りだが昔の殿様が着座し構えていそうな上段の場があり、姿隠しの簾を仕切りとして通して面会する形だ。
犬養は下段の場の近過ぎない距離で正座をして、そのまま深々と礼をする。
「構いませんよ、面をお上げなさい」
その声は男のものでとても物腰柔らかく、且つ威厳のある声であった。
「はっ!」
犬養は腰を上げて少し近寄るとまた正座をした。
「私は犬養峰司と申す者でして、此度はお招き頂きまして、参上つかまりました」
丁寧に自己紹介をするが。
「大丈夫です、犬養殿の事は既に聞き及んでおります」
「はい」
相手の素性は知れないが何か逆らえ無い、そんな独特の雰囲気があった。
「此度私が貴方を招いたのは、志士の活動及び先日の工業地域倉庫での件です」
その事について薄々勘付いていた犬養は、やはりと思った。
「そして、我が娘であるカンナの身柄をそちらで預かっている事についてです」
(カンナ?カンナちゃんが有力者の御息女!?)
どう返答したら良いか、言いあぐねている犬養に男は更に言葉を続けた。
「ああ、そう言えば名乗っていなかったな失礼したね、私は近衛清源と申す者だ」
犬養はその名を聞くと殊更に頭を下げた。
「私の名など…とも思ったのだが、諜報部の長を捕まえてそれは失礼に当たる事だったね」
そう言い声の主である清源は苦笑した。
「い、いえ!滅相もありません、誠に恐縮に御座います!」
古来から続く公家方の家格のトップに摂家と称される五つの家がある、そして近衛家はその中でも最有力の御家なのである。
そして、この御家は神裔(神の子孫)に仕え関わる血筋であることの証しでもあった。
無論、神の末裔に従い治める活動をするが干支志士であり、犬養が謙って対応するのも当然の事であった。
「やはり、今回お呼びなさったのも…?」
「ああ、我が娘近衛神無についてさ」
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「神無が神の末裔…!?」
「俺もたまげたよ、あの子の正体に関しちゃ、案外大物かもなと巫山戯ちゃいたが、こりゃ規格外だ…」
神無の正体の真実を聞き、黒は驚くしかなかった。
「と言う事は、神無が誘拐されたのは身代金とかって事ですか?」
「いや、寧ろ身代金や要求の方が単純で簡単だったんだがな…」
そう言い犬養は少し間を置くと、更に言葉を続けた。
「神無ちゃ…いや、神無様の血筋がと言えば起因はそこなのだが、誘拐された理由はその更に先だ」
「先、ですか?」
「彼女には特殊な能力がある、それも世界を引っくり返してしまう様な…」
「!?」
犬養の言葉を突拍子も無い様な物として聞くしか、今の黒には出来なかった。
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「ほう…協力とな」
「ええ!貴女の御力を持ってして我が軍勢に加勢して頂きたいのです」
場面は変わり、神無とアランの一対一の会話となった。
「御前は我が力の真意を知っていると見える」
「はい、勿論ですとも」
アランは錫杖を掲げて演説をするかの様に語る。
「私はね、此の世界を変えたいのですよ、今蔓延る偽善の民主主義を消し去りたいのです!!」
龍護の結界の中から、神無は冷たい眼差しのままアランを見据える。
「此の世界は能力も無ければ権力者に成る資格も無い筈だ、それなのに数だけが取り柄の無能が多すぎる」
更に語気を強めて主張する。
「なのに!才有り資格有りの人々は未だに動こうとしない!本当に嘆かわしい事だ…」
「要するに御前は、極一部の人間が大きな権力を持ち支配し、それ以外の人間を隷属させる世界を創りたい訳か…」
「ええ、とても素晴らしいでしょう!我らの様な選ばれし人間が此の時代に返り咲き、世に蔓延る無能共を隷属させる!!」
自分の主張に酔いしれ最高潮に達しているアランに対して、神無は只々不愉快とも無感覚とも取れる表情で見ていた。
「そうか、そうか、御前の言いたい事や、此れからやろうとせん事は承知したよ」
「であれば!!」
期待を込めて神無に、もっと言えば神無の内に居る他の存在に対して返答を問う。
「済まないな、なんせ我は数百年振りに顕現したものでのぅ、今は御前の誘いに関して考えるには、頭の働きもいい加減じゃ」
冷静にそう語る神無の姿は優しさよりも冷徹さが在り、本当に別の存在なのだと理解させられる程であった。
「だが、そんな虚ろ虚ろとした我にも一つだけ分かる事がある」
冷め冷めとしたその目が、アランの目を捉えて視線を合わせると、微かに熱意の籠った瞳へと変わる。
「我が依り代たる少女がな…言っておるのじゃ、絶対に嫌!とな」
その言葉を聞くとアランは大笑いをする。
「気でも触れたか?」
神無の内の存在が静かに聞くが、アランはニヤリと笑うだけだった。
「叔父上!何故!?」
先程まで膝をついていたクロエが立ち上がり、ゆらゆらと弱った身体で刀を構えて叫ぶ。
「我が姪のクロエよ残念だ、御前は選ばれし側の人間であり、とても素晴らしい力を持っていると言うのに…」
クロエは残る力を振り絞りアランへと斬り掛かった、しかしその刃は届く事は無かった。
斜めに斬りつけられた刃を錫杖で受け止める。
「なぁクロエよ、私が魔術しか使えない人間だと、思い込んでいないか?」
そう言い、アランは錫杖の上の部分を一気に引き抜くと隠し刀の刃が露に成る。
そして、直ぐ様横に薙ぐと辛うじてクロエが両の籠手で受けるが衝撃で吹き飛ばされる。
「!?くはッ…!!」
「本当に残念だよ、親子揃って本当にな…」
アランは地面に横たわるクロエへと近付いていく、抜き身と成ったその刀の刀身は刃文が紅く燃え盛る様に波打っていた。
「此の刀はな、火炎号と言ってな、旧武家方五大名家の不動家から拝借した物でな、御前の持つ朝霧と似て非なる物だ」
既に気を失っているクロエに講釈する様に言う。
「私が刀を扱えるのはな…御前の父親から教わったからだ」
そして、高笑いをして価値を確信すると最後に嘲笑いながら言う。
「御前達親子は、揃いも揃って御人好しで、愚かな奴等だ…」
気を失い倒れ込んだクロエに最後の一刀を突き下ろすが、その刺突は間一髪で防がれる事となった。
「!?」
クロエの身体の前方に、神無の結界と似て非なる物が発生して攻撃を阻んだ。
「成る程、やはり貴女は閉じ籠るのがお好きな様だ…」
「失礼な奴じゃのぅ、今回は閉じ込めたんじゃ籠っとらんわ」
不思議な光を帯びた手を、クロエの方へと伸ばした神無が心外だと言う風に否定した。
「まぁ良いでしょう、クロエに関しては後で洗脳するなり何とでもなる」
「救い難い程のクズじゃな…」
その言葉を聞き、アランは不思議そうに聞き返す。
「貴女こそ人に情を持ち過ぎでは?貴女様は人と言う矮小な存在よりも遥かに高次元にあり尊きものだ!何故あの様な小娘に執着をする?」
それを聞くと神無の中の存在は、まるで些事を大袈裟に言われた様に笑った。
「確かに…我は依り代さえ見つかれば、この先の何百年何千後にも顕現し何度でも生まれ変わろう、だがな」
そして、静かにクロエを見ると言った。
「我は人が好きなのじゃ…御前が先程言使った言葉で表すならならば、御人好しの神ってところじゃのぅ」
嘘偽りの無いその言葉を聞くと、アランの表情が怒気の含むものへと一変した。
「人が好き?下らない…貴女様の、いや天照大御神の力を持ってすれば!!」
「下る下らぬ等どうでも良い、それが我の意思であって其処に御前の意見は不要だ」
天照はアランの言う「高等人類による人々の支配」に興味を持たなかった、それよりも人に対する愛情を見せた。
「私の崇高なる目的を解せぬとは…本当にどいつもこいつも残念だよ…」
アランは悲しそうな表情で哀れみの笑みを浮かべる。
「ならば、次の案に移らなくてはな…」
そう言うと急に邪悪な笑みへと変貌した。
「御人好しの神が天岩戸を人間に施した、貴女一人なら何日でも持ったでしょうがね」
アランは、天照が先程クロエに施した結界を指差して言った。
「おい、時期結界が解けるだろう監視しておけ」
部下にそう命じるとアランは去っていった。
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「神無が持つ能力とは、一体どう言うことですか?」
黒は犬養が説明を切り出すのを待つしか無かった。
「彼女は…いや、厳密に言えば彼女達の一家はさっき言った通りの高貴な家柄だ」
そう切り出すと犬養は語り始めた、神無の血筋は代々に神の依り代として存在を顕現させるための才能を引き継ぐ事を。
そして、それは必ずしも起こる事では無く、神無は数百年の後に今の時代に選ばれた少女なのだと。
「そして、それを踏まえて神無様が宿す天照大御神の能力が要点となる訳だが…」
「犬養さんが世界を変える程のと言っていましたね」
「ああ、黒よ昨今の能力者関係の事件が増えている事についてどう思う?」
「まさか、天照と関係が有るんですか?」
「うむ、天照は人の潜在的能力、要するに異能力を引き出す事が出来る」
「!?」
「やろうと思えば、人を…世界をも創り変えることも可能って事さ」
「確かに、その力は使い方を間違えれば危険ですね…」
(そこまでの理由があれば…)
黒は寧ろ神無を救出する為の要因は十分だと感じた、だから志士の総力を持って此の件に当たれると踏んだのだ。
黒はベットから出て立ち上がり、犬養に頼み込む。
「僕が救出に向かいたいです、御願いします!」
それを聞くと、犬養は同意と否定を含むどっち付かずな雰囲気になった。
「それは…黒、少し言い辛いが此の件は既に俺の処理できる範疇を超えている…」
「!?」
「確かに俺も救いたいのは山々だが、此の事態は想定外だった」
「救出に行けないと言うことですか?」
「勿論俺個人としては神無ちゃんを今直ぐにでも取り戻したい、だがなあくまでも俺の副総長としての権限にも限りがある」
唇を噛み締める様に口惜しく犬養は内心を吐露した。
「なら、どうすれば良いですか?」
「総隊長の元へ行くしかないな」
「直談判します!」
黒は急いで医務室を出ようとするが、犬養がその肩を掴んで止める。
「止めても無駄ですよ」
犬養が止めるであろう事は黒にも予測がついていた、しかし、犬養は首を横に振ると言った。
「いや、俺も行こう」
二人は未神に別れの挨拶を済ませて医務室から出る、向かう先は幹部の出入りする来賓室であった。
不幸中の幸いか今の時期は、干支志士総隊長の神子霊山が滞在していた。
ノックをしてから返事を待ち、「入りなさい」と言われ扉を開けて入る。
「ほう、野良猫の小僧とは珍しい客人だな」
黒の姿を視界に入れ、霊山はまるで可笑しい事だと言う雰囲気だった。
「して、犬養よ…御主まで何用じゃ?」
黒を見る時には無かった緊張が犬養の方へと走る。
「ハッ!」
犬養は小さく頭を下げて謙る、そして続け様に言った。
「此の度我々の作戦下にあった事件が切っ掛けで、とある人物の身柄を預かる事になりまして…」
「ほぅ?初耳じゃな」
霊山は怪訝な顔をして犬養を見る、黒は両者の間で更に強い緊張が走っている事を感じ取った。
「ハッ、それは今回その身柄の少女は身元不明だった為に処置をどうするかと言う事になりまして」
「ふむ…」
霊山は冷静に犬養の説明…ならぬ釈明を聞くようだ。
「その子の正体は、かの有名な近衛家の御息女でして…」
何時もの犬養とは違い歯切れが悪い、霊山を相手にするのは余程気を使うらしい。
「ほう…」
「その関係で各血族への協力を通達しましたが、霊山様のお手を煩わせる訳にはいかないと直接の連絡は…」
「そうか、此の老骨への配慮とは痛み入るな」
「い、いえ!」
「じゃが、それが災い転じて面倒な事へとなってしまったか」
「はい、申し訳有りません」
「して、芳しくない状況とは如何程か?」
「件の御息女は、天照大御神の依り代たる御方です」
霊山は犬養の言葉へ耳を疑う様に驚愕する。
「何と!?…それが真であれば難儀よのぅ」
白髪になった顎髭を弄りながら呟く様に言った。
「是非救出の手立てを…!」
黒は懇願するが霊山は無視をした。
「どちらにせよ全隊の足並みが揃わねば難しいのぅ」
渋い顔をして言う。
「黒!」
犬養が制止するが黒は身を乗り出して言う。
「どうか御願い致します!」
それを見る霊山の目は冷ややかであった。
「小僧…いや黒よ、御主は何か勘違いをしておらぬか?」
「!?」
「我々にとって今肝要であるのは天照の悪用による世への影響及びそれによる被害じゃ、その依り代たる少女の安否では無い」
「そんな…」
「ふはは!まさか、志士の身である御主が情に絆された訳ではあるまいな?」
非情な言葉を聞いて、黒は俯き唇を噛み締める事しか出来なかった。
「儂らは此の世にとって安寧の守り人であり一介のシステムにしか過ぎぬ、情で部隊を動かし他の場所へ皺寄せる、其れがなんと愚かな事か」
霊山の言う事は実に正論であり道理であった。
「此れまでに脈々と世の安寧を保つ為に犠牲を投げ売ってきた我々が、今さら簡単に無に帰す危険など冒せぬのだよ」
「ならば…僕が、僕だけでも行きます!」
必死だった、声を張り上げて霊山に許可を請う。
「ならん!!」
黒を厳しい目で睨み付けて叱咤する。
「本当に師弟揃って阿呆ばかり、こんな未熟者に育てた御主の師はとんだ愚か者よ」
神無の件だけで無く、師匠の事まで持ち出した霊山に黒は苛立ち腰に差した刀の柄を反射的に握る。
「黒!!落ち着け」
だが、犬養がその所作を隠す様に黒の前に立ち両肩を押えた。
「クッ…」
霊山は、黒がしようとした事を見抜いていたが追求はしなかった。
「小僧よ…御主がその刀を走らせる前に儂が御前の首を跳ねさせる事なぞ造作も無いのだぞ?」
顔はニヤリと嗤うが、その目は恐ろしい程に冷えていた。
「黒、霊山隊長が本気を出せば今頃お前さんは自分で自分の命を断つ事になる、此処は頭を冷やして少し下がっていろ」
忠告する犬養の目は何時に無く真剣だった。
「はい…」
惜しみ下がる黒を見届けると、犬養は霊山へと対峙した。
「霊山様、今回の件は私の責でもあります」
「責でも…?」
犬養の物言いに引っ掛かった霊山が聞き返す。
「ええ、今回の件で確かに半分は私の対処の不徳の致す所により現状を生み出しました」
更に追討ちを掛ける様に続ける。
「ですが、過去に志士が関わった事件が今現在になって関連していたとすれば?」
「ぬぅ…?」
「過去、国家間での特殊技能部隊の活動が厳しかった時期の話です」
「貴様、一体何の話をしようとしておるのだ?」
「私の前任であり貴方の旧友であった、猿神千里」
そう切り出すと、犬養は志士が関わった過去の事件について語り出した。
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遡る事十五年前、当時の副総長である猿神千里は一人の若き隊員と会議室に居た。
千里は霊山と同世代の老齢たる人物で、戦友と言っても過言ではなかった。
しかし、厳格な霊山に対して千里はとても人当たりの温和な性格で思慮深かった。
千里は専ら、策謀や外交の仕事に努め霊山の右腕として辣腕を振るっていたのだ。
「やぁ、千里先生」
若き隊員は、通称「先生」と呼ばれる千里に親しみを込めた挨拶した。
「黒君、全く君は大した男だよ、上司に対する口振りとは到底思えんな」
そう言い苦笑すると、「だがまぁ…嫌いじゃない」と付け加えた。
そして、千里は一つずつ資料と音声の録音したテープを出した。
「此れは?」
当然、いきなり出された物品に疑問を投げる。
「先日、とある人物から協力関係の取引があってな」
志士に取引が舞い込むと言うのは、無論それは物騒な事柄に当たる。
「はぁ…」
先代「黒」の龍儀は資料を適当にパラパラと捲りながら相槌を打つ。
「依頼主は武家方五大名家の夕霧家現当主だ」
「!?何でまたそんな大物が?」
驚くのも無理は無かった、過去に強大な権力を持ち栄華を誇った名家とは言え、現代に置いてはその勢いも落ち着いた家系だからだ。
まぁ、落ち着いたと言うのは建前上の表現であるが。
「そうだな、何処から説明すれば良いか、私は話を端折るのが大層苦手でな…」
そう苦笑すると、千里は今回の任務の経緯になる発端から説明を始めた。
今でこそ干支の志士が政府と言う御上の元に集い世の調和の為に活躍を果たしているが、かつては武家方衆の五大名家と言うものがあった。
彼等は表舞台の歴史の通り、平安から鎌倉の時代になると公家の勢力を追い込み衰えさせ一気に力を付けたのだ。
その当時にも干支の血族達は存在していたが、今の様な協力する体制は無く、個々の組織での活動をしていた。
ある一族は公家方に、ある一族は武家方にと、方々に散り戦をする事もあった時代だった。
「権威を失った夕霧家は代々と復権の為に教育をしていたようだ、そして、それは御多分に漏れずに現当主の夕霧光弘もだった様だ」
端的に言えば、夕霧家は現代に置いて没落し権力を失い、干支志士側から見れば、彼等は国家転覆の機を伺っていたのだと言う事だ。
「光弘殿はな、過去に海外の似たような勢力とのコネクションを作り妻を娶ったのだよ」
英国のグロブナー家の事だ、そして政略結婚の様な形で光弘は妻のアリスと結婚した。
両家とも自国での待遇に不満があり、互いに協力関係を結ぶと都合が良かった訳だ。
やがて時が経ち、二人の間に子を授かる事になる。
「その子の名前はクロエと言う子でな今年で七つに成るそうでな、大層に可愛らしい少女だそうだ」
千里は溢れんばかりの笑顔でそう言う、まるで孫の話をするお爺さんの様だ。
クロエとアリス、二人の掛け替えの無い家族を得た光弘は葛藤した、生を受けてから今迄に一族の復権の為に全てを投げ出せと躾られた男だったのだからその決意は容易では無いだろう。
「彼はもう反乱等に加担はしたく無いらしい」
「懸命な判断ですね」
例え過去に権威を振るっていた一族であっても、政府直々に公安の命を受けている干支志士を攻撃をする、と言う事は正しく国家反逆に等しいからだ。
「彼等を敵と見なしている訳では無いが、無論彼方から来るのであれば戦わざるを得ないからな」
先程迄の笑顔は一気に消え失せて、千里は厳しい眼光で言った。
「それでな、君に頼みたいのだよ、今回は国外での隠密作戦となる」
「…」
龍儀は黙って頷き、千里の話の続きを聞いた。
「光弘殿は英国の方へと赴き、妻の兄であるアラン・グロブナーと会談する、そこで協力関係の破棄と謝罪をする意の様だ」
「俺は何をすれば良いんですかい?」
「君の仕事はその会談の仲裁と夕霧家一行の警護だ、何があるか分からんからな」
「了解っす」
「此の任務は相手の公的機関にバレれば国際問題は免れない、又干支志士への責任追求もかなり深いものへとなるだろう」
「本当に俺で良いんですか?」
「君の実力は私も良く知っている、それに今回の任務は私と君の内々での事とする」
「マジっすか!?」
「ああ、私主導での事だ全責任を取る、後々に問題が明るみに出た場合に組織への責任を軽くする為にもな」
「霊山の爺さんにも?」
「無論だ、他に聞きたい事柄はあるか?」
「じゃあ最後に一つ…、先生は何故急にこの作戦を?」
「私の寿命はもう長くない、だからな…後々の為の最後の一仕事だよ」
聡明で先見の明を持つ千里は、志士内でもとても頼りにされていた人物だ、そんな彼は「未来を千里先見通す」とも言われていた。
「何言ってんすか!先生らしく無い!」
そう言って龍儀は笑った。
「後釜は君の同期の犬養君が良いね、彼は見所がある」
それを聞いた龍儀は更に大笑いをしたそうだ。
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「全く…千里の奴め、儂の知らぬところで面倒事を拵えおって」
加齢で付いた霊山の顔の皺が、大きな悩みの種で更に一層深くなった。
「正直私も驚きましたよ、千里先生は本当に頭が切れる御方だ」
そう言い、犬養は言葉を続けた。
「先生は此の件を公にしない様に策を施し、もし発覚しても責任を全て自分で取る事にした」
「まぁ、本人が既に居ない以上、多少は組織が責任を取る形になるがのぅ…」
「そして今回の件に関しても、どうやら先生が危惧した形になり、私だけが分かる暗号化で遺していておられたのです」
「ほぅ…」
これは余談なのだが、犬養は一族に伝わる秘伝の犬書法と言う暗号方法を更に自己流に改良した物がある。
見識の深い千里はその技法を利用し、また独自の改変を加えて証拠を残したのだ。
「まさか我が一族の犬書法を存じおられていて、更にアナグラムで複雑化させ、解いた先には手の込んだ謎掛け、相当骨が折れましたよ…」
「彼奴は御主の才能をえらく買っておったからのぅ、時間は掛かれど御主なら何時か解くと踏んでおったのじゃろうな」
犬養の観察力や推理力、総合した理解力を評価しているのは霊山も同じだった。
「して、千里がわざと爆弾を残したのは何故なのか、御主の意見を話してくれるか?」
「はい、先日に近衛家の御息女を拐ったのは、アラン・グロブナーとその姪に当たる夕霧クロエです」
「ふぅむ」
「私が気付くことが出来たのも、夕霧クロエに関して調べている時でしたからね」
「千里が後々の為にわざと仕掛けを残したと?」
「はい、先生なら…と」
「御主は彼奴を買いかぶり過ぎじゃ、だが、確かにそれらの情報を合わせてみれば、一考の余地は有りそうじゃのう」
霊山は髭を触りながら思案する。
「黒よ、御主は救出に行きたいと行ったなぁ」
「はい、今直ぐにでも」
「確かに、その少女の身元と能力を鑑みれば急務かもしれん」
黒の表情は希望の表情に変わろうとするが。
「じゃがな」
その期待は淡くも打ち砕かれた。
「そう簡単にいく話でも無い、我々には限られた戦力を各地に配する義務がある」
「ですが、世界改変の危機なのであれば、せめて僕だけでも向かう必要があるのでは?」
「若造である御主が、単身で敵の跳梁跋扈する場所へ行くと?野垂れ死にするだけじゃ、馬鹿馬鹿しい」
霊山は黒の提案を流す。
「近衛家には申し訳無いが、現状の戦力では対処しきれん、後日に部隊を編成し救出作戦を展開するしかあるまい」
「何を悠長な…!」
黒はまたも冷静さを欠き詰め寄りそうになるが、それを犬養が止めた。
「私からもどうか、御願い出来ませんでしょうか?」
犬養からも許可を請われ、霊山は更に悩みの声を上げる。
「ぬぅぅ…何も儂も意地悪く言っている訳ではない、昨今の能力者事件の多さと志士の人手の少なさが際立っておる、現に儂も今から直ぐに西へ戻って能力者組織犯罪の掃討作戦に当たらねばならん」
「それでも、御願いします」
黒は深く礼をする。
「全く…本当にあの男に似てきおって、子弟揃って大馬鹿者じゃ」
「私も責任を持って此の席辞任し、事件の解決に向かいたく…」
犬養がそう言うが、霊山は直ぐに首を横に振った。
「ならん、御前が責任を取ると言うならば、管理者としての立場でしかとその責務を全うして見せよ」
「はっ!」
そう言いつけると、霊山は黒へと視線を移して言った。
「黒よ、今回は特別に少数編成での任務となる、御主の差配で二名を選抜し遂行せよ」
「はい!」
何とか光明を見つけ出した黒は、早る気持ちで駆けて部屋を後にした。
「ところで、あのぅ…」
「何じゃ?」
「要するに僕の辞任は無しと言うことですか?」
「当たり前じゃ、儂よりも断然に若い御前に先に楽されては敵わん!キリキリ働けぇ!」
「ははっ…」
(はぁ~…)
犬養は内心ホッとすると共に、暫くは此の労働地獄からは解放されない宿命と悟り溜め息をつくのだった。