急転
用が何とか済んだ黒は、待機していたカンナと合流して本部を後にした。
既に昼過ぎ頃になり、太陽は沈む用意をし始め夕方の気配が立ち込めていく。
本当なら家にそのまま帰ってゆっくりと休みたいところだったが、今日は違った。
前に買い物から帰る途中に行こうと約束した夏祭り、それが開催される当日だったのだ。
「黒君どうしよう!私凄いドキドキワクワクしてて耐えられそうにありません!!」
そんなことを言うカンナの様子を見ると、本当に嬉しそうな笑顔をしていて黒も嬉しくなった。
「僕も昔に一回行った事有るかどうかくらいだから、楽しみにしてるよ」
それは、ふとして出た本心からの言葉だった。
そんな二人のやり取りを見て、運転しながら玄十郎が口を開く。
「黒様とカンナ様でお祭りにいかれるのですね」
「はい!すっごい楽しみです」
嬉しそうにはしゃぐカンナに玄十郎が微笑む。
「ふふ、お二人方が嬉しそうになされていると、この老いぼれも年甲斐もなく幸せな気分になります」
車で浴衣のレンタルをしている着物屋に連れていって貰う、浴衣は黒がこの日の為に予約していたものだった。
驚くカンナを連れて店に入り店員さんに受け付けて貰う、更衣室に入っていき暫く待つと装いを替えたカンナが現れる。
「ど、どうでしょうか?変じゃないですか?」
着せて貰った浴衣が似合うか不安そうに聞く。
青色の下色に金魚と淡いピンクの花びらが散りばめられている、カンナが艶やかな長い黒髪を持つ純和風的な少女だと言うのも相まって、その格好が似合いすぎてる程だと思った。
そんな様子を伺っていた店員さんが声を掛けてくる。
「良かったら、男性用の空きが沢山有りますのでどうですか?是非似合うと思いますよ!」
好意で勧めて貰い嬉しかったが、流石にカンナの護衛を務めている黒にそこまでは出来なかった。
「すみません、僕は諸事情で今は着れないんです」
「そうですか、そしたらまた次回に是非」
「は、はい、お気遣い有り難う御座います」
何となしに店員さんが言った「次回に」と言う言葉が、今の黒には少し複雑だった。
(まぁ、カンナに着せれたのを見ただけでも十分満足だし…)
なんて結構気恥ずかしい事を思っていたのだが、本人は全く気付いていなかった。
「黒君、これどう?」
カンナがどや顔で指差したのは結った髪に差した紅色の簪だった、浴衣姿の方ばかりに気を取られている黒に煮えを切らして感想を問いただしている様だ。
「似合うよ」
と簡素な感想を述べるが、どうやらカンナはその解答では不満足らしい。
「ほほーう、では黒君や、具体的にどんな感じでございますか?」
まるで犬養さんがからかう様に、カンナも少し意地悪な聞き方をして来る。
「か、可愛いよ、とても」
黒としてはかつて此れ程無い位に恥ずかしかったのだが、カンナが素直に喜ぶ顔を見てそんな思いも吹っ飛んだ。
そんなやり取りを終えて店を出ると、街並みはすっかりとオレンジ色に彩られ、日がどんどんと沈み始めていた。
街中には同じようにお祭り目当ての老若男女が犇めいていて、二人はその間を針に糸を通すかの様に縫って歩いて行く。
雑踏に飲まれ今にも消えてしまいそうなカンナを見て黒は思った。
「そうだ、これなら良いかも」
そう言ってカンナの手を繋ぐ、ただ自然とその方が安全だと思ったからだった、だが優しく手を繋がれて一瞬驚いたカンナはとても嬉しそうだった。
この地区の夏祭りは特に人が多い、電車のアクセスの良さや昔から花火や屋台の力の入れように妥協が無くクオリティが高くて評判が良くとても賑わう、それ故に少し遠い場所からも客が集まるからだ。
「く、黒君…私お腹が空いてきました」
どうやら居並ぶ豊富な屋台から漂ってくる匂いにノックアウトされたらしい。
焼きそば、たこ焼き、イカ焼き、お好み焼き、焼き鳥、リンゴ飴、わたあめ、かき氷、ベビーカステラ、チョコバナナ等の定番の物から唐揚げやトウモロコシ、フランクフルト、冷やしパイン、ブドウ飴なんて物まであった。
それだけでなく金魚すくいや射的、水風船等の遊戯屋台もあったが、今はそれどころでは無いらしい。
「うん僕もお腹空いてきてたんだ、打ち上げの時間までまだ全然あるし何か食べようか!」
正直なところ黒も内心では気になっていて堪らなかったのだ。
「やったー!」
黒から食事のお達しがでるとカンナは大喜びで店を見回ることにした。
二人は豊富な種類の屋台を手を繋ぎながら順番に巡り、取り敢えず焼きそばやたこ焼きを座れるスペースを探して分けながら食べて飲み物のラムネを頬張る。
カンナが不思議そうに見ていたわた飴も買って、歩きながら食べる。
「なんか今日は色々な物を食べれて、特別ですね」
「楽しんでくれてるなら何よりだよ」
次に二人は食べ物の屋台よりも遊戯屋台を見る事にした、家で金魚を飼えないので金魚すくいをすくうだけやらせて貰った、一匹だけしか掬えなかったがカンナは大喜びしていた。
射的屋を見つけてそれにもチャレンジしてみる、カンナがチャレンジしてみると幾つか当たりそうで惜しい所があったが願い叶わずだった。
それを見ていた射的屋のおじさんが「兄ちゃんもやらないのか?」と聞いてきたので黒は少し驚いて答えた。
「あ、やります!」
黒は試しに最初の一発を撃ち確かめて二発目を撃つ、標的にした可愛い猫のマスコット人形に掠める、最後の三発目を撃つがそれも当たらなかった。
黒は少し悔しくてもう一回やりたいとおじさんにお金を払った、そしてなんとか最後に当て景品を取ること出来たのだった。
(僕は射的の才能が無いな…)
と自嘲するが、景品をあげたらカンナが喜んでいたので成果は十分だった。
気付くと夜の雰囲気が満ちていき、お囃子と屋台の明かりが綺麗に人々を照らしていく、夜祭の客のテンションは最高潮に達しているであろう時間帯であった。
カンナと手を繋ぎ人混みに入る時、不意に強くカンナの手が振り切れてしまう。
「!?」
「黒君!!」
「カンナ!」
急いで人混みを避けてカンナを追おうとするが見失いそうになる。
人を掻き分けて行こうとする黒に人々は怪訝な顔をするばかりだった。
埒が明かないと思った黒は、避見の術を発動して人気の無い方へと飛び退いて行く。
(クソっ、油断した…)
急いで竹刀袋から愛刀の太刀と脇差を取り出し腰に差す、今回の相手は用意周到にカンナの誘拐を狙っていたのだろう、祭りの始まりから神経を張りつめ周囲への警戒も払っていた、その黒が一番に油断したその唯一の瞬間を見計らって実行したのだ。
(透過眼!)
直ぐに人混みや建物を透過し誘拐犯の足取りを追う、カンナを連れて歩くなら大した速度では逃走できない、ただその相手がとても体力のある人間でカンナを何かしらの方法で持ち上げて行けば話は別だ。
少し遠い方を探すと、何やら抱き抱えて走る人間の姿が確認できた。
夜目の効いたその眼で周囲の建物を確認すると一気に飛び乗り屋根上を駆けていく、祭りの喧騒と闇夜が彼を完璧に塗り潰していた。
敵は黒を巻く為にわざと人込みを狙い細く人気の無い裏路地などを何重にも右左折していた。
建物が無い地点では人込みを使い距離を取る、明らかに黒を相手にしている事が分かっている、そして後ろには協力者が居る様だと推測できた。
しかし、それに関しては今はどうでも良かった、今は一刻でも早く実行犯を押さえカンナを取り戻すのが最重要だったからだ。
そして一つの角を曲がると完全に大通りから外れて暗い小道を行く、奥まった場所に礼拝堂と霊園の土地があり、そこに誘拐犯は逃げていった。
黒はそのまま扉に体当たりして飛び込む、すると闇夜で暗い礼拝堂の入口右側から黒に目掛けて謎の右腕からの衝撃が襲う。
最初から予期していた黒は左手でもった鞘に右甲を添えて突き出し当ててその衝撃を防いだ、しかし、その衝撃を防いだと見た襲撃者はそのまま体を捻り左ミドルキックをかます。
一気に飛び退いてそのキックを掠める程度で躱すが、襲撃者は更にスーツの袖口から射出したバタフライナイフを一瞬で開きブレードを出し、そこから斬る突くの動きで黒へ追撃する。
それに対して黒は直ぐ様に鯉口を切り抜き放つとナイフの猛攻をなんとか凌ぎ、襲撃者の右肩から左下腹部へと袈裟斬りにする。
襲撃者は黒の鋭い反撃に対しての反応が遅れて躱す事が出来なかった。
しかし、黒は直感していた「この相手は此れでは終わらないだろう」と。
「やっぱりつえーなぁ、前の御返しに不意討ちを仕掛けたのに、完璧に返されちまった」
やはり相手は不死身の男、「来門両字」だった。
黒が襲撃者の正体を確認し、礼拝堂の奥の方を少し見るとそこにカンナは居た。
そして、隣にはもう一人の人間も存在して居た、誘拐の実行犯「夕霧クロエ」だ。
「黒君!!」
追ってきた黒を見たカンナが大声を掛ける。
「カンナ!!」
直ぐに黒も呼び掛け返すがその叫びは一瞬で消え去る事となった、礼拝堂の幾つもある木製ベンチが一瞬で吹き飛び、黒を巻き込みながら扉や入口周辺の壁を剥がし飛ばしていく。
強烈な旋風と鎌鼬に飛ばされ黒は何とか受け身を取るが、その一連で左腕を強打した為に余り良い状態だとは言えなかった。
そして、礼拝堂は大きな穴が開き、夏の月光が照らす明るい場所へと変わり果ててしまっていた。
驚愕して呆然とするカンナを横に、外に投げ出され膝をつく黒の方へと悠々と歩みながらクロエは言う。
「またお会いできて嬉しいですよ、黒殿」
前回とは違いクロエは、和風の装いで白道着に白袴、腕には籠手を着けていた、そして何よりも目立ったのは白鞘白柄の優美に光る刀「朝霧」を携えていた所だった。
黒が何とか立ち上がり刀を構えると、月光に照らされ幻想的に煌めく朝霧をクロエが抜き放つ。
すると、鞘と柄の純白とは対称的な漆黒の刀身が覗かせて鈍く光を放つ。
(風光明媚)
黒の周囲を囲む様にして風が八方から集うように走る、直ぐにその場から去ろうとしたが、黒の視覚でも追えない程の早さで結界が形成されていた様で見えない風の壁が阻み黒は弾き飛ばされる様にしてその場に止まった。
逃げ場無くその場に居た黒は、見えない無数の刃に全身を斬りつけられた、そしてそれは皮肉にも遠方で最後の打ち上げ花火が大きく綺麗に輝く瞬間の事だった。
「…ッァ!」
黒は何とかして「今出来る事を」と考えて懐から式神の和紙をバレないように血塗れの手に隠して出す。
「前に言った事、覚えていますか?例え四肢を飛ばしてでも組織に関して話して頂くと…」
(地鴉)
黒は和紙に自分の魔力を込めて飛ばす、鴉の形をした黒い影が飛び立ち遠方へと行こうとするが、その影はクロエの放った鎌鼬で敢えなく真っ二つに両断された。
「加勢を呼ぼうとしても、無駄です」
冷静にクロエは言う。
しかし、両断された影がそのまま霧散せずに地面に溶けていった所までクロエは確認していなかった様だった。
腕と足に幾つもの斬り傷が走り満身創痍に近い黒だったが、此処でただ降参する程弱っている訳でも無かった。
「クロエさん、貴女は真実を知るべきだ」
黒が膝をついた姿勢からヨロヨロと立ち上がりながら言う。
「…!?それは一体どう言う事ですか?」
「貴女のご両親との関連性と出来事について調べました、うちの組織…いや、僕の師匠は貴女の両親を殺してなどいない!」
はっきりと大きな声で叫ぶとクロエが一瞬だけ目を大きく見開き驚くが、直ぐにまた冷静な表情へと戻る。
「確かに興味深い話だ、だが敵の戯れ言に耳を貸す程私も愚かでは無いですよ?」
(やはりな…そうだろうとは思っていたけど…)
一度敵対をしている相手の説得は、例えそれが正論だとしても不可能に近い程に難しいものだ。
「お嬢!俺はどうすれば良いんですかい?」
いつの間にかカンナの側で逃げないように見張っていた両字が指示を仰ぐ、両字も少なからず黒の話に目を見開き驚いている節があったがクロエの指示を優先することにした。
「そうだな取り敢えず、その子を頼む!」
カンナを指してその子と言い、両字にお守り兼監視を言付けた。
「すまんな黒殿、恨むなら自分の境遇を恨んでくれ」
そう言いクロエは刀を振りかぶり、黒の肩へと一気に降り下ろす。
「黒君ッーー!!!」
カンナがこれ以上無い程の大きな声を張り上げて黒に呼び掛ける。
「クッ…!!」
茫然自失に近かった黒だが、迫る刃を辛うじて自分の刀で受け止める。
「まだだ…まだ死ぬわけにはいかない!」
身体は損傷を受け出血し、意識も少しふらつくがその眼の闘志は失われていなかった。
「ほう…」
黒が受けた刃を弾きクロエの胴を狙い横薙ぎにする、だがクロエは飛び退き避けると鎌鼬を二発繰り出す、黒は両脚の力を振り絞り後退すると何とか致命傷を避けるが右肩と左脚に各被弾し深めの斬り傷が付いた。
「御願いです、僕は死んでも構いません…あの子だけは何とか…」
「カンナだけは助けてくれ」と、膝をつき頭を垂れてクロエに懇願する。
しかし、その行動を見てクロエはただ不思議そうにしているだけだった。
「黒殿…貴方は何か勘違いをしているな」
黒はその反応からみて懇願の期待は出来ないと悟るが、更に驚愕の事実を知る事となる。
「我々はあの少女自身が本来の目的なのであって、貴方の持つ情報はただの副次的な物に過ぎない」
「…」
絶望的な状況に押し黙り虚ろな眼をする黒に、クロエは現実を突き付けるかの様に刃を向ける。
「組織へのその忠義、見事…」
動かず少し前のめりの正座で座り込む黒の横に立ち、刀を振りかぶりると、クロエの渾身の一刀両断が首元へと襲い掛かった。
既に防御する力すら入れられず、逃げる脚力さえ無かった、ただ刻々と刃が下ろされ肉と骨を断つのを待つばかりだった。
が、刃が当たる寸前で下から掬い上げるように飛び出した刀によって喰い止められた。
「!!?」
突如割って入ってきた謎の人物は、黒と似た外套を着ていて顔には兎の仮面を付けていた。
謎の兎仮面は刃を喰い止めて押さえると、そのまま飛び跳ねるようにクロエの刃を弾いた。
更に驚くべき身体能力によって跳ねてから回転二度蹴り、それをクロエが左右の籠手で弾き、返す刃を打ち込むがバック転しながらピョンピョンと逃げ去っていく。
更にクロエは追い討ちの鎌鼬を放つが、兎仮面は野生の勘の様なもので察知し左右に反復して避けた。
その動きを見て只者ではないと察知したクロエは、距離を取り構え待つ事にした。
「へぇー、お姉さんやるねぇ!すっごい楽しい!!」
兎仮面は楽しそうにクロエに声を掛ける、その声は可愛らしい女の子の声だった。
クロエがその事実に驚いていると、後ろの方からピキピキと凍り付くような音がする。
「お嬢!逃げて下さい!!」
クロエが両字の叫びに反応し一気に飛び退くと、まるで大波が襲い来るような形の氷像が切り立っていた。
意表を突かれて更に動かされたクロエ、此処までの急展開に彼女ですらも何が起こっているのか理解が追い付いていなかった。
警告してくれた両字の方を見ると、両字の左足と左手首は避けきれなかったらしく凍り付いていた。
更に両字の方から、同じ様に怪しげな兎仮面の人物が出てくる。
「あーあ…惜しいな…」
両字の方に出てきた兎仮面も可愛らしい女の子の声だったが、此方は明らかにテンションが低くて雰囲気が違った。
テンションの高い方の兎仮面が、右手で刀をクルクル回しながら黒の方を見て言う。
「ありゃ、誰かと思えば猫の兄ちゃんじゃん!!」
まるで「ヤッホー、久しぶり!元気してる?」と言うテンションだ。
「火月と水月か…、救援有難う…」
弱々しく小さい声で御礼を述べる黒、その光景に目を丸くして火月と呼ばれた人間は答える。
「んー、ぶっちゃけ仕事終わって花火観に近く来てたんだよね私達、そうじゃなかったら多分兄ちゃん今頃死んでたよー!」
ワハハハと悪びれなく言う火月は、言い終わるとそのまま仮面を外す。
黒よりも一回り小柄な少女でピンク色のツインテールの髪を靡かせる、可愛い顔に似合わず凛とした目をしている。
「火月姉、猫兄死んでる…?」
もう少し離れていた兎仮面の少女も仮面を外す、水月と呼ばれた少女だった。
此方の少女は姉の火月と対称的な水色のポニーテールの髪をしていて、同様の可愛い顔だが無気力な目をしていて、唯一共通なのは小柄な所だった。
「残念ながら、まだ死んでないよ…」
「兄ちゃんは、しぶと強いもんな!!」
「おー…良き良き…」
黒の生存確認に対して二人が各々に感想を答えた。
二人に助けられて難を逃れたが、黒は何とか自分にも出来る事が無いかと探す事にした。
「何だか…猫兄らしく無いね…」
不意に黒のすぐ近くから声がしたかと思うと、黒の真後ろに水月が居た。
彼女は体術的な戦闘能力は使わない、基本的に魔術と呼ばれる物を駆使する人間だった。
水月はどこからともなく錫杖を出し、空いた手で優しく黒の背に触れると治癒術を唱える。
「私…あんまり治癒得意じゃないから…ちゃんとした治療は未神先生にお願いして…」
軽くだが治癒術を施して貰い、黒は重症のレベルから多少動けるレベルにはなった。
「有り難う」
切断された血管や皮膚が超回復した作用か、もう暫く腕や脚の感覚がフワつくが、少し跳んだり腕を回したりしてみて、問題無く動けるなと黒は断定した。
その間にも火月は、跳ねるように飛び回りながら刀を駆使してクロエに斬り掛かっていた。
カンナは色々と入り乱れている状況に混乱をしない訳では無かったが、何とかして自分が黒の重荷になっている状態を打破したいと考えていた。
各所でそうこう動いている内に、左腕と左脚を凍らされた両字が、その部分を引き千切り身体を再生させた。
「俺も居るぞぉーーー!!」
叫びを上げて懐から拳銃を取り出すと、3発の弾丸を水月に向かって放つ。
しかし、その弾丸は虚しくも水月に届く事は無かった、黒が彼女の前に出て弾丸を見切るとそのまま切り裂いたからだ。
「ちッ!!」
そのまま銃弾が効かないするならば「肉弾戦で刺し違えてやろう」と考え、両字はコンバットナイフを構えて走り寄る。
しかし、それは水月が対応する。
(星霜灼量)
「何だぁ!?」
大地を駆けて黒と水月に向かって行く両字の足元に薄っすらと霜が張る、何も気にせず足を出して踏みしめるが次の一歩を踏み出す事は叶わなかった。
次の一瞬には、灼熱と誤って感じてしまう程の絶対零度の領域に両字は踏み込んでしまっていたからだ。
ただ、本来なら全身を凍てつかせる筈の術が何故か両字の場合は腹下の部分までしか凍結しなかったのだ。
「おいおいおいおい!あっつ!いや、さっむ!?何じゃこりゃ!あっつ、さっっっむ!!!」
「何…?あのおじさん…化物?」
自分の扱える魔術でも上位に位置する方の技を使ったのだが、それでも完全に機能停止させられていない事に、驚きと少々の呆れを隠せないようだった。
「水月、ここを頼めるか?」
黒がそう聞くと。
「あいあいさー…」
と手をゆるりと上げて気怠い返事を返した。
唐突に途轍も無い威力の氷結術を喰らい驚く両字とマイペースな水月、それらを差し置いて黒はそのまま火月とクロエの方に全速力で駆けて向かった。
「へへへー、凄い凄い!」
火月はまるでスポーツを楽しむかの様に斬り結ぶ、黒と全然違う太刀筋であり、違うタイプとしての難敵なのだとクロエは感じ取った。
クロエが突きを繰り出すと火月は顔を反らしてわざとスレスレで避ける、まるで生死のギリギリ一重の感覚を楽しんでいるかの様だった。
避けられたら間髪入れず、続け様にして横薙ぎや袈裟斬りに持っていくのだが、それらを刀で受けたり弾いたりして防ぐ、火月の身のこなしはまるで吹き飛ばされる木葉の様に退いてゆく、そして不思議だと感じたのは当てた感覚と言うものがやけに軽いのだ、いや正確に言えば軽いと言うよりは、ほぼ無いと言うに等しかった。
ひょいひょいと軽業の様に避けながら、時には回転しながらクロエの首元へと横薙いだり手元を狙って逃げながら引き小手を狙う。
しかし、クロエも負けじと反射神経と瞬発力、それに合わせて時折放つ風の衝撃波で吹き飛ばしたりする。
故に火月から見ても、クロエは十分に手強い相手だったので互いに決め手に欠けて、両者の決着は全然つかないでいた。
「お姉さん、あれ…使わないの?」
そう言うと火月は、半壊した礼拝堂の方と異様に土や砂利が捲れ上がった場所をひょいひょいと刀で指す。
「多分だけど、あの状態にしたのお姉さんなんでしょ?」
不意討ちとは言え黒を怯ませて戦闘不能にした事実上の決定打の大技、火月は既に現場の状況を見るだけで察していた。
「先程からの貴女の腕前を見て、私も易々と使える物だとは思わなかっただけですよ、決して使うまでも無いと侮っているわけではありません」
大技を引き出す様に駆け引きの言葉で挑発してくる火月に対して、クロエは冷静に努めて返した。
「へぇー、兄ちゃんをあそこまで追い詰めたって物にさー、凄い興味があったんだけどなぁー!!」
まるでお気に入りの玩具を取り上げられた子供の様に、心底残念そうに言う火月。
「私も貴女の本気と言うものに興味があります、どうやら…まだまだ遊んでいるだけの様に見受ける」
クロエは睨み付けるように見据えて、火月に向かって刀を構え直す。
「へへ、ばれた?任務の後だったから温存してたんだよねぇー!あんまりやり過ぎると妹にも怒られるしさー!」
満面の笑みで笑いながら、包み隠さずに全てを言う火月。
「でもさでもさ!お姉さんも本気出してくれるなら…こっちも満更じゃあ…無いよ?」
ついさっきまでの緩い笑みとは違い、急に真剣な顔と声でニヤリと笑う、右手で持った刀を肩に担ぎ左手を上に突き上げる火月。
目を閉じて、左手の中指と親指を擦り合わせる。
(ルナt…)
火月が自身の真価を発揮しようとしたその瞬間、水月と共闘して両字を退けた後の黒がいきなり乱入する。
駆けてきた加速度で勢いをつけたまま、クロエに向かって鋭い横一閃を放つ、クロエも勿論その一撃に反応し十字を書くように縦一閃で迎え撃った。
やはり互いに決め手にはならず、黒は火月の方へと後退していく。
「ちょ、ちょっとちょっとちょっとー!兄ちゃん!!ゴラァー!!!」
急に乱入してきた黒に、火月は刀を振り回してプンスカと叫ぶ。
「此れからって所だったの!!邪魔しないでよ!」
「えぇー…」
助太刀とかそう言うことは関係無く、純粋に楽しみを邪魔した黒を非難する火月、黒は予想外の反応で少し落ち込む。
「火月、あんまり無理にアレやり過ぎると水月に怒られるぞ…?どうせ今日の任務で一回は使ってるんだろ?」
「うぐっ…!!」
黒の「アレ」と言う物に釘を刺す言葉により、火月はたじろいだ。
「で、でもー…本当に強い相手には致し方無いって言うかー、不可抗力的な何ちゃらかんちゃらと言うかー…」
明らかに「水月」「怒られる」と言うワードに動揺して目が泳いでいる。
「それとさ、今回の件は任せて欲しいんだ、まぁついさっき瀕死で死にそうだった僕が言うのも何だけども…」
ここは任せて欲しいと黒は御願いをする。
「うーん、兄ちゃん…今日はいつになくらしくないみたいだったけど、本当に大丈夫か?」
火月は火月で黒を心配しての発言だった、そしてこれは常日頃の黒に対する実力を認めている現れでもあった。
「大丈夫だ、多少血が抜けて冷静になった!」
出血する大怪我をして血の気が抜ける、と言うジョークなのだが、一通り大笑いしてから火月は言った。
「ハハハー、つまんなー!!」
黒はそれを聞き少し笑うと、クロエの方へと少し寄って行く。
「クロエさん!さっきの話もう一度聞いて頂けませんか?」
「!?」
「うちの組織…ひいては僕の師匠の事ですが、貴女の御両親の殺害を実行してはいない!」
「下らない…その言葉を鵜呑みに出来る程、私達の間に信頼性は有りませんよ?」
クロエの指摘は最もだった、彼女の持つ記憶が両親を殺されたと言う真実である限り、この問題は延々と平行線を辿る。
「さっきクロエさんは僕の情報はあくまで副次的な物であり、そこには僕自身に関して価値すらないと…」
黒の事は序でに過ぎないと、クロエは断言したのだ。
「その言葉に返すのであれば僕達の組織もまた、貴女一人を騙す為にここまでしませんよ、もし我々にとって貴女が目障りなのであれば、戦力を組んで殺してしまった方が明らかに容易い」
「ふむ…」
確かに黒の発言は的を射ていた、加勢に来た火月と水月の実力を見るに、そう言う人間達がウヨウヨといる組織に違いない、そしてそんな機関が少数レベルの殺し屋をわざわざ騙して懐柔する道理も無いからだ。
要するにクロエ自身も、黒の所属する組織からすれば現時点では無価値なのだ。
「確かにな…」
道理を説かれクロエは納得する、しかしそこで完全に信用しきるのもまた愚かだ。
「証拠がある…と言ったらどうしますか?それを信じて貰えるかは別としてですが…」
黒は今出来うる最大限の取引を持ちかけた、火月と水月と言う不確定要素の乱入によってパワーバランスは拮抗していて、寧ろ現段階では微妙に黒の勢力に勝利が傾いている状態だ。
何より進展したのは、今まで動かなかった交渉の天秤に重石を掛けさせる事が出来た事だ。
そして、少し長考したクロエが口を開く。
「黒殿の言わんとしている事は理解した、ただ勿論、今この場でその証拠品を提示する事は出来ないのだろう?」
今回の戦闘は急な襲撃と誘拐によって起こり、黒はそれをた だ追ってきただけに過ぎない。
「寧ろ、あらかじめにその証拠品とやらを所持していたら、逆に私は作為的な何かだと疑っていた所だ」
クロエは自分の身を置く世界がどんな場所か重々に承知していた、敵の甘言に乗れば直ぐに首を跳ねられ、所属している組織を裏切る取引もまた死を招く行為だ。
だがそもそも、彼女の死を免れたい第一の理由は復讐である、だからこそ手掛かりとなる最有力の物と自分の命を取引の天秤に掛けて悩んでいるのだ。
「実を言うと…」
クロエが言い淀み暫くの沈黙の後、予想だにしない形でタイムオーバーを告げた。
「はいはい、加勢に来ましたよー、っと」
何処からともなく現れたの身体をは硬質化させた男、金光だった、突然の来訪者を見た火月が刀を担いで走り出し対応する。
「何か増えた増えた!こっちは任せてー!」
そう嬉しそうに言いながら、刀を担いでない方の手で黒に向かってヒラヒラと振る。
そして、半身が凍り付いた両字を監視していた水月の方にも、同時に一人の来訪者が来ていた。
「貴女…誰?」
水月の気怠く冷たい視線が刺す、その視線の先に居たのは彩だった。
「…」
何も答えない、だが返答は口では無く姿勢で現した、彩が右手を突き出して水月の方へと構えたのだ。
火月は金光の方へ詰めて丁度良い距離まで寄ると、ピョンと一足飛びし回転しながら刀を振り下ろして左肩に一閃する。
「はぁ!?ええー、何それ!!!?」
火月は驚愕の叫びを上げた、何故なら自慢の落下縦回転一閃が効かずに弾かれたからだ。
「硬ぁぁああああああ!!」
渾身の一撃を弾かれ火花が散る、その反動が物凄かったのか、車に跳ねられるかの様に後方に吹き飛ばされた火月は、クルクルと回転しながら膝をついて着地した。
「んー、痒いねぇ…」
余裕綽々と言った表情で金光は見下ろす、文字通り歯が立たないならぬ、刃が立たないとはこの事だろう。
「むっかぁーー!!」
「火月!待って!!」
待てと呼び掛けるが、黒の静止は虚しく木霊するだけで、火月の暴走は止まらない。
「しゃおら!こい!!」
金光は甲を見せる様にして右手を突きだし、人差し指を曲げて来いのポーズをする。
金光は避けない、相手の攻撃を全部受けきって、拳で返す戦闘スタイルだ。
両足・両腕・首筋・鳩尾の全ての部位を、全てのどんなモーション、全てのどんな体勢からでも斬りつける火月は、正に縦横無尽だった、しかし金光はその全てを受けきった上で攻撃に転ずる。
右腕狙いの斜め斬り、それを弾かれ金光が左拳でカウンター、そのカウンターを敢えて金光の左後方に前転して躱す、直ぐに立ち振り向き様に胴を抜くが弾かれて終わる。
「やっばぁーっ、私より刀が先にイカれそう!!」
斬っても斬っても刃が通らない相手に対して、恐怖を感じるどころか楽しさを感じている。
金光は金光で、すばしっこくて掴み所の無い火月の動きに興奮している、「強い、こいつを殺したい!」その一心だけで動き 戦いへの無垢な闘争心がその目に宿る。
一方、黒とクロエは周りの状況が転じつつあるのを考慮し交渉しなければならなかった。
「一つ、私から今現時点で言える事を告げよう」
正直に言ってクロエは敵も味方も誰を信じたら良いのか分かっていない、一時的に混乱しているとかそう言うことでは無い、生まれてから今まで本当に信頼できると言う人間が居なかったのだ。
「あの子は…いやカンナと言ったか、彼女はボスのある計画と言う物の為に欠かせない方なのだ、そしてその計画とやらの全容について私は知らされていない…」
この話は本来敵にして良い物ではない、機密を漏らしたその時点で反逆と見なされるからだ。
「それなら!」
黒は「小さな希望を見出だした」と言う表情でクロエに言うが。
「だが!昨日今日出合った貴方達の情に絆されて、ここまでやって来た事を泡に返す程私は優しくは無い」
当たり前だ、普通の人々が自分の幸せの為や誰かの幸せの為に人生を費やしている間に、彼女は両親の復讐と言う唯一の為だけに生きてきたのだ、今更「はい、そうですか」と引ける訳など微塵も無かった。
一方その頃、水月に手を向けた彩が自身の力を解放する。
「ん?何…?」
無気力な目を彩に向けながら呟く様に問うた。
「!?あなた…まさか、気が付いて無いの?」
不思議そうにしている水月を見て、彩は驚いてついつい大声で疑問を投げてしまった。
「何か…ちょっと身体が…重も…?」
ゆらりゆらりと水月は緩慢に動く。
「あんまり何時もと変わらなかったから…分からなかったや…」
水月のその様子に、彩は拍子抜けしながら次の行動に移る。
「あらそう、ならそのまま地に臥してなさい!!」
手をジリジリと下の方に下げていくと、水月の身体もどんどんと押し付けられ沈んでいく。
「あばばば…」
台詞では慌てているのだが、独特の言い回しとイントネーションのせいで、今一緊張感に欠けるものだった。
「へぶぅっ!!」
遂に最後の耐えかねる声を出し、水月はうつ伏せの状態で動けなくなる。
「いやー…凄い凄い…」
感心の声を上げるが、全くの無表情で言うので逆に煽りにも見えてしまう。
「このまま、楽にしてあげるわ」
彩は拳銃を取り出し水月に照準を合わせる、動かない的に撃つだけで何の事はない、しかし発射しようとすると同時に謎の氷塊が手元の真下の地面から飛び出して来て拳銃を弾き飛ばした。
彩は驚いて直ぐに姿勢を戻し、水月の方を確認するが姿が見えない。
「へぇ…視線から外れると解除されたり、一定の速度を超える物には効き目が出る前に到達してしまう見たいだね…成る程成る程…」
楽しそうに相手の能力を分析しながら、いつの間にか彩の背後に移動していた水月が言う。
「!?クッ!!」
彩は直ぐに振り向いて水月を視界に捉えて手を構えると、能力で水月を重くしながら懐の投げナイフを投げる。
(雹撃)
水月が錫杖を構えると先程と同じ氷塊が飛ぶ、真ん中でぶつかり弾き合い砕けると、その間に拳銃を拾い直した彩が水月を狙い打つ。
(氷璧)
間一髪銃に気付いた水月は氷の壁を沸き立たせ防ぐ、氷璧で凌がれたのを見た彩は直ぐに水月の方へと駆け寄りながら負荷重力の力で押し潰した。
壁を押し潰して駆け寄ると懐から出したもう一丁のナイフで、そのまま身動きをしなかった水月の腹にその刃を突き立てる。
「!!?」
初めて驚愕の表情を見せる水月、彩は手に液体の流れ出る感覚を感じながら静かに水月の耳元に囁いた。
「貴女の認識が間違ってて助かったわ、それと…私身体を使うのは他の人達に劣るけど、貴女も似た者同士だったのが良かったわね」
顔を突き合わせ、 勝利の笑みを水月に投げ掛ける。
だが、またもや背後から有り得ない声が響いたのだ。
「面白い…貴女の能力に関して分析不足だったか…」
「!?はぁ?」
水月を刺して勝利を確信した彩が、意味が分からないと言う反応をする。
「ん?ああ…それよく見てみなよ…」
彩が水月に促されて水月の亡骸だと思った物体の確認をする、するとその亡骸の傷口からは只の水が零れ落ちていた。
「身代わり!?」
彩が驚くとその物体は弾け、そこに在るのは只の水溜まりへと変わり果てた。
「多分…本当に刺されても…私あんな顔しないし…」
一貫して無表情で貫く彼女は、小さく吐露する様に言った。
「それよりも…新しい事が分かったね…貴女の能力の条件の一つに視界に捉える必要があると言ったが…違った…貴女の前方の空間を大まかに捉えるんだ…」
相変わらず無表情だが、声色は心なしか上擦ってとても嬉しそうだった。
(な、何なの…?こいつ)
彩は心中で水月に対して恐怖した、まるで探求の為なら自分の命がどうなっても良いかの様な、それとも確実に勝利を納める自信からなのか。
これだけは断言できる、火月と水月の双子、彼女達は確実に色々な意味でぶっ飛んでいた。
「私…火の魔術が一番に苦手でね…貴女は…何が得意だと思う?」
急に錫杖を地面に突き立てる様に持つと、水月は問うた。
「えっ!はぁ?」
「ヒントはね…私の名前…水に月って書くの…」
そのバレバレの分かりやすいヒントに乗ってやり、彩は答える。
「みっ、水?」
「正解…」
そう言うと、水月の周りの地面から急に大量の水が沸き立つ。
(無間水槽、本気出してないVer.)
勿論、彩の周りも沸き立った水流が溢れる様に流れ出し、その光景にただ驚くしかなかった。
「さぁ…次の検証は…どれ程の質量に対して同時に負荷を掛けれるか…スタートだよ…フフフ…」
(マジで何なのこいつ…)
そして、少し前に遡る事黒とクロエの話に戻る、結局クロエに対する完全なる説得は破談し、とうとうカンナを取り戻すには刃を交えるしか手段が無くなった。
「分かりました、であれば…」
黒は刀を納めてから柄を強く握りしめ、両眼を閉じて深呼吸をする。
クロエもそれに呼応する様に対面し刀を構える、二人は一番空気の張詰める瞬間を待つ。
そして、口火を切ったのはクロエだった。
(大鎌鼬!!)
クロエが刀を振りその刀身から凄まじい風の奔流が一筋吹き荒れる、先程の黒が不意討ちで喰らった技、それの威力を調節した版だった。
それに対して、黒は眼をカッと見開き抱えるように柄と鞘を握ったまま、疾風の如く駆け始めた。
(神速一閃!!)
黒は風の奔流に隠された幾つもの鎌鼬を見切り弾幕を縫うようにして避ける、そして今持てる限りの力を解放し高速の抜刀術を放った。
刹那の立ち合い、確かに手応えはあった。
しかし、そこにクロエは倒れてなどいなかった。
「っ…お嬢…此処は俺が引き受けます…今回は退いて下さい」
黒が斬ったと思ったのはクロエでは無かった、先程凍らされて動けない状態になっていた筈の両字が庇ったのだったのだ。
黒の鮮烈なる一撃を喰
らい、両字は膝をつきながらクロエに言う。
「両字、有り難う助かった…」
クロエも流石に大技を連発し、何人もの手練れを相手にして疲れが見えていた。
黒とクロエ、両者とも少し蹌踉めきながら刀を構え直す、既にこの戦いは泥沼と化していた。
そして、その光景を見ていたカンナが割って入る。
「あの…私なら、大丈夫です!!」
思い掛け無い言葉に黒は眼を丸くして驚く、クロエと両字も少し驚いている様だったが努めて冷静にしていた。
「そちらの方々が私を目的としているのであれば、大人しく付いていきます」
カンナはハッキリと断言した。
「ま、待って!ダメだ!!」
黒は叫んで、必死にその進言を否定しようとする。
しかし、カンナは黒の方に目を向けて視線を合わせると首を横に振った。
「ううん、良いの…」
カンナはこれ以上自分のせいで黒に傷付いて欲しくなかった、だから大人しく同行する事にしたのだ。
(何でだ…、何で…)
自分の無力で大切な人を守れずに、黒はただ呆然とするしか無かった。
「但し、此の者の命だけは助けて下さい、御願いします」
「了承した」
そう短く返事をすると、クロエは刀を鞘に納めてカンナを抱き上げて立ち去ろうとする。
「ごめんね…黒君、今まで有り難う…本当に楽しかった!」
今にも泣きそうな程に切ない表情で、カンナは言った。
「クッソォーーー!!」
今まで冷静だった黒はそこにはおらず、怒りを顕にしてクロエの方へと斬り掛かる。
しかし、それは両字によって阻まれる、弱り疲れきって速度の落ち切った黒を御するのに両字の動きでも十分だった。
「行かせないぜ!」
黒の刀身を両手で受け止めてガッチリと固定する、グローブとは言え、刃物を握りしめている為に掌から血が滲み出るが、両字は気にしない。
「クッ…邪魔だ!!」
刀を押さえられた黒は、直ぐ様に両字の頭に目掛けて右膝蹴りを打ち込む、それを両字は敢えてモロに受けて、そのまま刀を持ち上げて投げ飛ばした。
両字の馬鹿力に吹き飛ばされた黒は着地するが、直ぐに距離を詰めた両字が黒の顔面に右拳を放ちモロに当たる。
「グハッ!」
黒は頬の内側を切り口から血を吐く、殴られた場所が腫れる感覚がする。
「殺すなとは言われたが、殴り合い位なら良いだろ!やろうぜ兄ちゃん!!」
カンナを連れていかれ気が気ではない黒とは対照的に、両字のボルテージは上がっている。
「…」
ただ両字を睨み付けるだけで、黒は答えなかった。
血塗れになった刀を引っ提げて両字に振り掛かる、両字がグローブの籠手部分でそれを弾くと黒はそのまま両字の腹部を目掛けて右足蹴りを放つ、両字はそれを左腕で防ぐと右拳を黒の目掛けてもう一度放った。
しかし、その動きを予測していた黒はそのまま顔を反らして避けると、一足分前に出て両字の背後に回り、そのまま反転して引き胴を打ち込み両字の横っ腹と背中に斬り裂いた。
「ってぇー…」
怯んで傷口を押さえる両字に、黒はそのまま追い袈裟斬りにしようとする。
が、両手を手を前に出して両字が「待った」のポーズをする。
「…!?どう言うことですか?」
振り切らずに止めて黒は問うた。
「なぁ兄ちゃん、一つ気になる事があってよぉ」
黒は、良くも悪くも両字のペースに引き込まれてしまう所があった。
「兄ちゃんが言ってた事ってのは、マジで本当なのか?」
両字の気になっていると言うのは、クロエの両親の死についてだ。
「はい、ですが貴方には関係無いのでは?」
「いや、俺も昔ちょっとあってな…もし、もしもよぉ…俺もその仇とやらに因縁があるって言ったら?」
「…!?」
「いや、何でもねぇ…」
黒は両字の真意を探ろうとする。
「もし、僕が証拠を提示するとしたら?」
少しの間両字は考える、そして何かを思い付いたのか黒に言った。
「そうか、じゃあその案で兄ちゃんに頼むわ」
両字は承諾した、だが黒にとってこの男が本当に信頼できるか疑わしい所ではあった。
黒が刀を納めようとするが両字は不思議そうに見ている。
「は?いやいやいや兄ちゃん、これはこれ、それはそれ、だ」
「!?」
黒は何やら話が噛み合ってないと思った。
「協力する取引と決着はちげーぞ、さぁやろうや!」
両字の意図を理解した黒は馬鹿らしいと思った、と言うよりは心底呆れた。
「仕方無いですね…」
「やっぱり楽しいぜぇ!」
刀を構え直し最後の力を振り絞り斬りかかる黒、楽しそうに笑いながら拳を打ち込む両字。
格段に落ちた速度の斬り込みを見切り、両字は避けてから黒の腹部を狙いそれはクリーンヒット、結果は両字のKO勝ちと言う事となった。
そして火月と金光は凄絶な斬り合い殴り合いになっていた、両者は付かず離れず、斬りには弾きで、殴りには避けで互いに応じる。
金光も段々と火月の速さに目が追い付いていき、次第に火月の身体を掠める様になる。
「ハッ、そろそろヤバくなって来たんじゃねーの?」
金光の放った右拳が、火月の頬を掠めて血を流すと挑発的に言った。
「そうだねーヤバいかも」
少し動きを止めた火月が、汗と血を拭いながら言う。
「でもさ…」
ニヤリと笑いながら。
「楽しい!!」
言うや否や、一気に距離を詰めて先程の様に回転縦一閃を放つ。
「何度も何度も芸がねぇなぁー!」
またしても同じ様に右腕で弾き、金光の余裕の発言だ。
そして、着地するとまたも金光に跳び跳ねて回転縦一閃。
「何度も一つ覚えに…馬鹿か!?」
弾かれてもう一度着地する、そして更にもう一度繰り返す。
「ふ、ざけてんのかよ!!」
金光はうんざりだと言う雰囲気で火月に向かって叫び同じ様に弾こうとする。
右腕を翳して真上からの斬り下ろしを弾こうとする。
だが、これまでに一度も傷の付かなかった鋼の身体に亀裂が走った。
「な、何ぃ!!!!?」
石の上にも三年、同じ部位に何度も何度も繰り出された技に耐久度が負けて穿たれたのだ。
「ッ…!!」
自身の盾を破られて深く斬りつけられた金光は、右腕から血を流し抱える様にした。
「ふふーん!一念あればこそだよ」
金光の硬質化をごり押しで攻略した火月は、刀を肩にトントンと掛けて自慢気に言った。
「クソっ!!まだだ…俺はやられねぇ」
自身の能力が火月に敗れプライドを傷つけられた金光は激昂した、怒りを顕にして闘おうとする。
「ふざけんなぁ!!!」
「へへへ」
金光は叫び火月は楽しそうに笑いながら 相討とうとするが。「御両人、そこまでだ!!」
だが、それは気絶した黒を担いだ両字によって止められた。
「チッ…兄貴」
「ありゃ?」
素直に従って止まる金光と、気絶した黒を不思議そうに見て止まる火月。
「こっちはもう引くからよ、兄ちゃん連れて帰んな」
黒を下ろし両字は言った。
「ちぇっ、これからだったのになー」
楽しく遊んでいたのを水を差された様に言う。
「まぁでも、元々僕達はおじさん達を殺しに来た訳じゃないしね、兄ちゃんの身柄を保証してくれるなら良いよ」
そして、互いに構えを解くことで決着した。
そして、水月の方はと言うと。
膨大な水を制御し水玉や鞭の様にしならせたりして彩に詰めていく、だが彩の方も負けじと迫り来る水の塊を重力負荷で落とし潰す。
「やるぅ…」
迫り来る攻撃を器用に指定して落とす彩に対して水月は感心していた。
「お褒め頂き有り難う、でも…これで死んで!」
彩がそう言い、水月の方に両手を翳すと水月の回りで宙に浮く大小様々な水球を落とし、そのまま水月自身も押し潰そうとする。
「ぐへ!」
数える間も無く簡単に身体が地に着き、水月はされるがままにと言った表情でいた。
次こそはやれると彩は踏んでいた、何故なら先程の異様な程の水月の高速移動は錯覚によるものだったからだ。
彼女は水の分身を扱い、幾つかの行動を分散して行っていた。
そして、今回は大技を発動させそれの維持をしながら戦っている。
これは彩にとって危機であると共に好機でもあった、水月への加圧に集中し一気に押し潰す。
水月はそれに対して水のクッションを作り出して自身を支えて対抗する、そんな中で水月は首を何とか捻り動かして視線を彩の奥へと向けた。
水が弾け地面の泥水が飛び散る、制御を失った回りの水塊が一気に雪崩落ちた。
「ハァ…ハァ…思った通り…、貴女は水で作り出した分身で高速移動した様に見せてただけみたいね…」
疲労により息をつきながら、彩は自身の確信した読みを言葉にする。
「正解です…貴女はとても頭が良い…」
何処からともなく声がした、彩はうんざりだと言わんばかりに顔を上げて声のする方へと視線を移した。
「あんた…本当にしつこいわね…」
やはり声の主は水月だった。
「確かに、事前に貴女に行っていたのは水の分身による誤認を誘う行為でした、ですが…元々移動手段が無いと言うわけではない…」
要するに、水分身と謎の瞬間移動法どちらも扱えると言う訳だ。
「そろそろ私も苛ついて来たわ…」
中々やられない水月を鬱陶しく感じた彩は怒りの目で睨み付ける、それに対して相変わらずの無表情で水月は見返していた。
手を前に出す彩と錫杖を構える水月、両者が口火を切ろうとするが各々声を掛けられて止められた。
「水月ぃー帰るぞー!」
「彩、撤退だ、帰るぞ」
両字に撤退命令を出された金光が迎えに、そして傷付き気絶した黒をおぶった火月が水月を迎えに来たのだ。
「残念…楽しかったのに…」
「ふん、私はもう願い下げよ!」
両者とも戦闘の構えを解くと、互いの同行者に付いて帰還する運びとなった。
「兄ちゃんが起きたら、このメモ渡しといてくれや」
そう言い、両字は火月にメモを渡して消えた。