結合
クロエがグロブナーの別荘に隠遁してから一週間と数日、広い敷地の一角で刀の素振りをする。
(あの黒と言う人間、相当の技量だった…)
職業柄、武装してる集団や同業の人間達とも刃を交えた事が幾度かあるが、あれは別次元だった。
無論、本当にこれ迄で命の危機が無かった訳では無い。
例えるならば、野性動物の中で多少危険な動物を相手にするのと、訓練され凶器を持った一流の暗殺者を相手にする様な違いだ。
言わずもがな後者の方が恐い、知能を持ち狡猾に最新鋭の武器を駆使する人間が殺しに来るのだからだ。
今回は父の忘れ形見であり愛刀の「白霧」もある、次こそは黒を弱らせ仇の情報を手繰り寄せると言う意気込みだ。
目を瞑り精神を統一すると、その身に宿る力で周囲の風がざわめきだす。
数秒の後、クロエが目を見開き横薙ぎすると20メートル程離れた太い木が引き裂かれた。
納刀してから滝の様に流れる汗を拭い、ミネラルウォーターを一気に飲み干し一息つく。
携帯の呼び出し音が鳴り響き応答する、電話の相手は両字だった。
「お嬢、Gからの情報が入りました、ここ最近に各所で能力者による不審な集会があったようですが一斉に検挙されたとか」
Gと言うのは殺し屋が良く使う情報屋の通り名だ、一説に拠ればGhostの頭文字から取ってると聞いた。情報屋と言う仕事柄秘密主義は当然なのでその真偽は分からない、またクロエ自身その事には興味もなかった。
「それは、やはり例の組織が関与していると言うことか?」
クロエは両字が次の句で言いたいであろう事を先に読んだ。
「そうっすね、先日覚醒した能力者が一般人を殺した後に廃工場で立て籠ったらしいです」
その話を聞きクロエは少し眉をひそめる、一般人を巻き込む非道は許せないと言う気持ちが少なからず働いたからだ。
付き合いの長い両字は妙な間に感付いて、「その事件の被害者達が女性と子供だ」とは口が裂けても言えないなと思った。
「で?各所で起こる事件に先回りすれば自ずと会敵する事が出来ると言う事か?」
「いえ、ボスから我々には必要な人間が居ると聞きました」
クロエの結論を否定し、新しい案を提示する。
「…?」
「俺らが此れから遂行するのは、人拐いですよ」
その言葉を聞きクロエは目を見開くが、案外冷静に返事をする。
「そうか…」
決意を固めた剣客がそこには居た。
「ターゲットの名前は……です、後程その人物の画像を送ります」
「ああ」
「どうやらターゲットと、先日の襲撃者である黒という人物は現在行動を共にしている様です」
あの日の任務失敗は、この事にも関与していると予想する。
「お嬢、大丈夫ですか?」
両字は少しクロエを気遣う様子だった。
「大丈夫だ、それよりも両字お前こそ良いのか?此れから相手にするのは生半可な相手じゃない、お前は此処ら辺で潮時にしても良いんだぞ?」
クロエと両字は仕事仲間として長い間組んできたが、クロエからすれば両字がここまで関わってくる理由が分からなかった。
その言葉を聞き両字は急に何時もの調子で話し出す。
「なーに言ってんすかお嬢!此処まで来て今更ですぜ」
そう笑い飛ばし続ける。
「お嬢の戦力には、いつも頼らせて貰ってますからねぇ」
「そうか」
両字は自分とクロエの両親との昔の話をしなかった、こうして今クロエの力になり、守れるならどんな形であれそれで良かったからだ。
「あ、それと最後に一つボスから連絡があるんでした、腕利きの殺し屋を二名雇って派遣されるらしいです」
「ほう」
殺し屋と言う職業柄性格に難が…いや、きっぱり言ってしまうと人格破綻者が多い。
仕事上で馬が合う合わないはあるが、命を預ける事となれば殊更に慎重な相手でなくてはならない。
「そいつらも二人組で行動しているらしく、使える連中だとかなんだとか」
それから両字の情報を更に聞くと、その二人は身体を硬質化させる人間と重力を操る人間だと言う事が分かった。
「明日顔合わせなんで、御願いします」
そう言い終わり通話は切られた。
今回の一件と別の殺し屋の要請そして一般の戦闘員も集めているらしい、クロエには叔父の真の意図までは分からない。
だが、もしそれで己が悲願を達成出来るのであれば構わなかった。
そして翌日になり、両字が裏ルートで安く手に入れた中古の年式の古い軽トラックに乗って訪れる。
昔取った免許はこの十数年の歳月で既に失効しているが両字としては無免上等、無茶な乗り方をしなければ目をつけられはしないだろうと言う算段だ。
「迎えを寄越しても良かったが…」
「いやいや、あまりボスの部下に手間を掛けさせるもんでも無いですからねぇ」
そう言いながら両字は軽トラの荷台に置いた荷物を下ろす、刀一筋のクロエと違い両字は多種多様な武器を扱う。
仕事道具の拳銃と小さいバタフライナイフ、怪しげなカプセルの入った小型のシルバーケースを一つ新調してもらったスーツの懐に了う。
前回のスーツは黒に無惨にも切り裂かれ着れなくなったからだ、グロブナーの依頼する仕事の場合、報酬とは別に装備等の経費が落ちるので両字の懐具合にとっても助かる所であった。
そして手にはチタンコーティングされたスチール装甲の革手袋、戦闘に置いて両字にとっての得意な間合い等存在しない、故に色々な手段を用いて色々な間合いで戦うのだ。
クロエと両字が仕度を整えてから暫くして件の傭兵、もとい殺し屋の二人を乗せた車がやってくる。
出てきたのは男女二人組だった、男の方は明らかにグレていると言う様な風貌、赤い適当な英字の入ったシャツとシルバーリングのジャラジャラした装飾が目立つレザーパンツ、そしてその男の腕を殆ど覆う程の大きな鷲の黒いタトゥーが入っていた。
鋭い眼光と髪を逆立てて威嚇するような黒髪金メッシュの入ったオールバック、「男らしい」と言えば聞こえは良いが、シンプルに言えば粗暴にして凶暴な雰囲気、一般人であれば絶対に近付きたくないヤバい奴だ。
連れ立ったもう片方の女の姿も確認する、黒髪ロングヘアーで綺麗に化粧をし、夏の景色に映える鮮やかな青いワンピースを着ている。
その女の見た目こそ、街に良くいる綺麗系のお姉さんと言った雰囲気で至って普通なのだが。
その顔色はあまり良いとは言えず目は少し無気力に近い。
男の肩に垂れる様に身体を預け、その視線は男だけに注がれていた、まるで彼女の世界にはその男しか居ない様だった。
男の方は差し置いて、女の方は外見からは殺しをする様には見えない、正直なところ両字は虚を突かれた感じだった。
しかし、内心驚愕する両字とは対照的にクロエは静かに佇み、只その透き通る様な眼を向けていた。
「へぇー、金払いが良いと思ったが、そりゃこんな屋敷持ってるなら納得だわ」
男が周りを見渡しながら此方へとやってくる。
クロエが応じて動こうとすると、それを制して両字が前に出る。
「お嬢、ここは」
左手を自然に一瞬だけ懐へそっと伸ばしてから戻し、後ろに振り向くと両字は男へと近付いた。
奇しくも互いに男性勢が前に出て行き、女性勢が後ろに付く陣形となった。
「俺ぁ加藤金光っつーんだ、宜しく」
男の方、金光が御世辞にも礼儀のあるとは言えない雰囲気で握手を差し出す。
「お、おう、俺はー…」
両字が応じて握手を交わし挨拶をしようとする、だが金光は両字の右手をそのまま掴み左拳を思い切り両字の顔面に叩き付ける。
「ッ!?」
急襲に両字は何とか反応し左手を少し動かすが二度目、三度目の追撃が襲う。
それはまるで鉄拳のような…いや、それは比喩ではなく実際に鉄拳と呼べる代物であった。
両字の顔面を破壊した金光の左拳は鋼鉄の様に鈍く煌めく、両字の顔面の皮は剥がれ骨が少し浮いて見える程になっていた。
ダメージにより怯み蹌踉めく両字を突飛ばし、胸部辺りから左拳と右拳を、そしてそこから更に広がるように全身を硬質化させ金光は話し出す。
「あーあー…ガッカリだ、最近界隈で名を轟かせてる王と姫とやらが居るって言うから来てみれば、拍子抜けだぁ~」
金光は、のした両字を既に眼中に入れず、わざと挑発する様にクロエの方をジロジロ見て言い捨てる。
「俺らは金さえ積まれりゃあ何でもする!だがよぉ、それ以上にてめぇより弱い相手にへーこらしたくないんだわ!!」
要するにクロエと両字に対する自分らの格上宣言なのだが、クロエはそれにさえ動じなかった。
「…」
クロエは腰に帯びた刀を抜くそぶりすらせずに金光と両字、そして後方に居る女を見て佇む。
「へぇー、良く見てみれば中々上物の姉ちゃんじゃねぇーの」
金光の下衆な視線がクロエを舐め回すように這う。
「金光様!」
後方の女が叫び、その嫉妬に狂う様な視線がクロエへと向けられる。
「ははっ冗談だぜハニー、俺の一番の女はお前だけだぁ~」
キザっぽく女の方にアピールする、すると後方の女が前に出てきて金光の横にくっ付く様に出てきて、まるでクロエへに対して女として牽制する様な雰囲気だった。
「私の名前は大井彩って言うの、宜しく」
一見すると金光に比べると彩と言う女は大人しそうだ、だが殺し屋として活動している以上何かしらの能力を持っているに違いなかった。
それと此処までの流れを見た雰囲気からして、彼女は明らかに金光に対しての依存性が高い、正に病的だと言っても過言では無い程にだ、そこを刺激するのが一番のタブーなのだろうとクロエは察した。
「男の方は一瞬で沈んだ木偶の坊、抜けよその刀、それとも怖くてブルッちまったのか?あ?」
金光はこの状況でも悠々とした態度のクロエを、どうにかして嗾けようとする。
「金光と言ったか…貴方は何か勘違いをしているようだな」
クロエが言い終えると金光の背後から強襲の気配を感じ取る、咄嗟に振り向き反応するが、既に顔面の怪我を回復した両字は己の細胞を活性化させた剛力を引き出し、金光と掌を掴み合うようにして取っ組み合う。
「てめぇ…」
「不意討ちとはやってくれるじゃねぇか!!」
金光はその硬質化した身体で抵抗をしてはいるが、両字の持つ剛力は中々に手強かった。
「ほら兄ちゃん、どうした?もう終わりか?」
両字はまるで不意討ちの仕返し言わんばかりに煽り返す。
「クッ…」
「お前!」
後方に居た彩が叫びを上げまだ明かされてない能力を振るおうとする。
しかし、それに即応じたクロエは瞬影走るが如く抜刀し鎌鼬を放つ、簡単に首を飛ばす威力でも放てるが今回の相手は建前上殺すことはできない。
彩の頬を鋭利な風の刃が掠め鮮血が迸る、顔を覆い踞った。
「彩…ってっめぇぇぇぇ!!殺す!!!」
激昂した金光はクロエに飛び掛かろうとするが、それも虚しく両字の両腕によって押さえ込まれる。
「貴方達の勘違いは三つある、一つは御覧の通り両字はまだ沈んでいない」
そしてクロエは金光の腹部の辺りを指を指し続ける。
「二つ目は、自分達が勝ったと思い込んでいた様だが、両字は不意討ちを喰らい飛ばされるその瞬間、貴方の上半部に接触性の激痛毒を仕込んでいる、激痛を受けたくなければ洗浄が済むまで大人しくその硬化した身体で居る事だな」
そして、クロエは顔を覆い踞る彩の背筋に刀を宛がいもう一つ続ける。
「そして最後に一つ、確かに貴方たちは叔父上…もとい我らのボスが雇い入れた人間達だ、協力的であればそれなりに応えるが先程の様な態度をとるのであれば容赦なく斬る」
金光は観念し唸る様に「わーったよ!」と叫び力を抜く、無抵抗を確認するとクロエは納刀して言った。
「腕の良い医者を紹介してやる、顔の傷も綺麗に治るさ」
「まぁ、そういうこった!宜しくな」
明らかに洒落にはならないダメージを受けた両字だが、持ち前の能力故か意に介していない、懐が深いだとかそう言うレベルでは無く彼は真の怪物だった。
取り敢えず彩の応急手当を終えて金光の方は衣服の除染と身体に付着した毒を洗う事になった。
屋敷の広いシャワー室で身体を洗い硬質化を解いた金光は在る事に気付いた、喉元を擦ると薄く線をなぞる様に傷が付いていたのだ。
(俺が全身を硬化させる前に首を?ありゃ只者じゃあねぇな…)
両字を不意討ちし油断した金光を、一瞬で屠る事も出来たと言う事だ。
普通なら自分が殺されるかもしれない経験と言うのは不愉快な物だが、金光は違った、寧ろ従うに相応しい相手達だと認めたのだ。
「よぉ、お前中々やるじゃねぇか」
湯を浴びながら徐に考えていると隣にやって来た両字が声を掛けてくる。
「正直に言ってあんたには完敗だよ、不意討ちでボコボコにしたってのにピンピンしてやがる」
あの距離で接触系の毒を相手に放つのは捨て身に近い行為だ、だが両字の戦闘に置いては雑に身体を使う事が強みとなっている。
「殴った俺が言うのもなんだけどあの反応、痛くない訳じゃ無いんすよね?」
先程まで殺す一歩手前のやり取りをしていた人間達とは思えないものだった。
だが、実力第一の業界だからこそ上下間系がハッキリとする、そんなものだった。
「そりゃあ耐え難い苦痛なんて何時までも馴れるもんじゃ無いけどよ、なんの因果か俺はこんな力を持っちまった、なら歯喰い縛ってでも突き進むのみだ」
金光は両字の本当の強さを見た気がした、身体的な不屈だけでは無い、この男は精神も不屈なのだと。
「まっ、此れから俺達は後腐れなく協力関係だ、頼むわ」
「へい」
一方その頃、クロエは彩を治療術の魔法を扱う闇医者の元へと送り待合室で待つことにした。
重、軽症問わず絶えない殺し屋の業界にとって大事な闇医者は各地に点在し伝を頼れば大金を積んで利用することができる。
気性の荒い人間や倫理観の滅茶苦茶な人間を相手にする商売で気になるのは第一に身の保証だが、闇医者を失えば困るのは利用する側の人間達であり基本的に事件等に巻き込まれることは少ないのと、もし何かあれば禁忌を犯した人間を抹殺する管理者位の者が始末に来るから滅多に闇医者が殺されたり傷つけられる事は無いとかなんとか。
ただクロエは此処数年程になって殺し屋になり頭角を表した人間であり、自身が怪我をする事も皆無だった為にあまりそこら辺の事情は詳しく無かった。
叔父の部下に車を出して貰い、古いビルの寂れた一階の一室に止血手当てした彩を連れて行く。
か細い光を放つ蛍光灯が薄暗く照らし、一世代古いであろう備品で固められていて殆ど廃墟に近いと言われそうな場所だった。
待合室の椅子に座り少し待っていると、首に老眼鏡を提げて割烹着を着た老婆がドアを開けて出てくる。
老婆は二人の来客を見て言った。
「あんたら見ない顔だねぇ…片方は患者かい」
少し人当たりに癖のある感じだが不思議と不愉快な感覚ではなかった。
「来な、少し診るからね」
彩に近付けと手招きし顔を覆ったガーゼを取り診察する。
「で?どうする?傷が残るなら格安、傷を跡形も無く治すなら高く付くよ」
「高くても構わない、綺麗に治してくれ」
即答だった。
そのやり取りの後に、彩を連れて老婆は奥の方へと消えていった。
人の皮膚には表皮と真皮と言うものがある、表皮までの傷ならば自然に跡形もなく再生するが真皮まで達すれば傷は一生残る物だ。
老婆は治療術と合わせて特製の秘薬を塗布する、傷が残らない様にする為に高いのは主にこの薬の為でもあった。
「ほら、もう済んだよ」
数分程で医療行為は終わり彩は自分の顔が綺麗に治ったのを確認した。
「良かった…」
先程まで如何にも絶望し沈黙をしていた人間が口を開いて呟いた。
「あんたぁ運が良いね、あたしゃ人生でこれ程迄に綺麗な切り傷は見たこと無かった、お陰で切られる前の肌に簡単に修復出来たよ」
傷に対して本当に関心している様だった。
治療も終えてクロエが老婆に代金を一括現金で払うと、二人は診療所を後にした。
「有り難う…私…あの醜い傷跡の顔のままだったら金光様に嫌われて、今頃自殺していたわ」
陰気な雰囲気が真に迫る言葉だった、本当に感謝しているのだろう。
「私には分からないな、何故そこまで男女の仲に拘るのか…」
クロエは今迄の人生を家族の復讐、その一点だけに費やしてきた人間だった為に、彼女の抱いたその想いが欠片も理解できなかった。
車中での二人は互いに無口な人間だったので、それ以降の会話はあまり無かった。
所変わり志士本部に黒は居た、今だ犬養さん不在の事務室にカンナを待たせ本部内の上官区『管理室』を目指し足を運ぶ。
途中の廊下で思い掛け無い相手と出くわす事となった。
「まさか、此処で貴様と会うとはな…」
凍てつくような冷たい視線が黒に刺さる、声の主は黒髪長髪の高身長の男だった。
その男の出で立ちは黒外套と、そこからちらりと覗かせるのは緑色鱗甲冑胴、そして手には同じく緑色の鋼鉄手甲が装着されていた。
まるで龍の鱗を纏うかのような装いだ、そして彼の手には長く大きい布に包んだものが携えられている。
「こんにちは、竜神殿」
黒は直ぐに小さく礼をし挨拶を交わす。
彼の名は竜神清と言い、お察しの通り先日の竜神咲姫の兄である。
清の黒に対する接し方はあまり良いと言うものではない、だが黒は知っていた、この男の黒に対する冷たさの根幹はとある事が切っ掛けなのだと、そしてまたそれは黒自身も後悔していて仕方が無い事だと思っていた。
「貴様は此処で何を?」
眉目秀麗、そして若いながらに威厳のある男がその鋭い目付きで黒を睨むようにしながら言った。
「えっと…犬養さんが此処最近で留守にされているので他の幹部の方に所在の確認をと…」
黒は緊張をしながら慎重に答える、それはさながら詰問の様だった。
「そうか、先代の黒…龍儀殿の後継ぎであるお前が、よもや務めを忘れ平々凡々にしているのであれば斬るとこであったが…」
緊張し視線を合わせられない黒だったが、清のその目は至って本気であった。
清は黒の事を殺したい程憎んでいる、それは間違いなかった。
「犬養殿は今日も不在らしい」
「えっ?はい、有り難う御座います」
どうやら黒の問いに答えてくれたらしく、予想外の返答に黒は驚いて気の抜けた返事をしてしまった。
そして、それだけを言い残して清は去っていた。
竜神一族は確か西部の方面を拠点として活動している、その二人が本部に出入りしていると言うのは各所で忙しくなっている様だと黒は感じていた。
意外な相手から聞きに来た情報を貰うことになり、黒はその場を去ろうとするが更に声を掛けられる。
「はっ、何やらこまい者が居ると思ったら龍儀のとこの小僧では無いか」
その声の主は、歳で混じり気の一切無い程綺麗に染まった白髪とそれと同じ様な色のをした顎髭を蓄え深緑の着物を着た老人だった。
脇にはネズミの顔を模した仮面(決して可愛らしいデザインでは無い)を付け黒外套の部下が二人並んでいる、その老人を見て黒は直ぐに深々と礼をした。
「御無沙汰しておりました」
「ふん、儂から言わせてみれば汝等の安否なぞ晩飯の献立以上にどうでも良いわい」
この老人こそ総隊長にして一番隊子部隊隊長の神子霊山だ。
黒はあまりこの老人が得意では無い…と言うか好きではなかった、何故なら。
「汝も大変よなぁ、師である男が斯様な愚か者なのだから」
「いえ、僕の師は愚か者などではありません」
黒は視線を真っ直ぐに霊山に合わせてハッキリと言い切る。
暫く霊山は嘲笑するかの様に笑い、更に威圧と意地悪さを増した視線で黒に言う。
「ほぉ、あの男を優秀だと汝は申すか、己が務めを押し付け去り、出世に走った男を庇うとは師弟揃って愚かで哀れよのぉ」
「僕個人を貶めるのは幾らでも構いません、ただ師匠の事を悪く言うのだけは止めていただけませんか?」
黒は新参でしたっぱの自分なりに精一杯真剣に言った、その懇願に近い雰囲気を見て取り霊山は更に笑って言った。
「小僧、精々己の務めに励めよ」
そう言い残し霊山は部下を引き連れて去っていた。
噂話によると、霊山は自分より歳下の龍儀に総隊長よりも上の座位にあたる三大神位の一つ、力神の座に就かれ面白くないのだとかなんだとか、だから嫌味らしく師匠に突っ掛かるのだと思っている。
何にせよ、今日は会えてあまり嬉しい相手方達では無かったのですごく疲れた。
(はぁ、早くカンナのとこに戻って帰りたい…)
黒は、ただただそう考えていた。