邂逅 ーわくらばー
「はぁ…」と溜息を漏らしながら、目的の場所へと足を運ばせる中学生。
夏の真夜中は茹だるような暑さで気分が滅入るものだ、そんな時節に似つかわしくないフード付の黒い外套を羽織る人間が、彼の視界の端にチラリと入った。
(いくら夜が昼に比べて涼しくなると言っても、少し異常だろ…)などと多少の違和感を覚えつつも、視線を神経質に配りながら夜の繁華街をひたすら歩いていく。
学生服、義務教育期間中の少年少女達のシンボルであり、周りの人間に行動を監視される枷の様な物でもある。
周りの環境を鑑みると、自分の格好すらも十分にこの場に相応しく無いという事を思い出し、人の事を言えないと思った。
「こんな時間にこんな格好でこんな場所でお廻りさんに見つかったら、完全に補導されるよなぁ…」と小さく呟くと、苦い笑いが自然と漏れ出てきた。
いつも報道されるようなレベルの事件が絶えない、本当にここは最悪の街だ。
学生やネット掲示板の間では、表沙汰にはされず秘密裏に済まされているような事件がいくつもある、なんて都市伝説のような話まで出回っている。
しかし、「ならば何故こんな場所に赴いたのか?」と聞かれれば彼にも彼なりに理由がある。
昔からよくある不良からのイビりと言うやつだ、本当は彼自身が対象というわけではないが、ガラの悪い不良達に絡まれてる人を庇った事で巻き込まれる様な形になったのだ。
その内容こそが指定の場所まで大人にバレずに学生服を着用して侵入してみせるという事で、対象者へのイジメ行為を止めるという条件を取り付けた。
この学生は大抵の運動は出来る方だが腕っぷしにはあまり自信が無い、その癖なぜか妙な正義感が沸いてしまうという面倒な性格で自業自得の結末により今に至る。
渡されたメモの通りにいくつかのポイントに行きスマホで場所を撮影し証拠にする、そしていよいよ最後に繁華街から少し外れにある倉庫に向かっている。
「うーん、多分ここかな?」少年はスマホの地図とメモに走り書きで書かれた名前を確認する。
到着したのは海岸沿いに広い敷地が設けられた港の倉庫だった、何年か前に別の場所に新設した倉庫が主流になり放棄された廃墟になっているということらしい。
潮風に晒され、所々に錆び付いた有刺鉄線付の金網が周囲をグルリと囲み、侵入者を拒む高い扉が構えていたが、何故か頑丈そうな錠が綺麗に壊されていたで難なく入ることができた。
早く終わらせて帰りたいし外気が暑くて意識が少し浮ついてる、さらにこの暗さによる視界が悪すぎるのは気持ちが落ち着かないのでどうにかならないものかと思った。
施設内の道を照らす電灯は既に点かないため、スマホの液晶画面の仄かな光に頼ってメモの番号を焦るように確認する。
「えーっと、6番…6番~っと」
いくつもある大きな倉庫の正面に周り、番号を一つ一つ確認して探すとなると多少時間がかかる作業となった。
暫くして目的の6番倉庫へと辿りつき、メモの指示通りに内部を撮影するため中へと侵入する事にする。
音を立てないように気をつけ、人が一人挟まってやっと通れるような幅までそっと横引き扉を開ける。
ここの倉庫は旧施設扱いとなっているため、別の場所にある新倉庫と違い錠が施されていなかった、中に捨て置かれている資材も今や価値のあるものでは無いのだろう。
埃の被った大きな鉄棚に色々と我楽多の様な物がずらりと並べられている、中には廃墟になってから誰かが不法投棄したと思われるような物さえ置かれていた。
扉の隙間から少しだけ弱い月明かりが差し込んでいたがほとんど暗闇であった、本音を言うと既に相当怖い。
独りで来て何の得もしない肝試しなんて本来なら今すぐにでも帰りたいくらい願い下げだ。
携帯のライト機能の小さい光を使いながら少しずつ静かに奥へと進んでいく。
色々な資材が詰められていたらしいコンテナや民家の二階ほどの高さの大きい棚、そしてそれに載せられたブルーシートを被されてる何か分からない大きい物を小さな明かりで輪郭をぼんやりと浮かばせそれを眺めながら進んでいく。
実際にとても広い倉庫なのだが、視野が狭いせいでさらに広く感じている気がした。
棚は、アルファベットと数字の簡単な組み合わせで出来ているらしく、順番通りに確認しながら最奥へと進むことにした。
丁度半分に差し掛かったところで彼は気付いた。
「!!?物音…?」
聞き耳を立てるとヒソヒソと微かに聞こえてくるのだ。
「人の声…?」
(ヤバいヤバい!心霊とか絶対に無理だから!!んなもんに遭遇したからには絶対ショック死するから!!!)
と内心開き直るような悲鳴をあげ鼓動が速くなるのを感じながら、自分の中にある幾分かの男の矜持的な成分を駆り立てて少しずつ進んでいく事にする。
「…が………け」
まるで壊れたラジオが途切れ途切れに音を出している、その様な感じだ。
進んでいくと進む分だけ音が鮮明になって聞こえていく。
二人分の声だ。
真夜中の廃倉庫、そしてある程度開けた場所で話す人間達、子供ながらに怪しいと感じる。
幸いまだこちらには気付いていない、この人達をやり過ごしてから目的を果たそうと彼は決めたのだ。
距離を取りながら二人の背後にあたる大きな資材の裏手に隠れる、相手方からは完全な死角をとり、携帯の光も最小限に抑え漏れないように注意を払いつつ身を潜ませた。
暫くすると夜目がある程度効くようになり少し二人を観察をする。
どうやら声の主達は男女のようで一人は坊主頭に口元にピアスを開けている厳つい男だ、プロレスラーのような体格ではち切れんばかりの体で黒いスーツを着用している、いかにも堅気ではないと言う雰囲気を醸し出している。
そしてもう一人は白く長い髪に青いドレス、顔はとても整っていて肌は色白く日本人のもつ可愛さと異国の血の持つ凛とした綺麗さを両に感じられる雰囲気の人だった、モデルのようにスラっとした体型でいて、なぜこんな高貴そうな美女が染みっ垂れた所にいるのかと疑問に思うくらいに対照的だ。
この組み合わせはどう考えても映画に出てくる「海外マフィアのボスの娘とされを警護しているボデイーガード」といった印象だった。
「んで?どうするんですお嬢?」男が女に訊ねる。
まるで金属で固められた小山の様な物体の前に立ち二人は会話を進める。
「これを明朝に運び出すまで待機と警護、敵勢力及び目撃者の排除との命令だそれ以上は特に何も指定されてない、待機が暇だからと言って一々私に構うな!!」
女は短く叱り付ける様な口調であしらった。
「ただここで何もせずに居るなんてつまんないじゃないっすか~、少しは話し相手ぐらいして下さいよ」
今しがた静かに叱咤されたというのに、坊主男はいつもの事だと意に介さずスクワット運動をし始める。
「全く…本当にいつもお前は…」
どうやらこの連中は暫くは此処を離れないつもりらしく、関わったら大変な事に巻き込まれそうなので、これは今日中には無理だと悟った。
「帰ろう…このまま居たら身が危うい…」
明日学校で不良共に何とからかわれ、馬鹿にされるか考えるだけでも気が重いが死ぬよりましだし帰る事にする。
携帯を持ち直し立ち上がり、静かに歩こうとするが。
ガチャッ!!
やってしまった…
携帯をしっかりと持って立った筈だが暑さと緊張による汗で掌を滑り、気の張り詰めた後から帰れるという緩みでつい落としてしまったのだ。
「!?鼠か!!」
「俺が行ってきやすぜ!!」
流石にこれに気づかない二人ではない、直ぐ様音のする方向へと駆け迫ってくる。
少年は夜目を頼りに出口の方へと逃げようとするが相手も同じ夜目が効いた条件である、一心不乱に逃げ惑う背後から高速で筋肉質な男のタックルが襲ってくる。
「オラァ!」
「うわっ!!」
物凄い衝撃で倒され服をガッチリと掴まれながら圧のある体重で抑え込まれてなす術も無い。
そこに廃墟の筈の倉庫の明かりが一気に灯り目が眩む。
「子供…!?」
施設内の全照明を動かした女がコツコツとヒールの音を響かせて近づいてくる。
侵入者を確認した女はその目を見開き「何故こんな場所に子供が侵入を?」と驚きを隠せないようだった。
「ったく、小僧…お前ツイてなかったなぁ、まさかこんな事に巻き込まれるなんてよぉ…」
男が無情の言葉を少年に吐き捨てる。
「あ、あの…すみませんでした、今日見たことは誰にも言いません!!だから許してください」
ドライな反応の男の方と違い女の方は侵入者が未成年だったことに少し戸惑いを見せ、下を見てなにやら考えながら誰にも聞こえ取れない音量でブツブツと呟いて少し思案している。
が、自身の両腕を自由にしながら逃げないようにと少年を脚で踏みつけ床に抑えながら男は言った。
「お嬢、今回の件はどうあろうと"足"を付けてはいけないんじゃなかったんでした?例え相手が子供でも甘えは無用、当然俺らで片を付けないといけませんよ?」
男が先ほどの彼女の言いつけを思い出させるように念を入れる。
「すまぬな少年…此処で子供の命を奪うのは不本意なのだが、不運にも君が我々の仕事に首を突っ込んでしまった以上私にはどうにも出来ん」
少しの間逡巡した彼女であったが止むを得ずと目を瞑り少年に言い渡す。
「へへっ、じゃあ俺が殺っても良いですかぁ?」
男が自ら目撃者の処理を買って出る。
「好きにしろ、だが遊びで甚振るなよ?痛みの無いように一瞬で楽にしてやれ、少しでも巫山戯た真似をした時点で私がお前を死ぬまで滅多切りにして"必ず"始末する!!」
女は男が少年に対して無益な痛めつけを行わぬようにキツく釘を刺す。
「やれやれ、お嬢は本当におっかないねぇ~」
等と男は呟きながらおどけてみせる。
(だがまぁ…子供に慈悲を見せるとはお嬢もまだまだ甘いねぇ)
終わった…僕の人生はここで終わったんだ、僕にはまだ生きてやらなければいけない事があるのに…
最後にあの子に…
悪夢の筈だと疑うような出来事に巻き込まれ頭が混乱の渦に包まれる、だが体に伝わる感覚がそれを否定する、嫌が応でもこれが現実なのだと突きつけてくるのだ。
少年の横たわる体を足で抑えつけたまま男が懐から拳銃を出し、安全装置を解除しアイアンサイトを覗きながら少年の頭に照準を定める。
少年はただ目を瞑り、迫るであろう判決の一瞬を覚悟して待つ。
ー
ーー
ーーー
ーーーー
「そのまま目を閉じていてね」
頭上の方で見知らぬ声が優しく静かに響く。
そして何故かさっきの男の苦悶の声が聞こえた。
「ぐ、ぐぁぁああ」
何が起きているのか目の前の光景を確認したかった、だがもしかしたら、その声は死んだ瞬間の人間だけに聞こえる幻聴なんじゃないのかと考えてしまった。
それきり少年は目を開けることも叶わずにストンと意識を落としていく、謎の声の主によって静かに…静かに…。
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ーー
ー
それは突然だった、坊主男が少年に銃を突きつけ発砲しようとした刹那、背後からの刃で背を斜め一閃に切り払われたのだ。
「ぐぅっ…、ぐぁぁああ」
坊主男が謎の襲撃者に勢い良く身を引かれ後ろ側に勢い良く倒されると、黒い外套を着たその姿が出現する。
外套のフードを取ると、黒い髪に青年と少年の中間であろうと思われる面立ち、高すぎも低すぎもしない身長に、横幅も平均的な体型をした男。
しかし特徴的だったのはその男の眼だ、瞳孔が細く周りは黄色く輝きを放っており、まるで夜間に見る猫の眼の様になっていて異様だった。
女は瞬時にその襲撃者から距離をとり、自らの脚の方にゆっくりと手を伸ばし姿勢を低くし身構える。
あり得ない…、今の今までこの侵入者の気配が一欠けらも感じられなかった。
幾ら我々が気配の感知を不得手としているとは言え、あの少年発見によって臨戦状態となった我々が出し抜かれ、後手に回るなんて有り得なかった。
「そこの男、来門両字裏社会での通り名は剛王」
黒外套の男はしゃがみこみ、少年の首筋に手を軽く添え怪我の有無を確認しながら坊主男の正体を明かす。
「そして貴女は、夕霧クロエ通り名は確か、慚愧の姫だったかな?確か両名とも最近になってから急に聞くようになった殺し屋達だと情報にありました」
「貴様…まさか公安の…」
既にここまでの出来事を考えれば尋常ではない存在だという事は明確だが、急襲で乱された体勢を整えるために適当な質問を投げて場を濁す、ただクロエには既にこの男の正体について何か心当たりの様なものがあった。
「その見当は少し違いますね…が確かに似たような存在ではあります」
敵に対して特に秘密にするわけでもなく淡々と自身の正体のヒントを答える男に対して、クロエは自分が侮られているのかと思ったが、相手の表情の神妙さと声色から察するに特段そういうわけでもない様だった。
(まぁ、なんにせよ此方だけ多くの情報を知られているのは薄気味が悪い…)
「おっと失礼、僕の名は黒と申します」
懐から出した拭い紙で刀の血を悠々と拭いながら名を明かす黒という男。
その自分の事を脅威とも思っていない様な余裕ぶりがクロエを静かに苛立たせた。
「ならばその無頓着な返答に私からも相応の返礼をしようではないかッ!!」
クロエはそう黒と名乗った男に言い放つと、太腿に忍ばせていた刃渡長めのコンバットナイフを瞬時に抜き放ち、一気に間合いをつめた。
その速度は常人のソレでは無かった、精密且つ俊足が放つナイフの一撃が斜め下から黒の首元に食い込もうとする。
黒もその急襲に呼応し、クロエに負けない反応速度で下げていた刀を相手の刃に沿わせてから、鍔迫りにし受ける、力を込めた刃を軋らせ互いに近距離で顔を見合わせた。
が、すぐさま黒が右足で半歩と刀を引き左半身で勢いを付けた左横薙ぎで斬り返す、しかしクロエもその動きに即座に反応し返し、半歩引き片手を地面に付ながら体勢を極度に低くし煌く刃を頭上に躱した後に体を前に出して張り付く、黒との間合いを短刀用の超近距離に保ちながら一刀を抜き放った後に手前に残した黒の左手首を狙う。
クロエのその反撃に応じ再びすぐ後ろに飛び退き距離を離す黒、クロエは利き足の瞬発力でさらに勢いを付けながら間合いを広げて逃れようとする黒へと肉薄していく。
だが奮闘も空しくその刃が黒の眼前で空を斬り捕らえることはできなかった、黒の取った回避距離が僅かに彼女の詰めた間合いに勝ったのだ。
そして戦況は事の振り出しに戻った。
「まさか、ここまでの実力者と合間見えるとは…」
今の一瞬のやり取りだけで大抵の相手は充分に反応反射する事も出来ずに絶命している筈だった、黒は一息つき感嘆の声を隠さずに言った。
「ええ、私もこれ程とはと驚いてます」
クロエも黒と同様に一息つき、さらに同様の感想を述べる。
これまでチンピラや口ばかりの同業者を相手にしてきたが、特に大した脅威もなく実力が拮抗する者など相手にいなかった。
そんな現状に対しクロエは間近にある死への恐怖よりも、強者を相手にして互いに実力を出し合える、そんな戦闘への狂った喜びを抱いた。
「ただの無頓着な男だと先程言いましたが、成る程…無礼だったのは私だったようですね、お詫びします」
ナイフを片手に持ち、少しドレスをたくし上げて白髪の麗人が会釈をする。
そして戦闘をし易いようにとドレスを少し破り丈を短くした。
「見たところ、貴女の真の実力とその得物では釣り合ってないように見えますが…」
「ええ、いつもなら愛刀を携えている筈でしたが生憎に今は持ち合せておりません」
クロエは心底口惜しそうに言った。
「ですが私がその言葉に返すとすれば、貴方の方こそ万全の状態で戦っているわけではないように感じます」
クロエは今の一連の黒の動きの違和感を分析し、今の彼が万全状態とは言い難いと言い当てた。
そしてさらに数合、先程のような両者一進一退の攻防をもう一度繰り広げるが、普通の剣戟では勝負の決定打には至らなかった。
今のところ両者の本調子を置いておいて、剣の腕に関しては徹底的な大差は無いらしい、だがクロエには剣術の心得だけでは無くとっておきの秘技を隠し持っていた。
不気味にも無風のはずの倉庫内で微かに風が揺らぐ。
黒は刀身を相手の中心線に合わせたまま下方にスッと下げ下段の構えに切り替える、呼吸を整えると両者は視線を合わせ打ち込むタイミングを伺う。
「いざッ!」
クロエの威勢の良い声が響くと同時に、両者はぶつかろうとする様に走り出す。
そして、黒は駆け始めて直ぐに相手の何かを察知した。
初手で左に避けると空を斬る様な鋭い音がした、すると一瞬前までに黒が居たその床が長さで前後3メートル程そして深さ1センチ程抉られた、さらに間髪入れずに右に避けるとまたも同様にセメントの床が抉れるのだった。
躱しきってからそのまま前進し抜き見の刃を上段に一気に振りかぶる、がクロエの反応の方が少し速かった、脳天を目掛け振り下ろすとこを寸前で横に避け、振りぬいた後の黒を正面に捉えたまま斜めから斬りつけようとカウンターを仕掛ける。
ナイフを黒の右胴に突き入れるが下から上に戻す刀で弾かれ捌かれる、だがそれすらも折込済みだったクロエはそのまま追撃を続け、空いてる左手で黒の脳天を目掛け掌底を狙い打つ。
(いやッ…これは只の掌底じゃあ無い!!)
腕の長さからして今一歩届かないギリギリの射程の筈だったが黒は首を咄嗟に傾け、その攻撃を飛び退いて躱しながら距離を一気に後ろに取る。
あの掌底を避けても物凄い風圧が頬を掠めた、どうやら今さっき自分の頭が存在した空間に対して圧縮された空気が鋭利な刃となって襲い掛かっていた様だった。
「その眼…どうやら私の技が全て視えているようですね」
クロエは黒のその異様な両眼と、この不可視の斬り合いでの人間離れした反応を見て確信した。
“確殺”そう言われるまでに相応しい程に敵を屠ってきた技々、それらを彼は初見で看破し見事躱しきったのだ。
「人伝に聞いたことがあります、はるか昔に神の使いとされた十二の血族とそれに類する覚醒者たる者達、彼等は時代の節目の折に決して人々に語られぬ裏舞台で戦いを繰り広げたとか」
「…組織の人間として全容は答えられないですが、全霊を尽くす好敵手への返答として外れでは無いと言っておきます」
殺し屋と始末業、お互いに陽の目を浴びる事も表舞台に舞い出る事すら許されぬ人間であるが故に、無用な誤魔化しもせず黒は相手に答える。
最初に黒の姿を捉えたときに薄々感じているものはあったのだが、今はこの機縁が、そしてその確信がクロエにとっては何よりの僥倖だった。
「黒殿、訳あって貴方との戦いには別の目的が生まれた!」
正々堂々を体で表し言葉で発するような彼女に対し、黒は底知れぬ感心をすると共に此の相手が自分にとって初めての難敵あり好敵手なのだと感じた。
「貴方の所属している組織についてタダで教えてくだされば良いのですが…もし拒むのであればその四肢の1、2本を頂戴してでも話して頂きます」
つい先程よりも更に増している闘気を彼女から感じた。
無論黒も全ての口を割ったりはしない、拒否の意を込め黙したまま刀を強く握り構えなおす。
(であれば、僕も剣術以外の隠し玉を出すしか…)
「やはり抵抗しますか…であれば死なない程度に殺すのみ!」
クロエはさらに手の内を出そうとしている、黒もその動きを見極めようと待つ、互いに機先の先を取る好機を伺う。
が
ドゴオオオォ!!
「!!?」
黒は咄嗟に飛んできた後方からの飛来物を身を翻して避ける、もちろんその間にもクロエに対しての警戒を怠らない。
黒の元へ豪速で飛んできたのは、倉庫に置き捨てられていた廃材の塊だった。
そして間髪入れずに、野獣の様な物凄い怒号が庫内に鳴り響く。
「よくもやってくれたなぁ、兄ちゃんよぉぉぉぉ、お前に斬られた背中がバッキボキのグチョグチョでイッテェじゃねえかぁぁぁ!」
先程黒が背後から斬りつけた男、両字はクロエとの戦闘により吹き飛ばされた物が散乱した場所に立っていた。
「おかしいな、処した手応えはあった筈だと思ったんですが…」
中間よりやや上辺りの背骨を貫通し、肺辺りの内臓までを巻き込み確実に叩き斬った感覚があった筈なのに、と黒は疑問に思う。
「こっちもよぉ、一応そこいらの人間たぁ訳がちげぇからなー!」
来門は首を左右に捻り、コキコキと小気味良い音を鳴らす。
「やはり、剛王という通り名も伊達ではなかったと言う事ですね」
冷静に返すが黒にとって敵が増えた事は、些か状況が芳しくない。
「来門、悪いが今ここで水を差すのは止せ」
クロエは、戦闘の間に割って入ってきた仲間に対して感謝どころか露骨に迷惑そうに言い捨てた。
「え、えぇー…?」
クロエの辛辣な言葉を受け、肩を窄めて悲しそうにした大男がそこに居た。
「で、ですがねお嬢!こいつがどこぞの組織の回し者って事が分かった以上は増援の可能性が高くなったっつぅー事なんでね、こうなりゃ俺らも手段は選んでいられませんよ」
一度深手の傷を負った自分と、本来の得物を持ち合わせていないクロエ、そこに現れた敵の増援の可能性、どうやら冷静に戦況を理解し来門はクロエに速やかな撤退を勧めたようだ。
「ふむ、確かに只のチンピラ相手ならここから何十人増えようが問題ではないが、手足れの集団が相手であれば確かに話も変わってくるな」
戦いの熱での浮かれを冷まし、自分の理性を呼び覚ます。
「黒殿、真に残念だが今日は此処で幕引きとさせて頂く」
長目のコンバットナイフを太股の革鞘に戻し彼女は凛と言う。
クロエの実力者に対しての異様なまでの敬意、その正々堂々とした振る舞いはまるで古来の名高い武将を思わせる物だ、いや生まれる時代が違えば必ずや名武将に成っている様な豪傑ぶりだった。
そもそも戦闘の増援など来る予定のない単独での任務であったが、二対一戦力差と今の自分の体力を鑑みて黒にはとても好都合だった。
「此方としても、其処の少年の助命ができるのであれば文句はありませんよ」
黒は刀身を鞘に収め一息をつく、彼の眼は既に普通の人間が持つ只の黒い眼に戻っていた。
「今回はこっちの失敗として退いてやるが、次に合う時は俺とも真っ向勝負といこうや黒服の兄ちゃん!」
来門は黒に右拳を向け豪快に笑いながらそう宣言し、そのまま体を捻りコンクリートの壁に向かってその拳を一気に捻じ込んだ。
またも物が砕ける轟音が倉庫内に響き渡り砂埃が舞う、そして壁にできた大きな穴を通り抜け殺し屋の二人は颯爽と闇夜へと消えていった。
とりあえず脅威を退けたが黒はすぐに事後処理に取り掛かる。
まず任務の目的であった二人の殺し屋が警備していた大きな金属塊を調べてみる事にした。
表面を慎重に手でなぞり怪しい所が無いか確認する、どうやらただの鉄塊に表面はチタンのメッキで錆びない様に覆われてるらしい、周りにはゴムチューブが無数に繋がっていて何かの管理装置の様な物と液体が詰められているタンクの様な物があった。
電気を動力にしている様だが微量に魔力の様なものも感じる、中を透視してみようと残りの体力を振り絞り自分の力を使おうとするが謎の力で阻まれ靄が掛かり判別不可能だった。
とりあえずこの装置の中身については自分では全然解からないので後は他の部隊に引き継ぐ事にした。
次に気掛かりだったのは事件に巻き込まれた一般人の少年の事だった、少年の元へ移動し容態を確認する。
どうやら制服を見るにこの辺りの学生らしいが、身分を確認するために学生証を探しているとクシャクシャになったメモを見つけた。
(そうか、どうやらこんなところに少年が一人で来たのはそういう事だったのか…)
少年はメモに記された番号の倉庫来たと思ったらしいが薄暗い中で慌てて確認し、そのまま9と6を逆さに間違えて認識したらしい。
そして奇遇にも黒が此処へと遅れて来た理由にも似ていた、黒の所属する組織には予知夢の様な能力を有る人間達を集めて公共の人々の安全のために情報を提供し対応策を立案する為の部署が存在する、今回はその情報の提供によって駆けつけたのだが皮肉にも反転した数字を啓示してしまったらしい。
黒の能力の一端として先程の透視の力もあるがここで既に3件目の任務と言うハードスケジュールであったため乱発を避けて力を温存していた、それが仇となって駆けつけるのが遅れたという形だった。
特に体力の持続力の無い自分は他の人達よりもまだまだひよっこだと常々思っていたのだが今日は特に痛感した一日だった。
自分で可能な範囲の調査も済んだ為、連絡用の端末を内ポケットから取り出し黒い皮手袋をはずしてから呼び出しのボタンを押す。
呼び出し音が1回響き、次のコールが響こうとする瞬間に繋がる。
「あ、もしもし十三番隊の黒です」
名乗ると若い女性の無機質な声が答えてくる。
「任務完了ご苦労様です、では事案番号をお願いします」
このコードは日々枚挙に暇の無い事件諸々を整理するのに役立っているものだ、また電話の相手の身分と任務のコードを照合することで不用意な機密情報の漏洩を防いでいる。
「064789です」
答えると「確認してきますので少々お待ちください」と返答がきた、さらに数十秒待つと今度は他の相手が出る。
「おぅ、黒かーごくろうさん」低めで安心感のある男の声
男の名は十一番隊戌部隊隊長犬養峰司、彼は隊の隊長であり更に他部隊も統率管理する副総長の役を担っている。
各隊への橋渡しやまとめ役として置かれている彼だけあって、物腰も柔らかく頭も切れる三十代半ばのおじさんながら、部下からの信頼も厚い、だがたまに飛ばす寒いジョークが玉に瑕だったりする。
「悪いな、本来はウチの部隊の任務だったのに代行してもらっちまって、こっちもまさか今日いきなりで同時に複数件の事件を抱え込むことになるとは思わなくてなぁ、頭数は少なくはないんだが戦闘面に関してはいまいちウチの連中は頼りにならんもんでよぉ」
犬養のその言い方が真に窮まっていて、毎日幾つもの悩みの種が尽きずに疲れ切っている様が電話越しで想像できる。
「いえいえ、ただ今日は相手の実力が想定外に手強かったので僕も内心ヒヤヒヤしましたよ、余裕ぶった口調のハッタリが効いて良かったです」
「へぇ、お前さんにしては珍しいな」
目を丸くして言っているであろう口ぶりで帰ってくる。
「僕もまだまだ新任早々の未熟者の部類ですからね…ところで本題の任務報告に入っても宜しいですか?」
いくらか話が逸れてしまい黒が伺いなおす。
「おおそうだったな、ついぼやいてしまったよスマンスマン」
謝りながら片手で拝み手をしているであろう事が容易に浮かぶ様な口調だった。
犬と猫はよく喧嘩をすると言うが、黒は自分を取り巻く年上の人間達の中でこういう性格をしている犬養のことが結構好きだった。
「目標である物体の確保及びそれに伴う敵勢力の排除に成功、そしてその敵は最近有名になった殺し屋二名、また不確定要素として作戦下に一般人が一名混在」
「その一般人はどうなった?」
犬養が犠牲者が出ていないか素早く聞く。
「安全を確保し今は無事です、なので引継ぎの部隊の要請と保護した少年の記憶修正を申請します」
「分かった、うちの部隊数名と子部隊の方から一名借りて送るとするよ、黒には引継ぎが来るまでもう少しその少年と現場の安全確保を頼む」
「了解」
「お前も疲れてるのに、悪いな…」そうボソッと犬養が呟くと回線が切れた。
特に何事も無く数分が過ぎたころ、黒と似た様に黒い外套を羽織った人間達が数人現れた。
「お疲れ様です、ここからは私達がやりますので黒さんは御帰還ください」
礼をしながらその部隊の若い女性が労いの言葉と共に帰還を促す。
この組織は軍隊の扱いではないので規定の敬礼等と定められたものは無い。
「お疲れ様です、では後はお願いします。ちょっとやること残ってるので残業してから帰還しますね」
少年が所持していた携帯を持ちながらそう言うと、颯爽と9番倉庫に向かう黒だった。
忙しかった一日を終え帰路についてシャワーを浴びた後、ハードスケジュールで体力を使い果たしたためか布団に入るなりすぐに眠りこけた。
眠さと怠さは有るのに眼が熱く痛い感覚に襲われ瞼を閉じていても意識が残る、そして能力を使い過ぎた夜はいつも夢の中で先代達の過去の軌跡を幻視するのだ。
ボサボサに乱れていて少し長めに伸びベタついた黒髪の、多分今の自分よりも幾つか若いであろう少年を俯瞰する。
着けている装備もボロボロで、顔や体のあちこちに煤や返り血がこびり付いていた。
そんな彼が焦土と化した平原に膝を着き、衣服同様にボロボロに成った刀を握り締めながら嗚咽を吐き出すように様に息を切らせている。
その刀は辛うじて心金が無事なくらいで、全体的に煤や帰り血が染み付き、部分部分に刃こぼれや刃潰れ、鍔も欠けていたりして刀なんて代物ではなく鈍器と呼ぶに近い有り様だった。
「はぁっ…はぁっ…、クソッ!!いつになったら天下泰平と呼べる時代が来るんだ、あと何人敵を殺して、何人仲間を守れば良い!?」
咳を切りながら肩を大きく揺らし、力の発現を抑えぬままの鋭い双眸を、灰と硝煙にまみれた天空を見上げ独り苦痛の叫びを上げながら神に問う。
彼の周りには無数の骸が横たわる、骸達は大小様々、状態も様々、敵味方も様々だった、ただ一つ同じだといえるのは“皆平等に死と言う終末が在るのみ”だった。
彼は己の仲間を生かしたいが為に無数の敵を滅ぼした。
例えこの眼の力が在ろうが無かろうが、彼は必ずや此の地に兵士として馳せ参じていただろう。
何故ならば…
翌日、眼を開くと朝になっていたので少し気怠い気分なのを無視して起きる事にした。
肉体的な問題点は不思議にも一日休めば完全に回復する、これも一重に自分の持つ異能力のおかげの一端であろう。
だが、精神的にしてみれば夢の中とはいえあれほど鮮烈で苛烈な状況を見せられるというのは余り良い気分ではなかった。
元々昔から朝が弱いと言うのもあり正直なところまだ二度寝したい位のものだが、いつまた出動しろと要請されるか分からないので、朝風呂に浸かり、歯を磨き、食事を摂る。
組織の本拠地には隊員向けの寮の様な施設もあるのだが、申請すればいくらでも滞在用の隠れ家を手配可能となっている、ここはその一部としてマンション丸々一棟を組織所有にしその一室を黒の隠れ家としている。
隠れ家暮らしは自由で伸び伸びとできるが、本拠地まで距離が少し遠いのが難点だ。
一通りの身支度を整えた頃でやはり携帯に呼び出しのメッセージが来た。
「さてと…出るか」
戦闘服に黒外套、これらは任務中の正装であって移動中まで着るわけではない、私服やスーツ、人によっては偽装用の学生服で来るなどと普段は余り目立たない様な服装で往来している。
しかし緊急時はそのまま戦闘服と黒外套で出動する事もあり、黒外套の内側には着用者の持つ"氣力"と言うものに依り発動する『避見』の呪印が縫い付けられている。
そのため例え一般人の視界に入ったとしても脳内認識の対象外となり存在を隠すことができる、緊急の時は普通の交通手段よりも早く着く事が出来る為に自身で天地を走り駆け付ける者も居る。
歳がまだ十七歳という事で、「学生服はギリギリ着ても許される…」よなと自分では思っている。
昔師匠が制服を着た黒の姿を見て「まるでそこら辺のクソ生意気なガキだな」と笑ってた事があるのを思い出し苦笑いをした。
鍵を閉めて階段を降りマンションを出ると既に黒塗りのセダン系の車が待機していた、運転手が窓を開け顔を出して声を掛けてくる。
「お早う御座います黒様、どうぞお乗り下さい」
ほぼ白髪に少し黒髪が交じる程度に残る短髪そして5、60代の初老でいかにも要人を乗せる車の運転手を絵に描いたような男だった。
この落ち着きと風格のある運転手の名は玄十郎と言い、黒が師に教え受けていた頃からの付き合いであり数少ない気心の知れる相手の一人でもあった。
「お早う御座います、今日もお願いします」
肩に掛けた刀袋を下ろし車内に入り座る、ドアを閉めて刀袋を脇に立て掛けた。
そして発車して暫くすると、車内ミラーでチラりと黒の様子を確認した玄十郎は気遣いの言葉を掛ける。
「とてもお疲れのようですね、到着したらお知らせ致しますので少し横になって下さい」
ゆったりと独特の渋みのある声で言う。
昨日は立て続けに戦闘任務をこなし、最後には予想外の実力者と相対することになった、特に目立った傷を負うこともなかったが体力的にも精神的にも疲れ果てていたのだ。
心地良いくらいの揺れに身を任せ瞼を閉じ、黒は彼の心遣いに感謝し少しだけ寝る事にした。
目的地の場所に入る際外門の警備員に運転手が身分証を提示する、この施設は高い外壁に覆われていて警備も昼夜厳重になされている、表向きでは政府の所有する研究施設とされている、黒の帰属する組織はそれほどの力を持っているのだ。
車がいくつかの棟の一つの前に停車し、黒は運転手に優しく揺り起こされた。
見慣れたドアを開け今度は入って正面に構えている受付の女性に自分の身分証を提示する、「お早う御座います、どうぞお入り下さい」と促された。
(ま、呼び出したのは犬養さんだし、まずは犬養さんのとこに顔を出すかな…)
行き交う一般職員達の談笑や業務等の会話をぼーっと心半ばで耳に入れながらエレベーターへと歩く、スーツや白衣、はたまた作業着の人間達の中に浮いた学生服だが誰も気にも留めはしない。
欠伸を噛み殺しながら『業務用』とされたエレベーターに乗り込むと、階数のボタンを決められた順番に決められた回数打つ。
この施設の一階から三階は主にカモフラージュとしての性質上一般人である職員達が表向き働いている、黒達の様な異質な人間達が活動する場所はちゃんと隠されているものだ。
正直に言えば黒自身さえも自分が属する組織の全容を掴めてはいない程であり、特にまだまだ着任して数年の新米である自分にとって日々の与えられた事に邁進するしかないと思っている。
そうこうしていると犬養の構えている一室に着く、ノックをし入室していいか伺いを立てた。
「おお待ってたよ、入って良いぞー」
ドアを隔てて籠った声が聞こえた。
ドアを開け小さく礼をする、資料が大量且つ雑多に置かれた事務机を挟み犬養が椅子に腰掛けていた。
この部屋には他に本棚や観葉植物さらにコーヒメーカー等々、そして来客用に長いテーブルと一人用の椅子二つとソファーが一つ用意されている。
そしてそのソファーには先客が座って居たので黒は少し珍しい事だと驚いた。
標準よりは少し小さめの背丈で、黒くサラサラとした長い髪に、少し幼さも残る可愛らしい顔立ちと、透き通るような目をした女の子。
これ迄にこの施設内で一度も見掛けた事は無かったのだが、此処に居るという事別の部隊に所属する新人の子か何かだろうと思いながら彼女の横顔を一瞥した。
机の前に黒が立つと、犬養はよぉと軽い挨拶を交わし話を始めた。
「あー、昨日は本当に済まなかったなぁ、助かったぞ」
「いえ、犬養さんの人使いの荒さにも幾分か慣れて来ましたよ」
親愛を込め少し意地悪な事を言ってみた。
犬養は苦笑しながら「今度埋め合わせすっからさ…ハハハ」と頭を掻いた。
「それでな、本っ当に急に申し訳ないんだが」
パンっと拝み手をしながら前かがみに頭を出す形になり目を瞑りながら黒に言った。
(なんだか嫌な予感がする…)
こういうときは特に複雑な問題を押し付けられる流れだと察知している。
「まぁなんだ…頼みというかこれは命令だ、暫くあの子の面倒を見てくれ!」さらっと頼みという言葉を命令にすり替えながら彼はソファーに腰を掛けて、おずおずとこちらのやり取りを伺っている少女の方を平らにした手で差した。
黒は絶句した、余りにも突拍子が無さ過ぎて理解が追いつかなかったのだ。
どうやら「嫌な予感」と言うのは思いの外的中したらしい。