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第3章 冥府の母(7)

 ――地獄。

 そこはまさに地獄のごとき場所だった。

 天は赤く燃え揺れ、ガス状の暗雲が流れながら渦紋を巻く。

 岩肌を剥き出しにした渇いた大地には、大きく口を開けて深奥まで続く亀裂が走り、延々と続く遥か先には溶岩を噴出す群山が眺めた。

 この世界のどこかにエリスがいると呪架は直感した。

 ついにエリスのアニマを〈ジュエル〉化させて、自分たちの世界に持ち帰り、黄泉返らせることができる。絶望だらけの日々に、光明が見えて来たかもしれない。

 しかし、なにかに拒否されている。そんな力の働きも感じた。

 後ろを振り返ってみると、入って来たはずの〈裁きの門〉は消えていた。

〈裁きの門〉は一方通行であり、元の世界に戻ることは本来なら不可能なのだ。

 呪架は足元から噴出した熱い蒸気を後ろに跳躍して躱した。

 遠雷に混じり、呪架の耳には妖異たちの呻き声が聴こえていた。

 瘤だらけの赤い巨躯を持つ人型の鬼。

 長い体毛を躰中に生やし、老婆のような顔を持った化け物。

 四つ足の凶猛な野獣も多くいる。

 呪架に殺到する怪物の荒波。

 群から飛び出した巨大な怪鳥が、呪架の頭上に目掛けて滑空して来た。

 鋭利な鉤爪を前にして呪架は全く動じない。

 この感覚は久しぶりだ。血が煮え滾る熱い死闘。『向こう側』での生活が思い出される。

 ――狩りの時間だ。

 呪架の放った煌きが怪鳥の躰を断絶した。

 数え切れない獲物の姿を凝視して、呪架は両手から次々と妖糸を雨のように放つ。

 激しい演奏を指揮する指揮者のごとく、躰全体を大きく動かして妖糸を振るう。

 敵は次から次へと蛆のように湧いて来る。だんだんと呪架の手が捌き切れなくなって来た。

 一掃する手はあるが、それを使う判断は正しいか?

 もう、目の前にエリスがいるはずだ。ここで使わなければ、いつ使うのだ。

 呪架の深い黒瞳が、より深く闇を帯びた。

 敏速に動いた呪架の指先から、煌く線が放たれる。

 その輝線は空に奇怪な紋様を描く――魔法陣だ。

 呪架が叫ぶ。

「傀儡士の召喚を観やがれ、そして俺に屈服しろ!」

 魔法陣の『向こう側』から、巨大な獣のような〈それ〉の呻き声が鼓膜を震わせた。

 〈それ〉が豪快なくしゃみをすると、唾の飛沫が荒れ狂う嵐を巻き起こし、嵐は霧の巨人を創り上げた。

 この場でなによりも大きな霧の巨人は、霧に包まれた中でただ一つ蒼く輝く目玉で、三〇メートルの高みから周りの小物たちを見下ろした。

 脅えだす怪物ども。

 だが、もう尻尾を巻いても無駄だ。

 霧が怪物どもを呑み込み、叫喚とともに霧が紅く染まった。

 先の見えない霧の中で、聴覚が研ぎ澄まされ、怪物どもが次々と惨死していくのを知覚した。

 霧の巨人は興奮するように真っ赤に染まり、周囲の怪物どもは瞬く間に掃滅されてしまった。

 だが、まだ遠くで呻き声がする。

「……クソッ」

 呪架は呟いて、この場を引くことにした。

 引くといっても出口はない。奥に進むのみだ。

 乾いた大地を駆け抜け、灰色の水が流れる川の向こう岸に、テントやモンゴルのゲルに似た住居が並ぶ集落を発見した。

 川の流れは遅いが、泥沼のような水に浸かれば外には出られまい。たちまち躰を捕られてしまうだろう。

 渡れる場所はないかと川岸を沿って歩いていると、呪架の目に人影が留まった。向こうも呪架のことに気付いているようで、顔をこちらに向けている。

 その者は異形だった。

 背中に骨が剥き出しなった翼を生やし、弛んだ全身がスライムのようになってしまった存在。

 顔は紙を丸めて開いたみたいに皺くちゃで、瞼が弛み過ぎて眼の位置すらわからない。

 呪架は敵意がないと判断した。

 目の前までやって来た呪架に異形が声を掛けようと口を開く。

「まだここに来て間もないようだが、どんな罪を犯してここに入れられた?」

 嗄れ声は年のせいではなく、瘴気を含んだ空気に犯されているからかもしれない。

「自分の意志で来た」

「そんな馬鹿な!」

 皺に隠されていた眼がカッと剥き出された。

 異形は興奮した様子で息を荒立てて言う。

「ここがどこだか知っているのか? ここはまさに〈地獄〉だ、望んで来る者などいるものかッ!」

「〈地獄〉?」

「そうだ、〈光の子〉に叛逆した咎人が閉じ込められる〈地獄〉だ。元々は〈光の子〉も叛逆者だったくせに、今では神を気取ってこんな世界をつくり出したのだ」

「〈光の子〉が叛逆者?」

「そんなことも知らないのか?」

 呪架の知るはずもないことだった。

 異形は納得したように頷いた。

「まさか、お前は人間か?」

「……そうだ」

 少し答えるまでに間があった。人間の血は3分の1しか流れていない……。

 異形は感嘆した。

「この世界に人間が閉じ込められたという話は聞いたことがない。お前がおそらくはじめてだ」

「そんな話はどうでもいい。〈光の子〉が叛逆者ってどういうことだ?」

「〈光の子〉と〈闇の子〉は仲の悪い双子だった。しかし、双子は考えることが似ている。二人は自分たちの仲間を引きつれ、我々の世界で叛逆罪を犯した。そして、仲間と一緒にリンボウ……とはお前たちの世界の名前で、その世界に閉じ込められたのだ」

 今、呪架がいるこの〈地獄〉は〈光の子〉による再現なのだ。嘗て自分たちがリンボウに堕とされたように、自分に叛逆する者を閉じ込めるためにつくった牢獄。

 異形はさらに話を続ける。

「仲の悪い双子はリンボウに堕とされたのちに、そこを自分のものにしようと覇権を争い、互いに思い描く楽園を創造しようとした。果て無き戦いは人間誕生以前からはじまり、アトランティス、ムー、レムリアと楽園計画はすべて失敗に終わった。私も嘗ては楽園を夢見たが、楽園など所詮は夢幻なのだ」

 〈光の子〉と〈闇の子〉の姉妹喧嘩に自分の運命が巻き込まれたのだと感じ、呪架は激しい憤りを感じた。

 幼い頃に母と過したささやかな幸せが、実は大きな幸せだった。それを壊した者がいる。

 呪架はここへ来た目的を再確認した。

「エリスという人を探してこの世界に来た。知らないか?」

「この世界の奥に〈タルタロス〉という絶対牢獄の世界がある。その世界へと続く〈タルタロスの門〉を守っている新しい門番の名前が確か、エリス」

 礼も言わずに呪架は異形に背を向けて歩きはじめた。

 異形にも引き止める理由はない。

 呪架の後姿は〈地獄〉の奥へと消えた。

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