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第3章 冥府の母(5)

 セーフィエルは山奥にある屋敷にやって来た。

 呪架とはじめてあった場所もこの屋敷の前だった。

 屋敷の中にある第一の隠し部屋の場所はセーフィエルも知っていた。

 書庫の本棚の後ろに隠された階段を下り、地下に降りた場所が第一の隠し部屋だ。

 ダーク・シャドウは『隠し部屋の、さらに隠し部屋の奥で眠っている』と語ったが、ここから先はセーフィエルも知らない。

 石造りの壁に囲まれた地下室はひんやりとした空気が流れていたが、一箇所だけ空気の流れが違う場所があった。空気というかエネルギーといった方が正しいかもしれない。

 部屋の奥に立て掛けられていた姿見の鏡。鏡といっても、現代にあるようなものではなく、銅鏡のような金属を磨いてつくった鏡だった。

 この鏡に秘密があると感じてセーフィエルは繊手を伸ばした。

 鏡に触れた指先が鏡の中に没した。

 これが〈ゲート〉であると悟ったセーフィエルは鏡の中に飛び込んだ。

 凍える吹雪を躰中に浴びて、セーフィエルは瞬時に腕で顔を隠した。

 白銀の大地や、壮観な白い山脈は見えない。ただ、視界を白が遮っている。

 雪山かどこかに一瞬にして来てしまったようだ。

 セーフィエルの背後で唐草模様を施した扉が閉まる音が聴こえた。

 薄手の黒いナイトドレスに吹き付ける白い雪。黒が白に侵されてしまいそうな猛吹雪であった。

 セーフィエルは凍える仕草も見せずに、膝まで埋まる雪を踏みしめて歩いた。

 方角もわからず、視界も頼りにならないこの状況で、セーフィエルは強く感じていた。求めているモノに、呼ばれているような気がするのだ。

 前方から気配がした。

 視覚ではなく気配で動くものを感じる。

 雪の中に潜んでいた獰猛な生物が、次々と雪粉を舞い上げながら飛び出した。その数はおよそ三匹。

 セーフィエルの視覚には見えていないが、その生物は長く白い体毛に覆われた霊長類であった。ひと言で例えるならば、雪男というイメージがわかり易いだろう。

 臭い雄共の気配がすぐそこまで迫っているのを感じ、セーフィエルは鉄扇を構えて優雅に舞った。

 吹き荒れる吹雪が一瞬だけ鉄扇を仰いだ方向に飛ばされ、餓えた雪男どもの突進を妨げる。

 だが、こけおどしなど時間稼ぎの方法でしかない。

 体勢を立て直した雪男どもが再びセーフィエルに飛び掛る。

 セーフィエルは汗を掻いていた。氷点下の大気に包まれながらも汗を流し、その汗を蒸発させて空気中に溶かす。

 妖艶で芳しい香が雪男どもの鼻をくすぐり、血を煮えたぎらせて極度の欲情が襲う。

 誘惑魔法〈テンプテーション〉だ。

「妾を巡って血の争いをするが好い」

 セーフィエルの魅言葉に誘惑され、興奮した雪男どもが仲間同士で争いをはじめた。

 雪男どもは鉤爪で肉を裂き、互いの肉に噛み付き、飛び散った血飛沫はすぐに雪で隠される。力尽きた死骸も雪に埋まる運命であった。

 もうセーフィエルは雪男に目もくれない。流れ逝く過去の幻影。過去は終わっているから過去なのだ。

 雪の大地は決して平坦ではなく、歩く感じでは山を思わせた。過酷であるはずのその道を、セーフィエルは表情ひとつ変えずに進んだ。

 やがて、セーフィエルの前に雪の壁が立ちはだかった。

 壁伝いに歩いていると、巨大な洞窟を見つけることができた。

 洞窟の入り口は吹雪が吹き込んでいたが、中へ進むに連れて雪は姿を消し、代わりに暗闇が世界を包んだ。

 闇の中でも目が見えるセーフィエルはさらに奥へと進んだ。

 分かれ道のない真っ直ぐな道を進み、行き止まりまで来ると、そこには扉を守るように巨大な戦士の石造が立っていた。

 甲冑の細部まで彫り込まれた石造は、雄々しく立派な出で立ちで、鞘に入った長剣の柄を握り締めていた。今にも剣を抜いて襲い掛かって来そうなポーズだ。

 石造に向かってセーフィエルは鉄扇を構えた。

 襲って来ると感じた。

 早い!

 抜きの一太刀がセーフィエルの腹を薙いだ。

 まるで侍のような剣の抜き方。

 後ろに飛び退いて辛うじて致命傷を避けたセーフィエル。斬られたドレスの下からどす黒い血が滲み出している。

 『動く石造』の間合いに入っていたのが失敗だった。

 すでに斬られた傷は瘡蓋になっているが、肌の傷はプライドにも傷をつけていた。

 セーフィエルの血の餞別を受けた『動く石造』の長剣は溶けはじめていた。魔導の実験を重ねたセーフィエルの血は、毒性を含み、強い酸も含んでいたのだ。

 それでも『動く石造』は長剣をセーフィエルに振り下ろそうとしていた。

 見上げるほどに高い位置から振り下ろされた長剣の一撃。

 セーフィエルは鉄扇で長剣を受け止め、力を逃がしながら躰を移動させ、高く飛び上がり長い脚から廻し蹴りを放った。

 『動く石造』の頭が飛んだ。

 首を失っても『動く石造』は動き続け、太い腕を伸ばしてセーフィエルを掴もうとする。

 柔軟な身のこなしでセーフィエルは敵の攻撃を躱し、後ろに廻り込んで『動く石造』に刻まれた文字を背中で見つけた。ヘブル文字で刻まれた『真理』を意味する言葉。

 セーフィエルの鉄扇が『動く石造』の背中を斬る。

 一文字削られた『真理』を意味していた文字はたちまち『死』変わり、『動く石造』は木っ端微塵に砕け散ったのだった。

 伝承が正しければ三三年後に復讐のために復活するというが、セーフィエルにとっては気にするほどのことでもあるまい。

 砕けた石造の中から一本の鍵が出てきた。

 セーフィエルは鍵を拾い上げて奥の扉に差し込んだ。

 鍵は音を立てて、閉じられていた扉が大きく開く。

 薔薇の香が鼻の奥を衝いた。

 大量の紅い薔薇に囲まれた柩がそこには安置されていた。まるで血の海に死んでいるようにも見える。壮観な雰囲気を醸し出している。

 柩の蓋は硝子でできており、セーフィエルが中を覗き込むと、氷の中で眠っているように、瞳を閉じた少女の安らかな顔をあった。

 染み一つなく透き通る白い肌、ブロンドの美しい髪、カールした長い睫毛、高い鼻梁の下で瑞々しい唇が口を噤んでいる。まるで作り物のような端整な顔立ちの美少女が眠っていた。

 セーフィエルは柩の蓋を開け、可憐なドレスに身を包む少女の頬に指先で触れた。

 見た目は安らかな寝息を立てていそうなのに、その頬は氷のように冷たい。

 傀儡の少女。

「……アリス」

 セーフィエルはその名を呼んだ。

 返事はない。

 哀しい想いがセーフィエルの胸に込み上げた。

 そっとセーフィエルはアリスのドレスを脱がせ、胸元を開いて息を呑んだ。

 瞳を閉じたセーフィエルの目頭から涙が滲み出す。

 アリスの胸に埋め込まれていた〈ジュエル〉は割れてしまっていた。

 蒼く美しい宝石のような〈ジュエル〉に皹が入り、その力を失ってしまっていたのだ。

 アリスはセーフィエルの血の繋がった妹であった。

 セーフィエルは黒髪、黒瞳。一族の者は皆そうだった。なのにアリスの髪はブロンドで、瞳の色は蒼かった。一族に生まれてきた突然変異。それでもセーフィエルはアリスを心から愛していた。

 その妹をセーフィエルはある日突然失ったのだ。

 死んだ妹を復活させるために、セーフィエルは秋葉蘭魔という男と傀儡の共同研究をした。

 アリスが完成したのは、セーフィエルが銀河追放されたあとであった。だからセーフィエルは黄泉返ったアリスの姿を見ていない。

 〈ジュエル〉に触れたセーフィエルにアリスの断片が流れ込んでくる。

 黄泉返ったアリスは蘭魔の手によって、時が来るまで眠らされた。

 時は思いのほか、早く来てしまった。

 目覚めたアリスの瞳に映る主人の姿は、蘭魔ではなくその息子の愁斗だった。

 当時、抱いていたアリスの想いがセーフィエルの胸に届く。

 アリスは愁斗のことを慕っていた。

 傀儡として、召使として、主人との関係は一線を越えることはなかった。

 セーフィエルの触れていた〈ジュエル〉が突然、粉々に砕け散って蒼い粉が宙を舞った。

 肉体が滅びても魂はある。けれど魂までも消滅した者は決して黄泉返らない。〈ジュエル〉が砕け散ってしまっては、もう黄泉返れないのだ。

 過去は終わってしまったから過去。

 アリスの記憶の断片はすべてセーフィエルに吸収され、セーフィエルの想い出となった。

 そして、セーフィエルはダーク・シャドウが何者かを知った。

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