第3章 冥府の母(3)
帝都政府は新たな動きを開始しようとしていた。
まだ政府が設立して一〇〇年も経っていないが、その歴史の中でも今回の事件は大打撃であった。
対策として早急に対処したことは、セーフィエルに帝都中枢夢殿へ侵入されたことにより、警備システムの見直しや〈ゆらめき〉の徹底検出が行なわれた。
次いで、帝都に恨みを持っている呪架に逃亡されたことも問題だ。また人の多い繁華街で暴れられたら帝都の威信に関わる、
そして、もっとも政府が危惧したのはダーク・シャドウのことであった。
マスコミへの発表は完全にシャットアウトされた。
今日の定例記者会見場は荒れていた。
ホウジュ区に機動警察が出動し、ワルキューレが出動したらしい件について。
夢殿の方角で爆発音や閃光が見え、恐ろしい魔獣の遠吠えが聴こえた件について。
帝都全域を襲う怪奇的な地震について。
ワルキューレのスポークスウーマン――フィアが四苦八苦しながらも、今日もお得意の嘘と言い訳で記者達を煙に巻いた。
「では、失礼します」
と、フィアは足早に会見場から逃げようとしたが、押し寄せて来た記者たちにスーツを引っ張られ、揉み合いになるというワンシーンも垣間見られた。それだけ帝都の人々は危機を感じているのだ。
報道陣との会見を済ませ、フィアは早々にヴァルハラ宮殿に戻って来た。
フィアは円卓に座る女帝とズィーベンの元へ駆け寄って愚痴を溢す。
「胃薬を飲まなきゃやってられませんわ!」
「そんなのアタシだって同じだってば」
と、女帝も愚痴を溢した。
夢殿内で起こった事件は前代未聞のこと。今までも帝都の街で大きな事件が起き、帝都滅亡の危機も幾度かあったが、夢殿に敵があんなにも簡単に入って暴れられるとは、許しがたいことだった。
女帝が足をじたばたさせて子供のように怒り出す。
「もぉ〜ッ、これもみんな〈ゆらめき〉が悪いんだよ。しかもだよ、なにあのダーク・シャドウってウザイ奴、ぷんすかぷんだよ!」
呪架がセーフィエルによって空間転送されたのち、ダーク・シャドウが『向こう側』の魔神を呼び出し、セーフィエルは隙を見て逃亡。夢殿内にある多くの建物が壊され、大地にはいくつもの穴が開いた。
最後まで戦っていたアインは重傷を負わされて、戦いに参加した近衛兵たちは全員死亡、女帝とズィーベンが駆けつけたときには、そこは死の荒野と化していた。
唯一の軽症者は慧夢だった。けれど、その慧夢も謎の昏睡状態に陥ってしまって、今も謎の眠り堕ちてしまっている。
この事件を受けて、ついに女帝は全ワルキューレメンバーの招集を号令した。
だが、戦闘特化タイプのアインとフュンフを欠いてしまっている今、戦力不足は否めなかった。
残りのワルキューレは七名。
女帝は難しい顔をしながらズィーベンに尋ねる。
「ツヴァイとアハトはどのくらいで帰国できそう?」
「ツヴァイは三日ほど、アハトは天候がよければ五日ほどでございましょうか。二人ともあまり交通の便がよろしくない場所に派遣されていますゆえ、すぐの帰国は難しいように存じます」
「海外派遣組み二人はいいとしてさ、ドライはどこでなにやってんの!」
女帝は怒鳴り声をあげた。
「ドライは風来坊でござますから、今もどこになにをしているのやら、通信機すら持たないで出かけておりますので……」
ズィーベンが苦笑しながら言った。
ここでフィアが提案する。
「ドライの躰にこっそり発信機を埋め込むというのはどうでしょう?」
この提案にズィーベンがすぐに否定した。
「それは前にも試みたのでございますが、肉を抉って見事に取り出されてしまいました」
「次は脳ミソにでも生めてやれ」
毒々しく女帝は吐き捨て、他のメンバーについて尋ねる。
「フュンフはどのくらいで現場復帰できそう?」
ズィーベンがすぐに答える。
「フィンフは半日ほど、アインは一日以上とゼクスに聞いてございます」
会議室にもおらず、名前も挙がっていないワルキューレは残り一人。永久欠番のノインだ。
もし帝都でなにか起きた場合、ズィーベンは女帝の元を離れられない。
今、この帝都で自由に動けるのはフィアとゼクスだけだった。
しかし、ゼクスは引きこもりで有名で、滅多なことでは研究室を出ない。
女帝の目がフィアに向けられた。
「今度、帝都で大事件が起きたらフィアが行くんだよ」
丸い眼をしてフィアは慌てた。
「そんな、あたくしが最後に武器を握ったのは聖戦のとき以来ですよ。妖物くらいなら相手にしますけど、アインを倒したダーク・シャドウが再び攻め込んできたら、一目散に逃げさせてもらいます」
ワルキューレのメンバーはこんな調子で、切り札の『メシア』も謎の昏睡状態である。女帝は唇を噛み締めた。
「傀儡士の召喚は使いようによったら、アタシたちの力なんて遥かに凌駕する。〈闇の子〉にそんなすっごい傀儡士が味方するなんて、ばか、ばか、ばか!」
急に女帝は真剣な顔つきになってひとつ咳払いを置いた。
「いざとなったらアタシが覚醒めるから」
慌ててズィーベンが声を荒げた。
「それは危険すぎます!」
フィアも慌てた。
「ヌル様がお覚醒めになるということは〈闇の子〉も覚醒めることになるのですよ!」
慌てふためく二人に女帝は静かに口を開いた。
「いつか必ず来る戦いだから、それをアタシから仕掛けるというだけのこと……。わかってるよ、まだ時期尚早なことは。せめてゼクスに戦闘用の義体を用意して置くようにと伝えて置いて」
女帝の今の躰が義体なのだ。本物の躰は夢殿にある〈名も無き大聖堂〉で眠りに堕ちている。
女帝ヌルこと〈光の子〉が目覚めるとき、〈闇の子〉も同時に目覚める。その逆も同じだ。
「次にアタシと妹が戦うときがラグナロクかもしれないし、まだ一〇〇回ぐらいやるかもしんないけどさ、必ず近いうちに小さな戦いはあると思うよ」
それはわざわざ女帝が口に出さなくとも、ワルキューレは心得ていた。
帝都全体を襲う〈ヨムルンガルド結界〉が起こす地震もまだ続いている。
ズィーベンは神妙な面持ちで眼鏡を直した。
「わたくしの『ダーク』の面が強くなっております。〈裁きの門〉もしくは、〈タルタロス〉で問題が発生しているのかもしれません。あの場所に入り、脱出ができるのはセーフィエルとノインとエリスの三人だけですが、もしかしたら人間との混血も……」
それは呪架、慧夢、愁斗の三人のこと。
一度、足を踏み入れれば永久の囚われ人となる〈裁きの門〉。脱出できるのは三人だけのはずだが、呪架もできるとすれば〈裁きの門〉に行こうとしている可能性は高いとズィーベンは考えた。
現に、今このとき、呪架は死都東京へと向かっていたのだ。
問題は〈裁きの門〉とこの世がもっともリンクしている場所にある。そこがわかっていながらも、帝都政府は手が出せない状況にあったのだ。
なぜならば、そこに〈箒星〉があるから。