第2章 傀儡士の血族(4)
帝都の中でもっとも霊的磁場の強い場所が夢殿である。
その敷地内に設けられた監獄。
古墳のような形をした監獄の入り口を潜ると、地下への階段が伸びている。
下った先にあるドーム状の部屋には、さらにドーム状のバリアが部屋の中心にあった。その中に捕らえられているのは呪架。
全身を慧夢の妖糸で拘束されたまま、さらにアイマスクと口枷を嵌められ、最低限できる動作は床を転がることだった。
入れられた当初は散々転がって暴れ廻ったが、今は動かずにただじっとしている。
聴こえる音は自分の荒々しい呼吸のみ。憎しみや怒りなどの負の感情が沸き上がり、押さえられない気持ちが呼吸を荒立てていた。
ここに来るまでに耳にした会話で、ここが帝都の中枢だということはわかっていた。それなのに呪架はなにもできない。
復讐すべき相手がすぐそこにいるにも関わらず、自分はただ縛られ思考だけが先走りをする。
呪架はくぐもった叫びをあげた。
魔気が呪架の周りを暴れ狂って飛び交うが、その魔気もすぐに結界の力によって殺される。
まずはこの場所からの脱出を考えねばならないが、そのチャンスの兆しすら見えない。
アイマスクをされた呪架に見えるのは塗りつぶされた視界。希望は黒く塗りつぶされていた。
ここを脱出したら、逃げることはせずに夢殿をぶっ壊すつもりで呪架はいる。そんな思いも、虚しさを感じる。
ただ過ぎる時間は思考を巡らす時間になり、呪架は過去のことを回想していく。
あのとき、呪架の目の前で起きた怪異。
エリスはどこに消えた?
あの紅い影は誰だ?
帝都の仕掛けた罠か、それとも別の者の介入か?
そして、双子の兄こと。
あれが本当に兄とは信じられずにいた。
――なんで帝都になんか飼われてるんだ!
心の中で呪架は叫んだ。
兄は父に引き取られ、呪架は母に育てられた。父の顔も兄の顔も知らずに育ったが、呪架は母から多くの愛を注がれた。
その生活を破壊したのは帝都政府だ。
血反吐を幾度となく吐いて生き延びた日々。生きるために生きる日々。ただ生きることに必死だった。
ただれた記憶を葬り去るためにも、呪架は復讐を成し遂げなくてはいけなかった。
傀儡士としての業を磨き、ワルキューレの一人を倒したが、慧夢に敗北したことにより、己が有頂天になっていたこと知った。
まだまだ強くならなければいけない。
しかし、〈闇〉を極めようとすればするほど、五臓六腑が侵蝕されて犯されていくことも感じていた。
それでも呪架は構わなかった。
母を想い、呪架は改めて復讐を胸に刻んだ。
黄昏で空が朱に染まる逢魔ヶ刻。
周りを濠に囲まれた広大な夢殿の敷地全体は、普段から結界師の張った大結界で覆われている。帝都でもっとも侵入が困難な場所であり、中に入れたとしても精鋭の近衛兵やワルキューレが行く手を阻む。
結界の盲点、〈ゆらめき〉を夜風が足音を忍ばせながら擦り抜け、難攻不落の夢殿に軽々しく侵入した。
誰にも気づかれず、機械の眼すらも眩ませながら、霧のように夜風はセキュリティーを次々と突破していく。
夢殿の敷地内にある庭園で夜風が月のような艶笑を浮かべた。
夜魔の魔女セーフィエル。
彼女がここまで簡単に夢殿へ侵入できた要因は〈ゆらめき〉以外にもあった。
ワルキューレの永久欠番ノインの血は、元を辿ればセーフィエルのものだ。血族であるセーフィエルにセキュリティーが誤作動したのだ。
そして、もっとも大きなの理由は、帝都で使われているテクノロジーのほとんどが、セーフィエルが基礎を築き上げた物なのだ。
フィンフが戦いに用いた亜音速移動装置が良い例だ。
断続的に亜音速を使用してセーフィエルは目的の場所へと急いだ。
青々と茂る薫り立つ芝生。
一面に広がった芝生の先に古墳のような土の山があった。
その建造物の入り口は真鍮の扉で閉じられ、見えない力で固く封印されていた。
しかし、この程度の封印などセーフィエルの手に掛かれば造作もない。
セーフィエルの繊手が伸ばされると、扉の前で硝子が砕けるように破片が地に落ちた。
開かれた扉を潜り、地下へと続く薄暗い階段を下りる。
ドーム状の結界の中に捕らえられた呪架を確認し、セーフィエルはスリットから脚を伸ばして廻し蹴りを放った。
蹴りを喰らって砕け散る結界。セーフィエルのブーツに結界を破壊する魔導具が仕込んであったのだ。
呪架の傍らに膝をついてセーフィエルは囁く。
「助けに参ったぞ」
アイマスクと口枷を外され、薄明かりの中で呪架はセーフィエルの顔を確認した。
「助けに来なくても俺ひとりでどうにかしてた」
「無駄口を叩くでない。早よう脱出するぞ」
「全身を糸で縛られてる切ってくれ」
セーフィエルが呪架の躰を撫でると、妖糸は溶けて消えてしまった。
やっと自由になれた呪架は、固まっていた躰を慣らそうと妖糸を放とうとした。
が、妖糸が出ない。
呪架の手に嵌められているバンドを見てセーフィエルが悟る。
「結界師の術が込められておるようじゃ。手に氣を溜めることができず、妖糸を練ることができないのじゃろう」
「クソッ!」
「妾でも呪解に時間が掛かりそうじゃな、後にするぞ」
「今すぐやれ!」
「敵がすぐそこまで迫っておる、後じゃ」
駆け出してしまったセーフィエルの後を追って呪架も仕方なく外に向かった。
傀儡術を封じられた傀儡士はただのひと同然。脱出は一筋縄ではいきそうもない。
地下から地上に上がった二人を待ち受けていた一人の影。
ワルキューレの最高責任者――アイン。
頭数では二対一だが、呪架を連れているセーフィエルに分が悪いか?
鞘から抜いたホーリーソードを天に掲げ、アインは宣言する。
「フュンフの敵は自分が討つ!」
呪架の視線はアインではなく、その先の人影に向けられていた。もちろんセーフィエルもその人影に気付き、苦虫を噛んでため息を吐いた。
光の傀儡士――慧夢。
「二対二だね」
と、慧夢は言うが、不利なのは瞭然だ。
セーフィエルは呪架を自分の背中に廻して、黄昏の空を眺めた。
「妾の時間はまだ来ぬのか」
日が落ちるにつれて魔力を増すセーフィエル。夕方でも十分に力を発揮することは可能だが、この場所が夢殿の敷地内だということが枷となる。夢殿全体に張られた大結界が、セーフィエルの魔力を弱めているのだ。
アインと慧夢を倒せるとセーフィエルは勝算を予見していた。
しかし、問題は呪架を守りきれるかということである。
四人は牽制し合いながらチャンスを窺う。
この場に第五の気配がした。
宙に現れた紅い渦巻きから這い出て来る紅い美影身。
眼に焼きつく鮮やかな紅いインバネスを羽織った人物が立っている。その体型から長身の男だということは判断できるが、顔は白い仮面で隠されていて見ることはできない。
「私の名はダーク・シャドウ。〈闇の子〉の意志を具現化する者」
人を魅惑する声音。
その声を聴いた呪架は、精神界で出会った先祖に似ていると感じた。
慧夢もダーク・シャドウに異様な雰囲気を感じ取り、セーフィエルは蘭魔の気配を感じたのだった。
〈闇の子〉の意識を具現化すると語った時点で、ダーク・シャドウは帝都政府の敵と知れた。アインがダーク・シャドウを見る目は剃刀のように鋭い。
「〈闇の子〉に従う者を抹殺するのが自分の任務だ!」
噛み付くアインを無機質な白い仮面が見ることはなく、ダーク・シャドウは呪架と慧夢を順番に見ていた。
「二人の傀儡士はなにも知らず渦中に投げ込まれた。だからこそ、私の話を聞いてもらいたい」
諭すような口調になぜか呪架と慧夢は惹き付けられてしまった。言葉自体が魔力を持っている魅言葉。だが、アインには通用しない。
「この者は話など聞く必要はない!」
大剣を振りかざしてアインがダーク・シャドウに飛び掛る。
ダーク・シャドウの手から輝線が次々と雨のように放たれ、剣の舞を踊るアインの連撃が輝線を斬り落とす。
呪架と慧夢は目を見張った。ダーク・シャドウの技は傀儡士のそれだ。そう、ダーク・シャドウも傀儡士だったのだ。
片手だけでダーク・シャドウは同時に数本の妖糸を放っており、その技があればもう片手からも妖糸を放つことは容易いように思える。なのにダーク・シャドウは片手だけでアインの相手をしていた。
妖糸と舞い踊るアインは神速の一撃でダーク・シャドウの胸を狙う。
改心の一撃をダーク・シャドウは陽炎のように軽く躱した。
余裕なのだ。
ダーク・シャドウにとってアインとの戦いは、猫とじゃれ合っている程度のもの。両手で戦う必要すらないのだ。
余裕のダーク・シャドウは妖糸でアインをあしらいながら語りはじめる。
「〈闇の子〉と〈光の子〉は双子であり、互いに地球の派遣を賭けて太古の昔から争いを続けている。今は前回の聖戦に敗北した〈闇の子〉が封じられてしまっているが、それも戦いの一幕でしかない。東京を死都に変えたあの聖戦も〈闇の子〉と〈光の子〉が戦いを繰り広げた結果だということを知る者は少ないだろう」
太陽が燦然と輝くある年の夏――世界は変わった。
突如として起きた聖戦の果てに東京は死都と化し、首都は東京から霊的磁場の強い京都へと移された。
人智を超えた『存在』が繰り広げる戦いを見た人々は、その戦いの意味を理解できず、終戦後もなにが戦っていたのか、わからずじまいだった。
戦いの最中、ある者は天使を見た、ある者は悪魔を見たと云い、終結のときに救世主が現れたという意見では一致が見られている。
しかしながら、多く残された謎は謎のままであり、どちらの『存在』が勝利を治めたかすらわかっていない。真相を解き明かそうとする歴史学者は今も熱い激論を交している。
この聖戦と呼ばれる戦いの終戦と同時期、関東には女帝と名乗る者が巨大都市を築いた――それが帝都エデンだ。
女帝こそが聖戦の救世主だと云われるが、どちらに属していた『存在』なのか、それともまた別の『存在』なのか、女帝の周りには謎が取り巻いている。
謎が多い指導者の下でも、都市は発展した。それは女帝の絶対的な力と、彼女がもたらした魔導のためだ。
帝都エデンは世界各国に反対されながらも独立国家を名乗り、魔導の力がもたらした恩恵は科学との融合により、帝都エデンを発展させた。
ダーク・シャドウは懐から一冊の本を取り出した。装丁のとても古そうな皮表紙の本だ。
「この夢殿のどこかに女帝しか知らない〈夢幻図書館〉があると聞いた。そこにある著者不明の黙示録。その本が世界に二冊あることをご存知かな?」
その本には封印された歴史が記されていた。〈光の子〉と〈闇の子〉が繰り広げた全ての戦いが克明に記され、未来のことまでもが記されている。一種の預言書である。
過去のことは完璧なまでに記されているが、未来のことになると断片的で矛盾も多い。
ダーク・シャドウは話の核心に入る。
「世界には最終的な調和に向かうシナリオがある。しかし、途中の過程にはアドリブが含まれる。起きてしまった過去から、高確率で導き出される未来。それこそ〈大いなる意思〉」
饒舌に語るダーク・シャドウを止めようとアインが剣を振るう。
「人間風情が世界の秘密をしゃべるな!」
「私はすでに人の域を越えている。ワルキューレなど足元にも及ばないことを知れ」
ダーク・シャドウが妖糸で宙に奇怪な魔法陣を描く。
真物の傀儡士のみが行なえる奥義召喚術。
魔法陣の『向こう側』で世界を脅かす〈それ〉が咆哮した。
大地が震え上がり、大気が一瞬にして氷結する。
召喚を目の当たりにして各々が声を漏らす。
「何者ぞ?」
と、セーフィエルがいぶかしみ、
「……やっぱりね」
と、慧夢は艶笑し、
「…………」
呪架は沈黙して、
「秋月蘭魔、生きていたのかッ!」
最後にアインが叫んだ。
〈それ〉が潜む魔法陣を従えるダーク・シャドウが呪架に顔を向ける。
「この世と〈裁きの門〉がもっともリンクしている場所は死都東京だ。おまえと私が求めているモノがそこにある。〈闇の子〉の仲間にならないか?」
呪架はなにも答えず、ただじっと白い仮面を見てしまっていた。
魔法陣の『向こう側』から血に飢えた野獣の遠吠えがいくつも聴こえた。
呪架の前に立ちはだかったセーフィエルが答える。
「〈闇の子〉にも〈光の子〉にも呪架は渡さぬ」
夜風がセーフィエルを取り巻いた。
「許せよ呪架!」
セーフィエルの手が呪架の躰に触れた瞬間、歪む映像のように呪架の躰が揺れ動き、その姿は霞みのように消してしまった。
呪架を消したセーフィエルが艶やかに微笑む。
「成功したか失敗したかはわからぬ。呪架は空間転送させてもらった」
呪架のいなくなったこの場所で、魔法陣が破滅を世界に解き放つ。