第2章 傀儡士の血族(3)
ビル街を縫うように飛ぶ軍事用ヘリコプター。
〈イリュージョン〉を解除しているエリスを従える呪架は上空を見上げた。
ヘリコプターがスクランブル交差点に真っ直ぐ降りて来る。
地上から一〇メートルのところで、ヘリの中から何者かが飛び降りた。ロープも梯子もなにもないが、まるで糸を伝って降りて来るようであった。
その少年は半裸の躰に拘束具を着せられ、首輪に付けられた宝石が不気味な光を放って点滅していた。
呪架は目の前に現れた少年をあざ笑う。
「ガキが俺になんの用だ?」
少年は子供とは思えぬ艶やかな笑みを浮かべた。
「ボクに向かってガキとは失礼な奴め。こう見えてもだいたい二〇年以上は生きてるんだから」
この少年の見た目は呪架よりも若く、小学生高学年程度にしか見えない。
呪架は表情にも態度にも表さなかったが、この少年をひと目見たときから、なにか運命的なものを感じていた。
そして、少年も同じく感じていた。
「あははは、そうか、そうだったんだね。キミか、ボクのことを感じさせてた奴は。心の底からウズウズして堪らないよ」
自分の躰を抱きしめる少年は身悶えていた。
「M奴隷の変体め」
吐き捨てる呪架に少年はすぐさま反論する。
「勘違いしないでくれよ。この拘束具は女帝どもの趣味さ」
「女帝の犬か」
「飼い殺された思考は持ち合わせてないよ。でなきゃ、こんな拘束具を着せられてはずがない」
「ワルキューレよりも強いか?」
「強いね」
「なら殺し甲斐がある」
この戦い――呪架が先に仕掛けた。
煌く妖糸が宙を奔り、少年の背後に控えていたエリスが召喚した〈ソード〉で斬りかかる。
仕掛けたはずの呪架が眼を剥いた。
優雅に舞う少年の両手から輝線が放たれ、呪架の妖糸を斬り、〈ソード〉を持つエリスの手首を落とした。
両手を失ったエリスは立ち竦み、少年の技を見た呪架も動きを止めた。
「まさか……傀儡士か?」
「そうだよ。キミもそうらしいけど、名前は?」
「呪架」
「ボクはコードネーム『メシア』……親からもらった名前は慧夢」
その名を聞いた呪架は思わず驚愕を顔に表してしまった。その表情を見取って慧夢はニヤリと笑う。
「キミの本当の名前は呪架ではなく、紫苑っていうじゃないの?」
「違う」
呪架は即座に否定した。あまりにも早い否定に慧夢は満面の笑みを浮かべた。
「あははは、嘘付くの下手だなァ。でもビックリだよ、キミが傀儡士としてボクの前に現れるなんてね。ボクは父さんから傀儡士の技を叩き込まれたけケド、キミはどうやって学んだんだい?」
「……そんなはずない」
呪架は否定した。己の頭に過ぎった思考への否定。あまりにもそれはありえないことだったからだ。
それなのに慧夢は次々と呪架の思考を乱す。
「ボクは父さんからキミのことや母さんのこと、他にも色々と聞かされたけど、キミはきっとほとんど聞かされてないと思うよ、だってねそれが母さんの願いだったから」
「お前が俺の兄のはずがない!」
「あははは、やっぱりそうだ、逢えて嬉しいよ紫苑」
「紫苑じゃない、呪架だ!」
「父さんはね、お婆ちゃんのことを忘れられないらしくてね、お婆ちゃんの名前と同じ名前をキミに付けたんだよ、知ってたかい?」
慧夢がいうことがすべて真実だと呪架は確信していた。
母のエリスは愁斗と結ばれ双子を生んでいたのだ。名前は慧夢と紫苑。
生まれて間もない双子は引き離され、慧夢は父に引き取られ、紫苑は母に引き取られた。
呪架は双子の兄がいることをエリスから聞いていた。けれど、なぜ愁斗が生まれて間もない慧夢を連れて、姿を消してしまったのかまでは聞かされていなかった。
唯一、聞かされていたのは愁斗が傀儡士だったということだけ。
呪架は父の顔も知らず、兄の顔も知らずに育った。
それが今、こんな形で出逢うとは、なんと呪われた運命なのだろうか。
呪架は認めない。突きつけられた現実を認めようとしなかった。
「俺はおまえのことなんて知らない。紫苑なんて名前も知らない。俺は……呪架だ!」
「ボクの『双子の妹』じゃなかって感じたケド、他人なら容赦しないよ」
呪われた歯車を止めることはできなかった。
慧夢の指先から放たれた煌きは美しく残酷に呪架の首を狙う。双子だとしても、その技に迷いはない。
己の信念に真実を見出すため、呪架の指先からも煌きが放たれる。
互いの放った煌きは空中で衝突し、漆黒と白銀の粉となって大気を舞った。
すかさず呪架がコードを唱える。
「〈ブリリアント〉照射!」
輝く球体が放った六本のレーザーが慧夢を襲う。
慧夢は軽やかに地面を蹴り、宙で回転を決めながら華麗にレーザーを躱わす。
アスファルトを焦がす臭いが消える前に、呪架は再び〈ブリリアント〉で慧夢を狙う。
「〈ブリリアント〉照射!」
――が、なにも起きない。
「どうした!?」
なにが起きたのか呪架にはわからなかった。
半永久的に傀儡を動かすことのできる〈闇〉のエネルギー。だが、それはコードを使用しなかった場合。強力な武器コードや魔導コードを使用することにより、傀儡エリスの〈闇〉エネルギーは底を付いてしまったのだ。
それを知らない呪架は苛立ちを覚えて闇雲に慧夢へ攻撃を仕掛ける。
「クソッ!」
呪架の両手から放たれた妖糸は闇色を孕み、風が叫び声をあげて泣いた。
「キミの技は傀儡士としては三流だね」
慧夢の放った妖糸が呪架の妖糸を軽くあしらい、相手の攻撃を防いだ慧夢は躰の向きを変えて必殺を放つ。
六本の妖糸が慧夢の手から同時に放たれ十字を切る。蘭魔秘伝〈悪魔十字〉を慧夢は会得していたのだ。
〈悪魔十字〉を放たれたのはエリス。
すぐに呪架はエリスを避けさせようとするが間に合いそうもない。
刹那、〈悪魔十字〉が細切れに切断され、呪架と慧夢は思わぬ怪異に眼を剥いた。
破壊されかけたエリスの前に現れた紅い美影身。
呪架と慧夢の位置からは紅い後姿しか見えず、鮮やかな紅い影だけが眼に焼きついた。
そして、空間が紅く渦巻き、謎の影はエリスを抱きかかえ、渦の中へと姿を消したのだった。
なにが起きたのか呪架は理解できなかった。
「……なにが起きた?」
慧夢も理解しがたい現象であったが、彼の方が気持ちの切り替えが早かった。
「あははは、まあいいじゃないか。これで一対一の決闘だよ。可憐な血の薔薇を咲かせよう!」
エリスを失われた呪架に残るは、自らが繰り出す技。
「俺は冥府魔道に生きると決めた。たとえ〈闇〉に躰を犯されようとも!」
呪架の放った輝線が空間を裂き、闇色の傷が風を吸い込みながら広がっていく。
闇色の裂け目の『向こう側』から、甲高い悲鳴が聴こえる。号泣する声が聴こえる。轟々と呻く声が聴こえる。どれも惨苦に満ち溢れている。
それが〈闇〉だと、慧夢はもちろん熟知していた。
「キミが〈闇〉を使うのなら、ボクは雌狐たちに造り変えられたこの躰で〈光〉を使うよ」
慧夢の放った煌びやかな輝線が空間を裂き、傷は燦然と輝きならフルートの音色を風に奏でさせ、世界に柔らかな光と空気を吹き出した。
光色の裂け目の『向こう側』から、笑い声が聴こえる。賛美歌が聴こえる。詩が聴こえる。息吹が聴こえる。どれも輝きに満ちている。
呪架が叫ぶ。
「〈闇〉に喰われるがいい!」
続いて慧夢が叫ぶ。
「美しく悶え逝け!」
二つの裂け目からほぼ同時に飛び出した〈光〉と〈闇〉が激突する!
強大な力のぶつかり合いで風が辺りを薙ぎ払い、呪架のローブが激しく暴れ、慧夢は両手を広げて風を心地よく浴びている。
〈闇〉は〈光〉に押されていた。
狂い叫ぶ〈闇〉を謳い舞う〈光〉が呑み込む。
春の麗らかなせせらぎのように〈光〉が微笑んだ。
〈闇〉への〈審判〉が下される。
高らかな天のラッパがファンファーレを奏で、〈闇〉は完全に昇華されてしまった。
爽やかな香りを残して〈光〉は還って行った。
「これが実力の差だよ」
敗北した呪架の躰に巻き付けられえる慧夢の妖糸。肢体を巻き、胴を巻き、首を巻き、指の一本一本までを拘束した。それは普段、慧夢が帝都政府にされている仕打ちと同じ。
全身の自由を奪われた呪架は、躰のバランスを取ることもできず、腹から地面に激突した。
呪架の頭に押し付けられる慧夢の靴の裏。
完全なる敗北。
「さようなら、愛しい紫苑」
最後の止めを刺そうと慧夢が妖糸を放とうとした瞬間、いきなり慧夢は全身を激しく痙攣させ、苦痛に悶えながら地面の上でのた打ち回った。
「……ズィーベン……やめろ」
喉の奥から慧夢は声を絞り出し、やっと痙攣が治まった。全身からは玉の汗を滲み出し、呼吸は酷く荒い。結界師ズィーベンがギミックを発動させ、慧夢の動きを強制的に制止させたのだ。
息を荒立てながら立ち上がった慧夢が吐き捨てる。
「生きたままキミを捕らえろだとさ」
そして、呪架は身動きひとつできないまま、迎えのヘリに乗せられて連れ去れたのだった。