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「うわ、こら、アカリ!」
あ、バレた。
急ぎで頼まれた服を直接届けにいって帰ってきたシズイさんが、上着を脱いで声をあげた。
毎晩字を教えてもらっては、時間を見つけて練習しているのだけど、シズイさんが居間に置いたノートを見ては私のへたくそな字をにやにや笑うので、こっそり上着の内側にでっかく名前を書いておいたのに気づいたらしい。着てれば見えないけど、ちょっと恥ずかしいだろうな。
子どもの描いた絵を飾るみたいに、私の練習した紙をわざわざ壁に貼ったりするから、仕返し。
カムルさんはどっちもガキかと白い目を向けてきた。
シズイさんはその上着がお気に入りだったのか、意地なのか、そればかり着ていくようになった。負けず嫌い。
おはよう、おかえり、ただいま、いただきます、おやすみ。
たくさんの挨拶と日々が重なっていく。
働いている後ろ姿を、夕暮れの空を見上げている瞳を、文字を教えてくれる横顔を、親を追う雛鳥みたいに見つめている。
目が合って、どうしたと首をかしげられる度、私は、何でもないと目を逸らして、狭山くんを思い浮かべた。
ついにお祭りの日が来て、しっかり働こうと気合いを入れる。ついにお給料が貰えるんだから、頑張らないと。お布団を買うにはまだ足りないけど、奥さんは今後も料理を教えてくれるし、食堂の手伝いで働いてもいいと言ってくれた。
シズイさんにあとで屋台に行くと言って見送られて家を出た。
お祭りも屋台も盛況で、ひっきりなしのお客さんに忙しなく働く。
ようやく人波が少し切れて息をつく。
奥さんと休憩しながら世間話する。
「それにしても、せっかく初めてここの祭りに参加するのに、シズイと回れなくてよかったのかい?」
「いいんです。それにシズイさんなら、後で来てくれるって言ってましたよ」
「よかったじゃない。祭りが終わったら本格的に花嫁修業しないとね」
奥さんはにっこり笑うけど、私は苦笑していつもと同じ返事をする。
「だから、お嫁じゃないんですって」
言いながら、何気なしに人混みに目を向けた。
―――あ、
行き交う人の向こう、女の子とふたりで楽しそうに笑い合うシズイさんを見た。
まるで、もう一度隕石にぶつかられたみたいな衝撃だった。
私の頭に星が落ちてきた時、直前に見た景色が重なる。
仲良く幸せそうに寄り添う、美沙と狭山くん―――。
悲鳴が聴こえた。
―――あかり?…明里、明里?ねえっ…!
―――やだ、ねえ、嫌………っ
泣かないで美沙。ごめん、本当、冗談みたいな死にかたをして。ごめんね。
目の前でなんて、本当に謝っても謝りきれない。
美沙は優しくて、明るくて、私がそうなりたいって思うものを自然に持ってて。
私はだめな奴で、汚くて醜い嫉妬もしたけど、時間が経てばきっと、仕方ないって受け入れられた。
だって美沙のことも、狭山くんのことも、どっちも好きなんだもの。
いつかちゃんと、心から祝福したかったよ。
―――吉野……
狭山くん。
どうか美沙と、幸せになって。
私が死んだことなんて、忘れてしまっていいから。
本当に本当に、ごめんなさい。
私、あなたの顔をもう、おぼろげにしか思い出せなくなってる。
言えばよかった。
好きでした。
ねえ、私、死んじゃったけど、まだ生きてるみたいなんだよ。
不思議だけど、でも、
また、ひとを好きになったみたい。
けどやっぱり私は、誰かの一番には、なれない。