三十と一夜の短篇(三十と一夜の短篇第1回)
……思えばいままで、ひとり孤独にやってきた。夢を共有する同志を持たず、理解者も得られなかった。切磋琢磨する機会を喪い、ひとり黙々と書いては棄て書いては棄てをくりかえしてきた。
大学時代のしくじりを語ろう。昼に働いて夜にはためく勤労学生だった。そんな夜学生たちのあいだにも、サークル活動はあった。中学三年から小説家を志望していた私は迷うことなく、文芸サークルの門を叩いた。サークル名は明かさない。とてつもないこの蹉跌は、ノンフィクションであるから。
失望は、学園祭のおり。四年の先輩たちはよりにもよって、「カレーをつくる」と言ってのけたのだ。文芸サークルの出し物といえば、ひとつしかないはずである……香辛料の混淆物によって、私の先入観は絡めとられた。
食材費六千円の徴収を宣告され、私は憤った。月収約十万のうち八万を家計に入れていた貧乏人の倅には、とんでもない大金である。カレーという名のドブに棄てるようなものだ。時給九百三十円。六時間働いても、その額に至らない。だから二年の先輩らと語らい、サークルを脱退した。二年生三人と一年生ふたり。この脱退により、このサークルにあった十数年の伝統は潰えた。私たちが消極的に滅ぼしたのだ。
私たち五人は、あらたな文芸活動について語らった。居酒屋で。カラオケボックスで。架空のサークルについて、さまざまな名が飛びだす。とてもたのしい記憶だったが、実りはない。童貞の道程、モラトリアムの空費。
四年間ひとり、黙々と書きつづけた。だが結果、結託も琢磨もなく終わった。
それから十五年あまり、ひとり黙々と書きつづけた。多分に独善的な作品を賞に応募しては、黙殺されつづけてきた。日々の生活に埋もれながらも、夢だけは棄てきれずに生きてきた。
いまこうして、インターネットという場所を得ている。作品を投稿し、多くの顔も知らないひとたちに読んでもらう。感想をもらえるよろこび。
読んでもらうために書くということを、概念として知ってはいた。この二十年あまり、まったくわかっていなかったことに気づかされる。誰かに読んでもらうために書いてはいなかった。ただひたすらに、自分のうちにある衝動を文字にしてきた。いまようやく、読んでもらうことを意識して書けるようになった。その意図がうまく行っているのかどうかは、また別の話ではある。
ネット上で活動するうちに、「同志」を得ることが叶った。友人でも恋人でもない、同志である。この二十余年、ずっと欲していて得られなかった。大学時代のサークル脱退仲間は、同志とは云えなかった。作品を見せあって批評しあうということをしなかったから。切磋琢磨のない関係。
私は同志の顔を知らない。どういった人物であるのか、まったくわからない。形而上の相関でしかない。だが、この相関はじつに刺激的である。表現者としての自分を、家族にも友人にも同僚にもさらけだすことはないからだ。内に秘めつづけた表現を吐きだすと、それについての反応がある……じつに心地よい。
そうして私は、ひとつの構想に行きつく。ようやく得られたかけがえのない同志とともに、なにか大きなムーヴメントを起こせぬものかと。それが本企画「三十と一夜の短篇」である。大学時代にできなかったことを、ここに実現させる。ひとつのテーマに沿って、複数人が短篇を書く。企画内容そのものは、私の独創ではない。二十年以上まえからある。
これまでの私はそういった企画に名をつらねようと、商業ベースのものに投稿していた。入選には至らなかったが、一度だけあとがきで寸評をもらった。書店に陳列された刊行物に私の筆名と作品名が載り、「怪作」との評をもらえた。その一事は、これまでの人生における最大の感動であった。けれど、公募企画も終了してしまった。その一事は、痛恨である。
そういった企画に参加したいのであれば、私自身が主催者となればいい……その発想はまさしく、コロンブスの卵であった。この数年この考えに行きつかなかったのは、同志を持たなかったからだ。アンソロジストとしてもオーガナイザーとしても未経験であるから、無謀な試みと言わざるを得ない。けれど誰だって最初は、経験者ではなかった。やらないことには、経験は積めない。だからこの過程において、「無謀」の二字を消失させてゆこうと考えている。
「三十と一夜の短篇」という会の名を思いついた。まづ第一に、「と」と「の」の助詞を入れたかったという詩的動機がある。月に一度のペースでやっていくことが、名の理由である。では、三十日に満たない二月は休むのか……そう問われれば、そんなことはない。冬眠はしない。正月も休むつもりはない。休み休み通年、十二回をやりとおす。二十四回。三十六回。四十八回。六十回。そうやって少しづつ、積みかさねていけたらと思う。あらゆる事物に永遠はない。そんなことはわかりきっている。だが少しでも長く、つづけていきたい。
当会の終焉は、ふたとおりのことが考えられる。私が参加者から見はなされるケースと、私自身の熱が冷めて当会の活動を放置してしまうケース。前者であれ後者であれ、私自身に努力を課す必要がある。参加者のひとりとして駄作は出せないし、主催者としてきちんとした経営をつづけなければならない。見はなされぬよう、見はなさぬよう。
いまはまだ、当会はなんでもない。だが、私はパラノイアめいた妄想に憑かれている。「三十と一夜の短篇」が、文学史に爪痕をのこすことを。会の活動として大きくなるのか、あるいは参加者の誰かしらが作家として名を上げるのか……。
八人。「三十と一夜の短篇」は、私をふくめた八人で旗揚げする。当初の想定よりも多い人数で、主催者としてはよろこばしいことである。
当会には、参加者のみが共有する秘密がある。それは決して、外には明かさない。だが当会は、来る者を拒まない。そして、去る者も追わない。同志は多いに越したことはない。参加者のバラエティが、当会を盛りあげるものと信じる。以前に出した募集告知は削除したが、門戸は閉じない。参加者を随時募集する。当会に興味を持たれたかたがあればぜひ、主催者である私にメッセージをいただきたい。
記念すべき第1回にふさわしいようなものが書けたのではなかろうか、と自賛する。