ハゼとシーバスと白身魚フライ
ポイントは、多摩川大橋の下だ。
土手を下りる。芝の敷き詰められた緑地を抜けると、灌木に覆われた河原が見えてきた。橋の下にはテトラポットが敷き詰められている。
「今は干潮なので下までいけるけど、水かさが増してきたら戻れよ」
昼前には満ちてくると、スマホでタイドグラフを見ていた鷹野が言った。干潮から潮位があがってくる潮目こそ、ハゼ釣りには絶交のタイミングなのだ。
「晴れてるしな。腹一杯になるくらいハゼ釣れるぞ」
「楽しみだ」
ハゼは誰でも釣れると聞いた。ついにボウズ脱出だ。
「初フィッシュオンの瞬間、見ていてくれよ」
「ああ、頑張ってくれ」
時計の針は10時を廻った。
バケツには一杯のハゼ。しかし、全て鷹野が釣ったものだ。
「お前、ボウズの才能すごいな…ハゼすら釣れないって、相当なもんだぞ?」
釣り上げるどころか、かかりもしない。その間にも、鷹野はハゼがいそうな場所に仕掛けを投げ込み、ひょいひょいと釣り上げている。磁石で釣り上げる、子供用の釣りゲームで遊んでいるかのようだ。
ケン・カイコーは言った。「ボクと契約してミスター太公望になってよ」と。それと引き替えに釣り名人になれるはずではなかったのか。
「投げてるポイントがおかしいんじゃないか? そこの段差が見えるだろう?」
鷹野の指の先に、コンクリートの川底が段になったところが見える。
「そこに投げ込むと…」
仕掛けを投げた直後、ビクビクと竿先が震えた。震えたのは、鷹野の竿だけであったが。
「どうしてかからないんだろうな。イソメのつけ方がおかしいんじゃないか?」
「そんなことはない!」
仕掛けをあげて、釣れたハゼから針を取っている鷹野に見せつける。
「これ、チョンがけじゃないか。しかも一匹まるまるって…」
鷹野は露骨に呆れた顔をする。
「さっきから、餌はよく取られてる」
「そりゃそうだろ。針に食いつく前に、餌取られてるんだよ。頭から通し刺しして、余った部分は切れ」
言われてみれば、鷹野はイソメまるまる一匹使っていない。引きちぎりながら、針に指していた。
河口寄りのところで、少年達がルアーフィッシングをやっている。
「ここでもバスが釣れるのか?」
「バスはバスでも、あれはシーバスだ」
「シーバス?」
「スズキのことだ。聞いた話では、このへんでもメーター級のシーバスが釣れるそうだ」
「メーター級!?」
「まっ、ハゼすら釣れないお前には無理だ」
ケラケラと鷹野は笑った。
「俺もたまにやるよ。釣れても30センチくらいの小さいのばっかりだけど」
「バスで30センチといったらそこそこだぞ」
「スズキで30センチなんてまだ子供だよ。スズキは出世魚といって、成長すると名前が変わるのは知ってるよな? 30センチくらいだとセイゴっていう、2年未満の若魚だ」
「そうなのか」
「大きさで名前変わるのが面倒なので、ルアーで遊ぶ人はまとめてシーバスと呼んでる。ちなみにシーバスって和製英語だからな。英語だとパーチだ」
熱帯魚の飼育も趣味の鷹野は、魚の知識が豊富であった。
「白身魚フライって、実はなんの魚が使われているか、よく分からないことが多いんだよ。そもそも、白身魚って名前の魚はいないだろ?」
鷹野の「余談」は続く。
「本来、白身魚といえば、ヒラメやタイ、フグなど高級魚の事だった。寿司ネタでも白身魚は高いだろう? しかしフライになると、なぜかあんなに安くなる。不思議に思ったことはないか?」
「いや、そういうものだと思っていた」
「当たり前だが、白身魚のフライはヒラメやタイなどを使ってはいない。俺達が子供の頃は、タラが主な材料だった。これには理由が二つある。一つは、さっきも言った通り、白身魚と言ったほうが高級感が出ること。もう一つは、すでにタラすら使っていないからだ」
「え?」
「今、外食やスーパーで売っている白身魚のフライのほとんどは、冷凍食品として人件費の安い中国やベトナムなどで作られている。材料はタラよりも安い魚か、一匹から何枚もの白身魚フライが作れる大型魚だ。具体的に言えば、深海魚のホキ、オヒョウやオオナマズ、そしてナイルパーチ」
「ナイルパーチって、スズキのことか?」
「ご名答…と言いたいところだが、実際には近縁種だ。ナイルパーチはアカメに近い種類だ。英語圏の人間は、日本人ほど厳密に魚の種類を分けないからな。スズキもアカメも全部パーチだ。味はスズキに似て淡泊。フライやムニエル、フリットの材料にもってこいだ」
「なるほどな」
「どの魚を使ってると言えないから、全部ひっくるめて白身魚のフライと言ってるんだ。それならどんな材料を使っていようが、白身魚なら問題ない」
「なんだか、詐欺みたいな話だな…」
「加工食品は原材料と生産国の明示が義務づけられているが、対面販売されるお総菜や外食で提供されるときにはその義務がない。そこをうまく突いたやり方だと言える。だから一口に白身魚のフライと言っても、それがなんの魚か、分からず食べてる人は多いだろう。もちろん、俺も味で魚が分かるほど舌は肥えていない。タラかどうかくらいは分かるが」
「でも、安全なのだろう?」
「もちろん、おかしなものを食べさせられているわけじゃない。どの魚も高級魚とは言えないが、どれもそれ独特の味がある。これらの魚は、日本のみならず世界各国で料理の材料として使われているから、食べる分には一切問題はない」
「確かに、白身魚フライは俺も好きだ。安いし」
「そもそも、こういう怪しげな白身魚フライが出回るのは、お前が今言ったように、消費者が安い食品を求めているせいだ。企業としては、その要望に応えられる商品を用意するしかない。資本主義の結果だよ。その冷凍食品作っているのは、共産主義国の中国とベトナムというのは、皮肉な話だけどさ」
「なんか、お前さ…山岡さんみたいだな」
「三時間待ってください。本当の白身魚フライを食べさせてあげますよ」
鷹野はニヤリと口角を歪めた。
ルアー釣りをしている少年からシーバスを譲ってもらった。それは宣言通り、「白身魚のフライ」となって、釣り上げたハゼと共にお昼のおかずとなった。
だが、その前に、事件は起きた。