メイドと釣り芸人
夕方になり、部屋を出た。17時といっても、日はまだ高い。蝉の声は、いよいようるさい。
京王線に揺られ新宿に着いた。改札を出てメトロプロムナードを歩き、スタジオアルタの出口から地上に出た。
有名な歌舞伎町一番街の電飾アーチをくぐり、劇場通りを歩く。セントラルロードの方が歩きやすくバイト先にも近いのだが、わざわざ劇場通りを通るのは村神のちょっとしたこだわりであった。
劇場通りの由来となったコマ劇場は、村神が上京する前に取り壊され、今年4月に新宿東宝ビルとして生まれ変わった。その、東宝ビルの向かいに、村神のバイト先である「らいとΩOne」がある。
「らいとΩOne」は日本で始めて「トーク系ライブハウス」という営業形態を作った店だ。お客は座席でお酒を楽しみながら、出演者のトークや芸を堪能することができる。
芸人のライブをはじめ、芸能人や文化人の対談やトークショーや映画上映会などが開催される。オタク文化との親和性も高く、最近ではアニメやゲームを題材としたイベントも多数開催されれている。
出演者も有名芸能人から地下アイドル、政治家からアナーキスト文化人、反戦活動家から愛国主義者まで「出る者拒まず」の姿勢で知られる。メジャーな劇場では開催できない、出演者がが拒まれるイベントでも、らいとΩOneは引き受ける。それがゆえに、カルトカルチャーファンには聖地とまで言われている。
東京の芸能文化、とりわけ映像の世界に憧れていた村神は、芸能・放送関連では日本随一と言われる、某大の芸術学部映画学科に入学した。子供の頃から父親のハンディカムを使い、独自の映像作品を作っていた村神は、技術試験も難なく通過し、憧れの映像業界への扉を開いた。
しかし、そこで待っていたのは都会の誘惑であった。悪友の誘いに乗り、コンパと言っては大騒ぎをし、歓迎会といっては深酒をする。授業をサボり、気がついてみれば単位はギリギリ。3年生になるまで、留年がなかったことが不思議なくらいの成績であった。
こんな自堕落な生活ができるのは、両親の経済力のおかげであった。元庄内藩士の家で大きな農地を持つ生家からの仕送りは、大学生が都会で暮らすには十分な程であった。しかし、二年生までのひどい成績に父が怒り、家賃と最低限の生活費以外は入れないと宣言してきたのである。
それにしても他の学生に比べて十分すぎる条件ではあったが、社会勉強と遊びの資金を稼ぐため、今年の春からここでバイトを始めた。
将来芸能や映像で生きていこうと考えている村神にとって、らいとΩOneはうってつけのフィールドであった。出演者やコンテンツと、その観客の反応が生々しく肌で感じる事ができるからだ。
今日のイベントは「すなめり」という芸人の、細かすぎて伝わらない物まねショーであった。釣り名人や鷹匠など、その業界では有名らしいアウトドアの達人の物まねをする「すなめり」は、本人が分からなくても笑いが獲れるフレーズと、本当に似ているか分からないけど大げさなアクションで、一時期テレビ番組にも良く出演していた芸人である。
最近はアウトドア達人の物まねが講じて、自分自身もアウトドアライフに没頭、物まねをしていた釣り名人に弟子入りし、現在ではランカーバスを釣り上げるほどの腕前となった。釣り雑誌での連載も持ち、本格的なアウトドアイベントにもゲストとして呼ばれるようになった。テレビへの出演機会は減ったが、活動の幅は確実に広がっていると言える。
「テレビもさ、昔ほど絶対的な存在じゃないよね」
リーフレットを見やった後、彼女は別の手で灰皿のタバコをつまみ上げた。
「ネットがあるし、日本人のエンターテインメントに対する考え方も変わってきたし。自分を表現できる場所はそこかしこいあるもの」
彼女の「エンターテインメント」の発音がヘンだと思った。彼女の話し方は、たまにどこか、イントネーションがおかしかった。
黒いロングスカートのメイド服は、いわば彼女の制服であった。この店に入った時、自分から店長にメイド服でやりたいと直訴した。もちろん、メイド服も彼女の自前である。
「メイドがたばこ吸うの、そんなにおかしい? UKのメイドは、19世紀にはアヘン吸ってたのよ」
そう言いながら、灰皿の底に吸い殻を押しつけた。
メイド店員、大久保陽菜がこの店に来たのは三ヶ月前。以来、ロングスカートを翻し、客席の合間を軽やかなステップを踏みながらサーブする彼女は、らいとΩOneの新しい名物になっていた。
長身でスレンダー、顔もそれなりに整っている彼女は、客席にいるだけでも華があった。今では彼女目当てにお店に通う客もいるくらいだ。
そんな彼女が、タバコの代わりに手にしたのは、左右に大きなヒレがついたカチューシャだった。それを、なんの躊躇もなしに頭に装着すると、休憩室の片隅にある姿見の前に立った。
首を動かし、カチューシャの微調整をする陽菜。「よしっ」とつぶやくと、くるっと一回転して村神の方に向き直った。
「どうよ。萌える?」
「ごめん、ちょっと気持ち悪い」
村神は素直な感想を帰した。だが、陽菜はそんな村神の言葉を聞く前に、鏡の方へ向き直り、「アップにした方がいいかなー」と言いながら、背中にかかる長い黒髪を、アップにしたり、結ったりしはじめた。
「今やってる「上陸!ディープワン娘」意識してみたんだけど、やっぱ魚はダメかぁ」
そう言いながら、ポニーテールを作る。
「こうすると、尾ひれみたいじゃない? 完成度アップ!」
再度、村神の方に向き直った。
「いや、大久保さんがそういう萌えを意識した格好するのがちょっと…」
全てを言い終わる前に、魚ヒレカチューシャが村神の目前を横切った。それは、タスッと軽快な音をたてて、再び陽菜の手の中に戻った。
「ま、トモアキは、私の素を知ってるからね。でも、すなめりさんとお客さんにはきっと大好評なはずだよ!」
よく分からない自信を持ったまま、陽菜はサムアップしながら控え室を出ていった。本当にあの格好で、すなめりに挨拶にいくつもりなのだろうか。
「…なんだい、あのヒレ」
入れ替わりに入ってきた店長の反応は、ごくごく普通の疑問であったと言えよう。
「そろそろ入場時間なので、チケットの確認と当日券の販売頼むよ。三人ほど招待客が来ているので、忘れないようにね」
そう言って、手書きのリストを差し出す。プロアングラーが2人、釣り雑誌の編集長が1名。プロのうち一人は、おそらくすなめりの師匠だろう。
楽屋に寄ってすなめりとマネージャーに挨拶した後、ライブハウスのドアを開けた。
入口には、開場待ちのお客が10人ほど待っていた。その先頭にいたのは、招待客の一人であった釣り雑誌の編集長だった。楽屋でインタビューをさせてほしいと言ったので、案内を先輩店員の葦堀に引き継いでもらった。
「ええと、大人一人で」
開店前に並んでいた最後の一人は、当日客であった。ほっそりとした顔に、どこか憂鬱な雰囲気のある男だ。どこかで見た事があると思いつつ、村神はチケットを渡した。
「ダボハゼさんじゃない?」
入口の様子を見に来た陽菜が、端の方に座る「彼」を見る。
すなめりはかつて、「すなめり&ダボハゼ(略称すなダボ)」というコンビを組んでいた。揚々と大げさなアクションをするすなめりに対し、存在感薄いダボハゼが突っ込むというスタイルだったが、特に衆目を集めることなくやがて解散。
数年後、すなめりが「釣り師ものまね」で脚光を浴び、リベンジ復帰するわけだが、その時にはすでに相方は芸能界を退いた後だった。
あまり芸能人に興味なさそうなのに、よく知っている。
「私、その月の出演者のプロフィールと経歴、全部チェックして覚えてるから」
すなダボを知ったのも、今月に入ってからだという。仕事熱心な陽菜である。
「やあ陽菜タソ、きたよ! 今日はすなめりさんだからブラックバスのコスプレ??」
「違うワン! ディープワン娘だワン☆ お前達もルルイエに引きずりこんでやろうかワン♪」
突然、「営業用」のアニメ声で決め台詞を言い放ち、陽菜は頬をへこました。後から聞いたところによると、これは作中のキャラがやる「インスマス顔」のマネだそうだ。
「アハハ、正気度に自信がないから遠慮しておくよ。店員さん、大人二枚でよろしく」
「まいどあり」
チケットを受け取った常連客は、陽菜に腕を組まれて店内へ入っていった。
村神にはさっぱり理解できないやりとりだったが、陽菜と常連客の間では、あれでコミュニケーションが成立していたようだ。
(おそるべし、大久保陽菜…)
あんなに簡単に自分が変えられたら、きっと人生は楽しくなるのだろう。だが…
「好きなんだよね、こういうの。違う自分になれる気がして」
メイド服について聞いた時、彼女はそう村神に言った。その表情に、少し陰が差していた事を、彼は見逃さなかった。
彼女は、村神と違い社会人だ。ここの仕事の他にも、いくつか掛け持ちしていると聞いているが、詳しくは分からない。それ以外でも陽菜は自分の事を、あまり話してくれない。
これまでどのような生活を送り、どんな経緯でこの店でインスマス顔のマネをするようになったのか。興味はあったが、聞いてはいけない気がした。
開演時間となった。150ある客席はその半分が埋った。世間はお盆休み前のラストランの最中だ。仕事が片付かなくて、間に合わなかった人もきっといるだろう。そのまま村神はチケット係として入口に待機することとなった。
「この前、弥仲湖に行ったんですよ。知ってますか? 栃木県と群馬県、そして茨城県、埼玉県の三県にまたがる大きな湖なのですが…」
思わず、会場の方を見てしまった。
「20年ほど前、あるアイドルが渡良瀬橋という歌を歌ってましたね。あの渡良瀬水系にある湖で、ここがバスの聖地なんですよ。駅前の野州屋というお店があって、ここもバサーには有名なお店なのですが…」
バス釣り界隈の情報が分からなければ全く理解も笑えもしない「細かすぎる」トークを披露するすなめり。陽菜は、さっそく客の注文を取って回っている。
それにしても。まるで狙い撃ちしたかのように、昨日の村神の行動と辿ったようなトークをする。
刹那、ピンクのロッドとチワワン・リバーの事を想起した。考えすぎだろうと思い、首を横に振った。もしかしたら楽屋で挨拶した際、弥中湖に行った話をしたので、それで気を利かせてくれているのかもしれない。すなめりはサービス精神旺盛なことでも知られていた。
「やー、もう始まっちゃったのかぁー!」
入ってきたお客が、ステージをの方をのぞく。ずんぐりとした、真っ黒に日焼けした男である。
「あ、多分招待されてると思うんだけど、若月五郎ってもんです」
胸ポケットから名刺を取り出し、愛想笑いをするこの男は、招待客のプロアングラーだった。もしかしたら、すなめりの師匠かもしれない。
「会場入って右手に招待席がありますので、そちらにおかけになってください」
丁度葦堀が来たので、席の案内をお願いした。壇上のスナメリも、若月の姿を認めて軽く会釈をしていた。
「では、そろそろ物まねをしましょう。まずは皆様おなじみ、「バスは、俺のルアーを大口開いて待っている!」日本一のバサー、若月五郎!」
すなめりおなじみの口上が始まり、割れんばかりの拍手が会場に響いた。
1時間が経過した。中休みとなり、すなめりは楽屋に戻った。若月も葦堀に案内され、楽屋に行ったようだった。釣り雑誌の編集長、木内徹は、一人残された招待席で、らいとΩOne名物「こってり激濃!ソース焼きそば」を頬張っていた。
店としては、この時間が稼ぎ時になる。演目が終わり一息ついたお客が、思い出したように料理やドリンクの注文を行うのである。先ほど以上の機動を見せ、時には彼女とお近づきになりたいファンを上手にあしらいながら、ディープワンメイドの陽菜は忙しなく客席を回っている。店長も壇上にあがり、オススメのメニューを紹介する。
開演時間の半分を過ぎ、客席は八割埋まった。前売りチケットのお客は、全員来場済みだ。残りの1時間はだいぶヒマになるだろう。サーブの手伝いを頼まれるかもしれない。
ステージ横の物販ブースにも、お客が集まっている。対応しているのは、すなめりの奥さんとマネージャーだ。
テーブルの上には、すなめりが釣り具メーカーと共同開発したルアー、そして今日の招待客である木内が編集長を務める釣り雑誌、若月たちプロアングラーが出演する釣り紀行番組のDVDなどが並んでいる。グッズを物色するお客の中にダボハゼもいたのだが、存在が透明すぎて、奥さんもマネージャーも気づいていない様子だった。
そういえば、もう一人の招待客はまだ来ていない。
「柳川英治」。店長の手書きリストにチェックマークがついていないのは、このプロアングラーだけである。
木内が席を立ち、陽菜に何かを尋ねている。どうやらトイレに行きたいらしい。陽菜にお礼を言って、木内は会場奥へと歩いていった。物販ブースでは、ようやくダボハゼの存在に気づいた奥さんが、嬉しそうに手を握っている。ダボハゼは、はにかんだ笑いを返しているだけのようだが。
そんな時だった。村神のスマートフォンが、突然「エーデルワイス」を奏で始めた。急いでミュートにする。「着信音」は会場の雑踏に混じり、誰にも気づかれなかった。
エーデルワイスを着信音に設定した覚えはない。このスマホのデフォルト着信音もエーデルワイスではない。なにより、着信の履歴がなかった。
嫌な予感がした。画面を見ると、昨日撮った例の釣り竿の写真が写っていた。
あまりに奇妙な体験だったので、ネットの賢者達に尋ねようと、撮影してTwitterにアップしたのである。もっとも、「なにそのピンクwwwwww 明るすぎwwww」という、ゼミの悪友からの、役立たずな反応しか返ってこなかったが。
写真は、左上の角に竿先を伸ばしている。
(あれ…?)
写真に若干の違和感を覚えた村神のところに、息を切らした葦堀が駆けてきた。
「すなめりさんが倒れた。ライブは中止だ」