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釣戦士 ミスター太公望  作者: 赤蟹
3/11

黒革の本とロッドのマーク

 夫のジョージが、赴任先の日本で行方不明になったという知らせを聞いたのは、午後6時を回った頃であった。

 魚嫌いな夫がいないし、自慢のニシンのパイを焼こう。子供達は喜んで食べてくれるわ。ボールで寝かしたパイ生地をこね板に載せ、ローリングピンを取り出した時だった。

 「4日前の休暇以来出社せず、電話にも出ないもので…。ご自宅の方に、何かご連絡はありませんでしたか?」

 パンパ・ジャパンの副社長からの電話だ。

 一年前から、夫はなにか悩みを抱えているようだった。会社で、うまくいってないような事もこぼしていた。自然保護や環境活動にのめり込むようになったのは、その数ヶ月後のことだった。会社を休み、自作のプラカードを持ち、日系企業の前でデモに参加するようにもなった。

 すこし短気だけど、デイジーにとっては良い夫だった。子供の面倒はよく見てくれるし、何より根が優しい。デイジーの料理もおいしそうに食べてくれた。動物を愛し、汚した小鳥を独学で治療し、空に返したこともあった。

 幼なじみと結婚した事を、みんなは「とてもファンタスティックなことね」と羨ましがってくれたし、デイジーもちょっとした自慢気だった。

 そんな夫が、環境保護活動に参加するようになってから、気が変わった。些細なことで子供を叱り、手をあげることもあった。帰るのも遅くなった。

 浮気を疑ったこともあった。しかし、その考えはすぐに否定された。

 ジョージは遅くかえった日、必ず「CHIHAUHA'N RIVER」の小冊子を持って帰ってきたからだ。


 4日後、デイジーは弥仲湖で愛する夫の死体があがったという、悲報を受けることになる。



 夏休みは半ばにさしかかりつつあった。8月も10日を過ぎ、日差しはますます強くなる。

 北関東での釣り修行を終え、村神は世田谷のアパートに戻ってきた。明日から一週間バイトをし、後半の南関東釣り修行の資金を蓄えるためだ。

 京王線代田橋駅前にある木造アパート「ローズガーデン代田橋」が、村神の住まいであった。

 バブル期に作られたらしいこのアパートは、投資用らしく部屋がせまい。ローズガーデンという名前のわりには、決められた体積内にどれだけ住人を押し込めるか、という事しか考えていない、専有面積の狭いアパートである。

 代わりにユニットバスの上にロフトがついている。天井が低く、布団を敷くか、物置くらいにしか使えないが。

 釣り道具をロフトに片付けた後、ノートパソコンを広げた。チワワン・リバーについて、調べるためだ。


 今から五年前、ロンドン在住のエジプト系女性、マリア・ペンドルトンの呼びかけで、チワワン・リバーは結成された。

 オックスフォードストリートにオフィスを持つ占い師のマリアは、IT化を代表とする技術により、急速に進化する人類文明が、地球により大きな負担をかけ、いずれは破滅を招くとする「予言」した。そして、まずは先進国であり、そして捕鯨国でもある日本に大きな災厄が訪れると告げた。その予言は、マリアの友人たちの他、彼女の元を訪れる顧客全員が聞かされたという。

 その一ヶ月の後、東日本全域に大きな被害をもたらした東日本大震災が発生する。

 「マリアの予言」は瞬く間にロンドン中に広まり、マリアの信者を増やす事となった。

 彼女は90年代に流行した「ガイア理論」を一歩進めた「ガイアニズム」を発表。ガイアニズムの全貌は明らかにされていないが、彼女の言葉の端々に、ガイアニズムが顕現している、とされている。

 彼女はいつも黒革で装丁された鍵付きの本を持ち歩いているが、そこにガイアニズム全てが記されていると言われている。

 この時集まったマリアの信者が、後にチワワン・リバーの初期メンバーとなる。

 チワワはマリアが最も愛する犬種であり、そして最も霊的な存在であるとされる。川は、母なる大海から伸びる生命の象徴である。そのため、この二つは団体の名前とマークに使われることとなった。


 チワワン・リバーの名を有名にしたのは、二年前に起きた、台湾籍の大型漁船を北太平洋で沈没させた事件だ。

 チワワン・リバーは衝角のついた小型高速船で漁船に突撃。喫水線下に大穴を空け、船を沈めたのである。その後の犯行声明で、チワワン・リバーは「漁船が無差別に魚類を捕獲し、多くの魚種に絶滅の危機を与えた」と発表。撃沈された船が所属する台湾の漁業組合は猛抗議し、チワワン・リバーに対し損害賠償と謝罪をするように通告した。

 その後は日本の捕鯨船に化学薬品の入った擲弾を放ったり、ベトナムの漁船にロケットランチャーを撃ったりと、海賊顔負けの活動を行っている。

 陸上でも様々な活動をしていると言われ、日本の捕鯨拠点に爆弾をしかけるなど、世界で最も過激なエコテロリストとも言われている。

 また、彼らはインターネットの力も大いに活用している。Youtubeでは彼らがアップロードした「戦う理由」と題された多くの動画が公開されている。そこには、漁船や捕鯨船、また捕鯨拠点で撮影した「監視映像」をアップ。特に中国の毛皮工場で潜入撮影された映像は大きな話題となり、欧米のセレブたちが「No Fur」を表明するなど、センセーショナルな活動のきっかけとなった。

 いや、むしろ彼らの活動はすべてセンセーショナリズムによって骨格づくられていると言っても過言ではない。攻撃的な活動も、必要以上に煽る動物虐待や自然破壊への問いかけも、人間の「善人でありたい」という気持ちを刺激するように、入念に計算尽くされ、配置されていた。


 ノーブリス・オブリージュの考えが定着している欧米では、資産を持つほどに「善人」としての自覚が必要となる。それは真に善良な活動を揺籃すると同時に、シー・ブレードやチワワン・リバーのようなエコテロリズムの苗床にもなる。

 先月解任されたナンシー・サンダース駐日アメリカ大使は、二年前の赴任直後より、公然と日本の捕鯨を非難し、物議を醸し出した。彼女はサンダース元アメリカ大統領の娘であり、その発言は米国の公式な見解かと日本政府が不快感を示し、アメリカ政府が「公式」に否定するに至った。

 その後もサンダーズ大使は捕鯨を非難する言動を繰り返し、各地の捕鯨拠点を「視察」、代表者と議論する事さえした。彼女は駐日大使になる以前より、積極的に慈善活動を支援し、特に動物実験と捕鯨に対し、強く非難する事で知られていた。

 彼女が駐日大使を希望したのも、自ら捕鯨国に乗り込み、捕鯨活動を禁止に追い込むためであると噂されていた。そんな彼女を実際に駐日大使に任命したのは、現米国政府の失点としか言いようがなかった。

 ホームズの溺死体発見と前後し、彼女がチワワン・リバーや、同様に過激な環境活動で有名な「シー・ブレード」に寄付を行っていた事実が発覚。特にシー・ブレードはアメリカより「海賊」に認定されていたため、大きな問題となった。

 おそらく、彼女は彼女なりに自分の善を全うしたかったのだろうし、捕鯨をやめさせる活動は絶対善だと信じて疑わなかったのだろう。彼女は寄付に対しての正当性を訴え、「スキャンダル」発覚後も辞任せず駐日大使の続投を表明していた。

 しかし、アメリカ政府は彼女の更迭を決定した。時には日本政府批判を堂々と行うなど、様々な「奇行」で話題となった彼女であるが、その根底にはおそらく彼女自身の、金科玉条の善があったのだろう。だが、それは独善とも言えるものであった。米国に戻った彼女は、いまだ「次のポスト」は用意されず、無役のままである。


 シー・ブレードはチワワン・リバーに先行して活動していた環境保護団体である。世界最大の環境保護団体グリーン・アースを脱退したカナダ人、アラ・ホームズは、グリーン・アースのやり方では地球環境は守れないとし、「文明との対決」を表明。シー・ブレードを結成する。

 だが、そのアランは今年の3月、南氷洋にて溺死体で見つかった。

 シー・ブレードは特にノルウェーや日本の捕鯨に対する攻撃活動を行っていることで有名である。

 その代表が、捕鯨に対する抗議活動中に、日本が活動する海域で死んだ。

 シー・ブレードは即座に日本政府と捕鯨関係者を攻撃する声明を発表した。しかし、ホームズが溺死したと思われる付近では捕鯨は行われておらず、日本の関与は薄いと、調査を行ったニュージーランドの沿岸警備隊が発表。これに対し、シー・ブレードは「ニュージーランドは日本のカネに頬を叩かれた」と非難する。もっとも、これは見当違いの非難であり、シー・ブレードは即座に取り下げることになった。

 チワワン・リバーの関与を疑う説も当然あった。

 両者は活動資金の調達面で、言わば競合の関係にある。非営利団体とは言え、活動資金がなければ何もできない。「慈善家」たちの懐の上限も決まっている。実際、どちらの団体にも寄付をしているとある富豪が、たまたま居合わせた両団体の「寄付担当者」が、その場で激しく口論し、果てには取っ組み合いとなったという噂もある。

 チワワン・リバーやシー・ブレードの活動が過激化する背景には、寄進者の満足感がある。彼らの行動がより過激で、かつ環境保護に貢献していれば、寄進することに大きな価値と、良心を満足させることができる。

 寄付とはすなわち、善行を代行してもらう行為である。自分が善人である事を証明するために、善な行いに資金を提供し、善を成してもらうことで霊的な満足感を得るのである。

 この考えは、多神教である日本人には理解しがたいが、欧米人には極普通の感覚であると、同じゼミのマイケルが言っていた。


 ともあれ、チワワン・リバーの背後には様々なものがあり、その最大のファクターが、占い師マリアの予言にある、という事が分かった。

 これまでなら、ふざけたオカルト話だと、鼻で笑っていただろう。

 しかし、あの日弥仲湖での体験を思い起こすと、マリアの予言も霊的ななにかも、全てを嘘とは言い切れないのではないか、と思えてくる。

 実際、あの時、ケン・カイコー老人にもらったロッドは、今もロッドケースの中に入っている。

 「うーん、見た事ないなぁ。このタイプの竿は」

 朝に二万円のロッドを購入した釣具店の店主に、ケン・カイコーの竿に鑑定してもらった。湖の最寄り、蒲生大学駅の側にあるショッピングモールの釣具店である。

 詳しい経緯は当然言えないので、近くで釣りをしていた老人から譲られた、という事にした。

 「うちに入れてもらってる卸じゃ、取り扱ってませんね。こんな、竿先だけピンクのロッドなんて、見た事ないですもの。ついてるリールも、失礼ながらそんなに良いものではないですし」

 クルクルと竿を回したり、伸縮したりしながら、店主は言った。

 「でも、普通の竿ですよ。大きな欠陥もないし、予備の竿として使う分にはいいんじゃないですか? 振り出し式で小さくなるし、ロッドケースにいれても邪魔には…」

 鑑定が終わり、竿を縮めている途中、何かを見つけて店主は手を止めた。

 「これ、メーカーのマークかな?」

 エンドキャンプを指さし、村神に見せる。

 そこには、五芒星の中に、<S>と描かれたマークがついていた。

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