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釣戦士 ミスター太公望  作者: 赤蟹
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ミスター太公望・雷誕!

ミスター太公望・雷誕!

 

 西の空より、暗い雲が迫っているのを、村神智明は知っていた。

 大学の夏休みを利用して、彼は関東各地の、バスの釣れる湖沼を転々としている。前半は北関東を、後半は南関東のバスポイントを巡るつもりだ。

 驚くべきことに彼は、釣りを始めてに一年になるというのに、いまだ釣果がなかったのだ。

 同時期に釣りを始めた友人の中には、すでにランカーバスを釣り上げたヤツもいるというのに。日が暮れ、空のままのバケツをのぞき込むたびに、彼は悔しさと屈辱に震えた。

 「オレだって、キャッチアンドリリースがしたいんだよ!」

 雲の下は豪雨でかすみ、時折青白い雷光が、空を断ち割るように中空を走る。嵐は、近い。

 「まずいな‥‥」

 その言葉は、少なくとも三十分前に出ていなければならないものだった。村神のつまらない(しかし本人にとっては最重要な)意地の結果が、これであった。

 雲足は速い。遠くの山にかかっているようにも見えた暗雲が、今にも村神の頭上を覆いそうである。

 「だが!」

 村神は、右手に握った釣り竿を頭上に振り上げた。

 「せっかく二万円も出して買ったカーボンロッド! 一匹も釣らずに帰れるかぁ!」

 それが、村神の、稚拙な意地であった。

 カーボンロッドの先についたスピナールアーが、風を切る音とともに、波打つ湖面に向けて飛んでいく。

 激しい波と風にラインが揺らぐ。が、バスの手応えは全くない。この天候では、バスも湖底に逃げているはずだ。

 だが、釣りビキナーの村神にはそれがわからない。今の彼の頭を支配しているのは、新調したこのロッドでなんとか一匹釣る、ということだけであった。

 本降りになってきた。湖面に無数の王冠が浮かび、村神の体も冷たく濡らしていく。

 「ボウズはもう…いやなんだ!釣りの神よ!オレに釣り上げる力を!」

 魂の底からあふれたかのような声を張り上げた直後、ビクンと、竿が震えた。

 根掛かりか? いや違う。振動は明らかに、生命的な鼓動をもっていた。リールからラインが伸びていく。その先にいるヤツが引いているなによりの証拠だ。

 「うおおおおおおおお!」

 顔面に大粒の雨を受けながら、村神はカーボン製のロッドを振り上げた。

 その時であった。

 不意に空が白く光り、雷鳴が辺りに轟いた。

 「なっ!」

 轟音にはじかれたように、村神は咄嗟に上を見上げた。黒雲が村神の頭上を覆っていた。その雲の腹が、雷光で白く輝いた。

 瞬間、村神の体は、強烈な痺れと熱に苛まれた。振り上げたままの右腕が、そのまま化石したかのように動かない。竿を握る拳が強ばっていく

。視界は、濃霧がかかったかのように真っ白で、その白色以外にはなにも見えない。

 なにが起きたのか、そんな事を考えるヒマさえなかった。

 視界は闇に閉ざされた。だが、村神の中には恐怖はなかった。彼はいまだ、自分に起きた不幸に気づかずにいた。


 次に視界が開けた時、村神は、貧相な裸体をさらして、重たい液体の中に閉ざされていた。

 呼吸はできる。だからそれは、単なる感覚かと思った。

 皮膚の上を、わずかにぬめりを帯びた、ゼリー状の液体が流れていく。しかし、不快感はなかった。それどころか、その奇妙な半固形物に包まれていると、むしろ安心感さえ覚えるのだった。

 視界にうつるのは、ただの闇だった。この液体が、光を遮ってしまっているのかもしれない。だが、そんな村神の予想は、次の瞬間には砕かれてしまった。

 なにも見えない、と思った直後、彼の視線の先に、まばゆい光の固まりが現れた。白とも緑とも言えない、奇妙な色彩の楕円の光は、まるで彼に近づいてくるかのように、少しずつ大きくなってゆく。

 その光を見た時、村神は自分が雷に打たれたことを悟った。

 振り上げた、誘電性の強い炭素のロッドが稲妻を引き寄せてしまったのだ。

 (うおおおお、なんてことだ!)

 うかつだった。こんなことなら、カーボンロッドに貼られた誘電注意のシールを剥がさないでおくべきだった。

 「へー、このロッドは雷落ちるんだ。でも雷の中で釣りする程、オレバカじゃないし」

 シールを剥がすとき、彼はこんなことまで言っていた。三時間後、そのバカの仲間入りすることなど思いもせず。

 光はますます肥大化していく。村神の背丈ほどになったところで膨張は止まった。

 それは、ゆっくりと人の形になった。太った、老人の姿だ。見栄えのしない衣服とまとい、穴のあいた麦わら帽子をかぶっている。頬がせり出た丸い顔には、やんわりと笑顔を浮かべている。

 (誰だ! あんた?!)

 だが、言葉は声にならなかった。口は動くが、液体が音を吸収してしまうのだ。

 (私の名は、ケン・カイコー)

 しかし、老人は村神の「声」に答えた。老人の声は、直接村神の頭に鳴り響く。おそらく、村神の声も、こうしてケン・カイコーと名乗った老人に聞こえているのだろう。

 (ここはどこだ。オレは、どうなっているんだ?)

 (今日は釣りをすべき日ではありませんでした)

 ケン・カイコーと名乗った光の老人は、村神の問いを完全無視して話をし出した。

 (おかげで、あなたの声がよく聞こえてきました。普段は、釣れたサケを持ち帰りたいとか、ブラックバスを元々いない池に逃がしたら釣りが楽しめるとか、シラスウナギをこっそり捕っちゃおうとかなとか、いろんな、釣り人のいろいろなお悩みが聞こえてくるのですが)

 (どれも犯罪じゃん!!!)

 しかも最後のものは、釣りとは関係がなかった。

 (そういえば、あなたは、雷に打たれて死にました)

 何かのついでのように、ケン・カイコーは答えた。

 (そんなあっさり言われても、実感全然ないんですけど…)

 実際、意識はハッキリしているし、チグハグだがケン・カイコーとの会話もできている(成立しているかは微妙だが)。

 (無理もありません。アナタは本当の意味で、生と死の境…つまり、神界、ゴッドスフィアにいるのですから)

 私のおかげです、とばかりにケン・カイコーはドヤ顔を見せた。

 (そして、たった一つだけ、あなたを現世に戻せる方法がある)

 (それは…?)

 (あなたは、まだ完全に死にとらわれていない。今なら、引き返す道もあるということです)

 (いや、だからその方法を…)

 (死にたいのでしたら、右手の川底を登ってもらえば、三途の彼岸に出られます。ここ、三途の川の川底ですので、あの世とのアクセスは抜群ですよ?)

 (死にたくないので蘇る方法教えてください)

 まだ、バスを一匹も釣ってないのだ。どうせなら、ボウズを脱出してからあの世に行きたい。

 (それは、大地と水が、あなたの力を必要としているからです。そう‥‥、あなたは偉大なる自然に、正義の釣り人として選ばれたのです!) (な、なんだって!)

 会話は全くかみ合ってなかったが、とりあえず驚いた。

 雷に打たれて死んだはずが神界(ゴッドスフィア。正体は三途の川底)に連れ込まれ、パンパカパーンと正義の釣り人に当選したというのだ。驚くなという方が無理だろう。80年代の漫画並みの超展開だ。

 (か、からかうのはよしてくれ。一介の釣り初心者であるこのオレが…。)

 (あなた、魚に優しいから…あなた、一度も釣りで魚を傷つけてないから…)

  要するにボウズだから、という理由なのだが、「正義」という言葉にのぼせている村神はそれに気づかない様子だった。男の子は、みんな「正義」が好きなのだ。

 (日本は今、恐ろしい環境保護秘密結社「チワワンリバー」の標的にされているのです。自然を狂信的に愛する彼らは、釣りを動物の虐待と決めつけ、釣りを楽しむ人間に不当な危害を加えているのです!)

 (魚に優しい人間を求めるのなら、「チワワンリバー」の活動は正義じゃないのか?)

 これも、村神なりの皮肉であった。だが、ケン・カイコーは不機嫌になる様子もなく、言葉を紡ぎ続ける。

 (倫理は、一部の人間の正義によって決められるものではないのです。ましてそれが、独りよがりの勝手な思想であれば‥‥なおさらです。大地は、彼らの掛け違いの自然愛護主義と、偽善的な思いこみに怒っているのです)

 (‥‥)

 ようやく、この老人の言葉の意味がわかった。

 (その、チワワンリバーから、日本の釣り場を守れ。そう言いたいのだな?)

 (そうです。その戦いを通じて、あなたの釣力つりちからも上昇することでしょう)

 (分かった。やろうじゃないか)

 (ならば、この釣り竿を受け取りなさい)

 老人と、村神の間にある、わずかな空間の中に、光輝く釣り竿が突如として現れた。それは伸縮型のバスロッドであった。

 (この釣り竿は‥‥)

 (あなたを、大地と水の代弁者として認めた印です。これを掴んだ瞬間、あなたは正義の釣り人「ミスター太公望」となり、現世に戻れるのです)

 村神は、手を伸ばしかけて、一度躊躇して手を引っ込めた。

 それをつかめば、彼は現世によみがえることができる。願ってもないことのはずだ。だが、これを掴んだ後の、重大な責任が脳裏をよぎり、彼を戸惑わせた。

 現世に戻ったとして、謎の秘密結社との戦いが待っているのだ。大学の単位が心配だ。ただでさえ、留年すれすれだと言うのに…

 (どうしたのです。さあ、つかむのです! ケンコーの罠とか、そんなのありませんから!)

 (ええい、ままよ!)

 意を決して、村神は宙に浮かぶ竿を掴んだ。

 瞬間、村神を再度稲妻が襲った。強烈な閃光に包まれながら、村神の意識は再度、無意識の深淵へと落ちていった。

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