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もせみんと僕 (下)

 冬は嫌いだ。

 もっと言えば、春も夏も秋も。思えば物心ついたときから僕はそうだった。嫌いで嫌いな嫌い。なんて、こんな内省的自分語りにはあまり意味が無いし僕もつまらないので割愛する。事実のみを書けばよい。


 幼い頃から多少の精神的抑圧は感じつつも、これが普通なのだと思って耐えて親元を離れるに至る。人並みに笑顔を作れたし、今でも作れる。あまり社会的地位のある職業ではないが、長寿や結婚などの高望みをしなければ十分に満たされて生活していける水準。僕の世界は気楽であり、同時に停滞していた。そう言えば、大したことではないけれど、僕は昔から女児向けアニメが特に嫌いだった。

 就職して三年が経った頃に最初の違和感を覚える。新人扱いはされなくなり、かと言って急に能力が伸びるはずもなく、僕がオーバーワークに陥ったとき。生来、自身の精神状態に無頓着だったことが原因だろうか、毎日に圧迫感を抱えていてもなお誰かに相談するという選択肢は浮かばなかった。しかし生活は特に変わらなかったし、少しの変化はあったけれど問題は何も無かった。

 僕は鏡と話すようになった。


 鏡の国、と言えばなにやら少女趣味で可愛らしい風景が浮かぶ。

 しかし僕にとっての鏡の国とは、僕という存在が無数に単細胞分裂しただけの真っ白く平面的な世界だった。

「起きたで」

「もう夜明けか」

「おはもせ^^」

 例えば朝、鏡に語りかける。すると鏡が返事をしてくれるように僕が返事をする。脳内に幾万と作り上げた架空存在の内のひとつふたつが僕の声帯を通して現れる。何かを求めるように、僕は鏡の国に浸る生活が続いた。


 甘美な気だるさだった。

 澱んだ水を湛えた僕の心、いや、それが満ちた浅瀬にじゅくじゅくと寝転ぶような汚らわしさと心地よさを備えたひととき。藻を纏わりつかせてそのぬめりに不快を覚え、そのことが逆説的に快さへ導く印象。鏡を見て妙な気分とともに眠りへ就くことだけが精神を健やかに保っていたのではないかと思う。しかしながら、光を反射させるだけの道具は道具でしかない。いつかはその機能が損なわれてしまう。永遠の中にある種の一瞬が一度でもあれば、ある種の結果は必ず訪れる。

 そして、鏡が割れた。


 それから六日後のこと、近所の川へ少女が沈められた。

 報道によると小学三年生で、微量の体液が検出されたらしい。

 ちなみに僕はストラヴィンスキーの三大バレエが好きだ。


 さて。正直に言うと、大したドラマなんて無かった。

 複数の目撃者によって捜査は容易に進んだらしい。僕は予想通り獄中へ入れられ、予想通り極刑へ処される運びとなった。僕は今、この冷たい場所で何かを待っているだけの状態だ。法務大臣の死刑執行命令という、権利の最も根本的な種類である基本的人権にすら勝る何か。半年以内に確実に降って落ちてくるはずのそれは、いつのことになるか予め示されることはない。僕はただ、日常も非日常も無いときが訪れるのを待っている。

 手持無沙汰というのは辛いもので、それは人一人を殺すものになり得るわけであって、しかし今死にたいからと言って誰も殺してはくれないし、自殺する権利すら無い。そして。僕は永遠に思われる箱での生活を微かにでも彩るため、文章を書くことにした。記すのは素直な気持ちだ。取り繕っても仕方がない、どうせ死ぬのだから。

 鋭い人はここで既に、僕がついている嘘に気づいているだろう。

 僕はゴム手袋を着けていない。そんなものは貰えるわけがないですね。正解者に拍手。あまり長くないこの文章、実は三か月ほどかけて少しずつ書き進めている。読み物を書いたことがない、日記すら書いたことのない人間なので、まあこんなものだろう。

 ポテトチップスを食べているなんていうのも嘘だったんだろ、と言ったあなた、半分だけ正解。それを書いたときには食べていなかったけれど、今は食べている。手にぬめるこの脂が妙に愛おしい。コンソメパンチ味だ。妙に湿気ていて塩味がききすぎている。

 執行日は、明日。


 手を石鹸で洗い、何もすることがない。

 座る。

 窓越しに外を眺める。

 桜の咲く。

 少しばかり変わってしまったように感じる。

 陽だまり。

 この微睡みを春暁と言った人。

 眠気と。

 春は夜明けと言った人。

 夢。

 最後に訪れる日。

 明朝。

 それだけを楽しみに、僕は意識を溶かしていった。



 やうやう白くなりゆく

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