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もせみんと僕 (上)

 すべてをりにつけつつ、一年ながらをかし



 冬の早朝。

 それを忘れられたなら、僕はもう呼吸をしていないだろう。でも僕は今もこうやって生きて文章を書いているし、死ぬ予定も今のところ無いし、だから相変らずその記憶を脳にべっとりと付着させたまま生き続ける。

 生きることは食べることである、と言ったのは誰だったか。まあそんなのは誰でもいいし、もしかしたら誰も言っていないかもしれない。人は何かを食べずには生きられない、それはすなわち食べることが生きることと同程度には普遍的であることを示している。

 食べる。僕らは何を食べているだろう。さて、あなたは今、何を食べている? 僕はポテトチップスを食べている。これは余談だが、手に脂が付くのは嫌なのでゴム手袋をしている。脂というのはどうも不快だし、それは本当に必要なものなのか疑問を感じるわけだけど、一般教養で分かる水準の不可欠さではある。理性的には分かるんだけどね。つい話が脱線してしまった。戻すと、つまり僕が言いたいのはこれだけ。ポテトチップスがいつでも食べられるのと同じように、人はどんなときでも生きられるし、どんなときにでも死ねるということ。冬とか早朝とか、本質的には関係ない。見え方が変わるだけ。食べるし、生きるし、死ぬし、殺す。そう。殺し。

 きらきらと輝く空気に包まれ、僕は人を殺した。


 死体は川から上がったらしい。

 画面に映るニュースで見たそれは、どこか自分と関わりないものに思えて少しだけおかしかった。ひたすら関わりを示すためだけに世間へ「僕が殺した」と声を張る自分を想像して更におかしさを感じた。乾燥した空気に水分を持って行かれた唇が微かに痛んだ。それを感じると、喉の痛みも気になった。暖房に設定されたエアー・コンディショナーは今日も淑やか且つ健やかに機能している。加湿器の購入を考える。朝食の食器を片付ける頃には先刻のおかしさが微塵も残っていなかった。ただの日常。ネクタイを締め、出社する。ワイン・レッドのそれは僕の気に入っているものだ。

 玄関を出て鍵を掛けるとき、テレビの音を耳にして電源を切り忘れていたことに気がついた。そして彼女を沈黙させる。テレビのやかましさは女性に似ている。一瞬で活力の失せる画面、そんな世界に妙な寂しさを覚えつつ、僕は自宅を後にした。


「うっわ、きもっ。くさそう」

 午前の業務をいつも通りに済ませ、チェーン店舗のカフェで昼食を取っていると、近いテーブルのオフィス・レディ二人組による頭の悪そうな会話が聞こえてきた。携帯機器で何かの画像を見ているらしい。食事どきの飲食店において吐瀉物やら腐乱死体やら、そんな単語がぽんぽんと飛び出す彼女らの口。僕はホットドッグを噛み千切る。何もかも吐きだす口とは何もかも受けいれる口なのだろうか、と卑猥な想像をしてみる。僕はサンドイッチを頬張る。二つに挟まれる一つ。味わいは夜明けの水平線を秒刻みで照らし広げていく陽の光に似ていた。淫靡なのに爽快、隠秘なのに壮大。その不可思議なイメージは僕の顔に笑みを作ろうとしたので、慌てて抑制する。表情というのは水面にできる模様のようなものだろうか、と考える。要は模様を作らなければ勘付かれることはない。光がただ水面を照らすとき、水中へ意識を向ける人間はいない。僕はただ、やかましい人たちの話を感覚するだけでいい。僕はただ、息を止め続けるだけでいい。何も連想されるものが無くなったので、少し早くはあるものの職場へ戻ることにした。席を立ち、椅子を机下へ入れ、トレーを所定の場所に置いてカフェを出た。一度だけ振り向いてみたとき、犇めく店内において僕の居た席だけぽっかりと空いている様子に何とも言えない心地よさを感じた。

 午後の業務を眠らずに終えられるかだけが目下の関心事だった。


 藻とともに浅瀬で眠っている。

 昼寝で夢を見るというのも不思議なことに思えた。夢と知りつつ夢を見続ける、こういうのを何と呼ぶんだったか思い出せない。めい……明鏡止水? 思い出せない。

 僕はただ、身を委ねていた。

 この澱みに。

 だけれど。

 そして。

 覚醒。

 声。


 異様な空気に包まれていた。この職場という日常を背景にして、くっきりと濃い色で立ち塞がる非日常。見知らぬ二人。片方が持っているものを示す。

 彼はそれを令状と言った。

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