2 帰り道
外の検問所でもパトリ巡査と似たようなやり取りをした後、そのタクシーはラズヴァリの街から走り去った。
街の外にある、ありとあらゆる種類の武器を煙とともに吐き出すノコギリ屋根の工場街を抜け、草原の真ん中を通る舗装された街道を走っていく。このまましばらくは一本道だ。あと一時間は王都に着かない。
車内に酒の甘い匂いが漂っている。運転手は窓を開け、バックミラーをチラリと見た。外の寒い空気が車内に入り込んでくる。
「おい、ダレス。いい加減飲むのやめろ。酒臭くて仕方ない」
運転手はとても客商売とは思えない言葉を客にかけた。さっきまで眠っていたはずの客が、くるまったコートの下から運転手を睨みつける。金色の、縦に裂けた瞳がリッチに向けられていた。
「うるさいぞ、リッチ。少し飲ませろ」
「少しどころか、ここまでずっと飲んでるだろうが。俺は飲めないんだ。気分が悪くなる」
「そんなことは知らん。寒いのを我慢してやるから、お前も我慢しろ」
「なんのせいで窓開けてると思ってるんだよ」
リッチはブチブチと言いながら、また窓を閉めた。助手席の下にヒーターを置いているが、開けていたのではせっかくの温かい空気が逃げてしまう。ついでにまた酒の匂いを捕まえ始めた窓を怨みながら、リッチはバックミラーに話しかけた。
「それにしても、なんでこんなことになった?」
「なにがだ?」
ダレスはコートの中から酒瓶を取り出し、そのまま口を付け、一口飲み込んだ。コハク色の中身がぽちゃんと揺れた。
リッチはため息をついた。
「なぜ失敗したんだと聞いてるんだ。おかげでせっかくの遠出が無駄足だ」
「むう…」
ダレスが居心地悪そうに、もぞもぞと動いた。じろりとバックミラーを睨む。
「その点は、すまなかった」
「どう見てもすまなそうに見えないぞ。何がまずかった?」
「分からん。というか、計画の概略はお前にも話したろう?」
「まあな。お前の計画通りなら、まず失敗しないようには見えたよ。つーか、俺は侵入の時に手を貸しただけだ」
計画はこうだ。
もろもろの問題を解決しながら屋敷に侵入し、目的を果たして、無事に出てくる。いくつかある強盗計画の、もっとも単純で、もっとも人気のやり方だ。たったこれだけのことをするのに、一体どこに破たんする要素がある? 計画や謀略と大仰に言われているモノは、そんな大仰なモノじゃないのだ。ヴァロッサ大学の数学の公式と一緒だ。単純なモノこそ最も強い。それなのにだ。
「それが失敗したんだ。なぜかと聞くのはあたり前だろう?」
「ふむ…」
ダレスはうなり、首を傾げた。
もちろん、ダレスは巧妙な計画は立てられない。それはリッチもよく呑み込んでいたし、ダレス本人も、それはよく分かっている。だからこそ、ダレスの計画は単純なのだ。そしてその単純な計画を確実にこなす。確実に一つ一つをこなすために、あらゆる問題を乗り越える。それはオーガの傭兵が立ちふさがろうが、ちょっと厄介な警備があろうが変わらない。
多少の問題はダレスの計画にとって、舗装されていない道路のようなものだ。走りづらいが、やってやれないこともない。最悪、小石を踏みつぶしてしまえば問題なぞ消えてなくなる。
それは少し荒っぽいやり方だが、だからこそ滅多なことでは失敗することはない。その点をリッチも信頼していた。今回も、いつもより静かだが、その点では変わらないはずだった。計画には何の問題もなかった。なら別のところに問題があるのだ。
「―――お前、この計画、だれから依頼された?」
「うーむ…」
ダレスは渋るようにうなった。こういう義理堅いところはリッチも評価しているし、仲間内でも評判になってはいるが、いまの問題には邪魔にしかならない。ガタガタと道の凹凸がクルマを揺らす。ダレスは相変わらずバックミラーを見ていた。鏡ごしにリッチの空色の眼とにらみ合っていた。
「お前はそれで信頼を守れるかもしれないが、俺は自分の身を守らないといけないんだよ。駄賃の代わりだ。情報よこせ」
リッチははっきりと要求した。今回の計画の首謀者はダレスなのだ。失敗の責任はダレスにあるし、何が起ころうとダレスが悪い。リッチはただ手を貸しただけで責めを追うべき立場にはない。だからこそ計画に口出しもしなかった。
だが、場合によってはその依頼主が、ちょっとした誤解をするかもしれない。そうなった場合、少しの疑惑やら勘違いやらがリッチに及んでくることも考えられる。実際、今までにそういうことがあったりするので油断もできない。しかも相手を知らないことには自衛策も打てないのだ。
しばらくの間、酒のにおいのする車内で金色と空色が睨みあっていた。ガタリと、車が揺れた。
「…分かったから、運転に戻れ。逸れてきてるぞ」
ダレスが最初に目をそらした。そのまま、リッチも前を向く。半分、舗装道路からクルマがはみ出ていた。よそ見運転はいけない。
リッチがハンドルを操って車を道路に戻すと、ダレスはまた酒瓶をあおった。
「…まずな、これは俺の軍人時代の伝手だ」
「ああ、それは分かってる。お前が誰かの言うこと聞いてるって時点で、それはよくわかってたよ」
じろりとダレスはバックミラーを見た。
「話の腰を折るな」
「わかったよ。それで?」
ダレスはまた酒瓶を傾けた。最近、王都で売り出した『うぃすき』とか言う酒で、小瓶だが、あれで結構高い。運搬用のトラックを拝借したのであまり値段は関係ないのだろうが、さっきからグビグビとあおっていた。酒の飲めない身からすれば全くわけのわからない光景だ。そう言えばあの大型トラックをどうしたんだろうか?
そんなことを考えていたリッチに、ダレスは顔色も変えず、甘い匂いの息を吐いた。
「…この依頼主は、モノを取り戻してほしかったんだそうだ」
「なんでだ?」
「そこまで依頼主に聞く義理があるか?」
「無いな。ちなみに、いくらもらう予定だった?」
「それも話す義理はないが、まあ、俺が腰をあげても良いと思う程度のモノだった。何より、細かい部分は向こうが調べてきていたからな。本人たちは、情報が間違いないと言っていた」
「本人たちか?」
ダレスはまた一口が飲んで、そのまま大きく息だけを吐き出した。リッチは少し窓を開けた。
ダレスは言った。
「そうだ。たちだ。一人は男、一人は女。マントを頭からかぶっていて身元はよくわからんが、王都でも金持ちの部類だろう。靴は上等なモノだったし、ごまかすためかもしれんが、ずいぶん香水を付けていたからな」
「香水ね。貴族連中かな? まあ、珍しくはないが…」
「そうだ。俺もそう思った。金持ちはいつも俺たちの常連だ」
「で、そいつらの情報通りなら、今頃お前の目的は果たされていたわけか。では、いよいよ核心だな」
道路の向こうから、大型トラックの車列が向こうから走ってきた。ラズヴァリヘ鉄を運んでくる一団だ。ラズヴァリの大釜は夜でも昼でも眠ることがない。いつも何かを造っているからいつも腹をすかせていて、もうじき食事の時間なのだろう。盛大な晩餐会に向かうレストランのウエイターのようにトラックは整列して走っていく。
ガチャガチャとうるさく走り去る長い行列を横目にしながら、リッチは言った。
「お前の目的ってのは、なんだ?」
「石だ」
「石?」
リッチはまたバックミラーを見た。酒瓶の中身はずいぶん減っている。それを飲み干すと、もう一本、どこからか取り出して開けた。
「ああ、ラピスラズリだそうだ。少なくとも見た目はそうらしい」
「ラピスラズリ…?」
リッチは顔をしかめた。すこし、酒の匂い以外のモノを嗅いだ気がしたのだ。
ラピスラズリは、確かに高価な宝石だった。百年ほど前、貴族連中がよく買いあさったので、今では一家の家宝として家に伝わっていることが一番多い。ひい婆さんか大おばの形見だとかなんとかが、よくその枕詞になっている。
ラピスラズリはこの国、ゼルバニアが大陸で権勢を誇っていたころは、かなり貴重な宝石だった。何せ隣の大陸でしか採れないからだ。おかげである種のステータスシンボルとして金持ち連中が砂糖に群がる蟻のようになって買いあさった。おかげでそれを買いあさった連中が死んだあと、連中が払った金貨の埋め合わせに使われている。歴史のある家なら、一家に一つくらいはその家宝がどこかに転がっているだろう。
「それを取り戻してほしいってのか?」
「連中の話では、そうだ。大おばの母親の形見らしい」
「信じたのか?」
「なぜ依頼人を信じる必要がある?」
「そうだな」
しかし、とリッチは首をひねった。
形見を取り戻してくれというのは、よく、こういう依頼では使われる口実だ。だからそれ自体は珍しくない。だれでもきれいな体でいたいし、悲劇の主人公になりたいのだ。それに何より、その持ち主から買うよりも安く済む。金持ちは節約をしたがるのだ。だから、それはいい。
「―――ラピスラズリを、金庫にね?」
それも、珍しくはない。宝石を金庫にしまう。どこの裕福な家庭でもしていることだ。だから泥棒なり強盗なりは、いつもその金庫を狙う。でも、だ。
「あの異常な警備の金庫にか?」
ケリー男爵の家の警備は異常だった。やりすぎだし、しつこすぎる。普通、あの魔導印一つで済ませる家庭が多い中で、あの傭兵の数や、他のもろもろの仕掛けはさすがの兵器王の自宅でも行き過ぎだ。最初はさすがだなの一言で済んだ。次が来たときはオイオイとなった。最後のオーガの傭兵の時には、もう首を傾げていた。この屋敷は正気か?
「お前、あの警備のどこまで知らされてた?」
「屋敷の見取り図をもらったあとは、金庫の話だけだ。だがそれだけのはずはないなと思った。調べてみると、明らかに厳重な警備だ。だからお前をつれていったんだ」
「まあそうだよな。俺も金庫だけだと軽すぎるとは思ったよ。まあ、金庫の中身が魅力的だったからやったがな」
ケリー男爵の金庫は重いのだ。金庫だけではたぶん中身に耐えられない。そんなことは分かっている。
「…俺が聞いてるのはな。なんでラピスラズリなんて石ころを、あんな金庫の奥になんかしまってたんだ、ってことだ」
「ふむ」
リッチは二本目を飲み干し、酒瓶を放り出して唸った。リッチも唸っていた。
金持ちは常に金庫に宝石をしまいたがる。その点、ケリー男爵も同類なのだから、リッチもてっきり同じだと考えていた。しかし、屋敷の中は警備以外にも宝飾品だらけだし、ラピスラズリの一つぐらいが転がっていても別に大した違いもない。それなのに、わざわざ金庫の奥に―――何をしまっていたんだろうか? それは無かったのだ。
「ダレス。お前、どうする気だ?」
「少し、依頼人と話し合う必要があるだろうと思っていたところだ。お前は?」
「俺も依頼人に会ったほうが、安全だろうな―――いろいろ」
「そうだな」
道路の継ぎ目を踏んで、ガタリとクルマが跳ねた。後ろに積んだ軽いトランクも跳ねた音がした。リッチはめんどくさそうにため息をついた。
「…いつだ?」
「あさってだな」
「じゃあ、その時に。ブローの店か?」
「ああ。そこで、十二時ごろだ」
「わかった」
話は済んだ。リッチはそう判断して、紙巻きタバコを取り出し、咥えた。
指をパチンと鳴らすと、指の先から炎が出た。それをタバコの先の方に当て、軽く吸い込む。先に火がついたのを確認して、火を消した。今度は思い切り煙を肺に吸い込んで、吐き出す。ダレスが渋い顔でミラーを睨んだ。
「おい。臭いがする」
「これくらい我慢しろ」
そう言って、また煙を思いきり吸い込んで、吐き出した。
ダレスが窓を開けた。クルマの中に寒い空気が入り込んでくる。
「おい、閉めろ」
「タバコをやめろ」
二人はさんざん言い合った。タクシーはにぎやかに暗闇の中を走っていく。
遠くに、ぼわっと灯りが浮かんで来るのが見えた。タクシーはそこを目指し、ひたすら走り続けていた。




