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1 職務質問

 夜警勤務5年目のバジル・パトリ巡査は暗い夜道を歩く勤務中、目につく限りのタクシーを呼び止める。大抵のタクシーが、何らかの問題を抱えているからだ。そういう問題は上司へのいい手土産になる。

 冬の寒い夜。今日もパトリ巡査は、その手土産候補のヘッドランプを見つけた。たとえ街で大事件があったとしても、こういった通常業務は、おろそかにはならないのだ。

 遠くの空がパトランプで赤くなるのを横目にパトリが手を挙げると、石で舗装した道路をごとごと走ってきたその黒塗りのタクシーは速度を緩め、巡査の立っている歩道のところに横付けした。パタパタと音を立てて車は止まった。パトリが窓をたたくとガコッとクラッチの外れる音がして、運転手が窓を下し、身を乗り出してきた。


「どうかしましたか?」


 その運転手の顔を見たとき、パトリ巡査は「おや?」と思い、ピクリと眉をあげた。帽子で顔が隠れているが、それでも目立ったのだ。

 たいていのタクシーは、王都で免許をもらった五つの会社のどれかに属している。このタクシーも王都のダコタ・タクシー所属のものだと、車の上で光る青いランプが示していた。ダコタ・タクシー自体が走らせている数が少なく、珍しい。ほとんどのタクシーがクレット運送である中で、それは街の大通りに捨てられたゴミのように目立たない。そんなタクシーに乗っているというのに、この運転手は目立ち、しかも珍しかった。しかもどこか酒の匂いがする。


「なんです、オマワリさん?」


 しばらく、パトリ巡査がじっと見ていると、運転手がもう一度声を上げた。暗闇で、どこまでも通りそうな澄んだ声だった。そして親指を立て、くいくいと後部座席を指差す。


「今は先客がいるんです。お客は乗せられませんよ?」


 最近の車はずいぶんと四角くなっていた。昔、”外来人”に造らせたというそれは、全体的に長方形だ。前に小さい四角、後ろが大きい四角の組み合わせ。ファーレン社の技術者が言うには専門用語で『すてーしょんわごん』とか言うらしい。積載量が多いためファーレン社がもっともよく造っている型だ。しかしパトリ巡査にはどうでもいいことであり、それよりも客の方に興味があった。ひょっとすると、もう一人の候補せいかもしれないのだ。

 その見えにくい後部座席をパトリが覗き込むと、そこには体格のいい、スーツ姿の男が乗っていて、コートにくるまって眠っているように見えた。酒の匂いは、どうやらその客が元凶らしい。


 ―――酔っていてくれれば一発だったのに。

 

 そう思うと少しがっかりだ。

 まったく酒の匂いを感じさせない運転手が、もう一度言った。


「それでどうしたんです? 乗せられませんよ?」


「いや、乗せてもらう必要はない」


 パトリはがっかりした分の威厳を保つかのようにして、胸をそらした。最近、ラズヴァリの警察署にも新しいパトカーが導入されたのだ。少し前まで王都だけのことだったが、街の立役者、ケリー男爵が首相にかけあってくれたおかげで、この街もずいぶん進歩した。たぶん、また今度ちょっとした強盗事件があったとしても、何とか対応できるだろう。

 タクシー運転手は急かすような口調になった。


「なら、行かせてもらえませんかね? ほら、料金があるから、お客さんを待たせるわけにもいかないし…」


「そうはいかない」


 巡査は威厳を込めた口調で言った。そう言って、いつものように手を差し出す。酒酔い運転でなかろうと、みすみす有力候補生を逃すわけにはいかないのだ。


「許可証を見せろ」


 運転手は帽子の下から一瞬、反抗的な目を見せた。薄い空色の目が帽子の影の下で一瞬光る。だが、そのまま大人しく、運転手は上着の内ポケットに手を入れた。この運転手は実に目を引く。それがパトリ巡査の感想だった。

 たいていの運転手は、伝統的な日雇い労働者だった。タクシー運転手が御者として馬車でムチを振るっていた時代から、そのやり方は変わらない。会社に売り上げのいくらかを献上し、残りが毎日の稼ぎとなる。タクシー会社は気前が良すぎて、たとえどんなに稼ぎが良くても、いつも同じ額の献上を求める。たとえその日の稼ぎが外れだったとしても、いつも変わらない。だからたいがいの運転手は、いかにして自分の身なりを整えるかということに心血を注いでいる。それなのにこの運転手は、帽子はもちろん、黒の上着に黒いネクタイを締め、おまけにベストまで着ているのだ。おそらくだが、その生地も木綿などではない。身なりが良すぎる。

 そんな目で運転手の服を一通り観察したのち、パトリ巡査は差し出された許可証を取り上げ、その名前を読んだ。

  

「リチャード?」


 名前を読み上げたパトリ巡査は眉を上げた。名前も珍しかったが、何よりその下に書かれた項が目を引いた。


半吸血鬼(ハーフ・ヴァンパイア)?」


「…ええ」


 答えて、運転手はきまる悪そうに眼を伏せた。一瞬胃が縮みあがるような気がして、パトリは思わず腰に下げた護符に手を伸ばした。手に固い石の感触を確かめると、少しだけ気が安らいだが、それでも十分ではない。パトリは思わず帽子のつばに隠れた相手の顔を、うかがうように見つめた。夜の通りに、車のエンジン音だけが響いていた。

 何の返答もないことをいぶかったのか、運転手が、少しだけ顔を上げた。

 

「どうしました?」

 

 パトリは、まともに運転手の顔を見て、思わず息を飲んだ。その顔は、十年以上前、『復活』の前まで、よく見かけた顔だった。

 

「…いや」


 半吸血鬼(ハーフ・ヴァンパイア)がいたところで、一体なんだというのだ?

 後ろ手に護符を握り、パトリは自分に言い聞かせた。

 最近、ここ何年かで法律が変わって、また『復活』以来、めったに見ることのなくなった人外たちがこの国に戻ってきている。少しずつだが、またこの国の中で仕事にありつく奴もいる。本来なら大陸の北の方にいたヴァンパイアたちも、またこの国に戻ってきつつある。人外と、人間の相の子がタクシー運転手をしていたところで、何の問題がある? それに、自分にはこれ(、、)があるのだ。そもそも、いきなり飛びかかってなんか来ないのだ。

 パトリは、そう自分に言い聞かせると、挑みかかるように、その顔を見据えた。


「何か問題でも?」

 

 挑みかかるように見据えたまま、パトリは口を開けたり閉じたりしていた。

『半』と付いているのだから、半分は人間だろう。しかし、この顔は『吸血鬼』のそれ(、、)、そのものだった。

 吸血鬼の顔を表現する場合、一番に思いつくのが気味が悪いということだ。

 暗い闇の中でも、ぼうっと浮かび上がる死人のような青白い肌に、人工物のような整った顔立ち。男でも、半分女みたいな顔なのが多い。それもやたら画家の連中が描きたがるような女だ。人間離れした顔。それが現実に目の前にある。だからこそ気味が悪い。普通人間たちの間で暮らしていると、あり得ない、絶対に見ない顔だからだ。

 この運転手もそんな顔だ。まさに吸血鬼の顔。それを確信し、パトリは言葉に詰まっていた。なんとか、のどに詰まったモノを吐き出した。


「…行っていいぞ」


「はい?」


 ただ、そう言って、パトリは許可証を押しつけるようにして運転手に返した。

 運転手が少し怪訝な表情になった。この運転手はやたら目つきが悪いが、パトリはそんなことに気づかないくらいには緊張していた。

 役職は警官だが、魔法の腕前は並み以下の自分が、どうにかできる相手ではない。職務用に対人外用銀弾入りの銃と、退魔の護符が支給されてはいる。特に護符は全般の魔法、幻惑やら攻撃系の魔法やらから身を守ってくれる優れモノなので心強い。だが、相手が暴れて、純粋に戦うような羽目にでもなれば、パトリも生きていられる自信はない。そういうの(、、、、、)は軍人たちの仕事なのだ。自分の仕事ではない。

 パトリは全てを納得していた。だから運転手に向かって、もう一度言った。一瞬運転手の目、その瞳孔が一瞬、蛇のように縦に裂けた気がしたが勇気を振り絞っていた。自分は警官なのだ。


「行っていいと言ったんだ。手間をかけたな」


 運転手は少しだけパトリを見たが、どうも、と短く言って、またクラッチを入れた。ごとごと走り去るタクシーを見送ると、パトリはまた巡回に戻った。どうせ外では検問もやっている。あいつらに任せればいいのだ。ナンバーも覚えている、何も問題はない。

 そんなことをつらつら考え巡回に戻ってしばらくたった後、パトリは立ち止まった。そして首を傾げた。

 

 ―――はて、自分は何を呼び止めたんだったかな?


 パトリはしばらく考えていたが、結局、その晩は何もなしと書いた報告書を提出した。報告書を提出された上司は一瞬パトリを睨み据え、ただ一つ、舌打ちをした。

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