後編
彼女が消えてからどれくらいの月日が経ったろうか、
生まれてすぐに両親に他界され、身寄りが無かった孤児の彼女は修道院に引き取られたのだと彼女から生い立ちを聞いていた。
いつも夕方五時に近づけば、院の規律が厳しいからまだ帰りたくない、ここにいたいとぐずりだす、小さな彼女の姿をたまに思い出す。
事情は聞いてないが院で過ごす皆が家族なんだって、よく言っていた。
僕は彼女が消えてから数日後にその修道院に足を運んだ。
戻ってくるならば家族であるここだと思ったから、予想は当たりやはり帰ってきていた。
だが、帰ってくるなり荷物を最小限にまとめると、彼女は誰にも何も言わずに直ぐに出て行ったそうだ。家族同然だったはずなのに誰も行く当てを聞いてないらしい。
彼女の消息はパタリと途絶えた。それから何事もなかったかのように月日は流れた。
いつもと変わらぬ日常。深夜、会社帰りの電車の中で聞き慣れない着信音が頭の中で鳴った。
指定外……ということは知らない人からの着信だろうか、セールスの勧誘だろうか、しかし番号は登録はないもののなんとなく見覚えがあった。
受話器を取ると音声のみで女性の声がした。
それはまさしく、何年かぶりの消息不明だった彼女からの電話だった。
…………
お久しぶり、元気にしてた?
まあね、そっちは?
毎日充実してるよ、名前聞かないの?
だいたい声でわかるよ、
咄嗟のことに驚き、だがなぜだろうその振る舞いを漏らぬように平静を装う口ぶりに勝手になる。
聞きたいことは山ほどある。だが、今は感情を押し殺し会話を重ねる。
病院でいなくなって以来だ、いきなりどうしたの?
私毎日をすごく充実してるんだ。でね、友達も沢山できたし集まりができたんだよ。今度披露宴するから久しぶりにどうかなって、みんなを紹介したいんだ。
いなくなって月日が流れて、なのにそんな知る人もいない集まりに行ったところで、他人行儀によそよそしくするのは目に見えている。
今更、彼女の開くイベントに関係者じゃない僕がのこのこ出向くのは当たり前のように気が引けた。
だが、それと同時に僕は彼女のイキイキとした声に心から懐かしさを感じた。気の迷いだろうか、行くことを了承した。
日にちと時間と場所と、簡単に告げるとノイズが入り一方的に電話は切られた。お互い要件はもうない、とくに電話をかけ直すこともなかった。
数日して披露宴当日。
彼女の招待したイベント開場前に到着した。
どんな場所を借りたのだろうか、公民館はないにしても、
……お店を見下げることってあまりないなあ、
怪しげな地下、暗がりの店に僕のぼやきは飲み込まれていった。
筋肉質で柄の悪い人ばかりならばどうしようか考えてしまう。
一歩一歩、光から離れて行くように地下へ潜っていく。
扉には独創的な落書きと閉店と殴り書かれた物がかけられている。
ゆっくりノブを回せば木の板とは裏腹に開く感覚がある、どうやら鍵はしてない扉は開いているようだ。
……こんにちは、
中は潰れた飲み屋か、無数のダウンライトは怪しげな雰囲気を際立たせ、うなだれた人が疎ら、タバコとアルコールと化粧品の混ざった臭いで部屋全体が鼻をつまみたくなる異臭に埋め尽くされていた。
どちら様でしょうか?
唐突に暗がりから現れたのはここの人らしい。気配がまったくなく心臓を鷲掴みするように驚いた。挙動不審になりながらとりあえず自分の今の事情をできるだけ説明する。
あ、あのえー、〇〇さんの友人で、その今日のイベントがあるからって誘われまして……
あっ、すいませんね、私NTではないので横からあらわれても気づかれませんでしたね。ええ、イベントは今からに相違ありません。お客様のお名前をいただいてよろしかったでしょうか?
えっと……××といいます。
ああ、××様ですね。これはこれは、特別丁重におもてなしするように主催者の○○様から承っております。さあ、イベントは既に奥で執り行われております。どうぞこちらへ、
暗がりから姿をあらわしたのはムキムキマッチョのサスペンダーの執事だろう、気さくな男は紳士だった。
笑顔な対応に指示されるがまま、奥の部屋へ向かうと、後ろにまわった紳士は後頭部にエルボを噛まし、強烈な打撃に僕の意識は消えた。
…………
おはよ!
……ここは?
秘密基地だよ。お久しぶりだね、元気だった?
……っ、頭が痛い。
覚醒したての僕が今わかるのは、ボンレスハムみたいに身動きが取れぬように縛られ、目の前にはゴツい体格の男が十数人と久しぶりに逢った彼女の姿だった。
彼女と彼等は迷彩色の軍服に身を包み、顔まで迷彩色。重厚な機関銃だろう一丁づつ抱えている。
モデルガンなのか?
本物よ。今日はね私たちが日本見納めのクーデターをやるの。今日はその披露宴。
彼女の言葉がどれも嘘ではないのはピリピリとした空気から伝わる。
話しは簡単だ、日本の人口分の脳内を統括管理しているセンターがあるのだが、今日はあちらの都合で警備がかなり手薄なのだと、そこにテロを起こし日本中の人々の脳内を焼き切りNTをいなくしてしまおうということらしい。
NTはね悪なんだよ、だから皆々消えてしまわなければならないんだ。
そんな、君もNTじゃないか! 死んでしまうぞ!? いいのか!?
そうね、私はなりたくもないNTに延命のためさせられた。知ってるでしょう? NTを施されれば手術以前の記憶が消えてしまうこと、悟ったの数日かけて病室の空を眺めながら、
……なにを?
記憶が無い私は不安だったわそして自分の日記を見つけたわ。今までの事が事細かに書いてあった。以前の私は、私の責任ではないのにNTになれず、NTではないことで社会的に虐げられ、一日の睡眠時間は一時間しかないことも普通だった。遊び歩くあなたたちが憎かった。心底憎かったわ。
……
最後の行にさよならと書いてあったわ。私は自分で自殺をしようとした。
きっとテロを起こす前に胸の内を誰かに言いたかったのだろう。NTで遊びほうけていて最も憎むべき相手に。
笑顔の彼女は心からこの日を待ち望んでいたらしく、会話中ずっと笑顔だった。目元のクマはより深くなって、肌もボロボロで服の左袖が垂れているが、昔のあの笑顔はあの頃のままだった。
さて、もう一眠りしててね。頭が焼き切れるような痛みで死ぬより、眠っていたほうが楽でいいものね。
待て! 聞きたい事がまだ沢山あるんだ!
残念時間切れ。おやすみなさい××、
…………
二度目の覚醒はやはり頭痛からだった。痛みつまり生きていた。
縄は切られていて振り返ればいつぞやの紳士が立っていた。
悪い夢を見ておられたようですね。
……あの……○○が……
ええ、無事終わりましたよ。貴方様は救われました。そして、
……そして、
この世のNTは皆さん、貴方様を除き死亡しました。テロは大成功をおさめたのです。最後に○○様からの伝言、いや遺言です。
××、貴方は日記に、特別な存在だと記載してあったわ。
NTであり恋愛対象である貴方は唯一のNTとして苦労苦悩して生きて下さい。きっと調整も受けることなく、薬も手に入らずに地獄の苦しみを味わうでしょう。
我が儘な望みですが貴方には私の思いを知ってもらいたい。
それは私の、私からの願いです。