第九幕 動き出した黒幕
警視庁に向かうシャーロットの乗るパトカー。以下、シャと表記。
後部座席で腕組みし、眉間に皺を寄せて考え込んでいるシャ。
シャ(何か妙だ。あの二人、隠し事をしている)
シャ、窓の外のジトジトと降りしきる小雨を眺める。
シャ「いずれにしても、全部私がはっきりさせてあげるわ、ドロント」
シャ、自信満々にフッと笑う。
ホテル内部。
MIDORIの部屋の向かいの部屋。三〇八九室。以下、MIと表記。
その奥にある寝室のベッドで眠っているドロント。もちろん、仮面は着けていない。
そこへ入って来るミスティとMI。ミスティ、仮面は着けていない。
その気配に気づいたのか、ドロントが目を開き、不意に起き上がる。
ドロント「あら?」
ドロント、ボンヤリとした顔でミスティとMIを見る。
ミスティ、ホッとした顔になり、微笑む。
ミスティ「お嬢様、お目覚めになりましたか?」
ミスティ、ベッドの脇まで進む。それに続くMI。
ドロント「ええ。ねえ、美咲、ここはどこ? 甲府なの?」
その言葉にギョッとするミスティ。MI、キョトンとして二人を交互に見る。
MI(美咲? それがミスティさんの本名?)
ミスティ、ドロントの手を両手で握る。
ミスティ「お嬢様、どうなさいましたか?」
ドロント「別にどうもしないわよ。それより、何、その黒尽くめの格好は? いくら私達が忍びでも、町に出かける時くらい、普通の格好にしなさいよ」
ドロントが真顔でそう言うと、ミスティの顔色が悪くなる。MI、怪訝そうな顔。
ミスティ「お嬢様……」
MI、なす術なく立ち尽くす。ミスティ、MIに近づく。
ミスティ「MIDORIさん、ちょっと……」
ミスティ、MIを部屋の隅に誘導。
MI「何ですか?」
ミスティ、ドロントをチラッと見てからMIを見る。
ミスティ「首領は、記憶の混濁を起こしているようです」
MI「ええ、そうみたいですね」
ミスティ、MIに更に顔を近づける。
ミスティ「それでお願いなのですが……」
MI「えっ?」
ビクッとした顔になるMI。
ミスティ「首領の代わりに、私と一緒に美術館に行っていただけませんか?」
MI「ええっ!?」
大声で驚くMI。
ミスティ「私一人でできない仕事ではないのですが、シャーロット・ホームズに変な探りを入れられたくないのです。計画は全部私が考え、貴女の行動も全て私が指示します。百パーセント安全に逃げられる手も打ちます。ですから……」
ミスティ、いきなり膝を床に着く。
ミスティ「お願いします。助けて下さい」
頭を深々と下げるミスティ。唖然とするMI。
しばらく沈黙のまま見つめ合う二人。
MIの額に流れる汗。
MI、深呼吸してからもう一度ミスティを見る。
MI「でも、ドロントさんの記憶が戻るのを待った方が良いのではないですか?」
ミスティ、立ち上がってMIを見る。
ミスティ「首領の記憶が戻るのはいつになるかわかりません。それにその絵の展示は明日で終わりなのです。決行は今夜しかありません」
ミスティの目はMIを射るようである。
MI、その視線の鋭さに耐え切れず、俯く。
ミスティ「近代美術館を出てしまうと、もはや盗むチャンスはありません。あの絵はすでに買い手がついていて、その買い主の手に渡ってしまうと、何もかも手遅れになってしまうのです」
ミスティの迫力満点の顔と声にビビリ気味のMI。
MI「手遅れって……。一体どういう事なんですか?」
探るような目で尋ねるMI。ミスティ、ほんの一瞬考え込む。
ミスティ「その買い主というのが、大物政治家なのです。その男は、かねてから暴力による政府の転覆を画策している、非常に危険な人物なのです」
その言葉に仰天するMI。
MI「その大物政治家と法隆寺の絵に、どんな関係があるのですか?」
ミスティ、またしばし沈黙。厳しい表情になる。
またビビるMI。
ミスティ「その男は、日本の現体制を潰そうとしています。絵空事のような事ですが、その男にはできるかも知れないのです。法隆寺の絵は、男にとって起爆剤のようなものです。それを使えば、政界どころか、皇室まで大混乱を起こすはずです」
MI「皇室まで?」
MI、蒼ざめる。手が震えている。そして、意を決した顔になる。
MI「何か、とてつもない事が起こりそうですね。わかりました。やれるだけ、やってみます。うまくいかなくても、怨まないで下さいね」
ミスティ、涙ぐんでMIの両手を握りしめる。
ミスティ「ありがとう、MIDORIさん」
赤面するMIDORI。
永田町。
その一角にあるある政党の本部ビル。
その最上階にある代表幹事室。
「代表幹事」のプレードが立てられた机に両脚を載せ、革張りの椅子に身を沈めた、黒いスーツ姿の一見その筋の人と見紛うような悪人面の男が、葉巻を燻らせている。
細い目、団子っ鼻、タラコ唇。年齢は六十代。
しかし、体格は筋肉質で、逞しい胸板。腹も出ていない。
男「あの絵が狙われたそうだな」
男、その細い目を更に細め、傍らに立つ秘書に問いかける。
秘書「はい。ドロントとか言う、世界的な窃盗犯だそうです。どうやら、今回は未然に防止したようですが」
男、目をカッと見開き、秘書を睨みつける。
男「防いだだけでは何の解決にもならんだろう。早くそのこそ泥を始末させろ」
男、葉巻を机の上の大きなガラスの灰皿でもみ消す。
秘書「しかし、大沢先生、もはやその必要はないでしょう。絵は明日の正午に美術館から大沢先生のお宅に運ばれます。そうなったら、そのこそ泥も手出しできません」
大沢と呼ばれた男、秘書を再び睨みつける。
大沢「バカめ。今夜があるではないか」
大沢、スッと椅子から立ち上がる。
大沢「もう一度盗みに来るさ。しかし、一つ気になるな」
秘書「は?」
キョトンとする秘書。大沢、窓に近づき、その向こうに見える国会議事堂を見下ろす。
大沢「あの絵を狙う理由だ。あの絵は作者不詳で、美術品としての価値はないに等しい。もっと他に名画があるにも関わらず、何故あの絵を狙ったのだ?」
大沢、秘書を見る。秘書、首を横に振る。大沢、ニヤリとする。
大沢「内部の者の話によると、そのこそ泥は他の絵には目もくれず、あの絵の所に行ったらしいじゃないか」
秘書「はァ、言われてみれば……」
秘書、ハンカチを取り出して額の汗を拭う。
大沢「まさかと思うが、あの絵の秘密を知っているのではなかろうな?」
秘書、目を見開いて驚く。
秘書「そんなはずはないと思います。あの絵の事を知っているのは、先生と私だけで、他には……」
あっと息を呑む秘書。大沢、口を一文字に結ぶ。
大沢「いる。奴らだ。そして恐らく、そのこそ泥を陰で動かしているのも、奴らだ」
秘書「しかし、あの堅物共が、そこまでするでしょうか?」
大沢、秘書を見てフッと笑う。秘書、ゾッとする。
大沢「するさ。事ここに至ってはな。奴らが焦れば焦る程、真実みが増す」
大沢、再び外に目を向ける。
大沢「私にとって、今の日本は全て否定しなければならぬ体制だ。世界の覇権をあの国から奪い、真の帝国を築くためにはな」
秘書は額にハンカチを当てたまま、大沢を見ている。