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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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同じ空の下

作者: 杉野仁美
掲載日:2026/04/04

とある会津藩士と、時の将軍徳川慶喜が出会っていたらという話です。


※作者の個人的な願望がダダ漏れなので、全然史実に基づいてはいません。

 ⸻


 空は、どこまでも白かった。


 雪も風もない。

 ただ、音のない広がりの中に、二つの影だけがあった。


 出会うはずのない二人。

 立場も世相も超えて、何故かその二人は向かい合っていた。


 一人は、粗末な具足をまとった会津の武士。

 もう一人は、静かな目をした男――

 徳川慶喜。


「……このような形で、お目にかかるとは」


 武士は膝をついた。

 その声は硬く、しかし沈黙の中に深い敬意が含まれていた。


「私もだ」


 慶喜は、わずかに目を細める。


「名は」


「斎藤久蔵と申します」


 その名が、静かな空間に落ちた。


 慶喜は、かすかに頷く。


「……久蔵」


 その呼び方に、久蔵の胸がわずかに揺れた。


 沈黙が流れる。


 だがそれは、言葉を探すためのものではなかった。

 何故この場が用意されたのか、何故この二人なのかはわからない。


 だが久蔵は、聞きたかったこと、知りたかったことを言葉にした。


「なぜ――」


 久蔵が先に口を開く。


「なぜ、お止めにならなかったのです」


 怒りではない。押し殺した悲しみと、理解したいという切実さだった。


 ーーあの時、殿がお止めに入っていたら我々は……


 自分でもわからないままに言葉を続ける。


「我らは、殿のために戦いました。京を守り、命を賭けて――それでも」


 言葉が詰まる。


「……それでも、殿は一人で刀を置かれた。一人でお決めになられた」


 慶喜は、しばし目を伏せる。


「あの時私が止めていれば……」


 静かな声が落ちる。


「お前たちは、己を否定されたと思うであろう」


 久蔵の指が、わずかに強く握られる。


 それをひと言でも言ってくだされば。

 いや、たとえ殿が何か言ったところで……俺たちは止まらなかった。止められなかった。


 それでも……


「では……なぜ、何も仰られなかった」


「言えば、壊れる」


 慶喜はたった一言。それだけを言った。


 しかし久蔵には、その短い言葉に込められた重さが痛いほど伝わった。


 言葉を重ねれば重ねるほど、互いの誇りや心は簡単に傷つく――それを二人は知っていた。


「……お前たちは正しい」


 慶喜は続ける。


「私は、別の正しさを選んだ。それだけだ。」


 それは、言い訳ではなかった。

 ただの事実だった。


「……我らも、今さら退くことはできませぬ」


 久蔵は顔を上げる。


「それが、我らの道ゆえ」


「知っている」


 二人の間に再び沈黙が訪れる。行燈の火だけがゆらゆらと揺れている。


 雪もないはずの空間に、なぜか冷たさだけが残る。


「……ならば」


 久蔵は、ゆっくりと頭を下げた。


 それは、心からの願いであった。たとえ袂を分つことがわかっていても。


「どうか、生きてくだされ」


 慶喜の目が、わずかに揺れる。


「殿が生きておられることがーー我らの、最後の証となります」


 最後まで戦ったことの証。

 慶喜が生きている。それだけで……


 その言葉は、責めでも、願いでもあった。


「……承知した」


 慶喜は静かに応じる。


 それで、すべてだった。


 二人は、互いにそれ以上を望まなかった。

 いや、望めなかった。


 言葉にすれば、どちらかが崩れる。


 言葉では言い表せない何かが二人の間にあるという事に、互いに気付いているから。


 だからこそ――


 そのまま、言葉は交わさない。静かな時間だけが過ぎていった。


(殿……)


 * * *


 景色がほどける。

 音が戻る。時間が、再び流れ出す。


 駿府の庭に、夕暮れが落ちていた。


 柔らかな光が、松の影を長く引く。


 慶喜は、縁側に座っていた。


 手には何もない。

 ただ、庭を見ている。


「……斎藤」


 ふと、名が漏れる。


 わずかな間のあと


「……いや、久蔵は」


 その呼び直しは、どこか静かだった。


「達者であろうか」


 景色には風もなく。だが、庭の奥で何かが揺れたような気がした。


 返事はない。

 それでも、構わなかった。


「ーーふ……」


 その微笑みにどんな意味が込められていたのだろう。

 自嘲?哀れみ?それともーー


 同じ空のどこかで、あの男は生きている。


 そう思えた。


 夜が、西からゆっくりと降りてくる。見慣れた景色のはずなのに、今日はやけに眩しく感じられた。


 * * *


 同じ頃、北の地にて。


 火が一つ灯っていた。あの時二人が見た行燈の火に似ている。


 囲炉裏の前に、久蔵は座っている。


 手は荒れ、衣は質素だが、その背は崩れていない。


「……今日も、終いだな」


 誰に言うでもない呟きが小さく響く。


 薪がはぜるぱちぱちという音だけが部屋中を満たしていた。


 ふと、ゆらゆらと揺れる火を見つめたまま、口を開く。


「……殿は」


 一度、言葉が止まる。


「……お達者であろうか」


 久蔵はそれ以上は言わなかった。戦が終わっても、殿のために戦った。


 その事実だけが、久蔵の心を強くした。


 だが、それでよかった。


『どうか、生きてくだされ』


 久蔵の言葉通りに殿は生きている。


 あの時、確かに出会い、言葉を交わした。


 それだけで、十分だった。


 久蔵は静かに目を閉じる。薪のはぜる音が何故か今日は妙に心地よい。


 空は、繋がっている。


 会うことはない。

 それでも――


 同じ空の下で、それぞれが、それぞれのままに生きている。


 それだけが、確かなことだった。

幕末は薩長とか新撰組とかが人気ですが、私は何故か会津に惹かれてしまいます。いえ、ただ単に私は「武士道精神」が好きなんです。会津藩士は武士としてひたすら泥臭くて美しい。もちろん薩長にも武士道精神は備わっていたと思います。


形勢が不利になっても曲げなかったその精神は、涙が出るほど美しく、語り継ぐべき物語だと私は思います。

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